同級生と余生を異世界で-お眠の美人エルフと一途な妖狐の便利屋旅-

笹川リュウ

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余生の始まり

10.会議の事前準備

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 マルクスの部下であるノエルに案内されたのは白い長机がずらりと並ぶ部屋。
 謁見の間とは打って変わり、テレビドラマによくある警察の捜査会議室のような、些か殺風景な空間。
 ここで神木への魔力補填について説明されるらしいが、部屋にはまだ誰もいなかった。
 窓から吹き込む風で群青色のカーテンがはためいている。
 ノエルは長い前髪を押さえながら窓を閉め、風で散らばった栗色の前髪を手櫛で直すと、目尻に皺を作り照れくさそうに微笑んだ。
 マルクスには劣るが、彼もまた騎士らしいがっしりとした体格をしている。
 真紘は思わず自分の腕と見比べた。
「今日も一番乗りですね。お二人はこちらでお掛けになってお待ちください。それから、改めて御礼申し上げます。最近のマルクス様は奥様の身を案じてずっとソワソワ、ソワソワ……それが伝染して他の部下までソワソワし出す顛末。お二人が背中を押してくださったおかげで、私の心配事も一つ解消されました」
 やれやれと困った様にため息をつく彼だが、それだけマルクスとの良い関係が伺えた。タルハネイリッカの騎士団はマルクスを大分慕っているようだ。
 この部屋に来るまでも、ノエルはこの世界の常識や、タルハネイリッカ領のオススメスポット、マルクスの面白いエピソードまで様々なことを聞かせてくれた。
 真紘は窓に近い椅子に腰かけた。当たり前のように重盛は隣に座る。
「ふふっ、それは良かったです。元気なお子さんが生まれたら、マルクスさんにつられてタルハネイリッカ領全体もさらに明るくなりそうですね」
「ええ、皆、マルクス様の明るさに引っ張られて何とかやっていますので。領主の家に子供が生まれると、お披露目を兼ねた祭りが行われます。大体産まれてから三か月後くらいですね。その際はお二人もいらしてください。出店もでますよ」
「なんだっけ、ロヒィ……?」
 重盛が眉間に皺を寄せて机を指で小突くとノエルは笑った。
「ロヒケイットですね。鮭とじゃがいも、人参に玉ねぎなんかを牛乳で煮たスープで、マルクス様の大好物なんです。それは残念ながら出店向きじゃないので出ませんが、年中食べられる料理なので、美味しい店も紹介しますよ」
「おお~! 嬉しいっす! ちょっと腹減ってきたかも」
 朝食後にも関わらず重盛はまだ食欲があるようだが、真紘は朝からフルコースを胃に詰め込んだためそんな気分にはなれなかった。
 救世主様方のために腕を振るいましたと目を輝かせるシェフに迫られ、朝はパンひとつで十分だとは言い出せなかったからだ。
 胃をさすりながら真紘は曖昧に微笑んだ。
 ノエルは何かあればいつでも呼んでくれと、魔石の欠片を二人に持たせて部屋を出て行った。

「この欠片が通信機器になるなんて不思議だね」
 真紘は天井の灯りに乳白色の魔石を翳した。
 魔力を含んだそれは城の至る所にあり、天井の光も魔石から放たれていた。
 スイッチのオンオフは魔石に自身の魔力を流すだけの簡単な仕様だ。
 この魔石は通話のみ可能。姿が見えたり小さな物を送れたりする通信に適した魔石は中々採れない上に高価なため、特別な時にのみ使用されている。
 さらに魔石は永遠に使えるわけではない。
 繰り返し魔力を注いで使用できるが、使った分だけ消耗し、最後は本体が砕けて消えてしまうそうだ。
 この世界ではほとんどの人が魔法を使えるため、テレビは勿論、スマートフォンといった電子機械はあまり発達していないらしい。
「同じ魔石から出た欠片じゃないと通話できないのは不便だけど、糸電話みたいで面白いよな」
 重盛は顔の横で人差し指と小指を立てて電話のポーズを取るが、今の耳はもう少し上だ。
 先ほども尻尾の存在を忘れ、廊下に飾ってあった花瓶を割ったばかりの彼は、まだ身体の変化に慣れていないようだ。
 真紘も銀色の長い髪が視界に入ると未だにぎょっとしてしまう。
「電波じゃなくて、魔力で繋がる縁も面白いかもね。魔物から取れる魔石が日常的に使われていると聞いて最初は驚いたけど、騎士団やギルドの主な仕事が生活のための魔石採取と知って少し安心したよ」
「安心?」
「だって騎士団とかギルドなんて聞いたら、国同士の戦争があるのかなとか、ダンジョンがあるのかなとか考えてたから」
「あーなるほど。農業、漁業、林業みたいな生活に必須なジャンルで良かったってことね。魔力補充待ちのこの星だからこそ、魔力激やばの最強モンスターみたいなのが産まれないってのも良いとこだよなぁ」
 真紘は深く頷いた。
 【魔力溜まり】といった、人間でいう血液の流れが悪くなるような現象がリアースの大地にも起こる。
 その魔力を吸収してしまった動植物が体内の魔石を膨張させ、狂暴化してしまう。
 幸か不幸か、討伐された魔物は砂となって消え、膨張してしまった魔石は空の状態で残り、再利用されるのだ。
 人が魔力溜まりに中てられた場合は、教会で治療を受けるのだという。
 でもさ、と重盛は椅子に背をつけたまま天井を見上げた。
「真紘ちゃんのギフトはなんでも作れるし、やろうと思えば大体の事はできるわけでしょ? 俺も女王様よりパワーがあるってお墨付きをもらった。救世主としてやってきた人間がこの世界を支配してやろうなんて考えたら、簡単にこの世界のバランスが崩れると思わねぇ?」
 下がった声のトーンの先には、いつになく真面目な表情をした重盛がいた。
 視線が合うと、真紘は困ったように苦笑いを浮かべた。
 どうやら彼も自分と同じことを考えていたようだ。
 魔石にしてもそうだ。いくら大きな危険がないとはいえ、騎士や冒険者といった、訓練を積み重ねたものではければ採取できない。
 それを真紘がポンと簡単に作り出し流通させてしまっては、危険な魔物は増える上に、それを仕事とする人々の生活が成り立たなくなってしまう。
 真紘は異世界に来るまで本屋でアルバイトをしていた。
 そこでは本一冊であっても、受注、出荷、納品、販売といったプロセスを踏んで、漸く人々の手に渡ることを学んだ。
 元を正せば、真紘が販売していた本も、筆者、編集者、表紙を作った人、紙を作った人、インクを作った人――と、想像できないほどの多くの人が関わっている。
 社会のほとんどが、可視化できない誰かの人生の連続で成り立っていることを学生なりに理解しているつもりだ。
「救世主がこの世界の根底を覆すことは容易いだろうね。でも世界を変えてやろうなんて考えは一ミリもないよ。だって僕はこの世界を保つために呼ばれたんだから。国を乗っ取って酒池肉林したいとか、そんな野心も更々ないよ。インフラを崩壊させないように、ひっそり生きていくつもり。歴代の救世主だってそうしてきたから今の世界があるんだろう?」
 それにこの世界で関わってしまった人々をもう嫌いにはなれそうになかった。
 人付き合いが苦手なだけであり、人間が嫌いなわけでもない。
 単純だと言われてしまうかもしれないが、そう思ってしまったのだから仕方がない。
「そう言うと思った。俺も楽しく生きてたいだけだし、真紘ちゃんとロヒケイットを食べるには、この世界の平穏を守らないとじゃん?」
「年内には達成されそうな目標なんだけど」
「わははっ、でも、しょっぱいもんを食ったら甘いもんも食いたくなんのよ。タルハネイリッカに行った後も俺のグルメツアー付き合ってよ」
「確かにそうかもね。落ち着いたらマルクスさんに旅に出たいって相談してみよう」
「やったぁ~! まあ、真紘ちゃんのことは元から心配してなかったけど、あとの三人がどう考えるかはわかんないっしょ? マルクスのおっさんやノエルさんに聞いた感じ、この世界には大きな戦争も魔王討伐もない。じゃあ、俺の職業はこの世界に必要あんのかって疑問に感じてさ。もしかしたら世界の根底を覆すような反乱分子が現れた時に始末するため付与されたもんなのかなって……思ったりなんかしちゃって?」
 そういうと重盛は大袈裟に笑った。
 突然与えられた能力に怯えていたことも自分とまた同じだったのだ。
 真紘は重盛の両手を自分の手で包み込んだ。
 自分の手では彼の手を全て覆うことはできないと判っていたが、それでも良かった。
「もしそうであっても絶対にそんなことはさせない。僕達には強力な魔法や力が与えられたけど、それって心まで変わってしまうものなの? 僕は初めて出会った時の君と、今の君は何も変わらないように思えるよ。それに僕達は幸いにも種族間を超えてコミュニケーションを取ることができる。きっとそれにも意味があるはずだよ。他の救世主が誰であっても、これから出会う人がどんな人でも、話し合える。分かりあえるはずだ。アテナ様は支え合って生きろと仰っていたね。それは、僕達が長命だからだけじゃない、人として大切なことだからじゃないのかな」
 不安を取り除きたい一心で語ってしまった。
 図書室で自分の痛みよりも相手を心配していた彼は、今も変わらない。
 たった一日でも十分に理解できたことだ。言葉に嘘は一つもない。
 視線を合わせたまま何言わない重盛は、自分の勢いに引いてしまったのだろうか。
 段々と恥ずかしくなってきた真紘は手を離した。
「そ、そういうことなので……」
 勢い良く身を翻して窓側を向くと、耳の先まで真っ赤な自分が窓に映った。
 思わずぎゅっと目を閉じると、腰に手を回され、後ろから抱きしめられた。抵抗する間もなく、羽織っていたショールがずり落ちる。
「真紘ちゃん、ありがと。こっちに来て仲良くなれて良かった。俺が最初に見つけて良かった……でも、多分一つ間違えてるわ」
 回された腕の力が強く、振り向くことができない。
 素直に何が間違っているのかと問えば、重盛は腕の拘束を解き、ショールを拾い上げて真紘の肩に掛け直した。
「初めて会った時のこと」
「学校の図書室で、僕が君に本を突き刺した時のこと?」
 真紘が元の位置に体を戻すと、重盛はまた悪戯な笑みを浮かべて言った。
「わははっ、そんなこともあったねぇ。だけどそれも残念ながら不正解。やっぱ思い出すまで内緒にしとくか」
「もしかして入学式?」
「どうでしょ」
「ヒントが欲しい」
「ん~。旅先で美味しいもの食べたら思い出す、かも?」
 重盛はのらりくらりと答えをはぐらかす。
 どうやらこのクイズは長期戦になるらしい。忘れている自分が悪いのだから、強く出ることはできない。
 一体いつ彼と出会ったのだろうか。
 真紘は唸りながら天井を仰いだ。
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