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出来心
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一陣の風が流れた。
木の燃えるきな臭い匂いと、血を孕む風。まだ王都の混乱が収まっていない事をそれは意味している。
実際二人の周りにも未だ暴れまわり、略奪をしている市民達もいる。足元には騎士団との衝突により命を落とした市民の死体も転がっている。
これほどの混乱の中、一見して与しやすそうに見える。男女のカップルが暴徒に襲われずにいるのは本当に幸運としか言いようがないだろう。尤も、そこいらの暴徒など返り討ちに出来るほどの実力を二人とも秘めてはいるが。
「好きで好きで、どうしようもなかったから、殺したんです」
ヤルノは言葉を重ねた。しかしそれでもなおギアンテには届かなかったようではあるが。
「なぜ、好きな人を殺したの?」
「……あの時、僕は、どうするべきだったんでしょうか」
逆にヤルノの方から問いかけてきた。おそらくは表面的な行動の事だけではない、もっと根源的な問いかけ。
「僕の言う『好き』と、他の人の言う『好き』は、本当に同じ感情なんでしょうか? 僕の言う『憎い』と他の人の『憎い』は? それを確かめる方法はあるんでしょうか? 逆十字屋敷で、僕はノーモル公に対して激怒しましたが、しかしだからといって『殺したい』とは思いませんでした。僕には『怒りに任せて人を殺す』という感情が、分かりません」
ヤルノがノーモル公を殺した理由は、あくまでもインシュラが彼の首を望んだからである。結局それも徒労に終わったが。
両親の事を殺したのも「憎んでいたからではない」と言っていた。
自分の中にある『好き』と、他人の言う『好き』は、本当に同じものなのか。自分の目が認識している『赤』と、他の人が言う『赤』は同じものなのか? 何をすればそれを確かめることができるのか。
多くの人にとっては、その人の感じ取った質の確認は無意味であると考えるだろう。同じリンゴを指差して両者が『赤』だと言っても、両者の認識が同じ色を指しているかどうかを証明することはできない。ましてや人の『感情』であればなおさらだ。
しかし、ヤルノはそこで立ち止まらなかった。
「好きな人が死ぬのは、とても悲しいことだと聞きました」
それゆえ彼は、初恋の人を殺した。
それが本当に『好き』だったのかどうかを、確かめるために。
「初恋の人が死んで……どんな気持ちになりましたか」
二人の間に沈黙の時が流れる。ただただ、土を踏みしめる音だけを響かせて。
「……分かりません。覚えていないんです。もう、十年ほども昔のことだからか、殺した前後の事も、はっきりとは。
それが、僕の初めての殺人でした」
最初は快楽殺人ではなかった。自分の気持ちを確かめるため。心の中に芽生えた感情が、果たして『好き』ということなのか、それを確かめるための殺人であった。
「僕は結局自分の気持ちが分からなくって、村で気に入った人、親切にしてくれた人、行為を見せてくれた人達を殺してみましたが、その時は何も感じることはありませんでした」
王別の儀の最中、旧イルス村に駐屯したギアンテ達騎士団の人間が見つけた夥しい数の死体。その正体がはっきりとした。
「ノーモル公に対して、僕は怒りましたが、実際にはよく分からないんです。両親が本当に僕の事を愛していたのか、そうでないのか。僕は愛情の表現の仕方が他人と違うだけなのだとずっと思っていましたが、今となっては、それも……」
すでに殺してしまった人の心の内は分からない。いや、たとえ生きていたとしても本当の意味で人の心の内を知る方法などありはしないのだ。
世間一般から見ればヤルノの両親がしていたことは『虐待』と『無関心』であったが、ヤルノはそれを『愛』だと信じて疑わなかった。
「新しい環境に行けば、何か分かることがあるかもしれないと思って、僕はおとなしくギアンテについていくことにしました」
全ての物語は、そこから始まったのだ。以降の事はギアンテはよく知っているつもりではあるが、実のところ知っているのはせいぜいその半分程度。彼が陰で何をしていたのか、ギアンテは全く知らないと言って差し支えない。
「キシュクシュを殺したのは、完全な好奇心です。村人がよく、『貴族は青い血が流れている』だとか、『俺達とは違う生き物だ』とか言うから、本当に何か違うところがあるのか、試してみたかっただけです」
「キシュクシュ様を殺し……?」
王妃インシュラは知っているが、この事実はギアンテは今初めて知った。だが、驚きはあまりなかった。しかしそれだけではない。騎士団の連中も、ノーモル公も。ヤルノはここに来るまでに多くの人間を殺してきた。
しかしそれで結局得たものは、何もなかったのだ。
「僕は、ギアンテに謝らなければいけません……すみませんでした」
数えきれないほどの罪を犯して生きてきたヤルノ。しかしその一体何を謝っているのかが分からず、ギアンテは困惑した。
「イェレミアスの事は、ほんの軽い悪戯のつもりだったんです」
おそらく彼が言っているのはイェレミアス王子とヤルノの入れ替わりの事を指しているのだろう。
彼の言っていること自体はそうおかしくない。
実際にしたことといえば王子と影武者が入れ替わって母親と従者を騙しただけなのだ。可愛げのあるいたずらといえない事もない。
ヤルノ少年は、気付いていた。最初から。
用が済めば真実を知る自分など百害あって一利なし。村を一つ焼き払った彼女たちの行動原理からしても、まず間違いなく自分を殺害するであろうという事を。
その局面において、王子と入れ替わり、イェレミアスを殺害させるという、すでに悪戯の範疇を越えた謀略にも等しき行い。王子本人はヤルノ殺害の気配になど気付いていなかったため、これを本気でただの『いたずら』だと思っていたことだろう。
しかしその結果として王子は殺害され、ヤルノが本物と入れ替わる結果となった。
王妃インシュラと騎士ギアンテは「王子殺し」の十字架を背負い、精神の平衡を失った。自業自得とはいえ、二人にとって自分の命にも等しい大切な宝物を自分の手で葬ってしまったのだ。
夢と現の間を行ったり来たりしているギアンテはまだマシな方である。インシュラは自我がボロボロに崩壊し、立ち上がる事すら出来ぬ状態。
「ごめんなさい」
ヤルノは改めてギアンテに正対して頭を下げた。
「イェレミアスが死んだら二人がそんなに悲しむだなんて思わなかったから、軽い気持ちで殺してしまいました……本当に、ごめんなさい」
木の燃えるきな臭い匂いと、血を孕む風。まだ王都の混乱が収まっていない事をそれは意味している。
実際二人の周りにも未だ暴れまわり、略奪をしている市民達もいる。足元には騎士団との衝突により命を落とした市民の死体も転がっている。
これほどの混乱の中、一見して与しやすそうに見える。男女のカップルが暴徒に襲われずにいるのは本当に幸運としか言いようがないだろう。尤も、そこいらの暴徒など返り討ちに出来るほどの実力を二人とも秘めてはいるが。
「好きで好きで、どうしようもなかったから、殺したんです」
ヤルノは言葉を重ねた。しかしそれでもなおギアンテには届かなかったようではあるが。
「なぜ、好きな人を殺したの?」
「……あの時、僕は、どうするべきだったんでしょうか」
逆にヤルノの方から問いかけてきた。おそらくは表面的な行動の事だけではない、もっと根源的な問いかけ。
「僕の言う『好き』と、他の人の言う『好き』は、本当に同じ感情なんでしょうか? 僕の言う『憎い』と他の人の『憎い』は? それを確かめる方法はあるんでしょうか? 逆十字屋敷で、僕はノーモル公に対して激怒しましたが、しかしだからといって『殺したい』とは思いませんでした。僕には『怒りに任せて人を殺す』という感情が、分かりません」
ヤルノがノーモル公を殺した理由は、あくまでもインシュラが彼の首を望んだからである。結局それも徒労に終わったが。
両親の事を殺したのも「憎んでいたからではない」と言っていた。
自分の中にある『好き』と、他人の言う『好き』は、本当に同じものなのか。自分の目が認識している『赤』と、他の人が言う『赤』は同じものなのか? 何をすればそれを確かめることができるのか。
多くの人にとっては、その人の感じ取った質の確認は無意味であると考えるだろう。同じリンゴを指差して両者が『赤』だと言っても、両者の認識が同じ色を指しているかどうかを証明することはできない。ましてや人の『感情』であればなおさらだ。
しかし、ヤルノはそこで立ち止まらなかった。
「好きな人が死ぬのは、とても悲しいことだと聞きました」
それゆえ彼は、初恋の人を殺した。
それが本当に『好き』だったのかどうかを、確かめるために。
「初恋の人が死んで……どんな気持ちになりましたか」
二人の間に沈黙の時が流れる。ただただ、土を踏みしめる音だけを響かせて。
「……分かりません。覚えていないんです。もう、十年ほども昔のことだからか、殺した前後の事も、はっきりとは。
それが、僕の初めての殺人でした」
最初は快楽殺人ではなかった。自分の気持ちを確かめるため。心の中に芽生えた感情が、果たして『好き』ということなのか、それを確かめるための殺人であった。
「僕は結局自分の気持ちが分からなくって、村で気に入った人、親切にしてくれた人、行為を見せてくれた人達を殺してみましたが、その時は何も感じることはありませんでした」
王別の儀の最中、旧イルス村に駐屯したギアンテ達騎士団の人間が見つけた夥しい数の死体。その正体がはっきりとした。
「ノーモル公に対して、僕は怒りましたが、実際にはよく分からないんです。両親が本当に僕の事を愛していたのか、そうでないのか。僕は愛情の表現の仕方が他人と違うだけなのだとずっと思っていましたが、今となっては、それも……」
すでに殺してしまった人の心の内は分からない。いや、たとえ生きていたとしても本当の意味で人の心の内を知る方法などありはしないのだ。
世間一般から見ればヤルノの両親がしていたことは『虐待』と『無関心』であったが、ヤルノはそれを『愛』だと信じて疑わなかった。
「新しい環境に行けば、何か分かることがあるかもしれないと思って、僕はおとなしくギアンテについていくことにしました」
全ての物語は、そこから始まったのだ。以降の事はギアンテはよく知っているつもりではあるが、実のところ知っているのはせいぜいその半分程度。彼が陰で何をしていたのか、ギアンテは全く知らないと言って差し支えない。
「キシュクシュを殺したのは、完全な好奇心です。村人がよく、『貴族は青い血が流れている』だとか、『俺達とは違う生き物だ』とか言うから、本当に何か違うところがあるのか、試してみたかっただけです」
「キシュクシュ様を殺し……?」
王妃インシュラは知っているが、この事実はギアンテは今初めて知った。だが、驚きはあまりなかった。しかしそれだけではない。騎士団の連中も、ノーモル公も。ヤルノはここに来るまでに多くの人間を殺してきた。
しかしそれで結局得たものは、何もなかったのだ。
「僕は、ギアンテに謝らなければいけません……すみませんでした」
数えきれないほどの罪を犯して生きてきたヤルノ。しかしその一体何を謝っているのかが分からず、ギアンテは困惑した。
「イェレミアスの事は、ほんの軽い悪戯のつもりだったんです」
おそらく彼が言っているのはイェレミアス王子とヤルノの入れ替わりの事を指しているのだろう。
彼の言っていること自体はそうおかしくない。
実際にしたことといえば王子と影武者が入れ替わって母親と従者を騙しただけなのだ。可愛げのあるいたずらといえない事もない。
ヤルノ少年は、気付いていた。最初から。
用が済めば真実を知る自分など百害あって一利なし。村を一つ焼き払った彼女たちの行動原理からしても、まず間違いなく自分を殺害するであろうという事を。
その局面において、王子と入れ替わり、イェレミアスを殺害させるという、すでに悪戯の範疇を越えた謀略にも等しき行い。王子本人はヤルノ殺害の気配になど気付いていなかったため、これを本気でただの『いたずら』だと思っていたことだろう。
しかしその結果として王子は殺害され、ヤルノが本物と入れ替わる結果となった。
王妃インシュラと騎士ギアンテは「王子殺し」の十字架を背負い、精神の平衡を失った。自業自得とはいえ、二人にとって自分の命にも等しい大切な宝物を自分の手で葬ってしまったのだ。
夢と現の間を行ったり来たりしているギアンテはまだマシな方である。インシュラは自我がボロボロに崩壊し、立ち上がる事すら出来ぬ状態。
「ごめんなさい」
ヤルノは改めてギアンテに正対して頭を下げた。
「イェレミアスが死んだら二人がそんなに悲しむだなんて思わなかったから、軽い気持ちで殺してしまいました……本当に、ごめんなさい」
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