リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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殺しました

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しばらく暴動を遠くから眺めながらクッキーを齧っていたイェレミアス王子と騎士ギアンテは、衝突が弱くなってきたところを見計らって立ち上がった。
 
「もう危険はないでしょう、もう少し近くに行ってどうなったか見てきましょう」
 
 あくまでもイェレミアスは物見遊山でもしているかのような姿勢を崩さない。ギアンテはまだ危険だと反対したが、結局彼がその意見に取り合うことはなかった。
 
「大丈夫ですよ、それよりも歴史の生き証人になってみたいと思わないんですか? これはきっとグリムランド建国以来の大事件になりますよ。それに、僕の身は……イェレミアス王子の身は、頼れる騎士様が守ってくれるでしょう」
 
 余裕の態度を見せるが、心なしか笑顔にいつものような力がないように見える。ギアンテはなんとなくその儚げな笑顔に反抗することができず、素直についていくことにした。市民に扮しているため帯刀はしていないが、懐にある小さなナイフを握り締めて。
 
「派手に暴れたものですね」
 
 町は中心部に近づくほど惨憺たる光景が広がっていた。暴徒のつけた火は燃え広がって町を赤々と照らしているし、大規模な騎士団と市民の衝突は終わったものの、「まだいけるだろう」と踏んで略奪を続ける市民は少なくない。
 
 そんな中、まるでデートでもしているかのように堂々と街を歩く男女。
 
「やっぱり、僕のミスはスタート地点から間違っていた事だと思うんですよ」
 
 ゆっくりと歩きながらイェレミアスが話し始める。「ミス」とは何のことか。ここまでイェレミアスは上手くやっている、というよりは全ての事象を掌の上で弄ぶかの如く自由自在に操っているようにギアンテには映った。
 
「僕は嘘ばかりついていました。そんな状態でお母様やギアンテに愛してもらおうなどと、その考えがまず間違っていたんだと思います。だから今日は、ギアンテに『本当の僕』を知ってもらおうと思います」
 
 ギアンテの意識は夢とうつつを行ったり来たりする曖昧なものとしたものであったが、この時になってようやくはっきりと現実に戻ってきた。
 
 今目の前にいる少年が、イルス村の正体不明の人物、ヤルノだと思いだしたのだ。そして彼について調べたことも。
 
「ギアンテもある程度は調べているんでしょう? たとえば、床下の死体。あれは確かに僕の両親のものです」
 
「あなたが、殺したの……? なぜ……」
 
 空白の二時間。ヤルノの両親を殺しえた人物は、彼本人しかありえないのだ。しかし動機が分からない。
 
 普段から虐待を受けているような節があった。自分の身柄を勝手に売り飛ばされたことも承服できる事柄ではないだろう。てっきりその復讐のために殺したのだろうかと考えていたのだが、しかしノーモル公の屋敷で、彼は「親に愛されていない」と発言した公に対して、我を忘れるほどの激怒を見せた。
 
 この怒りはギアンテからはまるでちぐはぐなものに映った。
 
「なぜ……ですか」
 
 歩きながらヤルノは、顎に手を当てて考え込む。考え込まなければ出てこないような理由なのだろうか。
 
「あれが、ついの別れだと思いました。王宮についていけば、おそらくはもう二度と、生きては会えないだろうと」
 
 実際その通りである。当初の計画からすでに、王別の儀を終えればヤルノは殺される予定であったし、それを待たずしてイルス村の人間は、虐殺された。
 
「だから、もうあの時をおいて他に殺せる時がないと考えたら……僕が最後に両親にしてあげられる事って、何かな、と思って……」
 
「そんな理由で……? てっきり、親を憎んでいたのかと」
 
「憎む……ですか。それは憎くて、もう顔を見たくないから殺す、という意味ですか?」
 
 彼の問いかけにギアンテは声を失ってしまった。どうやら彼には「憎いから殺す」という発想自体がなかったようである。確かに「ついの別れ」だと思ったのなら、もう会うことはないのだから殺す必要はない。
 
 それ自体は意味が通っているようではあるが、では彼はどういった時に人を殺すのか。問いかけても、そこに行きつけない。彼の行動原理が分からない。
 
 しかし穏やかな表情ではあったが、今のヤルノの瞳には、覚悟の光があった。彼は決意したのだ。今まで隠していた自分の本性と、それに基づく行動の全てをギアンテに話すと。
 
 その覚悟をギアンテも見て取れたからこそ、今、彼が荒唐無稽な行き当たりばったりの話をしているのではなく、真実心の奥底に持っていた本当の記憶と、その意図を話しているのだと理解した。
 
 すなわち一見理解不能なだけの出鱈目の様なこの動機が、彼にとっては嘘偽りない本当の気持ちなのだと。
 
「ご両親の隣にあった、子供の、古い死体は?」
 
「あれですか……」
 
 ゆっくりと呼吸をしながら空を見上げ、星を見る。付け火のせいで町は随分と明るいが、空には数多の星々が輝いていた。
 
「十歳の頃だったか、あれは、僕の、初恋の人です」
 
 そう言った後、ヤルノは「おそらく」と付け加えた。
 
 誰もが持つ初恋の記憶。それが本当に「恋」というものだったのかどうか、それは幼過ぎて判別できない事もそう珍しいことではない。
 
「同じ村の子で、毎日その子の事ばかり考えていました。他に何も手につかなくなって、どうしたらいいのか分からなかったから」
 
 そこまで言ってヤルノは視線を落とし、そしてギアンテの方を見て優しく微笑んだ。初恋の甘酸っぱい記憶を思い出したからか、穏やかな表情を浮かべていた。
 
「殺しました」
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