リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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町が見える

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 王都ウィンザーハーツの城は町の中でも少し高台にあり、そこからの景色は素晴らしい。冬は一面の銀世界の中に人々の営みの証であるかまどの煙が立ち上り、特に夕暮れは赤く染まる空と白く煙る人々の暮らしの様子が対比されて神秘的な美しさを持つ。
 
 夏至も近くなってきた今の季節は力強く芽吹いた葉が一面に生い茂り、人々が活発に動き回る姿が見える。
 
 しかしそれも当然昼日中の事であり、今現在、裸のイェレミアスの目に私室のバルコニーから映るのは闇の世界のみである。
 
 グリムランドは緯度が高いため九時近くまで空がまだ明るいが、基本的に日が落ちてしまえば明かりが灯るのは繁華街と王城くらいのものである。
 
 夏といえども当然ながら裸では夜は冷える。鳥肌が立っているにもかかわらずそのままイェレミアスが何もない漆黒の空間を眺めていると、彼の後ろからシーツを肩にかける女性がいた。
 
「そんな恰好では冷えますよ、王子」
 
 とはいうものの、シーツをかけた女騎士ギアンテも薄いネグリジェを一枚羽織っているだけだ。二人の距離感と服装から、彼らの間に何があったのかは容易に想像できるだろう。
 
 だがもはや、この二人の関係はいわば公然の秘密であり、王子の身の回りの世話をする侍従達は少なくとも皆知っている事である。
 
「何を見ていらしたんですか」
 
 元々は苛烈な性格で知られていたギアンテであるが、睦み合いの後のためか、穏やかな表情をしている。
 
「町を……」
 
 イェレミアスは本当に何を見ていたのか。暗闇の中の街。彼の元いた寒村ほどではないものの、皆燃料を無駄遣いするほどの余裕などない生活。ほとんどの家庭ではもう夢の中のはずだ。
 
「町、ですか」
 
 穏やかな声で答えるギアンテ。王子に倣って街を眺めるが、当然何も見えない。今彼女は正気なのだろうか。一方で、イェレミアスはどうなのだろうか。
 
 ギアンテは本物のイェレミアス王子に忠誠を誓い、彼のためならば己の命も惜しくないとばかりに行動し、彼を王位につけるために村を一つ滅ぼし、そして全てを失った。しかも自らの手によって、敬愛する王子を殺害しているのだ。
 
 一方のイェレミアス。
 
 青天の霹靂とばかりにリィングリーツ宮に招待され、是非もなしに王子の影武者として行動することになった。その全ての局面において完璧以上の仕事をし、アシュベルが亡くなり、ガッツォが蟄居させられた今、最も王位に近い者である。
 
 ギアンテとインシュラは王別の儀を通った後についてはほぼ無策に近い状態であったが、彼が一人で王位への道筋をつけてしまった。
 
 一方で村を滅ぼされ、血縁者を皆殺しにされ、その上で彼が望む物は、何一つ手に入ることはなかった。彼を抱きしめてくれる母親も、愛しい人も、見ているのは『イェレミアス』であって『ヤルノ』ではなかった。
 
 ついぞ「ヤルノを愛している」という言葉を聞くことはできなかった。
 
「明かりのついている家は殆どありませんが、この一つ一つに家庭があって、親子がいて、互いに愛し合っているのだと思うと、不思議な気持ちになりますね」
 
 己にかけられたシーツを深く被りながら、再度街を眺めるイェレミアス。
 
「ギアンテはどうでしたか? 両親に愛されていましたか?」
 
 彼女は少しの間考えてから答える。
 
「父からは無視されていましたが……母からは、十分な愛を受けていたと思います」
 
 その言葉を聞いて、イェレミアスはフッと鼻で笑う。
 
「人の内心なんて分かりませんよ。何をもって『愛されている』と言い切れるんですか」
 
「確かにそれを知る方法はありません。でも、私から見てそう信じられる程度には、愛されていたのだと思います」
 
「この町に生きる人たちも、みなそう思っているのでしょうね……」
 
 この会話の意味するところを、ギアンテは測りかねていた。あるいは、これまでのヤルノの行動と、その感情。それを鑑みれば彼が何を言いたいのかは導き出されたのかもしれないが、冷静に見えて混乱したままの彼女の心では、それを体系的に捉えて解析する能力に欠けていた。
 
 ごおん、ごおんと、鐘の音が鳴った。このような深夜に鐘が鳴ったのは初めての事である。少なくともギアンテにとっては初めての経験だ。敵襲であればもっと甲高い音の鐘がなるが、それとも違う。訝しむギアンテに、イェレミアスは落ち着いて答える。
 
「陛下が亡くなったのでしょう」
 
「陛下が? なぜ」
 
 寝耳に水の情報であった。確かに近頃の国王は老境著しく、いつ倒れても不思議のない状態ではあったが。
 
「毒殺されたのです」
 
「毒……」
 
「ええ。ヒ素です。この国ではあまりメジャーな手法ではないようですが」
 
 よどみなく答えるイェレミアス。まるでこうなることを最初から知っていたかのような。いや、実際に知っていたのだ。全ては彼が仕組んだことなのだ。
 
 アシュベルが殺害されてからまだ一週間ほどしか経っていない。人々は噂するだろう。「やはり、リィングリーツは呪われているのだ」と。
 
 ろくに偽装もされず、下水に打ち捨てられていたアシュベル王子の死体。無論この二人の仕業であるが、あまりにも「隠す気」が感じられなかった事と、「間が悪い」としか表現のしようのない民主派の声明発表により彼らの仕業なのだろうと、半ば確定事項のように大した根拠もなく弾圧が始められていた。
 
「もしギアンテの言う通りなら、この町に生きる有象無象の人々もみな、愛し、愛されて生きているのでしょうね」
 
 それで終わりとばかりに話を打ち切り、イェレミアスは話を戻した。
 
「うらやましい……」
 
 半月の頼りない薄明りを背景にこちらを見るイェレミアスの表情は如何様であったか。ギアンテにはそれを計り知ることはできなかった。
 
「だから僕は、この国の全てを、壊してみようと思います」
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