リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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賢者モード

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 夜の厩舎。
 
 産気づいている馬でもいなければ、人が来ることなどはまずない。
 
 それは、異様な光景であった。
 
「どう? アシュベル様、今どんな気持ち?」
 
 泥にまみれた汚れたドレスを着た美少女が、男の上に跨っているのだ。そして、男の腹には小さなナイフが刺さっている。
 
「や、やめ……ッ、イェレミアス」
 
「今更だけど、イェレミアスじゃないって言ってるでしょ!」
 
 そう言ってイェレミアスはアシュベルの腹に刺さったナイフをぐらぐらと思い切り揺する。みるみるうちに血のにじみが広がり、アシュベルは声にならない苦悶の声を上げる。
 
 失着は、やはり油断であった。アシュベルは薬を入れていた包み紙をイェレミアスから取り上げた時点で勝利を確信し、それ以上の追及をすることはなかったが、当然、それ以外に何か凶器を隠し持っていないかを確認するべきであった。
 
 その油断が生まれたのは、ひとえにアシュベルがイェレミアスの事をイェレミアスだと思っていたことに他ならない。人ならざる魔の者であると思って臨むべきであったのだ。それを知る方法などなかったとはいえ。
 
「ねえ、アシュベル様、調子に乗っちゃった? 勝利を確信した?」
 
「おねが……助……け……」
 
 傷跡を広げようと前後左右にイェレミアスはナイフを刺したまま揺する。アシュベルはその手を掴んで止めようとするのだが、止められたところで今更詮無きことであろう。
 
「どんな気持ち? ねえ、教えて!」
 
 ナイフを一度引き抜き、今度は胸に突き立てる。鮮血が吹き出し、その血を浴びながらイェレミアスはドレスの裾から自身の一物を取り出した。
 
「自分よりも圧倒的に弱いと思ってた奴にられて! 勝利を確信してた絶頂の時に覆されて!」
 
 彼の方も正気であるようには見えない。何度も何度もアシュベルの体にナイフを突き刺しながら、怒張した自身の一物を左手でしごいている。先端が月明かりにぬらぬらと輝く。
 
「こんなところで、あとちょっとのどころで全部無くなっちゃうんだよ!? ねえどんな気持ち? お願いだから教えてよ!!」
 
 まだ意識があるのかないのか、もはやアシュベルは抵抗する力すら失って虚ろな目で自分の上でナイフと一物を激しく振るっているイェレミアスを眺めている。
 
「どうしたの? もう逝っちゃったの? 待って、僕ももう少しでイくから! ああ、イく、イくよ! アシュベル兄様!!」
 
 びくりとのけ反り、輝きを無くした目を備えたアシュベルの顔目がけて白いものが発射される。
 
 長い、長い放出。四度、五度と大きくイェレミアスの腰が痙攣し、最後の一滴まで命の種を吐き出した。
 
 不思議な光景であった。
 
 すでに命のつるが切れ、死体となったアシュベルに、命の源である精液が撒かれた。飛び散った鮮血と白い精液が混じり合い、美しいマーブル模様を描いている。
 
 放心状態のイェレミアスは、ナイフをその辺に放り投げ、血と混じった精液を一つまみ、ゼリーのような半固形の濃い塊を指でつまんで口に運んだ。
 
「あは……しょっぱい」
 
 恍惚の表情を浮かべて、淫猥な笑みを見せるがその美しさを眺められるのは周りにいる馬だけである。
 
「はあ……」
 
 息を整えながら、ため息をつく。
 
 ようやく人心地着いたようだ。ため息をついた後も辺りを眺めて、ゆっくりと深呼吸をしている。
 
「なに……やってるんだろう、僕」
 
 かなりの量の鮮血が吹きあがったようであったが、土の上になっているおかげか、辺りはあまり汚れが目立たない状態。
 
 馬たちは何が起きたのか分からず怯えているようであるが、騒いだりはしていない。目撃者も、敵もいない。夜中の厩舎に、死体が一人。少年が一人。
 
 イェレミアスは一物の先をアシュベルのシャツで拭うと軽くドレスを正して立ち上がった。
 
「つい、っちゃった……まだ殺す予定じゃなかったのに」
 
 力はアシュベルの方が強いが、殺し合いとなれば話は別。ここからまで逃げる方法はいくらでもイェレミアスにはあったし、時間が少しあれば今日の事を上手くごまかす策も考えられたかもしれない。
 
 しかし、勝利に溺れるアシュベルの様子があまりにも滑稽で、愛らしく。殺さずにはいられなかった。彼の今の言葉の通り、つい、やってしまったのだ。
 
 まだまだこの男には役目があった。ガッツォと相争い、漁夫の利をイェレミアスがかすめ取る予定であったのに。
 
「ああ……」
 
 一度立ち上がったイェレミアスは、すぐにその場にしゃがみこんで両手で顔を覆い、泣き出した。
 
「もうだめだ、何やってるんだ、僕……」
 
 いわゆる賢者モードというものであろうか。
 
 今回のアシュベル殺害については完全にイェレミアスにとっては予定外のものだったのだろう。今更になって後悔し始めたのだ。
 
「ごめんなさい、アシュベル……僕、あなたの事、決して嫌いじゃなかったです……」
 
 言い訳のような言葉を並べながら、人差し指でアシュベルの顔に付着した血と精液を捏ね始める。
 
「ただね、アシュベルがあんまりにもいい顔をするから、どうしてもそれを壊さずにいられなくなって……僕だけじゃなくって、アシュベルも悪いんだよ?」
 
 後悔はしているものの、結局のところ本当に悪かったなど思っていないのだろう。そもそもの意味で、コルアーレに対して以前偉そうに説教していたが、命を大切なものだと思っていないのだ。
 
 ただ自分が命を弄びたいから、保身や別の利益のために『結果として命を奪う』という行為が『もったいない』と感じたのであんな事を口走っただけである。
 
 それでも今回の事は少しは堪えたようで、自分の衝動性に飽きれながらその場にボーっとしゃがんでいると、何者かが声を掛けてきた。
 
「誰だ……そこにいるのは?」
 
 女性の声だ。イェレミアスはゆっくりと声のする方に顔を向ける。もはや身を隠そうという無駄な抵抗もしない。面倒なことになりそうだったらまた殺せばいいだけだし、そもそも少し自暴自棄になっていたようである。「もうどうとでもなれ」と。
 
「イェレミアス様?」
 
「……ギアンテ」
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