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ヤルノ
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「どうしたの? ガッツォ様、浮かない顔をして」
年端もいかない少女のように見えて、時には娼婦のような妖艶さも見せる、美しいプラチナブロンドの美女。ベッドの中、大柄な偉丈夫の胸の上でいたずらっぽく微笑む。
一方の男はこれほどの美女を侍らせているというのに憂鬱な貌である。
「いや、お前に不満があるわけではない。お前は俺の素性は知っているんだろう?」
二人がいるのは酒場の二階にしつらえられた安宿。謂わば連れ込み宿というものである。ベッドの中の二人は衣服を着用していない。
ガッツォ王子がお忍びでよく訪れる酒場。しかし女は彼がここで使っている偽名である『ガルフ』ではなく、『ガッツォ』と呼んだ。何者であるか、充分に知っているのだ。
「多分俺は政に向いていないんだ。人を動かす器じゃない。イェレミアスも王別の儀を通ったことだし、もうあいつに任せた方がいいんじゃないか、と思ってな……」
「私がこうして自信をつけて差し上げたのに、相変わらずですわね。完璧を求めるが故なのかしら」
「男には男の悩みがあるのさ」
「あら、そんな事をおっしゃって」
美女は拗ねたような表情をわざとらしく見せる。
「いや、すまん。お前が男だと知った時は驚いたがな。言葉の綾だ。今のは気にしないでくれ」
ベッドのシーツの下に隠れている彼女の胸は、たしかに男のそれと変わらず平らであった。さりとてそれが信じられぬほどの美女でもある。
「私にだって悩みくらいあるわ」
ほう、と興味深げにガッツォが彼女の方に体を向けた。妖精のように妖艶な外見だけでなく、その出自も一切不明な美女。突如として現れ、自信喪失状態であったガッツォを大いに元気づけた経緯がある。それだけではない。
「俺と民主化勢力を結び付けたその手腕、ただ者でないことだけは分かる。そんなおまえにも悩みがあるというのか」
美女に覆いかぶさるように語り掛けるガッツォ。余人がこれを見て、まさか男同士の睦み合いだとは誰も思うまい。
美女は、うつ伏せになって目を伏せて話す。物憂げな表情はその妖艶さを一層際立たせる。
「母親とね……うまくいってないのよ」
ガッツォの方は「なんだそんな事か」という呆れ顔である。たしかに天下国家を語るスケールとは違うかもしれない。
「大事な事よ。私がこうやって政治の世界に足を踏み入れたのも全ては母親のためだもの。
「そういうものか」
数代前に国内の少数民族、ルール族の長が伯爵位を得て、その家の長女がガッツォの母親である。グリムランド内では主要民族ではなく、側室であるため地位は低いが、母親との仲は良好だ。
野心家のアシュベルはその地位に忸怩たる思いもあるようだが、ガッツォには無いようである。
「わたしはね、ただお母様に喜んでほしかっただけなのよ。何かを始めるのなんて、案外そんな簡単な気持ちじゃないかしら」
真剣な表情になって話を聞くガッツォ。実際そんなものなのだ。ガッツォが民主化勢力と近づいたことなど、ただ責任から逃げて、流されたからに過ぎない。彼女の事をどうこう言えたがらではない。
「わたしはね、こうやって一国の王子と懇意にもなれる。民主化勢力の大物と結びつけることも、臆病なボンクラ王子を勇気づけることも」
ストレートに貶されてガッツォは苦笑する。しかし、その通りだ。
「でも、何故お母様に愛されることだけは出来ないのかしら。難しいわね、愛されるって」
「俺はお前を愛しているさ。お前のために、きっと王位につく。既に妻もいるし、男じゃ側室にもできないが、国を手に入れた暁には、きっとお前の望む全ての物を手に入れて見せるさ」
相変わらず美女に覆いかぶさりながら、彼女の耳の裏の香りを嗅ぎながら、愛を囁くガッツォ。
これがほんのひと月ほど前には自信を失って潰れていた男の姿なのか。単純なもので、男としての欲望が達成されることで、それが彼を支える自信と、さらなる欲望に繋がっているのだ。
美女は体を反転させて、ガッツォに軽く口づけをした。
「あら? あなたにできるのかしら? イェレミアスとかいうもやし小僧に任せるとか言っていた人と同一人物とは思えないわ」
その挑発的な言動も男を奮い立たせるばかりである。
「あなたに、アシュベルが殺せるかしら?」
「殺す? 戦うのは政治でだ。命のやり取りまではしない」
「あなたがそうでも、向こうもそうだとは限らないわ。たとえアシュベル殿下がそのつもりでも、周りの貴族はそうじゃないかもしれない。今のうちに覚悟をしておかないと、いざという時に動けないわよ」
逡巡して目を逸らすガッツォ。
その隙に美女は彼に抱きつくと、多少乱暴に彼を仰向けに薙ぎ倒し、その上に跨る。
「ヤルノ……」
美女の名をガッツォが呟いた。窓からは柔らかい満月の光が差し、蒼白い肌が浮かび上がる。降り注ぐ柔らかい雪のような銀色の髪、骨ばったように薄い肉付きの上半身に、臀部だけは女性のように丸みを帯びて男の欲望を掻き立てるが、その腰にはたしかに、男の象徴が鎮座している。
全てが美しく、全てがアンバランスでこの世のものとは思えない魅力を醸し出している。
「その名前、あなたしか知らないのよ」
「そんなバカな。母はお前の事を何て呼ぶんだ」
「ふふ、秘密」
そう言ってヤルノは人差し指を自分の口の前で立てて封じる。
「あなただけが知ってる私の名前。その名前を決して忘れないで」
「あっ……」
ガッツォが小さな声をあげた。ヤルノはもぞもぞと自分の後ろ側に手をまわして何かしている。おそらくは今、再び二人の身体が繋がったのだろう。少し背中を逸らせた姿勢は、うっすらと腹筋の縦筋が見え、かすかな陰影を作り出している。
「この名のために奮起して。あなただけは私の味方でいられる?」
「ああ、愛している。ヤルノ」
年端もいかない少女のように見えて、時には娼婦のような妖艶さも見せる、美しいプラチナブロンドの美女。ベッドの中、大柄な偉丈夫の胸の上でいたずらっぽく微笑む。
一方の男はこれほどの美女を侍らせているというのに憂鬱な貌である。
「いや、お前に不満があるわけではない。お前は俺の素性は知っているんだろう?」
二人がいるのは酒場の二階にしつらえられた安宿。謂わば連れ込み宿というものである。ベッドの中の二人は衣服を着用していない。
ガッツォ王子がお忍びでよく訪れる酒場。しかし女は彼がここで使っている偽名である『ガルフ』ではなく、『ガッツォ』と呼んだ。何者であるか、充分に知っているのだ。
「多分俺は政に向いていないんだ。人を動かす器じゃない。イェレミアスも王別の儀を通ったことだし、もうあいつに任せた方がいいんじゃないか、と思ってな……」
「私がこうして自信をつけて差し上げたのに、相変わらずですわね。完璧を求めるが故なのかしら」
「男には男の悩みがあるのさ」
「あら、そんな事をおっしゃって」
美女は拗ねたような表情をわざとらしく見せる。
「いや、すまん。お前が男だと知った時は驚いたがな。言葉の綾だ。今のは気にしないでくれ」
ベッドのシーツの下に隠れている彼女の胸は、たしかに男のそれと変わらず平らであった。さりとてそれが信じられぬほどの美女でもある。
「私にだって悩みくらいあるわ」
ほう、と興味深げにガッツォが彼女の方に体を向けた。妖精のように妖艶な外見だけでなく、その出自も一切不明な美女。突如として現れ、自信喪失状態であったガッツォを大いに元気づけた経緯がある。それだけではない。
「俺と民主化勢力を結び付けたその手腕、ただ者でないことだけは分かる。そんなおまえにも悩みがあるというのか」
美女に覆いかぶさるように語り掛けるガッツォ。余人がこれを見て、まさか男同士の睦み合いだとは誰も思うまい。
美女は、うつ伏せになって目を伏せて話す。物憂げな表情はその妖艶さを一層際立たせる。
「母親とね……うまくいってないのよ」
ガッツォの方は「なんだそんな事か」という呆れ顔である。たしかに天下国家を語るスケールとは違うかもしれない。
「大事な事よ。私がこうやって政治の世界に足を踏み入れたのも全ては母親のためだもの。
「そういうものか」
数代前に国内の少数民族、ルール族の長が伯爵位を得て、その家の長女がガッツォの母親である。グリムランド内では主要民族ではなく、側室であるため地位は低いが、母親との仲は良好だ。
野心家のアシュベルはその地位に忸怩たる思いもあるようだが、ガッツォには無いようである。
「わたしはね、ただお母様に喜んでほしかっただけなのよ。何かを始めるのなんて、案外そんな簡単な気持ちじゃないかしら」
真剣な表情になって話を聞くガッツォ。実際そんなものなのだ。ガッツォが民主化勢力と近づいたことなど、ただ責任から逃げて、流されたからに過ぎない。彼女の事をどうこう言えたがらではない。
「わたしはね、こうやって一国の王子と懇意にもなれる。民主化勢力の大物と結びつけることも、臆病なボンクラ王子を勇気づけることも」
ストレートに貶されてガッツォは苦笑する。しかし、その通りだ。
「でも、何故お母様に愛されることだけは出来ないのかしら。難しいわね、愛されるって」
「俺はお前を愛しているさ。お前のために、きっと王位につく。既に妻もいるし、男じゃ側室にもできないが、国を手に入れた暁には、きっとお前の望む全ての物を手に入れて見せるさ」
相変わらず美女に覆いかぶさりながら、彼女の耳の裏の香りを嗅ぎながら、愛を囁くガッツォ。
これがほんのひと月ほど前には自信を失って潰れていた男の姿なのか。単純なもので、男としての欲望が達成されることで、それが彼を支える自信と、さらなる欲望に繋がっているのだ。
美女は体を反転させて、ガッツォに軽く口づけをした。
「あら? あなたにできるのかしら? イェレミアスとかいうもやし小僧に任せるとか言っていた人と同一人物とは思えないわ」
その挑発的な言動も男を奮い立たせるばかりである。
「あなたに、アシュベルが殺せるかしら?」
「殺す? 戦うのは政治でだ。命のやり取りまではしない」
「あなたがそうでも、向こうもそうだとは限らないわ。たとえアシュベル殿下がそのつもりでも、周りの貴族はそうじゃないかもしれない。今のうちに覚悟をしておかないと、いざという時に動けないわよ」
逡巡して目を逸らすガッツォ。
その隙に美女は彼に抱きつくと、多少乱暴に彼を仰向けに薙ぎ倒し、その上に跨る。
「ヤルノ……」
美女の名をガッツォが呟いた。窓からは柔らかい満月の光が差し、蒼白い肌が浮かび上がる。降り注ぐ柔らかい雪のような銀色の髪、骨ばったように薄い肉付きの上半身に、臀部だけは女性のように丸みを帯びて男の欲望を掻き立てるが、その腰にはたしかに、男の象徴が鎮座している。
全てが美しく、全てがアンバランスでこの世のものとは思えない魅力を醸し出している。
「その名前、あなたしか知らないのよ」
「そんなバカな。母はお前の事を何て呼ぶんだ」
「ふふ、秘密」
そう言ってヤルノは人差し指を自分の口の前で立てて封じる。
「あなただけが知ってる私の名前。その名前を決して忘れないで」
「あっ……」
ガッツォが小さな声をあげた。ヤルノはもぞもぞと自分の後ろ側に手をまわして何かしている。おそらくは今、再び二人の身体が繋がったのだろう。少し背中を逸らせた姿勢は、うっすらと腹筋の縦筋が見え、かすかな陰影を作り出している。
「この名のために奮起して。あなただけは私の味方でいられる?」
「ああ、愛している。ヤルノ」
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