リィングリーツの獣たちへ

月江堂

文字の大きさ
上 下
23 / 94

騎士団総長

しおりを挟む
 令嬢、キシュクシュの父親。ノーモル公オーデン・オーガン卿。
 
 国王ヤーッコの遠縁であり、信を置く人物でもある。武断派としても知られ、キシュクシュの傍若無人な性格は父親の背中を見て育ったからではないかとも言われている。
 
 しかし、ここ数日、可愛がっていた娘が姿を消してからは周囲が驚くほどにやつれ果て、落ち窪んだ瞳とこけた頬、さらに元々伸ばしていた総髪と髭も相まって幽鬼を連想させる。
 
「オーガン卿この度は……その」
 
 言いかけて言葉が淀む長兄ガッツォ。なんと言えばいいのか、とりあえず口を開いたものの彼にも何が正解なのか測りかねた。
 
「この度は、なんだ」
 
 ガッツォは次期国王の最右翼であるが、オーガンの言葉に遠慮の色はない。それほどの権力と、領地を有する人物である。
 
「何か言いたい事でもあるのか。はっきり言ったらどうだ」
 
 がしりと強くガッツォの肩を掴んで凄むオーガン卿。ガッツォも彼の迫力に言葉を失うだけである。実際何も言い様がないのだ。キシュクシュ失踪は間違いなく公爵の醜聞であるが、その実態を掴んでいる者は誰もいないのだ。ただ一人を除いて。
 
 ギアンテはなんとなくヤルノの方に視線をやった。
 
 それは勿論この男が何かを裏でやっているのを知ってのことではない。ただ、人知を超えた魔力を持つこの少年がまた何かうまいことやって解決に導くのではないかという期待があったのだ。
 
 だが、実際にはヤルノはオーガン卿から目を逸らし、ギアンテの陰に隠れているだけであった。はっきりと言えばこれはイェレミアスの影武者としては全く正しい態度である。
 
 ギアンテがアシュベルに侮辱された際には怒って見せた彼ではあるが、別に誰にでも噛みつくわけではない。実際イェレミアスはキシュクシュから軽んじられていたのは自覚していたし、その父であるオーガン卿とも、兄であるガッツォとも特に親しかったわけでもない。
 
 ならばこの窮地は嵐が過ぎ去るように黙して耐えるのが『イェレミアスが取り得る行動』である。それを忠実に実行しているだけなのだ。ガッツォが絡まれようが知ったことか。
 
「婚約者が行方不明だというのに、貴様も暢気なものだな。何とか言ってみたらどうだ」
 
 唐突に(そして当然に)ヤルノの方にも飛び火してきたが、それでも彼は居心地悪そうに目をそらしているだけである。
 
 そしてオーガン卿の言葉はヤルノ達への八つ当たりであるとともに多分に自嘲気味でもあった。
 
 当然である。
 
 真実どうであるかは別として、世間的には自分の娘が婚約者の王子をほったらかしにして護衛の騎士と駆け落ちして消えてしまったのだ。本来ならば王子に対して土下座して謝らなければならない立場。
 
 これを逆切れして八つ当たりなどという曲芸が出来るのはよほどの胆力と言わざるを得ない。
 しかしそれをできるほどの力を持った人間であることもまた真実。
 
「イェレミアスもショックを受けているんです、さあ、行こう」
 
 ガッツォはやはりというか、ヤルノの正体には気づかず、彼をだしにしてこの場から退散することを選んだ。弟の身を気遣う振りをして窮地を脱するようである。こうしてその場にはオーガン卿だけが残された。
 
「くそ、あのバカ娘め。恥をかかせおって……」
 
 当然ながら娘がすでに帰らぬ人となっていることなど露も知らぬオーガン卿は腹立ちまぎれにそう吐き捨てた。
 
 少し自由に育てすぎたか、という後悔はある。あれの性格ならばおそらくは当たりの弱いイェレミアスは尻に敷かれるであろうことは予測していた。であれば、王子は恐らく妻の、そして義父の言いなりとなる。
 
 であれば、イェレミアスがたとえ王別の儀を突破することができずとも、次期王弟の妻、そして義父としての地位が手に入り彼の王国内での立場も盤石となる手筈であったのだが、まさかこんな事態になるとは。
 
「穏やかではないですな、オーガン卿」
 
「コルアーレか」
 
 そんなオーガン卿に声をかけたのは彼に劣らず強面の巨漢。平時であるため鎧に身を包んではいないが、このグリムランド王国国家騎士団『グリム人のための勇敢なる太陽戦士団』総長、シッドルト・コルアーレである。
 
「お気持ちはわかりますが、今はひっそりと息をひそめるべき時ですぞ」
 
 元々古い友人で、オーデン・オーガンとコルアーレは昵懇の仲である。友であれば行き過ぎた行動を諫めもする。周りから見て、今のオーデン・オーガンは明らかに冷静さを欠いていた。この件は公爵にとっての醜聞であり、王子に恥をかかせたという事件なのだ。
 
「コルアーレ、今年は王別の儀が行われる予定であったな」
 
 中庭には二人。さらにそこから見える位置にも人はいないが、オーガン卿は声をひそめて言った。
 
「イェレミアス王子が棄権しなければ、の話ですが」
 
「ふむ……」
 
 あごひげをいじりながら視線を彷徨わせ、考え事をするオーガン卿。
 
 グリムランド国家騎士団は王国が抱える最大戦力であり、少なくとも形式上は王に臣従する貴族の保有する騎士団もこの傘下に入る、という形になっている。
 
 同時に、『王別の儀』の警備も担当する立場にある。
 
 この場合の警備とは王子に害が及ばないため、ではない。不正が行われないためというのが第一義にある。この警備が存在するために、王妃インシュラは陰で動いて息子のサポートをするのではなく、そもそも別人を替え玉として用意し、事に当たるなどという大胆な作戦を取ったのである。
 
「それが、どうかしましたか? 申し訳ありませんが、手心を加えろ、王子の手助けをしろというのならそれは受け入れられません。総長の任命をされた時、国王陛下にもそれは言われていますから……」
 
「いや、そうではない……」
 
 オーガン卿は手を上げてコルアーレの言葉を制し、そしてまた考え込む。同時にぶつぶつと何かつぶやいている。おそらくは喋りながら自分の考えをまとめているのだろう。
 
「あいつがひょっこり返ってくるとも思えんしな……帰ってきたところで、男と逃げた傷者の娘を王子に嫁がせることなど……やはり、可能性はないか……」
 
 どうやらキシュクシュの事を言っているようである。それはコルアーレにも理解できた。しかし何を考えているのかまでは分からない。この話が王別の儀と何か関係があるのか。
 
「……やはり、それが一番か」
 
 目を瞑ってそう呟き、顎髭をいじる手を止めた。どうやら考えがまとまったようである。
 
「いずれにしろ、王別の儀での贔屓は出来ません。助けになるような事をしろ、とおっしゃるなら……」
 
「逆だ」
 
 オーガン卿は周囲に人がいない事を慎重に確認してからコルアーレの耳元に口を寄せた。
 
「殺せ」
しおりを挟む
感想 23

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~

朱色の谷
恋愛
公爵家の末娘として生まれた幼いティアナ。 お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。 お父様やお兄様は私に関心がないみたい。 ただ、愛されたいと願った。 そんな中、夢の中の本を読むと自分の正体が明らかに。

処理中です...