リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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王妃インシュラ

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「これからお前には、とある高貴なお方に会ってもらうことになる」
 
 日付も変わろうかというころ。馬車の中で女騎士ギアンテは呟くように静かに話しかけた。
 
「今更名を隠すことに何か意味が?」
 
 騎士団の所有している馬車は言ってみれば護送車のような物である。華美な装飾のない広い車内には他の人員はおらず、ただヤルノと、ギアンテだけが座している。
 
 普通の人間ならばこれだけで委縮してしまうところ、ヤルノはいかにも堂々としている。いや、堂々としているというよりは何の感情も読み取れない様相である。その上でこちらの事情も察しているような物言いにギアンテは得も言われぬ気味悪さを覚えた。
 
「イェレミアス王子殿下に? いや、その前に王妃様辺りに会うのですか?」
 
「余計なことをしゃべるな。お前は言われたことだけを、していればいいのだ」
 
 高圧的な態度を取るギアンテ。「気味悪さ」は次第に「恐怖」へと変貌してゆくだろう。
 
「一つだけ忠告しておく。殿下は心優しいお方だが、決してそこに付け入るようなマネをするなよ。もしそんなことをすれば、私が貴様を殺すぞ」
 
「そんな怖い顔をせずとも大丈夫ですよ。そんな事より私は何をすればいいんです? その殿下の影武者でもすればいいんで? 情報を小出しにするような回りくどい方法は私には不要です」
 
 ヤルノの問いかけにギアンテはコホンと咳払いをする。ヤルノは相変わらず先回りするような言い方をするが、もはやギアンテも驚かなくなってきた。
 
「このグリムランド王国は知っての通り多民族、多文化を従える強国だ。王は何よりもまず強さを求められる。王となる者はその力を示さなければならない。殿下も今年で十六になる。良き日を選んで今年中に『王別の儀』に臨まねばならないのだが……」
 
 そこまで一気にしゃべってギアンテは目を伏せ、自分の両掌を眺めた。ゆっくりと、静かに言葉を続ける。
 
「……殿下は、気管支が弱く、お体が丈夫でないのだ。おそらく王別の儀をパスできないであろうし、ヘタすれば大怪我を負ってしまうかもしれない」
 
 考え込むようにヤルノは腕を組む。
 
 少し彼の考えていたのと違った。おそらくはその『王別の儀』とやらをイェレミアス王子に成り代わって受けろと言う話なのだろう。しかしこれは想像していた影武者と違って「王子のふりをする」というレベルではなく、「王子に成り代わる」ことが求められる。
 
 しかも騙す相手は敵ではなく味方なのだ。
 
「……その『王別の儀』を私が代わりにパスして、王子を王位につけたい、と……」
 
 しかしギアンテは顔を俯かせたまま、ボソボソと喋る。これが先ほどまでの威風堂々とした女傑と同一人物なのか疑わしい態度である。
 
「殿下は……心優しいお方だ。私のような汚い血の流れる女にも優しくしてくださる。王への道を切り開くことが……果たして殿下のためになる事なのかどうか……」
 
 女騎士ギアンテは俯き、独り言のように喋り、ヤルノは足を組んで座ってそれを聞く。まるで立場が逆転したようである。
 
「妃殿下はなんと仰って?」
「……すまない、私情を挟んだ」
 
 謝罪の言葉を吐くギアンテであるが、その目はヤルノをきつく睨んでいる。騎士と平民、元々身分が違うのだ。本来ならば謝る必要などない。何より初対面の人間についうっかり本音を語ってしまった。
 
 まるで長年の友人、それも事情を仔細詳らかに知ったる人間に話すように本音を言ってしまった。せめて視線で以てその失態を打ち消したかったのだ。
 
「最低でも『王別の儀』が終わるまで、貴様には殿下の代わりを務めてもらう。もしバレれば……」
「命はない?」
 
 強く睨みつけるギアンテに対し、ヤルノは相変わらず感情の動きを見せない。畏怖も。怯えも。
 
「もう少しで王宮につく」
 
 これ以上この人形のように心の動きのない少年を脅しつけても恐らく得るものはあるまい。そう考えてからギアンテは顔よりも小さい小窓の蓋をスライドさせて外の様子を見る。外はどうやら空が白み始める刻限のようであった。
 
「出迎えはいないであろうが、気を抜くな。誰が見ているか分からん。ここから先、一つの判断ミスが命取りになると思え。余計なことは話すなよ」
 
 ヤルノは返事を返さなかった。
 
 ギアンテは不満そうな視線を向けるが、それ以上のことはしなかった。分かっているのかいないのか。聡明な様に見えて愚者の様にも見える。初対面で本音を語らせるほどに気やすく見えて、感情のない人形のようにも振舞う。
 
 ギアンテはこのヤルノという少年の本質を掴みかねていた。
 
 イェレミアス王子の替え玉とすべく、村一つ滅ぼしてまで手に入れたではあるものの、「使えぬ」と判断したら即斬って捨てよとの裁量も王妃から貰っている。
 
 敬愛する王子殿下の命運を預けるにはあまりにも掴みどころがなさすぎるのだ。まるで物語の中の妖精のようである。
 
「いずれにしろ、私が王子に成り代わる。それ以外の選択肢はないんでしょう」
 
 あまりにも気軽に言うヤルノに一抹の不安を覚えるギアンテ。よくよく考えてみなくともそんなに簡単な事ではない。いくら外見が似てるとはいえ、全くの赤の他人が成り代わろうというのだ。
 
 しかもその全責任が自分にある。気が遠くなりそうになるギアンテだが、敬愛する王子の顔を思い浮かべてかろうじて心の平衡を保つ。
 
 幼いころから見守ってきた心優しい王子。これが上手くいきさえすれば継承権が高位にある正妻の長子であるイェレミアス王子の立場を大盤石の重きに導くことであろう。
 
 ことが始まる前からあれこれと不安ばかり抱えていても何も始まらないのだ。
 
 ギアンテが無言でそんな事を思い悩んでいると、やがて馬車が止まった。御者が小さな声で外から話しかけると、ギアンテの顔色が変わり、慌てて馬車を降りて行った。
 
「妃殿下、このようなむさくるしい場所に……」
 
 「出迎えはいない」と言っていたが、どうやら予想外の人物が迎えに来たようなのだ。それもどうやら、この件のもう一人の首謀者のようである。
 
「よいのです、ギアンテ。私も早く確認しなければ気が気ではないの」
 
 ヤルノが扉の隙間から見る光景はどうやら王宮ではなく、厩のような場所。確かに王妃には似つかわしくない場所。
 
「身なりを清めてから、改めて向かいますので……」
「!?」
 
 ギアンテは王妃インシュラの視線が自分の後ろ、馬車に注がれていることに気付いた。その驚愕の色にも。当然ヤルノが勝手に馬車から出てきたのだという事を察する。
 
「おぉ……」
 
 王妃インシュラが目を見開き、思わず両手で自分の口を塞いだ。それほどまでにヤルノと、彼女の息子は似ていたのだ。
 
 それはギアンテも承知している。おもてには出さなかったが、彼女も初めてヤルノを見た時、その瓜二つの外見に驚愕していたのだ。しかしこれは捨て置けぬ事態である。指示もないのに勝手に馬車の外に出てきたことを叱責しようと、ギアンテは後ろに振り向いた。
 
 そして、言葉を失った。
 
 先ほどまでは彫像のように無表情だったヤルノが、柔らかい笑みをこちらに向けていたからだ。堂々と胸を張って座っていたが、今は馬車の扉の縁に手をかけて体を支え、縮こまらせた体で、反対の手をギアンテの方に差し出している。
 
 それは、ヤルノではなく、間違いなく彼女の良く知る王子殿下の姿であった。ギアンテは思わずその手を取り、下車をエスコートしてしまう。
 
「ありがとう、ギアンテ」
 
 下まで降りると、ヤルノは優しく微笑みながらギアンテに礼を言い、王妃の方に向き直った。
 
「おはようございます、お母様」
 
「お……」
 
 王妃は両手で顔を覆ったまま、目に涙を浮かべ……
 
「おおぉぉ……」
 
 その場に泣き崩れた。
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