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第一部 イケメン課長の華麗なる冒険

地方営業所送りの話キター

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 風間が「銀座にはこういう女もいるのか」とつくづく眺めていると、野平から「君は彼女初めてか?」と問いかけられた。風間が若干うろたえ気味に「え、ええ。そうです」と答えたのを受けて、野平は「ほう」と視線を宙に投げる。

「まぁ、管理課なんぞに用事はないだろうな。お前、26階に顔を出すことってあるか?」

 26階には総務部と企画室が入っている。一つ上の27階には役員室と人事部、社長室がある。和装の女が表情を全く変えずに答える。

「今までに3回くらいお邪魔しました。でも管理課にはまだ、はい」

 20代前半らしいが、わずかな少女の残滓もその声からは聞き取れなかった。女から視線を向けられ、自分ながらぎごちないと思う微笑を風間は返す。野平が後を受けた。

「そうか。じゃあ紹介しておこう。彼は総務部管理課長の風間浩一。うちの期待の星だ」
「星というには! かなり裏切ってしまってるかもしれませんが」
「そんなことないだろう? 君はよくやってる」
「だといいんですが、ははは!」
「そして彼女は、多岐沢の直属の部下で、ファシリテーターの観月桜(みづき・さくら)。この1月から社のために随分と活躍してくれてる。そうだよな?」
「まあ、そこそこにですけど」

 紹介された女は、風間に軽く頭を下げてから野平に艶然とした笑みを返す。商売女として完璧な仕草だと風間は思った。

 
 営業本部長直属ファシリテーター。その存在を、風間は噂でしか聞いたことがなかった。

 極上の美女を高額報酬で社外からスカウトし、得意先や政官の要人相手の接待に当たらせる。かつて営業2課にいた女性は正社員に任用されて営業主任の肩書まで与えられ、大口の契約を一人で何件も取ってきたとか。だが風間はその女性社員の姿を社内で見かけたことさえなかった。当人は昨年秋に退社したのだが、理由は風間の耳には入っていない。

 「彼女はまだうちの社員じゃないが、もう内定は出たんだったよな?」そう聞かれて女は「ええ、頂戴してます」と短く答えた。

「つまり、今は大学4年ってわけだ」
「大学の4年生ですか!」

 どんな受け答えが妥当か分からないまま、風間はことさら目を丸くして驚いて見せた。

「大学生にしちゃケバイだろう?」
「よしてくださいよ野平さん」

 その言葉遣い、野平に向ける婀娜(あだ)めいた笑いは、どこをどう見ても水商売の女だと風間は思う。ファシリテーターだか何だか知らないが、こういう手合いにうちの社は内定を与えているのか。
 もちろん、そんな疑問は胸の奥深く封印している。

「いやぁー、お綺麗です。その着付けはご自分で?」
「はい」
「ほう! お見事ですね。若い女性で着物の着付けができる方は最近じゃ珍しいですよ」
「そうおっしゃっていただいて光栄です。覚えてからまだ日が浅いんですが」
「そうですか? そうは思えませんよ」

 「おいおい」二人のやり取りをニヤニヤしながら見守っていた野平が割って入る。「風間よ。来年お前の部下になることはあり得ないが、あんまり鼻の下伸ばすんじゃねえぞ」
「これは失礼しました!」

 女は艶然とした笑顔のまま、軽く頷いただけだった。

 ワインクーラーとグラスを手にウエイターが近づいてきた。3人のグラスに白ワインが注がれる。野平の合図で乾杯。ワインに詳しくない風間でも、口に含んでみて飛び切りの上物であるのは納得できた。
 間もなく、鮑(あわび)にポロネギの蒸し煮を添えた前菜が運ばれてきた。フォークを手にした野平が口を開く。

「君は本社何年になる?」

 思わず風間は身構えた。

「6年になりますね。管理課長はまだ1年半ですが」
「1年半もやってりゃもう飽き飽きだろう」
「それほど要領よくできればいいんですが。システム更新で積み残し事項が山みたいになってますから」
「ふん。誰がやったって同じだ」

 野平はつまらなそうに眉間に皺を寄せた。

 
 風間の目の先で、グランドピアノの前に女が座った。生演奏を披露するピアニストらしい。風間はただ漠然と、いい女だなと感じた。歳は30手前ぐらいで、演奏家としての自信が全身に漲っているように見えた。
 臙脂色のドレスから伸びる二の腕といい、陰翳を際立たせる申し分のない胸の谷間といい、普段の風間だったら大いに食指をそそられただろうが、今はとてもそんな気分ではなかった。ピアニストの横では、オールバックのロン毛を束ねてヤギ髭を生やした男がウッドベースを抱え、思案するような面持ちで弦を弾いてピッチを確認している。

 しかし、ステージ上に関心を向けていられたのも束の間だった。前菜を口に運びながら、野平が鼻歌でも歌うように言った。

「四国のE営業所長がもうじき空くんだ。30代の若手が来るとなりゃ、誰が見たって同期で一番の出世だ。どうだい」

 来た。来るべきものが。
 
 ワンクッション置くつもりで風間は目の前の白ワインに口をつける。一応、心の準備はしてきたのだが、もうワインの味も分からなかった。

 営業所長? 冗談じゃない。

 大都市にある支店ならともかく、田舎の営業所じゃどこも解約寸前の案件を山のように抱えている。着任するやいきなり、前任者が泣きの涙で引き延ばしてきた解約の山が一気に押し寄せるなんて話はざらだ。

 それだけではない。田舎になればなるほど、地元小売店や卸売業者との関係を自分の「顔」で繋ぎ止めているような現地採用の古狸が大きな顔をしていて、何の地縁もない若手所長など屁とも思っていない。この連中の「御眼鏡」にかなっていないとなったら最後、新任所長は頭が禿げ上がる辛酸を舐めさせられる。そうやって鬱病を患った営業所長もいた。

 少しは気が利いた者なら、「諸事情」から処遇に困っている人間に失点を負わせ、コースから外すための人事というのはすぐに分かる。そしてこれを回避できるかどうかは、多くの場合、派閥力学と親分の匙加減にかかっていたりする。

 バンドスタンドでは、ベースによる8小節のイントロに続いて、ピアノがジャズスタンダードナンバーの"On A Slow Boat To China"を軽快な4ビートで奏で始めた。悪い冗談のように風間には聞こえた。


「どうした。顔色が冴えないじゃないか」
「いえ……ただ、私のような器の小さい人間が、その任にふさわしいのかどうか」
「何を言ってる」

 赤ワインのボトルが運ばれてきた。野平はボトルを取り上げ、風間のグラスになみなみと注ぐ。

「いつまでもモラトリアムが続くわけじゃないんだ。そろそろ刃(やいば)の上を歩く思いをしてみようとは考えんのか?」
「はい。もちろん、受けさせていただきたいとは、思っております」

 苦い物を力ずくで飲み下すように、あえて風間は言い切った。野平は「そうか。いい心掛けだ」と引き取って薄笑いを浮かべる。

「まあ、いきなり四国って言われりゃ驚くだろう。だがそう深刻にならんでもいい。まだ決まったわけじゃない。ただ」
「はい……?」

 野平の顔から笑いが消え、押し殺したような低い声に変わる。

「お前が管理課長の立場を利用して、調子に乗っていい思いをしていると陰口を叩いてる奴がいる。俺も黙らせるのが面倒になってきてるんだ」
「それは、まったくもって心外です!」
「そう言い切れるか?」
「当然です。私の行動が誤解を招いているのでしょうか?」

 冗談じゃない! 女性従業員にレレレボを持たせてモニタリングしているのも、仮眠室の合鍵を所持しているのも、前任者から引き継いでやっていることだ! しかし風間が畳みかけるいとまも与えず、野平は冷たく言い放った。

「誤解か。だが誤解される者に責任が無いとも言えん」

 ワイングラスを持ち上げて、野平は風間の目を覗き込んだ。
 野平の横では着物の女──観月桜──が、債権者に同行した弁護士のように澄ましかえって野平の膝元を眺めている。

「その上でお前に聞こう。総務部に残りたいか?」

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