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6 炎の谷

灌頂

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 黒い煙があたり一面を覆っている。その小高い場所に、縛り上げられた婢鬼が背を向けて転がっているのを発見した。

 羽衣を奪われて一糸まとわぬ身体には、恐らく西塔に使役される「式神」らしい無数の蛇が巻き付き、両腕も蛇どもが後ろ手に縛っている。そしてなぜかその肌は褐色を失い、薄皮を剥かれたように白く変わっていた。

 俺が近づいたのを知ってか、熱した石の上に横たえられむき出しの背を見せている婢鬼が振り向く。蒼白となった眉間に皺を寄せ、赤く腫れた両目の下に幾筋も涙の跡を見せている。その血の気の失せた唇が、震えながら開いた。

 ──若君様、山が、山が火を噴いておりまする!
 ──しっかりせよ。嫋姉様はいずこに?

 婢鬼は答えなかった。どうやら知らぬらしい。

 ──斯様なあられもない姿、なにとぞなにとぞ、お許しくだされませ。
 ──申すな。我とともにここを離れるぞ。
 ──いいえ、その前に。

 その豊満な尻を丸出しにしているだけでさえ目のやり場に困るというのに、こちらを向こうとしている。よせ、よさぬか。……遅かった。俺の目は、その暴力的なまでに豊かな胸と、茶色く縁取られてそそり立つ先端をはっきり捉えてしまった。それだけではない。 

 蛇に縛られた太ももに渾身の力を込め、婢鬼は足を開こうともがく。その間にあるものを、俺の目に露出させようとしているのだ。

 ──こっ、これを、ご覧あそばせ。
 ──やめよ。狂うたか。
 ──いいえ何とぞ。若君様、わたくしを孕ませてくだされませ。
 ──な……何を申す。
 ──後生にござりまする、わたくしめにあわれみを! もとより垢穢くえにして法器に非ざる身なれば、せめてこ、この三毒の只中に、若君様のお情けを賜りたく!

 まなじりを裂いて髪を振り乱した婢鬼が声を限りに叫ぶ。充血した両目は完全に正気を失い、その目から滝のように涙を流しつつ身をよじる。

 やがて、遂に両脚を縛っていた蛇を引き千切り、太ももを大きく割ってその奥をさらけ出した。それを目にしたら最後、頭から吸い込まれるのは分かっていたので俺は目を背け、婢鬼の背後に回り込もうとした。

 狂える如鬼神は声をからして叫んだ。

 ──若君様の御胤を受くれば、この乳房より真白き乳がほとばしり出で、五味の調熟を経て醍醐となり衆生の渇えを癒しましょうぞ! 若君様のお子は弥勒菩薩となり永劫に無明を照らしまするゆえ!

 わめき続ける如鬼神の身体と、焼けた石の間に頭を突っ込んで引き起こし、火傷を負いながらも自分の龍体を巻きつけることに成功した。彼女の身体は冷たかったが、辛うじて微かな温もりは残っている。もとより、今は悪龍と化したこの身に彼女が実体として感じられることには何の不思議もない。まだぶつぶつとうわ言を続ける婢鬼の口を覆い、そのまま宙に舞い上がった。

 婢鬼の身体を離れた蛇ども──式神──は、鱗に覆われた俺の胴に食い付こうとして這い回った。俺は宙を激しく旋回して身をよじり、そのすべてを払い落とした。

 こんなところに長居は無用だ。


 婢鬼を確保したはいいが、黒煙の渦巻く空中に出口を見いだす当てもなく、彷徨うしかなかった。煙は途切れる兆しもなく行く手を覆い、頭上からは火の粉、時には火山弾が降り注いで龍体に傷口を増やす。火山弾が婢鬼に当たらぬよう身を盾にしていたからなおさらだった。

 この急場だというのに、婢鬼は恍惚の表情を浮かべ、絶え入るような声を聞かせてやまない。

 ──おお……なんたる果報ぞ。わかぎみさまに抱き締められている。卑しき身を世に受けて億千万年、この時の訪れるのをどれほど待ちましたやら。
 ──我は当年16歳であるぞ。たわ言も大概にせよ。
 ──お許しを。

 実際、最前は氷のようだった婢鬼の肌は熱を帯びてきていた。悪いことではなかったが、彼女は間違いなく状況を理解していない。

 ──わかぎみさまとはだえを合わせている、そう思うだけで、この罪障深き身は昂ぶって、火照って、気も遠くなりそうでございます。ああせめて、お情けのひとしずくなりとも、我が身にそそいでいただけますならば。
 ──慎まぬかバカ者。
 ──うるおいが、うるおいがほしいのです、我が身が今、夢にもうるおってなどおりましょうものか。渇いて、かわいておるのでございます、これ、この通り!

 俺がひるんだ一瞬、婢鬼は龍の胴に締め付けられていた両腕を引き抜き、俺の首を捉えて自分の乳房に押し付けた。龍の身体になっていても中身は16歳男子である俺は、頬にその確かな突起物を感じて目まいを起こしかけ、辛うじて意識を取り戻し墜落を免れた。

 ──なんとわかぎみさまの、お身体のつめたいこと……この肌にてぬくめて差し上げねば。
 ──愚か者め、それはなんぢの身を焼く三熱であるぞ。この後、八大地獄にて永劫に焼かれたいか。
 ──わかぎみさまの、お情けを、受けましたるのちは、

 そこまで言って婢鬼は白目を剥き、舌を出して俺の首筋をべろりと舐め上げた。

 ──これ何をする、よさぬか!
 ──お情けをこうむりますれば、地獄にて、この身を焼かれるこそ無上の喜び、頓証菩提と申すもの、何の悔いがありましょうぞ! おお、わたくしの宿願は、もう、すぐ、そこに!

 痴れ言をわめき散らす婢鬼は俺の首から下を抱く腕に力を込め、下半身を締め上げている俺の胴から足を引き抜こうともがく。足が自由になったら何を仕出かすかは当然予想できたので、婢鬼の思い通りにさせぬよう渾身の力で締め付けた。

 ──痛っ……若様、もそっと優しゅうに。
 ──若様ではあるまいが。
 ──おゆるしを、わかぎみさま。どうあっても、お情けをくださりませぬか。
 ──させるか。
 ──ならば。

 妖しげな笑みを含んだ声で俺の耳元に囁き、婢鬼は両腕を離した。

 ──このようにいたしまする。

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