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5 巫女

伝説①

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 結局、日輪の正門前で落ち合う約束をして財部とはいったん別れた。家に戻って必要な物をスクールバッグとリュックサックに詰め込み、準備を終えると午後2時を過ぎていた。

 大荷物を抱えてバス停に立ち、時刻表を見ると、次のバスが来るのは30分後だった。ただでさえ本数が少ない上に昼間だから仕方がない。地に足が着かない感覚を何とか静めようと思いながら、財部から受け取った県広報誌をバッグから引っ張り出した。

 記事の初めに、筆者の断り書きがあった。

〈これは接触できた限りの関係者から聞き取った断片的な言い伝えを、自分の理解できるように繋ぎ合わせたものである。その意味では、「記録」というより「説話」と言った方が適切であろう。また、幾つかの場面は自分の想像のおもむくままに書いている。だから結果的に、奈良時代に舞台設定した歴史小説のようなものになった。その点を念頭に置いていただければ幸いである〉

 立って読んでいるうちにバスが来た。記事のページに目を落としたまま俺は足元も確かめずに乗車し、手近の席に座った。


・・・・・・・・・・・・・・


 その土地は今でも「国分町」という地名が付いている通り、かつて国分寺があったと伝えられている。ここから1キロ弱の地点では奈良時代の国の役所「国衙こくが」の遺跡が発見され、当時の文物が多数出土している。この近接ぶりは、国策として進められた国分寺造営が、地方の行政機関である国府と密接に連携していた一つの証拠と言ってもよかろう。そして、本稿で紹介する事件のもう一つの舞台である「龍王台」は、国分町から西に36キロほど離れた場所にある。

 国分町と名付けられているその土地は、古くは「淳土呂ぬとろ」と呼ばれていた。上代には、周辺の広い地域で信仰されていた神が祀られる聖域であり、神社では例年地元住民による大掛かりな祭礼が行われた。この神は「名を呼ぶことを禁じられた」神であり、その名は、神に仕える巫女だけに言い伝えられてきた秘密だった。

 そして淳土呂の住民は、朝廷側にとっては政治的に油断のならない存在でもあった。

 平城京遷都の十数年に東北地方で朝廷に叛旗を翻し、討伐された蝦夷えみしと縁の深い者たちが住民の中にいて、蝦夷の祀っていたのと同じ神を崇拝している。こういう背景がある人々だから、他の地方と比べても仏教への帰依は遅々として進んでいなかった。聖武帝の号令を受けて国分寺造営と代替地への移転が国府から持ち掛けられると、住民の間ではたちどころに議論が紛糾した。

 何よりも、造営予定地には神域が含まれている。ここに寺を建てるというのは、土着の神を他の土地へ移すことを意味するが、これは容易なことではない。反発する者の中には、はるか北に遂われた蝦夷を呼び込み、再度朝廷と一戦を交えようなどと物騒なことを言い出す者もいた。もちろん、ただでさえ朝廷に睨まれている以上、「まつろわぬ者」と見なされるのは絶対に避けなければならなかった。下手をすれば討伐対象になりかねない。

 村の長老たちは幾度となく国府に赴き、造営地は別の土地にと懇願したが、聞き入れてはもらえなかった。こうして、神の座とともに立ち退きを受け入れるか、断固拒否し続けるかの判断を神意に問うということになった。


 志於綾井しおのあやいという盲目の巫女が、神託の仲立ちをした。自らが憑坐よりましとなって神意を伝える綾井は、当年21歳。長老の依頼を受け、聖地に祭壇を拵えて神下ろしを行った。

 村人たちが固唾を飲んで見守る中、憑依状態となった綾井は、凄絶な表情で一同に盲いた目を向け、神意を伝えた。

「我は天地あめつちの開闢よりこの地に在り。此れ、世の終わりまで変わることなし」

 仏寺建立のための動座伺いに、土地の神は明確に「いな」と答えたのだった。

 村の主だった者たちは合議の末、巫女の口を通じて伝えられた神意を国府に伝え、立ち退き要請について再考を求めることに決した。

 淳土呂の長老たちの陳情を受けた国司橘幸麻呂たちばなのゆきまろはこう答えた。

「そなたらの崇める神の意とするところは承知した。だが国分寺造営は聖上直々の御指図ゆえ、この地を預かっておる身で簡単にそれを是としたりすれば、我の首が飛ぶ。そこでだな、どうかここは我の苦衷も察して、もう一度そなたらの神の意向とやらを確かめてはもらえぬか」

 長老たちは顔を見合わせ、やむなく橘幸麻呂の言葉に従った。

 実は、赴任して間もない幸麻呂は顔にこそ表さなかったが、土地の者たちが神意を盾に現住地にしがみつこうとしていると知って内心嚇怒かくどしていた。天皇が仏教による民心の統一を推進している中、土着の神を押し立てて抗うなど言語道断の所業である、と。

 仏教による鎮護国家の方針が確定した以上、夷狄の蟠踞していた地に残存するまつろわぬ神は一刻も早く除かねば後顧の憂いとなる。幸麻呂はそう信じていた。

 再び神託の儀式が行われたが、綾井の伝えた神意は前と同じだった。いよいよ村人たちは困り果てた。長老らの話し合いも紛糾するばかりだったが、淳土呂の郡司を任されている長老の一人がこう提案した。

「幸麻呂に直接訴えても色良い返事は得られまい。下手に刺激して兵を動かされでもしたら取り返しがつかぬ。そこで我は思うのだが、当地には幸麻呂の倅が下向して来ておる。あれを通じて父親に働き掛けるというやり方はどうであろう」

 幸麻呂の長子幸嗣ゆきつぐは当年19歳。容姿端麗かつ聡明、さらには弓の上手として、父も将来を大いに嘱望していた。若いがゆえに、ものの考え方も柔軟であろうという期待も持てた。この御曹司のもとへ志於綾井を差し向け、窮状を訴えようということで衆議は決した。

 ある日の午後、幸嗣が従者を連れて川辺に馬を歩ませていた時、村の使いの者が現れ、長老一同連名の親書を手渡した。

 土地の神に五穀豊穣を祈願する年一度の祭礼が3週間後に行われるので、ぜひ御曹司様にも御臨席を賜りたい。祭礼後にささやかな宴席を設け、この際に御曹司様との誼を大いに深めたいとの内容だった。

 父親を差し置いて自分に声を掛けるのは不自然であろうと訝しんだが、顔色に表すことなく幸嗣は快諾した。

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