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4 因縁
「取り込み中」に乱入された
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麗しき上級生女子と二人きりで見つめ合っている嬉しくも切迫した状況に、ここは一気呵成に前へ突き進むべきだったかもしれなかったが、幸か不幸か俺はチキンだった。「何か言わなければ」とあたふたした末、転校して初めて教室に入った時の印象を口にした。
「あの時の皆さん、楔形の戦闘隊形みたいに着席してましてけど、何かのメッセージかと思いました」
「ああ、あれね。特に意味ないよ」
あっさり言われて拍子抜けがしたが、幾分その場の緊迫感は緩んだ。
「鏃を向けられれば恐怖するのが、狩り立てられる獣の習性でしょ。初めから君を狩猟の対象とみなしてたわけじゃないけど、5人で一つの象徴的形をとって迎えるのが礼儀のような気がしてたの。気を悪くした?」
「いえ、ちょっとびっくりしただけで。それよりも生徒が5人しかいないのに驚きましたから」
可成谷さんは「そうだよね」と満足げに笑う。かつて狩り立てられる獣だったらしい俺は、その笑顔を素直にうれしいと感じた。
「気を悪くした?」という言い方は、多分に「気を悪くするわけないよね?」のニュアンスを含んでいると俺は受け取った。もちろんそれで構わない。むしろ優雅でさえある。
これは恋か。いや、何か別の感情だ。尊敬とでも言ったらいいのか。
「そう、5人だけ。でも考えてみて」
可成谷さんの右手が、俺の肩に伸びてきた。それは制服の肩と袖の縫い目あたりに置かれ、布地越しにツボでも探るような力が指先から伝わってきた。
「校内をうろつきだしたたくさんの幽霊に恐れをなして、他の生徒は学校に出て来なくなった。なのに私たちは残っている。その理由を」
「理由」
「そう。私たちが登校してきてるのは、怖いのを無理して頑張ってるからだと思う?」
「……つまり、全然無理してないってことですか?」
その時、保健室の戸が開く音がして、先輩は俺の肩からゆっくりと手を離した。一人の足音が遠慮もなく近づいてきた。
「あらー? お取り込み中だったかしら。座光寺君起きて大丈夫なの」
元木麻里奈さんは両手を後ろに回して軽く腰を曲げ、顔を突き出して冷やかす素振りをする。「大分良くなりました」と答える俺の横で、可成谷さんは「取り込み中だったら普通は鍵掛けとくんじゃ?」と続けたので、俺は椅子から滑り落ちそうになった。
「でもまあ、『流れ』でってこともあるし」
「私に限ってそれはない」
「ごめんごめん。私の経験ではよくあることだから」
俺は元木さんの顔をガン見してしまった。今日までどんな「流れ」を彼女は経験してきたというのか? 元木さんはくるりと俺たちに背を向けると、足早に冷蔵庫へ歩み寄って扉を開けた。
「なんだぁ、サンドイッチ食べてないの」
「あんまりお腹が空いてなくて……」
「そうなの? じゃあ貰っていい?」
「どうぞ」
「やった!」
続けて「ちょうど小腹が空いてきたのよね」などと言われると、急に自分も空腹になった気がしてくる。だがもう遅い。
「実は今、座光寺君に『なぜ私たちがこの学校に残っていられるか』をレクチャーしようとしてたところ」
「レクチャーって、それだけ?」
元木さんは執拗だ。やはり「それ以外」のレクチャーが行われる場合も考え、鍵は掛けておいた方がよかったのか。
「それだけだよ?」
「ふーん。なぜ学校に残ってるか。そりゃ、ある意味当然だよね」
サンドイッチと野菜ジュースを手にした元木さんはサイドボードの横──つまり俺から見て可成谷さんの左隣──のベッド端に腰かけ、ジュースの紙パックにストローを差してサンドイッチを食べ始めた。「当然」の意味を測りかねて首を傾げる俺に、彼女はジュースでパンを飲み下しながらこともなげに言う。
「居心地がいいってことよ」
「なるほど。確かに慣れてしまえば、出席数とか単位とか気にせずにいられますね」
上級生女子二人は「うふふ」と笑って意味ありげな視線を交わし合う。そう、慣れさえすれば楽だ! いっそ「ゲスト」を風変わりな遊び相手とでも思えば、退屈な学校生活も一転してワンダーランドと化す。ついでに大学受験もなくなれば本物の学園パラダイスが実現するだろうが、往々にしてそういうファンタジックな状況は危うさと背中合わせでは……いや、知らんけど。
ストローを口に咥えた元木さんに代わって、可成谷さんが続けた。
「いっそ、今の状態がいつまでも続けばいいと思っちゃうようになるよ」
後を受けて元木さんが「そうなればしめたものだね」とにっこり笑う。
しかし、それでは特命を負って転向してきた俺の立場がない。恐る恐る「じゃあ、俺は何もしない方がいいですか?」と聞くと、元木さんが「私はそこまでは言わないな。鈴ちゃんも同じだよね?」と水を向ける。可成谷さんは、肯定とも否定とも取れるような謎めいた笑いを浮かべて「男子の3人にも事情があるだろうし」と応じた。
可成谷さんが窓のに目を向け、強くなった日差しを受けるカーテンを眩しそうに見つめた。
「ちょっと散歩でもしない? 雨上がりでいい天気だし」
「あの時の皆さん、楔形の戦闘隊形みたいに着席してましてけど、何かのメッセージかと思いました」
「ああ、あれね。特に意味ないよ」
あっさり言われて拍子抜けがしたが、幾分その場の緊迫感は緩んだ。
「鏃を向けられれば恐怖するのが、狩り立てられる獣の習性でしょ。初めから君を狩猟の対象とみなしてたわけじゃないけど、5人で一つの象徴的形をとって迎えるのが礼儀のような気がしてたの。気を悪くした?」
「いえ、ちょっとびっくりしただけで。それよりも生徒が5人しかいないのに驚きましたから」
可成谷さんは「そうだよね」と満足げに笑う。かつて狩り立てられる獣だったらしい俺は、その笑顔を素直にうれしいと感じた。
「気を悪くした?」という言い方は、多分に「気を悪くするわけないよね?」のニュアンスを含んでいると俺は受け取った。もちろんそれで構わない。むしろ優雅でさえある。
これは恋か。いや、何か別の感情だ。尊敬とでも言ったらいいのか。
「そう、5人だけ。でも考えてみて」
可成谷さんの右手が、俺の肩に伸びてきた。それは制服の肩と袖の縫い目あたりに置かれ、布地越しにツボでも探るような力が指先から伝わってきた。
「校内をうろつきだしたたくさんの幽霊に恐れをなして、他の生徒は学校に出て来なくなった。なのに私たちは残っている。その理由を」
「理由」
「そう。私たちが登校してきてるのは、怖いのを無理して頑張ってるからだと思う?」
「……つまり、全然無理してないってことですか?」
その時、保健室の戸が開く音がして、先輩は俺の肩からゆっくりと手を離した。一人の足音が遠慮もなく近づいてきた。
「あらー? お取り込み中だったかしら。座光寺君起きて大丈夫なの」
元木麻里奈さんは両手を後ろに回して軽く腰を曲げ、顔を突き出して冷やかす素振りをする。「大分良くなりました」と答える俺の横で、可成谷さんは「取り込み中だったら普通は鍵掛けとくんじゃ?」と続けたので、俺は椅子から滑り落ちそうになった。
「でもまあ、『流れ』でってこともあるし」
「私に限ってそれはない」
「ごめんごめん。私の経験ではよくあることだから」
俺は元木さんの顔をガン見してしまった。今日までどんな「流れ」を彼女は経験してきたというのか? 元木さんはくるりと俺たちに背を向けると、足早に冷蔵庫へ歩み寄って扉を開けた。
「なんだぁ、サンドイッチ食べてないの」
「あんまりお腹が空いてなくて……」
「そうなの? じゃあ貰っていい?」
「どうぞ」
「やった!」
続けて「ちょうど小腹が空いてきたのよね」などと言われると、急に自分も空腹になった気がしてくる。だがもう遅い。
「実は今、座光寺君に『なぜ私たちがこの学校に残っていられるか』をレクチャーしようとしてたところ」
「レクチャーって、それだけ?」
元木さんは執拗だ。やはり「それ以外」のレクチャーが行われる場合も考え、鍵は掛けておいた方がよかったのか。
「それだけだよ?」
「ふーん。なぜ学校に残ってるか。そりゃ、ある意味当然だよね」
サンドイッチと野菜ジュースを手にした元木さんはサイドボードの横──つまり俺から見て可成谷さんの左隣──のベッド端に腰かけ、ジュースの紙パックにストローを差してサンドイッチを食べ始めた。「当然」の意味を測りかねて首を傾げる俺に、彼女はジュースでパンを飲み下しながらこともなげに言う。
「居心地がいいってことよ」
「なるほど。確かに慣れてしまえば、出席数とか単位とか気にせずにいられますね」
上級生女子二人は「うふふ」と笑って意味ありげな視線を交わし合う。そう、慣れさえすれば楽だ! いっそ「ゲスト」を風変わりな遊び相手とでも思えば、退屈な学校生活も一転してワンダーランドと化す。ついでに大学受験もなくなれば本物の学園パラダイスが実現するだろうが、往々にしてそういうファンタジックな状況は危うさと背中合わせでは……いや、知らんけど。
ストローを口に咥えた元木さんに代わって、可成谷さんが続けた。
「いっそ、今の状態がいつまでも続けばいいと思っちゃうようになるよ」
後を受けて元木さんが「そうなればしめたものだね」とにっこり笑う。
しかし、それでは特命を負って転向してきた俺の立場がない。恐る恐る「じゃあ、俺は何もしない方がいいですか?」と聞くと、元木さんが「私はそこまでは言わないな。鈴ちゃんも同じだよね?」と水を向ける。可成谷さんは、肯定とも否定とも取れるような謎めいた笑いを浮かべて「男子の3人にも事情があるだろうし」と応じた。
可成谷さんが窓のに目を向け、強くなった日差しを受けるカーテンを眩しそうに見つめた。
「ちょっと散歩でもしない? 雨上がりでいい天気だし」
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