上 下
10 / 74
1 県立日輪高校

松田美根子

しおりを挟む
 正直言って、親父の言葉は今ひとつ腑に落ちない。彼らは悪霊であることが存在理由になってしまったから、並みの除霊では退散してもらえなくなったのではないか。滅霊を行うのは、悪霊になった責任を彼らに押し付けることだ。生者の都合を優先するから当然そうなるわけだが、このことは「それで何が悪い?」という暗黙の了解を前提にしている。

 ここで俺は考えるのをやめる。

 俺だって生きている。まだ16歳だし、この先の人生は長い。それがみんなの都合なら、合わせるしかないじゃないか。そう自分に言い聞かせるのだ。


 記憶している限りの真言を誦していくうちに、状況が変わった。

 扉の向こう──ちょうど床に魔法陣を描いたあたり──で物音がした。ゴム底の上履きで床を擦るような音が一瞬聞こえ、静かになったかと思うとまた聞こえる。断続的に5分ほどそれが続いたように感じてから、ため息まじりの声を確かに聞き取った。全身に鳥肌が立った。

「おかしいわね」

 囁くような若い女の声。遂に現れたようだ。

「なんで消えないのよこれ? へったくそな絵」

 暗闇の中を手探りで描いたことを少しも分かってくれない彼女の声は、次第に啜り泣くような調子に変わっていく。

「消してよ。いまいましいなあもう。嫌んなっちゃう。どうして、いつもこうなのよ。あたしが出てくると邪魔ばっかりして。あんた」

 この「あんた」がドア越しに俺に向けられているのははっきり分かった。45年前に17歳で自らの命を絶った彼女が、今も生きているとすれば62歳。言葉遣いも今どきのJKと違ってどことなく古臭い。俺がどう応じたらいいか迷っていると、「彼女」は畳み掛けてきた。

「ここへ何しに来たの」

 これは、答えざるを得ない。覚悟を決めた俺は、深呼吸してから「松田美根子様、ですね?」と囁き返した。

 答えは無かった。

「わたくし、座光寺信光と申します。今宵は何とぞ松田さんにお鎮まりいただきたく、参上いたしました」

 扉の向こうは沈黙したまま。しかし、まだ松田美根子がそこに留まっているのは、座光寺家の跡取りである俺の体感で分かる。

「わたくしは聖往学園──かつての耶麻根台やまねだい高校──の在校生でもあります。有体に申しますと、女子在校生は満足に用足しもできぬとほとほと こうじ果てております次第で、どうかここは松田様にお鎮まり願いたく、無礼を顧みずこの座光寺が参上いたしました」

 俺は待った。5、6秒経っただろうか。俺の耳は辛うじて、常人であれば錯覚とも判別しがたいような、か細い囁き声を聞き取った。

「あんた」
「はい?」
「男子でしょ」
「はい。確かに」

 「ご不審は重々承知の上で」などと弁解しようとしたところ、扉の向こうから突然響いた怒鳴り声に俺は便座から飛び上がった。

「男がなぜ女子トイレにいるのよ!」
「申し訳ございません!」
「深夜に女子トイレを徘徊するのが趣味なの?」
「いいえそのような! 実はわたくし、」
「分かってるわよ! 私を『滅し』に来たんでしょう? 座光寺君」
「滅するなどと、そんな滅相も無い」

 これは必ずしも嘘ではない。滅霊までせずとも、状況に応じて二度と生者の間に出没しないと確約させる「除霊」レベルにとどめることも俺の判断に委ねられている。ただ、無益な殺生を避けたいのはやまやまでも、それが限りなく望み薄だから俺がこの場にいるのも確かなのだ。結果的には、霊をなだめて仕事をやりやすくするための方便になってしまうわけだが、俺は頭のどこかで「これも仕方がない」と割り切っていた。そんな状況下に「滅するなど滅相も無い」と無用の軽口を叩くのは逆効果以外の何物でもないが、急場ゆえ悔やむ暇もなかった。

 もっとも、当年62歳の松田さんには鼻で笑われただけだった。

「じゃ、やっぱり女子トイレ覗きに来たんだね」

 せせら笑う松田美根子の声に、俺への憎しみとか悪意は感じられなかった。だから俺も開き直って「もう、何とでもおっしゃってください」と返すことができたのだろう。

「とにかく松田さん。今の在校生女子がみんな困ってるんです。どうかここはそのへんを理解して、お鎮まりくださいませんか」

 しばしの沈黙を挟んで、松田さんは「話を聞いてくれる? 座光寺君」と尋ねてきた。嫌な予感がしたが、ここで逃げるわけにはいかないので「どうぞ」と答えた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幽子さんの謎解きレポート~しんいち君と霊感少女幽子さんの実話を元にした本格心霊ミステリー~

しんいち
キャラ文芸
オカルト好きの少年、「しんいち」は、小学生の時、彼が通う合気道の道場でお婆さんにつれられてきた不思議な少女と出会う。 のちに「幽子」と呼ばれる事になる少女との始めての出会いだった。 彼女には「霊感」と言われる、人の目には見えない物を感じ取る能力を秘めていた。しんいちはそんな彼女と友達になることを決意する。 そして高校生になった二人は、様々な怪奇でミステリアスな事件に関わっていくことになる。 事件を通じて出会う人々や経験は、彼らの成長を促し、友情を深めていく。 しかし、幽子にはしんいちにも秘密にしている一つの「想い」があった。 その想いとは一体何なのか?物語が進むにつれて、彼女の心の奥に秘められた真実が明らかになっていく。 友情と成長、そして幽子の隠された想いが交錯するミステリアスな物語。あなたも、しんいちと幽子の冒険に心を躍らせてみませんか?

ゆるゾン

二コ・タケナカ
ホラー
ゆるっと時々ゾンビな女子高生達による日常ものです。 (騙されるなッ!この小説、とんだ猫かぶりだぞ!)

ゾンビ発生が台風並みの扱いで報道される中、ニートの俺は普通にゾンビ倒して普通に生活する

黄札
ホラー
朝、何気なくテレビを付けると流れる天気予報。お馴染みの花粉や紫外線情報も流してくれるのはありがたいことだが……ゾンビ発生注意報?……いやいや、それも普通よ。いつものこと。 だが、お気に入りのアニメを見ようとしたところ、母親から買い物に行ってくれという電話がかかってきた。 どうする俺? 今、ゾンビ発生してるんですけど? 注意報、発令されてるんですけど?? ニートである立場上、断れずしぶしぶ重い腰を上げ外へ出る事に── 家でアニメを見ていても、同人誌を売りに行っても、バイトへ出ても、ゾンビに襲われる主人公。 何で俺ばかりこんな目に……嘆きつつもだんだん耐性ができてくる。 しまいには、サバゲーフィールドにゾンビを放って遊んだり、ゾンビ災害ボランティアにまで参加する始末。 友人はゾンビをペットにし、効率よくゾンビを倒すためエアガンを改造する。 ゾンビのいることが日常となった世界で、当たり前のようにゾンビと戦う日常的ゾンビアクション。ノベルアッププラス、ツギクル、小説家になろうでも公開中。 表紙絵は姫嶋ヤシコさんからいただきました、 ©2020黄札

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

怪物どもが蠢く島

湖城マコト
ホラー
大学生の綿上黎一は謎の組織に拉致され、絶海の孤島でのデスゲームに参加させられる。 クリア条件は至ってシンプル。この島で二十四時間生き残ることのみ。しかしこの島には、組織が放った大量のゾンビが蠢いていた。 黎一ら十七名の参加者は果たして、このデスゲームをクリアすることが出来るのか? 次第に明らかになっていく参加者達の秘密。この島で蠢く怪物は、決してゾンビだけではない。

ゴーストバスター幽野怜Ⅱ〜霊王討伐編〜

蜂峰 文助
ホラー
※注意! この作品は、『ゴーストバスター幽野怜』の続編です!! 『ゴーストバスター幽野怜』⤵︎ ︎ https://www.alphapolis.co.jp/novel/376506010/134920398 上記URLもしくは、上記タグ『ゴーストバスター幽野怜シリーズ』をクリックし、順番通り読んでいただくことをオススメします。 ――以下、今作あらすじ―― 『ボクと美永さんの二人で――霊王を一体倒します』 ゴーストバスターである幽野怜は、命の恩人である美永姫美を蘇生した条件としてそれを提示した。 条件達成の為、動き始める怜達だったが…… ゴーストバスター『六強』内の、蘇生に反発する二名がその条件達成を拒もうとする。 彼らの目的は――美永姫美の処分。 そして……遂に、『王』が動き出す―― 次の敵は『十丿霊王』の一体だ。 恩人の命を賭けた――『霊王』との闘いが始まる! 果たして……美永姫美の運命は? 『霊王討伐編』――開幕!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

オーデション〜リリース前

のーまじん
ホラー
50代の池上は、殺虫剤の会社の研究員だった。 早期退職した彼は、昆虫の資料の整理をしながら、日雇いバイトで生計を立てていた。 ある日、派遣先で知り合った元同僚の秋吉に飲みに誘われる。 オーデション 2章 パラサイト  オーデションの主人公 池上は声優秋吉と共に収録のために信州の屋敷に向かう。  そこで、池上はイシスのスカラベを探せと言われるが思案する中、突然やってきた秋吉が100年前の不気味な詩について話し始める  

処理中です...