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1 県立日輪高校

女子トイレ

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 水際さんが言っていた「2カ月前の働き」とは、45年前に失恋自殺した女子生徒の怨霊を俺が「滅した」一件のことだ。俺にとっては初めての、本格的な滅霊だった。

 くだんの怨霊──誤解のないように言っておくと、人と牛が合体した「件」とかいう怪物になってたわけじゃない──は白昼にもランダムに女子トイレに出没したので、女子は安心してトイレに入れないと大騒ぎになっていた。

 「彼女」は校内すべての女子トイレに出現した。誰も入っていない隣の個室から、女子生徒の啜り泣きや笑い声が聞こえてくるのだ。「昨夜の前原君ものすごく優しかったの!」と感極まった声がしたかと思うと、「あの女を呪ってやる! この世の終わりまで!」という恋敵への呪詛が続いたりするので、おちおち用を足すこともできない。3人連れになって両側の個室をガードしてもらっても、ガード役の左右、すなわち空室になっているはずの壁から「彼女」は話しかけてくる。これでは始末に負えない。

 男子生徒の中に滅霊師の末裔がいるという話をどこから聞きつけたのか、学園の理事会から親父に打診が行き、俺の方には生徒会から話が回ってきた。


 ところで、霊的な存在とはいかなるものか。俺には俺なりの持論があるが、多分それは、世間一般に通っている「霊」のイメージとは違う。

 俺の理解では、「霊」の種類は無限とも言っていいくらい多種多様で、生きている人間の生活に何ら干渉しない「行儀の良い」霊もあれば、迷惑千万な「悪い」霊もある。俺は物心つくかつかないかの頃からそういった存在と親しみ、意思を通わせさえしてきた。7歳になると、本格的な「滅霊」を祖父と父の指導で仕込まれるようになった。

 そんな俺でも、初の実戦には物凄く緊張した。

 その日の午前2時。俺は生徒会長の許可を得て、問題の女子トイレに入った。女子トイレだけに後で問題化することが心配だったが、水際さんは「理事会の許可を取ってあるから大丈夫」と太鼓判を押したので、多分問題あるまいと考えていた。

 だが、一つここで言及しておかねばならない。まず、男子から見て、女子トイレは異世界である。

 構造上、便器のすべてが個室内にある点で男子トイレとは決定的に異なる。連れションしながら無駄話、あるいは胸までの高さの仕切り越しに覗き込んで「でけえな」「やっと剥けたかお前!」などと冷やかし合うような気軽な真似はできない。だから女子が男子で言うところの「連れション」をする場合、個室の壁越しにする無駄話というのはかなり隠微な色合いを帯びはしないだろうか……。もちろん、男子トイレの個室で男同士での実験をしたいとは夢にも思わないが。

 そもそも男子が学校トイレで個室に入る場合には、その緊急性または秘匿性、あるいは〝危険性〟がかなり高いと考えられるから、普通は無駄話をしている余裕などあるまい。……これ以上あれこれ想像するのは自分で地獄へ落ちていくようなものなので、このあたりでやめておこう。

 何の話をしてたんだっけ。そうだ、俺が初めて臨んだ「滅霊」の現場は、自分が通っている高校の女子トイレだったのだ。

 俺が滅霊に入ることは当然、生徒には伏せられた。もし知れたら、俺は卒業まで「学校当局公認をいいことに女子トイレに侵入した男」という烙印を押されたまま過ごさなければならない。のみならず、当該女子トイレが俺の名とともに長く記憶され、記録(非公式だとしても)にさえ残る可能性も考えられる。とにかく、いかに純粋無垢な少年であろうと女子の聖域に男が入り込むわけだから、滅霊に使うことになったトイレ(「彼女」の出現が一番頻繁だった)は放課後に女性教諭総出で徹底的に清掃された。だから俺が入った時には洗剤以外に何の匂いもしなかった!

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