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9・最終章 依頼人◯天野伊織
変化
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いつの間にか、車内の雰囲気が変わった。
ケントさんに殺されてもいい、と心構えをしたのに。
よどんだ重い空間が、暖かく柔らかなものへと変貌していた。
残酷なほど粗野だった今までのケントさんは偽物だったかのように、弱いひな鳥を愛でるような仕草で接してくれる。
入院していた時に、手の甲を撫でてくれたような、慈愛に満ちたそれ。
ほんのりと甘いキス。
時おり見つめては、キスを繰り返す。愛しい気持ちが溢れ出て、留まるところを知らないかのように、優しく触れる。
激しいセックスを好むケントさんが、キスだけで我慢できるなんて。
なによりも、ひどく穏やかな表情になっていた。
憑き物が落ちたかのように、残虐性が全く感じられない。
俺はケントさんの急激な変化に驚いた。
よほど、俺が「いっしょに住みたい」と言ったことがよほど嬉しかったらしい。
そんなことで?
機嫌を直したとか、そんなレベルの話じゃない。
ケントさんの、根本が変わった気がした。
「……そんなに住みたかったなら、早く言えば良かったのに」
未来の話としては、言っていたけど。乱暴で強引なケントさんが珍しい。素朴な疑問をぶつけた。
「いや……なんか大学生になってからかと思い込んでいた」
ああ、なんだ。常識にとらわれてたんだね。自分が1人暮らし始めたのが大学生からだったからかな?
「かわいい、ケントさん」
俺はケントさんの柔らかな髪を撫で、左耳の軟骨に刺さったピアスにキスをした。
「親に電話しなきゃいけないのが憂鬱だけど、ケントさんのためにがんばるね」
「壮太郎さんだっけ。一度話したことあるし、オレが言ってもいいぞ」
神崎壮太郎。
親父の名だ。名前を聞くだけでも気分が下がり、沈んで息苦しくなる。
まるで存在していないかのように扱われた2年間。義理の母からの虐待も、知っていながら陰であざ笑っていた人。良い思い出は、幼いころにわずかにあるだけだ。
「……ねえ、ケントさん。養子縁組してくれるって、まだ本気で考えてくれてるの?」
「そのつもりだよ」
甘えていいだろうか。これ以上お荷物になっていいのだろうか。
「すべてのことを、ケントさんに移してもいい? あの人と関わるのを最後にしたいんだ」
あれから俺も調べて、親子の縁が切れないことは把握していた。でも、気持ち的に他人になりたかった。
「もちろんだ……」
ケントさんは多幸に溢れた声色で返事をした。
良かった。
俺の存在が負担になると心配したけど。
逆だ。
ケントさんは、俺のすべてが欲しかったんだね。
俺を束縛したいわけではなくて、きっと安心したかったんだね。家族になる、ってケントさんには心のお守りなんだ。
もしかしたら死なずに、穏やかな日々を過ごせるかもしれない、と今のケントさんを見て思った。
20時ころ、ケントさんは寮に送り届けてくれた。
「毎日電話するから、もう少し待っててね」
「ああ」
ケントさんと別れ、玄関へと向かった。
寮母さんいるかな、と事務室を覗いてみると、向こうから声をかけてくれた。
「昨夜用事あったでしょ。ごめんね~。最近夜は帰ってるのよ」
「あ、そうだったんですか。新しく入寮した森内くん、どうしてるかなあと思って」
「ああー、あんまり見かけないね。外泊はしてないから、部屋にいると思うよ」
「わかりました、ありがとうございます」
俺はそのまま2階に上がり、端の部屋をノックした。
返事はない。
もう一度ノックしてみる。
「森内くん~俺~あまねだけど」
声もかけてみる。
すると、わずかに音がした。
あ、いるんだ。
良かった。
「森内く」
バンッと後ろのドアが開いた。涼くんだ。
「あまね、待ってた。ちょっと来て」
「え、あ、うん……森内くん、あとでまた声かけるね~」
涼くんの部屋に行くと、すぐさま本題に入ってきた。
「金子先輩に話聞いた」
中村くんが階段から落ちた話。その犯人である金子先輩。
「鴎我、後輩からカツアゲしてたらしい」
「そうなの?」
「バレー部の1年がタカられてて、それで言い合いになったそうだ。ケンカになって、階段から落とされた」
「そうだったんだ」
もしかしたら本当に『呪いのメェー様』に投稿されてたかもしれないな。
「それで、杉本先輩の事件も、金子先輩が関わってた」
杉本先輩……俺はリストを思い出す。
クラス/名前/罪名・投稿日/呪い?
ビジ3-1/杉本螢/タバコ・11/4/休学
「ああ、喫煙で投稿された杉本蛍先輩」
「そう。あれも金子先輩が暴力ふるって休学に追い込んだって」
「えー……」
ほんとに闇落ちしてた。スポーツマンの闇落ち、ヤバい……。
じゃあやっぱり中村くんの件も投稿されたんだろうな。
「脅されて、仕方なくやったらしい。盗撮してたのを見つかったんだって」
え……。
……訳がわからない。
金子先輩は自分が盗撮して罪を犯してるのに、罪を犯した他人を成敗したってことか?
金子先輩の強靭な肉体が欲しかったんだな。佐久間さんは女性的な武器。
3人で、『呪いのメェー様』を演じた。
「聞かないの?」
「え」
「……あまねもわかったんだ?」
ああ。
金子先輩を脅した真犯人は誰か、ってことか。
「うん、俺も濱松くんと自分のでわかった」
「え、じゃあ次はそっち話してよ」
「うん、あ、やっぱ先に森内くん訪ねたらダメ? さっき物音したんだ。気になっちゃって」
「え? いた?! 早く言えよっ」
「ごめんー」
涼くんも部屋を出ようとしたので、俺は慌てて引き留めた。
「俺だけで行かせて」
「なんで」
「さっき俺の声に反応したから」
「……あー」
涼くんは、残念そうな表情をした。
「オレもさっき声かけたんだけどな……」
たぶん、俺だけだったら会ってくれる。
そう確信して、俺は涼くんの部屋をあとにした。
ケントさんに殺されてもいい、と心構えをしたのに。
よどんだ重い空間が、暖かく柔らかなものへと変貌していた。
残酷なほど粗野だった今までのケントさんは偽物だったかのように、弱いひな鳥を愛でるような仕草で接してくれる。
入院していた時に、手の甲を撫でてくれたような、慈愛に満ちたそれ。
ほんのりと甘いキス。
時おり見つめては、キスを繰り返す。愛しい気持ちが溢れ出て、留まるところを知らないかのように、優しく触れる。
激しいセックスを好むケントさんが、キスだけで我慢できるなんて。
なによりも、ひどく穏やかな表情になっていた。
憑き物が落ちたかのように、残虐性が全く感じられない。
俺はケントさんの急激な変化に驚いた。
よほど、俺が「いっしょに住みたい」と言ったことがよほど嬉しかったらしい。
そんなことで?
機嫌を直したとか、そんなレベルの話じゃない。
ケントさんの、根本が変わった気がした。
「……そんなに住みたかったなら、早く言えば良かったのに」
未来の話としては、言っていたけど。乱暴で強引なケントさんが珍しい。素朴な疑問をぶつけた。
「いや……なんか大学生になってからかと思い込んでいた」
ああ、なんだ。常識にとらわれてたんだね。自分が1人暮らし始めたのが大学生からだったからかな?
「かわいい、ケントさん」
俺はケントさんの柔らかな髪を撫で、左耳の軟骨に刺さったピアスにキスをした。
「親に電話しなきゃいけないのが憂鬱だけど、ケントさんのためにがんばるね」
「壮太郎さんだっけ。一度話したことあるし、オレが言ってもいいぞ」
神崎壮太郎。
親父の名だ。名前を聞くだけでも気分が下がり、沈んで息苦しくなる。
まるで存在していないかのように扱われた2年間。義理の母からの虐待も、知っていながら陰であざ笑っていた人。良い思い出は、幼いころにわずかにあるだけだ。
「……ねえ、ケントさん。養子縁組してくれるって、まだ本気で考えてくれてるの?」
「そのつもりだよ」
甘えていいだろうか。これ以上お荷物になっていいのだろうか。
「すべてのことを、ケントさんに移してもいい? あの人と関わるのを最後にしたいんだ」
あれから俺も調べて、親子の縁が切れないことは把握していた。でも、気持ち的に他人になりたかった。
「もちろんだ……」
ケントさんは多幸に溢れた声色で返事をした。
良かった。
俺の存在が負担になると心配したけど。
逆だ。
ケントさんは、俺のすべてが欲しかったんだね。
俺を束縛したいわけではなくて、きっと安心したかったんだね。家族になる、ってケントさんには心のお守りなんだ。
もしかしたら死なずに、穏やかな日々を過ごせるかもしれない、と今のケントさんを見て思った。
20時ころ、ケントさんは寮に送り届けてくれた。
「毎日電話するから、もう少し待っててね」
「ああ」
ケントさんと別れ、玄関へと向かった。
寮母さんいるかな、と事務室を覗いてみると、向こうから声をかけてくれた。
「昨夜用事あったでしょ。ごめんね~。最近夜は帰ってるのよ」
「あ、そうだったんですか。新しく入寮した森内くん、どうしてるかなあと思って」
「ああー、あんまり見かけないね。外泊はしてないから、部屋にいると思うよ」
「わかりました、ありがとうございます」
俺はそのまま2階に上がり、端の部屋をノックした。
返事はない。
もう一度ノックしてみる。
「森内くん~俺~あまねだけど」
声もかけてみる。
すると、わずかに音がした。
あ、いるんだ。
良かった。
「森内く」
バンッと後ろのドアが開いた。涼くんだ。
「あまね、待ってた。ちょっと来て」
「え、あ、うん……森内くん、あとでまた声かけるね~」
涼くんの部屋に行くと、すぐさま本題に入ってきた。
「金子先輩に話聞いた」
中村くんが階段から落ちた話。その犯人である金子先輩。
「鴎我、後輩からカツアゲしてたらしい」
「そうなの?」
「バレー部の1年がタカられてて、それで言い合いになったそうだ。ケンカになって、階段から落とされた」
「そうだったんだ」
もしかしたら本当に『呪いのメェー様』に投稿されてたかもしれないな。
「それで、杉本先輩の事件も、金子先輩が関わってた」
杉本先輩……俺はリストを思い出す。
クラス/名前/罪名・投稿日/呪い?
ビジ3-1/杉本螢/タバコ・11/4/休学
「ああ、喫煙で投稿された杉本蛍先輩」
「そう。あれも金子先輩が暴力ふるって休学に追い込んだって」
「えー……」
ほんとに闇落ちしてた。スポーツマンの闇落ち、ヤバい……。
じゃあやっぱり中村くんの件も投稿されたんだろうな。
「脅されて、仕方なくやったらしい。盗撮してたのを見つかったんだって」
え……。
……訳がわからない。
金子先輩は自分が盗撮して罪を犯してるのに、罪を犯した他人を成敗したってことか?
金子先輩の強靭な肉体が欲しかったんだな。佐久間さんは女性的な武器。
3人で、『呪いのメェー様』を演じた。
「聞かないの?」
「え」
「……あまねもわかったんだ?」
ああ。
金子先輩を脅した真犯人は誰か、ってことか。
「うん、俺も濱松くんと自分のでわかった」
「え、じゃあ次はそっち話してよ」
「うん、あ、やっぱ先に森内くん訪ねたらダメ? さっき物音したんだ。気になっちゃって」
「え? いた?! 早く言えよっ」
「ごめんー」
涼くんも部屋を出ようとしたので、俺は慌てて引き留めた。
「俺だけで行かせて」
「なんで」
「さっき俺の声に反応したから」
「……あー」
涼くんは、残念そうな表情をした。
「オレもさっき声かけたんだけどな……」
たぶん、俺だけだったら会ってくれる。
そう確信して、俺は涼くんの部屋をあとにした。
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