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7.欲深な私への罰

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一晩中、いろいろと考えながらうつらうつらしていたらしい。所々だが記憶があいまいで、寝ていたのか考えていたのかわからない。
気が付くとカーテンの隙間から光が差し込んでいるのが見える。頭に霞がかかっているような感覚が残っている。しっかり眠れなかったせいだろう。
できればこのまま寝ていたかった。だが、容赦なくアラームが何度も鳴る。そのたびにスヌーズを押して、ベッドから出たくない強い衝動と戦っていた。

ふと壁の時計を見ると、もう猶予がない時間になっていたことに気付き、慌ててベッドから這い出た。「先生には彼女がいる…」という事実を突きつけられたくらいで眠れないなんて、自分にもそういう感情があったことに少し驚いた。
そこまで先生に執着する気持ち……、恋とは恐ろしい。

何とか身支度を整え、床に脱ぎっぱなしになっているコートを拾い、バッグとスマホをつかむと急いで玄関を出た。
歩きながらコートを羽織り、ポケットにスマホを突っ込んで速足で歩けば、出勤のために歩いている人たちとなんら変わりはなかった。

改札をくぐりホームで電車を待つ間、ポケットからスマホ取り出した。画面を見てぎょっとした。そこにはおびただしい着信履歴とメッセージ履歴が表示されていた。
すべて祐樹からだった。普通の恋人なら、これを見て「彼氏に何かあったのかもしれない」と急いで連絡を取ろうとするだろう。
しかし、冷めた気持ちというより、もう気持ちは彼には向いていなかったと言った方が正しい。きっと。
「もう終わりにしよう」と冷めた感情が走っただけだった。メッセージの確認も着信履歴も何1つ確認しないまま、スマホをバッグにしまい込むと、ホームに電車が入ってきた。



駅から学校までの道すがら、うちの高校の制服をきた子たちが、こっちを見ながら何やらひそひそ話をしている。授業を持っていない生徒たちなのであまり気にはしていなかった。
校門をくぐり校舎に近づくにつれ、何かがおかしいと気づいた。授業を受け持つクラスの生徒に「おはよう」と声をかけたら、私を見てあからさまに避けて行ってしまった。

最初は、顔に何かついているのかもしれないと触ってみたが何もない。
もしかしたら、昨日の生徒たちが「変人のこと好きなんじゃない」という話を大げさに広めたのかもしれないと考えた。昨日の今日でこの態度はそういうことかもしれないなと。これくらいなら授業の時に訂正すればいいことだし、足立先生に迷惑はかからないようにきちんと昨日のことを話しておこうと思っていた。

職員玄関で靴を履き替えていると、「藤原先生ちょっとよろしいですか…」と教頭先生に声をかけられた。

「はい」

そう言うと、教頭先生の後を追う。廊下ですれ違った先生たちに「おはようございます」と挨拶をしたが、会釈がかえってくる程度で明らかに私を避けているのがわかった。「ん?他に何かあったのかもしれない」と気づき始めたのはこの時だった。

教頭先生について行くと校長室の前でノックしていた。

「はい」

中から返事がした。

「失礼します」

教頭先生が入室してすぐ一緒に入った。

「おはようございます」
「藤原さん、これ見てないのかい?」

校長先生は、タブレットを渡してきた。目を落とすと、学校の裏掲示板という名のサイトで私と足立先生が付き合っているかのような内容の文章と、隠し撮りしたであろう駅前のカフェの写真がつけられていた。しかも、この角度から撮ればくちびるを重ねているかのように見えてしまう。
しかし、内容はでたらめだ。毎日カフェで待ち合わせをしてデートをして、別れ際にキスをして名残惜しんでいると書かれている。それだけではない。日中は数学準備室でランチデート、授業が終わると廊下でいちゃついていると事実無根な内容が羅列している。

自分の目を疑ってしまった。私自身の気持ちの上ではデートとまでいかなくても浮かれていた。それは認める。しかし、実際は指導方法を教わっていただけ。純粋に生徒にわかりやすい授業を行うにはどうすればいいかを教わっていただけなのだ。
プライベートの話は一切ない。カフェの写真にはテキストが写っているものの角度が角度なだけに指導しながらいちゃついているように見える。

「藤原さん、これは事実かね?」
「いえ、違います!この場所で足立先生と一緒にはいましたが、授業の内容や指導について教えてもらっていただけです!書かれているようなことは断じてありません。」
「数学指導室での密会などいろいろ出回ってしまっていて、何人かの保護者からは朝から電話がかかってきているのだよ」
「でも、私も足立先生も何も悪いことはしていません!」
「その言葉を信じたいのだが……」

校長先生がそう言いかけたところに足立先生が入ってきた。

「校長先生がそう思われる角度で取られてしまっている以上、私が何を言っても聞き入れてもらえないでしょうね」
「足立先生!」
「藤原が言った通り、たまたま最寄り駅が一緒だっただけで、たまたま駅前のカフェで指導について勉強している藤原を私がたまたま見かけて指導方法について話し合っていただけだという状況です」
「いや、しかし保護者からクレームが入ってきている以上…」
「わかりました!オレが学校を辞めます。それでいいでしょう」

そう言って足立先生が封筒を出そうとしているのが目に入った。「退職」という文字が目に入った瞬間、とっさに身体が動いて足立先生の前に立っていた。

「校長先生、私は問題を起こしたので今日限りで実習をやめます。学校にも一切近づきませんし、足立先生にも近づきません。申し訳ありませんでした」

そう言って頭を下げ、急いで校長室を出た。
後ろから「おい、ちょっと待て!」と足立先生の声がする。でも、立ち止まったり振り返ったりしては迷惑がかかることはわかっていた。
足立先生が私のせいで学校を去るなんてことがあったら、私は自分を許せないだろう。
迷惑をかけた私がいなくなればいい。そうすれば校長先生も保護者に説明もしやすいはず。先生にはなんの非もないのだから。

職員玄関で急いで靴を履いて出ようとしたとき、「おい、藤原!」と呼ぶ声と手首をつかまれた。

「先生、離して!こんなところを見られたら先生の人生を狂わせてしまう。だから…」
「藤原にだけ責任を負わせないからな!」
「先生、先生はこれからも生徒たちに一生懸命勉強を教えなきゃ。そうでなくちゃ、私が辞める意味なくなる。お願いだからこのまま…」

そう言いかけると、私は先生の腕の中にいた。

「先生、こんなところを見られたら大変!もう離して!」
「藤原、本当にごめん…」

その言葉だけで十分だった。私だけで済むなら、先生が先生を続けられるのならそれでいい。そう思ってしまった。

先生を突き飛ばし、振り返えらずに校門を通り抜け学校を去った。

涙を必死にこらえて走った。きっと大学に連絡がいくだろう。先生への道も諦めなければならない。もちろん、足立先生への思いも。
彼女がいる人を好きになった欲深な私への罰が下ったのだ。
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