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5. 彼女の存在

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4時限目まで授業があったので、職員室には寄らずに数学準備室に直行することにした。向かう足が少し速足になってしまう。足立先生から「4時限目は授業がない」と聞いていたので、もうきっといるはずだ。

浮足立っている気持ちを抑えながら、顔に出さないように気をつけながら向かっていた。

購買部や食堂へと移動している姿を見ながら足を進めていた。

私にとって「初めて恋」と認識した思いは、少し強すぎるのではないかと思ってしまう。それゆえ、2人きりで過ごす時間が1日の中で何よりも大切な時間で濃厚な時間にしたいと思ってしまうのだ。


数学準備室のドアをノックして開ける。
「遅くなりました」の声をかけると、声で私だとわかったらしい。足立先生はびくっと肩を動かして「ん、あぁ」と慌てて弁当箱の蓋をしめた。

「おっお疲れ」

どもった話し方をしている。明らかに態度がおかしかった。机に持っていた授業道具を置くと、曲げわっぱのお弁当箱を両手でしっかり支えて両方の親指で蓋を抑えている。なぜ、そんな変な持ち方をしているのか気になって仕方がなかった。

「お疲れ様です。あれ?先生もお弁当作ってきたんですか?」
「ん…まぁ何というか……」

歯切れの悪い返事で少し妙な空気が流れているような雰囲気と、明らかにおかしい先生の態度と返答から考えたくないと思っていた疑念を抱かせた。
『彼女が作ったのかもしれない』
それは私が聞きたくても聞けなかった一番知りたくないことだった。でも、心のどこかで分かっていたことでもあった。先生に彼女がいないわけない。

顔から血の気がサーっと引くような感覚に襲われた。机につかまりながらゆっくりと椅子を引き、気をつけながら腰を掛けた。
それに気づかれまいと、必死に明るく話をつづけた。

「なぁんだ。先生、料理できたんですね。隠さないで見せてくださいよ!」
「いや、これは……」
「失敗しちゃったとか?」
「……」
「自分で作ったんじゃないんですね…」

私がそう言うと、ゆっくりと蓋を開けた。

蓋を開けると、唐揚げにかわいいハート形のピック。型抜きされたニンジン。ハート形になるように配置された卵焼き。ほうれん草は和え物にしてあるみたいだった。全体的に彩り豊かで食欲をそそる。明らかに女性が作ったお弁当だ。

「先生、彼女いるんですね…」
「…いるよ」

心の中でつぶやいたつもりが声に出てしまっていた。先生の「いる」の声を聞いたとき、長く伸びた鼻をへし折られた気分だった。
なぜだか付き合ってもいないのに、裏切られたような錯覚に陥って、これまでの楽しかった出来事が走馬灯のように流れた。

「お弁当、作ってもらえてよかったですね。コンビニのお弁当だけじゃあ、栄養が偏りますからね」
「……」

先生への思いを悟られないように、わざと明るい声で言った。そうでもしないと目頭の熱さをごまかせないと思ったからだ。下を向いたら涙が流れてしまうかもしれない。
席を立って、ロッカーへ行こうとしたとき、「藤原…オレは…」と先生が何か言おうとした。

ノックの音がした。そしてすぐさま「失礼します」とドアを開いた。入ってきたのは体育の三好先生。

ネイビーと薄いブルーのバイカラーのジャージを着た三好先生は今日もスタイル抜群できまっている。

「三好先生、何か…」と言っている最中に、座っている足立先生の後ろに行き、背もたれに手をかけると、体を耳元に寄せて「お弁当どうだった?」と声をかけていた。
足立先生に身体を少しゆだねるような形でピタッと寄り添っているように見える。「ここは学校だぞ!」と先生は下を向き、三好先生に離れるよう言っている。2人の姿を目の当たりにしてやっと気づいた。この2人、付き合っているんだ……。
鈍器で殴られたような衝撃がしたのと同時に、体が引き裂かれるような感覚を覚え、その場を動けなくなってしまった。

「邪魔しちゃ悪いから行くわね」と言って、三好先生は私に微笑みかけて数学準備室を出て行った。


「藤原…」
「大丈夫ですよ、誰にも言いませんから」

先生の口から彼女の話を聞きたくなくて、喉の奥からやっと声を絞り出した。先生に彼女がいたことを知ってしまったからには、私には彼女に勘違いをさせてしまうことはできなくなったと悟った。思いを告げることもこの熱くて燃えるような思いも、口にしてはいけない。押し殺さなくてはいけない。

でも、私はこんなに先生を好きになってしまってどうしよう。呼吸ができないくらい締め付けられる痛みが私に襲い掛かっていた。ただただ一緒にいてはいけないそれしか考えられなかった。

先生とは目を合わさず、「一緒にこうしているのもよくないですよね。それに、仕事終わりにカフェで会うのもだめだと思うんです。もし、私なら浮気しているのかもしれないと疑ってしまうから。彼女を大切にしなくちゃだめですよ!先生」

お弁当とバッグを持つと、「私今日は食堂で食べるので気にしないでください。すぐ食べて午後の実習前には必ず戻りますから」
「一緒に食べればいいよ」
「いえ、そういうわけにはいきません」
「藤原!」

先生はそう言って私の手首をつかんだ。こんなところを三好先生が見たら絶対に勘違いしてしまう。もし、私が先生の彼女だったら嫌だ、絶対に嫌だ。

「先生離して…ください」
「……」

先生は何も言わず、すっと手首を離してくれた。

慌てて数学準備室を出て、屋上へと続く階段を駆け上った。屋上へは入ることができないのはわかっていた。でも今はこの体に駆け巡っている痛みをどうにかしたかった。
先生への思いを断ち切らなければならなかった。

最上段まで上がると、一気に力が抜け膝から崩れ落ちた。必死に抑えていた涙も頬を伝って流れていた。私は声を押し殺して眠気にも似たようなめまいと、心の痛みに贖うことができずその場で屋上階の隅っこで膝を抱えただじっと耐えるしかできなかった。
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