令嬢は闇の執事と結婚したい!

yukimi

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第12話(2) 来訪者

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「それは何かの間違いです。あのシドが、そんな失礼をわざと働くはずがありませんわ。もしそれが本当なら、深い訳があったのでしょう。追い出すなんてできません。良くやってくれていますし、私は彼を信用していますの」

 毅然として答えると、ブリュリーズは眉をピクリとさせてカヌレに中指で圧力をかけ始めた。

「へぇ……貴方は彼の何を知っているというんですか」
「…………! そ、そりゃ、まだシドのことは数ヶ月間しか知りませんけれど……」
「そうでしょう。貴女は何も知らない。もしや、あの男がここで使用人になる前のことさえご存知ないのでは……?」

 フィリアはハッとして隣の男を見た。シドはここへ来る前はナルス高原で屋敷守をしていたはずだ。それ以外に何かあるとでもいうのだろうか。

「ブ、ブリュリーズ様は、ご存知なんですか……?」
「もちろん。彼は、私の教え子でしたから」
「教え子……? 何の」
「おぉ……悲しいな、それさえもご存じないか……。私は王都の騎士団学校で教官をしております。彼はこの間までそこで騎士見習いをしていたのですよ。途中で逃げ出して使用人に成り下がったようですがね。あれはそういう男です。とにかく、私は断固として早急な彼の排除をお勧めします。あんな男が貴女と同じ城に暮らし、世話をしているかと思うと、それだけで虫唾が走る」

 言いながらカヌレを押しつぶしてしまった。

 その後どうやってこの客を帰したか全く覚えていない。ただ頭の中にあった点と点が不自然に一つだけ繋がったのを呆然と噛み締めながら、この人と結婚したらシドと会話もできなくなりそうだと思った。


 フィリアは急遽、その週の内にもシドを書庫へと召還した。

 いつもと同じように、真っ暗闇の中を、ランタンを持つ彼の斜め後ろについて奥の書棚まで歩んでいく。今回は袖と背中を抓む手に妙に力が入ってしまう。違和感を感じているのか、シドもどことなくよそよそしい。

 目的の棚に着くと、シドは一冊本を開いて普段通り屈んで見せてくれた。

「なかなか、良い文献が見つかりませんね」
「そうね……」
「そろそろ手がかりがつかめると良いのですが」
「そうね……」

 こうしてすっとぼけたセリフを聞いていると、さすがにイラッとしてくる。というか、泣いてしまいそうだ。

「どうなさいました……今日は何かお考え事でも?」
「…………」

 フィリアが柳眉を悩ましげに歪め、口をへの字にして見つめると、シドは驚いたように鷹の目を見開いた。

「あなた、ブリュリーズ様に何をしたの?」
「……何……と申しますと……」
「あの方に何か失礼なことをしたの? とてもあなたのことを嫌ってらっしゃったわ」

 シドは閉口して、言葉を選ぶように躊躇してから口を開いた。

「あ……先日は、何もなかったと思いますが……ブリュリーズ様とは顔見知りでございまして、もしかすると随分前のことで嫌われているのかもしれません」
「あなたたち以前から知り合いだったの?」
「……、ええ、以前少しだけお会いする機会がありまして」
「どこで?」
「……確か……王都の方だったか……」

 どうやら騎士団学校のことについては話したくないらしい。今すぐ問い詰めるべきか、それとも自分から話してくれるのを待つべきか、殴ってやるべきか。

 フィリアはもう一度つむじを曲げたような顔をしてシドを見上げ、淑女らしくない調子で口を尖らせた。

「ブリュリーズ様ったら酷いのよ。シドは無礼な人間だから城から追い出すべきだとおっしゃったの」
「……さようですか……」
「私、シドは良くやってくれているからそんなことはできませんって申し上げたら「あなたは彼の何を知っているんですか」って。私、何も言い返せなかったわ……」
「はは……それはそうでしょう。私は、まだこちらへ来て日が浅いですから」
「いいえ、私はそれが悔しくて仕方ないの。だからここのところずっと腹が立っているのよ。私、あなたのこと何も知らなかったわ」
「お嬢様……」

 袖を今まで以上に強く抓んでやる。
 どうして話してくれないの。どうして色んな事を隠しているの。心の中だけで訴えたところで伝わるはずもないけれど、泣いてしまいそう。

「ねえ、シド。あなたはいつも私の話を聞いてくれるけれど、あなたからはほとんど話してくれていないわ。私、もっとあなたのことを深く知りたいの。あなたは一体どんな人なの? うちの執事になる前はどこで何をしていたの? どうしてブリュリーズ様とお知り合いなの?」

 問えば、シドは苦しげに眉根を寄せて紫色に見える瞳を揺らした。

「……お嬢様……使用人にあまり情をおかけにならないで下さいませ。知る必要のないことでございます」
「なぜ?」
「私の過去など、大したことはございませんので」
「そんなことないわ。私、あなたのことをもっと知りたい。女中達だって皆謎めいたあなたのことを噂しているそうよ」
「噂……ですか」
「そう、ただでさえ、その……あなたはすごく素敵だもの、女の子なら誰だって気になるのは当然よ……。城内での下積みもほとんどないのに若くして突然執事に抜擢されて、仕事を全て滞りなくこなしているから今や女中達の間では時の人だって」
「ははは……それはさすがに持ち上げすぎでしょう。彼女達はそういう浮かれた話を大げさにするのが好きですから」
「違うわ! 私だって、最初から――」

 言いかけてフィリアは下を向いた。その先を執事に言ってはならないことくらい分かっている。でももう、待つのは嫌だ。

「……シド……あなた、恋人はいるの……?」
「………………いえ……おりませんが……」

 仰いだフィリアと目が合って、シドは戸惑うように視線を逸らして答えた。シドだってもうフィリアの気持ちに気付いているはずだ。だからその先を聞いてはいけないと分かっているのだろう。けれど。

「だったらお願い……あなたのこと、もっと、」
「お嬢様……、私はバゼルと同じ誇り高きアイボット家の人間でございます。侯爵家に忠誠を誓っている我々は、子供の頃からそうなるように教育されていますから、執事としての仕事ができて当然なのですよ。それだけのことなのです。お嬢様は運命の人をお探しになるのでしょう。でしたら、私のことより、あなたの気になっておられる黒髪の騎士様を探しましょう」

 シドはランタンを逆方向の書棚へ掲げて、お互いの顔が見えないようにした。
 酷い矛盾。酷い嘘。どんなに探したって黒髪の騎士なんか見つからないって知っているくせに。

「どうして誤魔化すの?」
「……お嬢様」
「シドは私に何か隠し事をしてるでしょう? 顔を見れば分かるわ」
「……気のせいでございますよ。さあ、次はどの本を――」

 言葉を遮るように、フィリアはシドの二の腕に抱きついた。執事服の袖に顔をぐいぐい埋めてやる。

「シド・アイボット……!」
「……はい……」
「……あと一ヵ月あまりで……私の婚約発表があるの」
「…………」
「年末の舞踏会を今年は私の誕生日に開いて、皆の前で発表するんですって」
「…………」
「あなたは本当に執事なの……? 騎士ではないの……?」
「…………はい」
「でも……、本当はどこかの国の王子様でしょう……?」
「………………いいえ」

 次第に涙声に変わっていったフィリアに、シドは苦しげな声を絞りだして答えた。

 なぜシドは騎士団学校で騎士見習いをしていたのだろう。ブリュリーズが言うには三年半の間在学していたそうだ。ミーナの調べで、その前にはナルス高原の屋敷で本当に屋敷守をしていたことも判明している。

 アイボット家は使用人の一族――そこに生まれた男子は皆、代々侯爵家の使用人となるべく育てられてきたそうだ。ただ、例外もあるらしい。シドはきっと途中から違う道を歩もうとしたのだ。つまり、約定の内容は『侯爵家に生涯忠誠を誓うこと』であって、使用人に限られているわけではないのだ。もちろん、騎士になるなんて誰にでもできることではないから、ほとんどの人は使用人の道を歩むのだろうけれど。

 シドは騎士団学校から途中で逃げ出したなんて言われていたけれどそうじゃない。バゼルが亡くなって、その穴を埋めるべく強制的に使用人の職へ戻されてしまったのだ。

 つまり、彼の叶わなかった夢とは――――。


「……シド、近いうちに街へ出かけたいわ」
「街、でございますか」
「ええ。暴漢の件でお父様やお母様が反対すると思うけれど、護衛を付けてもらえばどうにでもなるでしょう。あなたがなんとか言いくるめてちょうだい」
「私が……でございますか」
「そうよ。そして、あなたも必ず付いて来なさい。バゼルの所へ行くわ」

 最後は命令だった。
 もう時間がない。自分が自由に動けるうちに、せめて真実だけでも知っておきたい。
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