令嬢は闇の執事と結婚したい!

yukimi

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第19話 執事の忠誠

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 シドはオリーズ候ウィズヴィオ・オーウェンの私室へと向かった。
 この時間なら、私室で酒を飲んでいるはずである。

 侍従のモアに面会願いを申し出ると、はじめは当然のごとく門前払いされたが、その日は侯爵の機嫌が良かったのか、何度か食い下がっただけで思いのほか簡単に部屋へ通された。

 入室した時、候爵はいつも通り大きな籐製のロッキングチェアに腰掛けて果実酒を嗜んでいた。
 なんの前触れもなしに訪れたシドに、やや不審そうな目を向ける。

「オリーズ候、お願いがあって参りました」

 先日投獄され、釈放されたばかりのアイボット家の男が面会の予約もなくやって来たからには、それなりの警戒もしているだろう。
 うやうやしく一礼したシドを見て候爵は眉間に深い皺を寄せた。近くに控えているモアも訝しそうにこちらを眺めている。

「なんだ、言ってみよ」
「今宵、お嬢様が塔へ月見へ行かれると思います。そこへ、私も行かせていただきたいのです。どうしてもお嬢様に直接お会いして、お話したいことがあるのございます」
「話したいこととは?」
「私の気持ちでございます。お嬢様に対して、私は不純な気持ちではなかったと、まだお伝えしていない気持ちをきちんとお話してお詫びしたいと思うのです」

 候爵はフンと笑って果実酒をひと含みした。

「今、フィリアがどういう時期なのか分かっていて言っているのであろうな」
「もちろんでございます。だからこそ、手遅れになる前にお話がしたい。私は、お嬢様を諦め切れません、どうか私が塔へ行くことをお許し下さい」

 死を覚悟した謁見――。

 それを言えば次はどんな罰を受けることになるのか知れたものではないが、シドの持ち得る手段はこれだけだった。
 当然、簡単に許しが出るはずもない。視界の端でモアも深々と眉根を寄せている。気でもふれたかと言いたげな表情だ。

 侯爵は珍しい物を見るようにシドを視線で舐めた。

「なるほど、無謀な挑戦は面白いが、それで私が騙されると思うか。わかるぞ、お前の考えていることはこうだ。前回はしくじったが、婚約者が決まる前にフィリアをもう一度たぶらかして今度こそ自分の物にしてやろう。自分の人生を縛り付けている侯爵家に一矢報いてやる――それが本心だろう」
「と、とんでもないことでございます」

 シドは目を見開いて首を横に振った。

「もしそう思っているのであれば、ここへは伺わずに直接塔へ参ります。しかしながら、私はアイボット家の人間として、侯爵家を二度と裏切ることができません。そして一個人として、お嬢様に気持ちを伝えないまま一生を終えることもできません。ですからここへお願いに参ったのでございます」
「ほぉ……?」

 必死に誠意を訴える使用人をまじまじと眺め、忠義の厚い使用人が苦肉の策を講じた結果がこれなのかと、吹き出し気味に笑った。

「アイボット家か……そういえば、お前の家系には二つの血筋があったな。アイボット家の血と、サイガドの王族の血と。お前はどちらだ」
「アイボット家の血筋は絶えておりますので、私は王族の血筋でございます」
「ほぉ……お前はそれを認めるのか」

 候爵はクククと笑い、モアに指図して書斎から何枚かの書類を持って来させ、その中から例の羊皮紙を抜き出してシドの前に突きつけた。

「では、亡国の文字で書かれているこれはなんだ」
「そ、それは……、バゼルがいまわの際に私へ渡そうとした物でございます。文字は分かるのですが、時間をかけて読まなくては何が書かれているかを理解することができない為、まだ解読はできておりません」
「ふっ、戯言よ。本当は読んだのだろう。読んだからこそ、知らぬ振りを決め込んできたのだ。そうに決まっている」
「ち、違います……、本当に私はまだ読んでいないのです……!」
「シドレット・オー・イギレティオ」

 シドはその名を聞いた途端、急激に顔色を変えて閉口した。
 それは、子供の頃バゼルに冗談半分に付けられた、サイガド王家風のあだ名だった。

「どうした、それがお前の本当の名であろう。有能な秘書官達の手によってもう解読は済んでいるぞ」
「な……なぜそんな名が……それには何が書かれていたのですか……」

 動揺するシドの様子を見て、侯爵はたまりかねた様に鼻で笑った。

「聞きたいのはこっちの方だ。亡国の文字をニ百年以上もの間継承し続け、王族の名さえも受け継ぎ、家族ぐるみで文化の維持を図ってきた、その証拠がこれだ。つまりアイボット家はとうの昔に寝返り、隙を見てサイガド国の復興を目論んでいたのだ」
「そ、そんなはずはありません! 大きな誤解でございます。我がアイボット家は決してそのような不義理を致しません! その文字と名は……確かに亡国の物ですが、子供の頃、自分の祖先は王族だったのだと遊び半分に家族から教わった物であり、まともに使ったことはないのです。バゼルは生涯をかけて侯爵家に仕えたのございます。私のことは信用できずとも、どうかそれだけは……バゼルの忠義だけは信じてください!」

 必死で食い下がるシドを、候爵は面白そうに眺めた。

「ふん……、そうであったな、バゼルは一見すれば忠誠心の強い執事だった。しかし内面は実に厄介な人間であったぞ。あの男が自分の孫に残した、その笑ってしまうほど人を馬鹿にした遺言をお前も読んでみるがいい」
「遺言……? 遺言だったのでございますか」

 候爵は書類の中から翻訳の記された紙を抜き出してシドへ渡した。


『拝啓 シドレット・オー・イギレティオ殿下

 これをお読みになっているということは、私の身に何かがあったということでございましょう。必ずこの書簡をご家族でご熟読ください。
 これはバゼルの遺言にございます。


 アイボット家がサイガドの王家の血筋を守り続けてニ百有余年、ついに真実を打ち明ける時が参りました。
 長らくご不自由をおかけして申し訳ございませんでした。実を申しますと私、バゼル・アイボットは、あなた方の実の祖父ではございません。
 アイボット家に吸収されましたサイガド国の王族にして真の末裔でございます。

 というわけで、お前と父親のザックはまんまと騙されておったが、残念ながらそっちはアイボット家の血筋だよ。
 その昔、戦と流行り病が重なってな、親族が大方亡くなってしまったのだ。
 残ったのは王族の私と、まだ赤ん坊だったお前の父親のみ。仕方なく私が実の親に成りすまして育てたのだ。
 お前たちには私の思う存分、使用人としての心得を伝えられたこと、満足の極みであるぞ。

 さて、実をいうとアイボット家というのはこのニ百有余年の間、サイガドの王族の血筋を見守りながら監察役も務めてきた、私たち王族にとっては鬱陶しくも愛しい家族のような存在であった。もう皆亡くなってしまったがね、彼らの莫迦らしさ極まって尊敬に値するほどのオリーズ候への忠誠心は、いつしか私の手本となり、誇りとなっておったよ。

 しかし、サイガドの王家は末代である私の死と共に消滅する。これにより忠誠の約定も解除され、アイボット家はオリーズ侯爵家から開放される運びとなる。
 もうお前たちは侯爵家へ生涯身を捧げる必要もなくなるよ。お前たちが望むなら今すぐ放り出し、新しい未来を切り開くこともできるということだ。ただし、その際には必ずオリーズ候に申し出なさい。

 どうか、今後は子々孫々まで幸福な未来を歩んでほしい。
 そしてできれば、これまで伝授してきたように、強く優しい心を忘れず気高く生きていきなさい。お前は私のかわいい孫なのだから。


 追伸:上記のことはもっと早く教えてやりたかったのだが、お前がフィリア候女にやばいくらい熱をあげて侯爵家の騎士になるなどと言い出したので言えなくなってしまったよ。
 あの時は本当にバカな奴だと思ったもんだが、今考えると大したもんだ。
 愚かでかわいい私の孫よ、お前の良き未来を祈っているよ。


                     オリーズ公爵家執事
                        バゼル・アイボット 敬具』


 シドは鷹の目をしたまま、しばらくの間白髪になった。
 頭に剛速球のババロアが直撃したような衝撃に耐えきれず、気まずそうに片手で顔を覆う。

「…………、これは……一体……」
「なるほど、お前は本当に読んでいなかったか。バゼルは冗談好きな執事であったが、孫に残すにしてもさすがにこの遺言は酷いな。お前は実は王族の血統だと思い込んで育ったばかりか、フィリアに近付く為に騎士になろうとまでした、始めから不埒な不届き者だったのだ。バゼルめ、どうせ誰にも読めぬと思って好き放題書きおったな」

 候爵は気持ち良さそうに豪快に、盛大に笑った。
 そしてグラスを机にごとりと置くと、のそりと立ち上がり、シドへ向かって歩み寄る。一歩近付くたびに、異様な殺気を醸す大きな体躯は、少し背の高さで負けるシドを否応なく威圧する。

「ではシド・アイボット、お前に問おう。自分がアイボット家の単なる使用人だと分かった今、それでもお前はフィリアを欲しいと申すか」
「…………っ」

 その問いに迷いなどありはしなかった。再び真剣な眼差しを返す。

「元からその心積もりでここへ参りました。どこの血筋であろうと私はアイボット家のシドでございます。この遺言が真実だというなら……ならば今すぐアイボット家の約定を解除していただけないでしょうか。王家の血筋が絶えた今、すぐに私と父を解放して頂きたい」
「ほお……面白い。解除した後なら、フィリアに会えるとでも思っているのか」
「会いに行きます。何があろうと」

 侯爵は腰に手を当て、あごひげを撫でながら思考を巡らし、シドを舐めるように観察した。
 フィリアから聞かされていないのか、それともプライドが許さないだけなのか、自分が『偽りの王子』だと言い出す気配がないのが可笑しかった。

「良いだろう。明日にも約定の証書を探させて解除してやろう」
「……明日……」

 苦悩を滲ませた使用人の顔を見て、侯爵はニヤリとしてもう一度あご髭を撫でた。
 二度と、フイリアに会わせてなるものか。

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