令嬢は闇の執事と結婚したい!

yukimi

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第14話 鋼の刃

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「お前はあの時の暴漢だな!!」

 シドが息を切らしながら問うと、男は瞠目した。
 赤茶髪と細面、強く印象に残るぎょろりとした眼は記憶の通りだ。
 露店テーブルの向こうで、男は狼狽して一歩後ろへ後退した。

「……な、なんのことで?」
「数ヶ月前この近くで侯爵家の馬車を襲っただろう。どこの組織の者だ。先日城に入った賊と同じ手の者か!」

 シドが叫ぶや否や、男は「でぁっ」と甲高い声をあげ、大慌てで露店のテーブルをひっくり返した。大きな音と共に、シドの足元へいくつもの籐かごが転がってくる。
 男はぬかるんだ道にバシャバシャと水を跳ねながら通行人の間を転げるように駆けていった。

 かごを蹴散らしてシドは必死で後を追った。
 二度と逃がすものか。
 あの日――フィリアが襲われた日――騎士団学校が休みだった彼は実家へ帰る為に偶然ここを通りがかったのだ。

 侯爵家の馬車は良く目立つから騒ぎを遠めに見てすぐにそれと分かったが、まさかそこにバゼルとフィリアがいるとは思いも寄らなかった。
 よく見れば丸腰のバゼルが一人で犯人ともみ合っていたため、シドは全力でそちらへ向かい、即座に対峙した。しかし、時すでに遅く祖父は刺された後だったのである。

 バゼルの出血を止めようと気を取られているうちに犯人を取り逃した上、傷が深くてどうすることもできず、応急処置の後すぐに近くの医者へ助けを呼びに走った。
 その際、瀕死のバゼルが自分に渡そうとしていた書簡にすらも気付けなかったらしい。

 文字通り、あの時の彼には何一つできなかったのだ。

 今度こそ逃がすまいと、道を行く人々を掻き分けながら細い路地裏へと入っていく。
 多くが二階建ての、土壁の建物に挟まれた道は迷路のように入り組んでいる。細い石畳の路地は当然のごとく陽が当たらずうらびれており、黴のにおいが漂うありふれた街の裏側だ。
 この界隈は表の華やかな店通りとは打って変わり、部屋を間借りしている労働階級民の住処である。
 男は奥へ奥へと逃げ込んでいく。この近くにシドの生家があることも、その先が袋小路になっているとも知らずに。

 くねくねと続く道を右へ左へ何度か曲がって行くうち、予想通り高いレンガ塀の聳え立つ行き止まりに辿りついた。

「観念しろ、抵抗せずに投降しろ!」

 最奥で追い詰められた男は荒く息を上げながらレンガの壁に背を付け、最後の手段とでもいうように懐からナイフを取り出してシドを睨みつけた。まるで、錯乱状態の狂犬のような気迫を纏っている。

「クソッ、捕まってたまるか、オリーズ家の犬め!」
「お前は何者だ。さっき売っていた籠は昨年同盟国に降伏したオセ国の品だな。オセから来た諜報員の類か」
「違う! バカにすんなっ。さっさと降伏したあの首領はただの裏切りもんだ。誰がなんと言おうが俺たちは戦い続ける。お前たちの好きにはさせねぇぞ、それだけだ!」

 言うや否や刃を向けて怒涛のごとく襲い掛かってきた。咄嗟に身をかわしてやると間髪いれずにナイフを繰り出してくる。

「うらあぁっっ!」

 ヒュンヒュンと音を鳴らして踏み込んで来るたび、一刺しごとを鼻先で避けて行く。基本の構えもできていないことから、シドはこの男も訓練された者ではないことに気付いた。
 恐らく平民による抵抗勢力の類なのだろう。自国の為政者の決定にも背き、独自に行商を装って諜報活動を行っていた――そんなところだ。戦によって起きる弊害とでもいおうか。この王国の周りには相当数存在する、反乱分子である。

 仕方なく腰に携えていた短剣を抜き、一歩踏み込んで来た所をなぎ払ってやった。よく打たれた鋼の金属音が空気に鋭く伝わる。
 男は突然の反撃に怯んだが、すぐに体勢を立て直すとまた得物を振り回して突進して来た。その刃先は時おり建物脇に置かれた樽に当たり、時には土壁を刎ねた。

 広くはない路地裏の空間で動きが制限されるのはこちらも同じだが、素人同然のこの男に比べれば随分有利である。

 相手のナイフが土壁に当たるほんの僅かな隙をつき、思い切り腹にひと蹴り入れてやれば、うぐっと苦しそうなだみ声が反響する。腹を抱えてなんとか踏ん張った男は、再び襲い掛かろうとこちらを睨みつけたが、その青筋の立った顔面によく磨かれた鋼の刃を突きつけてやれば、歯を噛み締めたまま至極簡単に動きを止めた。

「観念してナイフを捨てよ」

 獲物を見据えるような鷹の睨み目がよく効く。
 男は卑しく舌打ちをしてから渋々と持っていたナイフを地面に放った。跳ねて転がった金属音が路地裏に響き渡る。

「大人しくしろ」
「あ、あんたは……何もんだ……」
「私はオリーズ家の使用人だ」
「使用人だと? 使用人がどうして……オリーズ家なんかの為になぜ生きる。国境の外にゃ、ニーア王国のオリーズ家のせいで何十年もひでぇ思いをしてきた人間がごろごろいるんだ。どうせあんたも城じゃ酷い扱いを受けてるんだろ? オリーズ家の従僕は皆奴隷のように働かされてるって話は誰だって知ってるぞ。あんたも早く逃げたほうがいい」
「……いつの時代の話だ。現オリーズ候はそのような人ではない。言いたいことはそれだけか」

 油汗を浮かす男の目が僅かに下へ動く。まだじりじりとシドの隙を探しているのがよく分かる。

「わ、悪いことは言わねぇよ。あんただって、本当は侯爵の奴隷なんかやってられねぇんだろ? そのままその仕事してたって一生人間的な人生は送れねぇんだ。どうだい、良かったら俺達の所へ来ねぇかい」
「それには及ばぬ。今のままで事足りている」
「そんなこと言わ――」

 突如、男の眼光が醜く光り、次の瞬間にはその体が地面のナイフめがけて飛び込んでいた。その驚くほど稚拙な捨て身の行動は、まるで残り一つのキャラメルを奪いに行った子供のようだった。目の前に差し出された背中を手刀で叩きつけてやると、ぬかるみに顔から突っ込んで「ぐぁあ」とうめき声を上げる。

 ドロドロの地面に四つん這いになった所を、腕の急所をつきながら後ろ手に捻りあげると、男は大声を上げて許しを乞うた。

「痛ぇええええ! 悪かったぁ! 悪かったよ! やめてくれ、もう何もしねぇよ。許してくれぇ」
「オリーズ家を愚弄する者は許さぬ」


「シド!」


 突然、聞き覚えのある呼び声が聞こえた。見ると、先刻走って来た道に一人の女が息を切らして立っていた。
 黒いヴェールを纏い、顔は見えないがそれが誰なのかは言及するまでもない。しかし、シドはその正体を犯人に気付かれるわけにはいかなかった。

「来るな! ミーナ、あっちへ行っていろ!」

 叫んだ途端、フィリアは足を止めてそれ以上近付くことを控えた。ヴェールの下でどんな顔をしているかは分からない。
 さらにそのすぐ後ろからバタバタと走り来る音が聞こえ、サプラスと馬を降りた一人の護衛が、暴漢を取り押さえているシドの元へ追いついてきた。

「シド殿、この男は」
「サプラス様、これがフィリアお嬢様を襲ったあの時の暴漢です。オセ国を祖国とする反乱分子のようです。後をお願いします」
「なんと、この者が例の……シド殿はまたお手柄というわけですか。先ほどの話を横から聞いておりましたが、あなたは騎士団学校におられたわけですね」
「……はい……」
「どうりで基本ができていると思いました。しかしながら、長らくフィリア様を欺いて来たとのこと、相応の処罰はご覚悟下さいよ。私には与り知らんことですが、侍女があれだけ怒っていたからには相当のことをしたのでしょう。正直私としては不愉快至極です。恩赦が出るとは思いませぬように」
「…………」

 世に名高い歴戦の英雄は、以前にも増して見下すような一瞥をシドに送って来た。そして憮然としたまま暴漢を引き取った。
 護衛が男の体をきつく縄で縛りあげている間、サプラスは正面へまわって顔を上へ向かせる。

「お前は何者だ。なぜ侯爵家の馬車を狙った」
「オリーズ家は敵だ。それ以外に理由はない!」
 以降、男は目を瞑って黙秘を決め込んだ。サプラスも元から期待などしておらず「後でみっちり聞いてやろう」と声をかけると慣れた様子で男をその場に立ち上がらせる。

 シドはフィリアの元へ駆け寄り、暴漢が暴れても問題ないよう盾となっていた。その腕を、背後から彼女がつついて来る。

「シ、シド様……、大丈夫ですか。お怪我は?」
「あ……ああ、大丈夫だ。ありがとう」
「な、なんだとっ?」

 二人の会話を聞いたサプラスが素っ頓狂な声を上げた。
 フィリアだと思っていた女とシドがその口調で会話を始めたら当然驚くだろう。声で気付けそうなものではあるが。

 シドが説明しようとするのも聞かず、顔を真っ赤にしたサプラスは「これはいかんっ」と叫び、未だに暴れようとする男をもう一人の護衛に押し付け、来た道を全速力で駆け出した。もちろん、もう一人のヴェールの女を探しに行ったのだろう。

 後で難癖を付けられなければ良いが――そう思いつつ、もう一人の護衛が男を連行して歩き始めたので、仕方なくシドもフィリアと共にその後へ続いた。
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