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15:ボイラー室①
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ウェインが車で会社へ出勤して行った後、ヘレンは自分の部屋を決める為に荷物を持って二階へ上がった。
どの部屋を使っても良いと言われ、彼女は最初、階段から一番近い角部屋を選ぼうと思っていた。しかし、ここは窓の外に大きな木があり、昼間でも薄暗い。その上ドアに鍵穴がなかった。調べてみると多くの部屋で鍵穴がなかったり、鍵穴はあっても鍵自体が紛失しており、ドアが壊れている場所さえある。
そうした鍵の事情により、結局、廊下の中ほどまで進んだ場所にある一室を選ぶことになった。例の隠し部屋やレリーフのあった部屋の隣だ。
部屋に荷物を置いて一息つくと、外出の為に身支度を整えた。幸いこの日はヘレンの休日だったから、新生活に必要なものを買いに出かけることにしたのだ。貯金は母が残してくれたものが少しだけあるので心配ない。
慌しい朝の時間に、家主が玄関の合鍵だけを置いて行ってしまったから、使用人用の出入り口ではなく玄関から出発した。
そして青い月明かりが降りる頃、家に他人を置いてきたことが気がかりだったウェインはいつもより随分早めに自宅へ帰り着いた。
外から見ると、いつも帰宅時は真っ暗だった自分の家に、今日はこうこうと温かな明かりが灯っている。
あの使用人は今頃何をしているだろう。夕食を作っている頃だろうか。
玄関の二枚扉のドアノブに手をかけた時、家の裏側から『ゴーッ』という鈍い異音が聞こえていることに気付いた。最近夜になるとよく聞こえるので気にせずドアを開ける。
途端にクリームシチューの甘いにおいがウェインを襲った。
廊下に向かって歩いていくと、階段の上でパタパタとリズムを刻むような足音が聞こえ、見上げるとヘレンがホッとしたような顔でこちらを見下ろしていた。
「旦那様、今お帰りですか?」
「……ああ」
「ちょっと来て頂けませんか」
「なんだ」
「旦那様は日曜大工はお得意ですか。今、ベッドを組み立てているんですが……」
「ベッド……?」
メイドのように玄関まで下りてきて出迎えられるのかと思った……。
ウェインはそんなことを思いながらヘレンの後について二階へ上った。
案内されるまま件の部屋へ入ってみると、中央に質素なパイプベッドがバラバラの状態で置かれていた。横には真新しいシーツや毛布も置かれている。
ウェインは、自分で迎え入れたとはいえ、自分のテリトリーに本当にこの娘が住み着くのだと実感して内心で「うっ」となった。そして今日、自分の知らぬ間に業者が家に入り込んでこれを運んだであろうことに気付いてさらに「うっ」となった。
「何度がんばっても私の力では上手く組み立てられなくて……」
「分かった、俺がやってみよう」
パイプベッドのパーツを手にとって彼は組み立て始めた。
やってみると構造は意外に簡単で、ネジでパーツ同士を留めるだけの単純作業だったが、鉄のパイプが妙に重く、確かにヘレン一人の力では無理だっただろう。
十五分ほどしてベッドが完成した時には、彼女から歓声があがった。
「すごいわ。旦那様、ありがとうございます!」
「……ああ」
喜びの笑みを向けるヘレンに釣られる事もなく、ウェインは無愛想に一言だけ返事をして部屋から出ようと背を向けた。
その背中に、ヘレンが躊躇うように声をかけてくる。
「あの、この音はなんですか……?」
ここへ来てからずっと、玄関先でも聞こえていた低音の異音が鳴り続けていた。
「あれはボイラーの音だ。調子が悪いのか最近よく音が鳴ってるんだ。書斎だと気にならなかったが、確かにここで聞くと音がでかいな。ちょっと裏のボイラー室を見てこよう」
「え、すぐに帰って来てくださいね……」
「……え?」
「あ、あの、私は夕食の準備をしておきますので」
こうして、二人はボイラー室とキッチンへ分かれていった。
築百二十年の屋敷にあるボイラー室は一階の裏口を出てすぐの場所に、納屋のような形で併設されていた。
外壁はコンクリの打ちっぱなしだから中の器機と共に過去に一度くらい新調されたことがあるのかも知れない。くすんだ灰色の壁は随分古めかしく、ところどころシミだらけになっている。
ウェインは越して来た時に一度ちらっと中を見ただけだったが、暗くてカビ臭かったという印象しかない。
行ってみると、確かにこの小屋から異常な轟音が聞こえていた。
その重く分厚い木製の扉を、彼は数ヶ月ぶりに開いた。途端に轟音の音量が数倍大きくなる。
ボイラーは常に燃焼しているから、さすがにこれは対処しなければまずいと思った。
窓は一つもなく、中は真っ暗だ。手探りで壁のスイッチを押すと、天井からぶら下がった裸電球が弱々しく点いた。
中は車一台分のガレージほどの広さがあり、壁はところどころカビて黒ずみ、雨が降ると浸水するのかジメジメとして淀んだ空気から気持ち悪ささえ感じられる。相変わらず篭ったような匂いが鼻をついてくる。
多少潔癖のきらいがあるウェインは少し躊躇したが、仕方なく足を踏み入れた。
そして最初に思ったことは、死体を隠すといえばここが定番だな、という漠然としたボイラー室に対する偏見だ。
見渡してみると、室内には轟音を上げて動作する大きな年代もののボイラーと、湯を貯める為のタンク、それから壁に何本かの配管が伝っているのが確認できるが、特に怪しい物はなさそうだ。
彼は耳をつんざくような悲鳴を上げるボイラー本体に近付き、その原因を探そうと試みた。しかし随分年季が入ったそれは、全体を大きな鉄製のカバーで覆われており、たった三つのボタンが点滅しているだけという前時代の代物だ。最近のデジタル機器だったならまだ対処できたかもしれないが、これは無理だ。
「業者に連絡しよう……」
また他人が敷地に入り込むことにため息を付きつつ、彼は三つのボタンの中の『停止』と書かれたボタンを押した。
しかし轟音は全く止まる様子がなく、うるさい叫び声を繰り出し続ける。何度か押してみたが、壊れているのか一向に止まる気配はない。ボイラーを止めるスイッチは家の中にもあるから、彼は諦めてそちらを試してみようと踵を返した。
そしてその時、やっとこの建物の異様さに気付いた。
「なんだ、これは……」
傷跡が――自分が入って来たドアの内側に、鋭い刃物でえぐられたような細く深い傷痕がいくつもいくつもびっしりと刻まれている。
それはドア枠の周りに特に集中しており、一目で誰かがこじ開けようとした痕跡だと伺えた。
ドアは閉まっている。
ウェインは胸騒ぎを覚えてそちらへ走り、ドアノブを回した。しかし動かない。何度も右へ左へ回してみるが、ぴくりともしない。
その瞬間、明かりが消えた。
室内は真っ暗になり、同時に大音量だった異音がフェードアウトして行く。最後にヒュウウウウウウゥゥゥと不気味な音を立ててボイラーは停止し、時が止まったような静寂が訪れた。
まるで光も音もない暗黒世界に放り込まれたような錯覚さえ覚えた。
<つづく>
どの部屋を使っても良いと言われ、彼女は最初、階段から一番近い角部屋を選ぼうと思っていた。しかし、ここは窓の外に大きな木があり、昼間でも薄暗い。その上ドアに鍵穴がなかった。調べてみると多くの部屋で鍵穴がなかったり、鍵穴はあっても鍵自体が紛失しており、ドアが壊れている場所さえある。
そうした鍵の事情により、結局、廊下の中ほどまで進んだ場所にある一室を選ぶことになった。例の隠し部屋やレリーフのあった部屋の隣だ。
部屋に荷物を置いて一息つくと、外出の為に身支度を整えた。幸いこの日はヘレンの休日だったから、新生活に必要なものを買いに出かけることにしたのだ。貯金は母が残してくれたものが少しだけあるので心配ない。
慌しい朝の時間に、家主が玄関の合鍵だけを置いて行ってしまったから、使用人用の出入り口ではなく玄関から出発した。
そして青い月明かりが降りる頃、家に他人を置いてきたことが気がかりだったウェインはいつもより随分早めに自宅へ帰り着いた。
外から見ると、いつも帰宅時は真っ暗だった自分の家に、今日はこうこうと温かな明かりが灯っている。
あの使用人は今頃何をしているだろう。夕食を作っている頃だろうか。
玄関の二枚扉のドアノブに手をかけた時、家の裏側から『ゴーッ』という鈍い異音が聞こえていることに気付いた。最近夜になるとよく聞こえるので気にせずドアを開ける。
途端にクリームシチューの甘いにおいがウェインを襲った。
廊下に向かって歩いていくと、階段の上でパタパタとリズムを刻むような足音が聞こえ、見上げるとヘレンがホッとしたような顔でこちらを見下ろしていた。
「旦那様、今お帰りですか?」
「……ああ」
「ちょっと来て頂けませんか」
「なんだ」
「旦那様は日曜大工はお得意ですか。今、ベッドを組み立てているんですが……」
「ベッド……?」
メイドのように玄関まで下りてきて出迎えられるのかと思った……。
ウェインはそんなことを思いながらヘレンの後について二階へ上った。
案内されるまま件の部屋へ入ってみると、中央に質素なパイプベッドがバラバラの状態で置かれていた。横には真新しいシーツや毛布も置かれている。
ウェインは、自分で迎え入れたとはいえ、自分のテリトリーに本当にこの娘が住み着くのだと実感して内心で「うっ」となった。そして今日、自分の知らぬ間に業者が家に入り込んでこれを運んだであろうことに気付いてさらに「うっ」となった。
「何度がんばっても私の力では上手く組み立てられなくて……」
「分かった、俺がやってみよう」
パイプベッドのパーツを手にとって彼は組み立て始めた。
やってみると構造は意外に簡単で、ネジでパーツ同士を留めるだけの単純作業だったが、鉄のパイプが妙に重く、確かにヘレン一人の力では無理だっただろう。
十五分ほどしてベッドが完成した時には、彼女から歓声があがった。
「すごいわ。旦那様、ありがとうございます!」
「……ああ」
喜びの笑みを向けるヘレンに釣られる事もなく、ウェインは無愛想に一言だけ返事をして部屋から出ようと背を向けた。
その背中に、ヘレンが躊躇うように声をかけてくる。
「あの、この音はなんですか……?」
ここへ来てからずっと、玄関先でも聞こえていた低音の異音が鳴り続けていた。
「あれはボイラーの音だ。調子が悪いのか最近よく音が鳴ってるんだ。書斎だと気にならなかったが、確かにここで聞くと音がでかいな。ちょっと裏のボイラー室を見てこよう」
「え、すぐに帰って来てくださいね……」
「……え?」
「あ、あの、私は夕食の準備をしておきますので」
こうして、二人はボイラー室とキッチンへ分かれていった。
築百二十年の屋敷にあるボイラー室は一階の裏口を出てすぐの場所に、納屋のような形で併設されていた。
外壁はコンクリの打ちっぱなしだから中の器機と共に過去に一度くらい新調されたことがあるのかも知れない。くすんだ灰色の壁は随分古めかしく、ところどころシミだらけになっている。
ウェインは越して来た時に一度ちらっと中を見ただけだったが、暗くてカビ臭かったという印象しかない。
行ってみると、確かにこの小屋から異常な轟音が聞こえていた。
その重く分厚い木製の扉を、彼は数ヶ月ぶりに開いた。途端に轟音の音量が数倍大きくなる。
ボイラーは常に燃焼しているから、さすがにこれは対処しなければまずいと思った。
窓は一つもなく、中は真っ暗だ。手探りで壁のスイッチを押すと、天井からぶら下がった裸電球が弱々しく点いた。
中は車一台分のガレージほどの広さがあり、壁はところどころカビて黒ずみ、雨が降ると浸水するのかジメジメとして淀んだ空気から気持ち悪ささえ感じられる。相変わらず篭ったような匂いが鼻をついてくる。
多少潔癖のきらいがあるウェインは少し躊躇したが、仕方なく足を踏み入れた。
そして最初に思ったことは、死体を隠すといえばここが定番だな、という漠然としたボイラー室に対する偏見だ。
見渡してみると、室内には轟音を上げて動作する大きな年代もののボイラーと、湯を貯める為のタンク、それから壁に何本かの配管が伝っているのが確認できるが、特に怪しい物はなさそうだ。
彼は耳をつんざくような悲鳴を上げるボイラー本体に近付き、その原因を探そうと試みた。しかし随分年季が入ったそれは、全体を大きな鉄製のカバーで覆われており、たった三つのボタンが点滅しているだけという前時代の代物だ。最近のデジタル機器だったならまだ対処できたかもしれないが、これは無理だ。
「業者に連絡しよう……」
また他人が敷地に入り込むことにため息を付きつつ、彼は三つのボタンの中の『停止』と書かれたボタンを押した。
しかし轟音は全く止まる様子がなく、うるさい叫び声を繰り出し続ける。何度か押してみたが、壊れているのか一向に止まる気配はない。ボイラーを止めるスイッチは家の中にもあるから、彼は諦めてそちらを試してみようと踵を返した。
そしてその時、やっとこの建物の異様さに気付いた。
「なんだ、これは……」
傷跡が――自分が入って来たドアの内側に、鋭い刃物でえぐられたような細く深い傷痕がいくつもいくつもびっしりと刻まれている。
それはドア枠の周りに特に集中しており、一目で誰かがこじ開けようとした痕跡だと伺えた。
ドアは閉まっている。
ウェインは胸騒ぎを覚えてそちらへ走り、ドアノブを回した。しかし動かない。何度も右へ左へ回してみるが、ぴくりともしない。
その瞬間、明かりが消えた。
室内は真っ暗になり、同時に大音量だった異音がフェードアウトして行く。最後にヒュウウウウウウゥゥゥと不気味な音を立ててボイラーは停止し、時が止まったような静寂が訪れた。
まるで光も音もない暗黒世界に放り込まれたような錯覚さえ覚えた。
<つづく>
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