ヤクザのせいで結婚できない!

山吹

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番外編.世話係の悩み【前編】

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「はあ~……」
「お、どしたミカ。でっけえため息ついて」

 ダイニングでへたり込んでいると、通りかかったクロさんが声をかけてきた。
 俺は慌てて椅子から立ち上がって頭を下げた。

「あっ、すんません! お帰りなさいっス!」
「だからそれ堅苦しいからやめろって」
「や、でも、センパイなんで」
「お前って見た目のわりに体育会系だよな」

 クロさんが呆れたように言うと、後ろからひょっこり現れたコウさんがケラケラと笑った。

「クロがユルすぎんのとちゃうか。俺はお前にこんなんされた覚えないで」
「え、されたかったんスかコウさん。なら今からでも頭下げますよ」
「ウッソくさい真似やめぇや。お前ただおちょくっとるだけやん」

 顔をしかめたコウさんが冷蔵庫を開けると、缶ビールをひょいひょいと取り出す。

「あー疲れた。ほれ、クロ」
「あざっす」
「ミカ、お前も飲みや」
「あ、はい! ありがとうございます」
「礼には及ばんて。あとなんかつまみあらへん?」

 そのまま何となく、ダイニングで飲み会が始まった。いつものことだ。
 どさくさ紛れで雲竜組に転がり込んでしばらく経った。とにかくやたら広い家で、俺のほかにクロさんやコウさん、その他二、三人の部屋住みの先輩がいる。それに組長と志麻さん、それから朱虎さんも暮らしていて、いつも賑やかだった。皆、乱暴だけど悪い人たちじゃない。ヤクザに向かって「悪い人じゃない」ってのも変な言い方だけど。

「つか、ミカって結局、正式に盃貰ったん?」
「まだっす」

 クロさんの問いに俺は首を振った。

「マジで? オヤジに反対されてんのか?」
「や、組長は面倒見てやるって言ってくれてるんですけど……」

 俺が口ごもると、コウさんが呆れたように肩をすくめた。

「ほな盃くらいチャチャッと貰いに行きや。俺ら、もはやお前がおらんとあかん身体になってんのに。なあクロ」
「っすね~。この浅漬けマジうめー」
「はは……」

 ここでの俺の最重要任務は料理だった。小さいころから忙しい両親の代わりに実家の料理を引き受けていたせいもあって、腕には結構自信がある。実際、かなり好評で、今ではキッチンが俺の定位置だ。

「今日の飯、なに?」
「あ、肉じゃがっす」
「いいじゃん! どれどれ~……うめー!」

 鍋からじかにつまみ食いしたクロさんが叫んで、それから眉をひそめた。

「てか、なんかコレ食ったことある味だな」
「あ、それは朱虎さんにレシピ聞いたんです」

 俺が来るまでこのキッチンで主に腕を奮っていたのは朱虎さんだったらしい。好き嫌いが激しい志麻さんの食事を作るついでに全員分のものを用意し、志麻さんの身の回りの世話をして、その合間に組の方の仕事もきっちりこなしていたというのだから恐ろしい。あの人、本当は三人くらいいるんじゃないだろうか。

「俺も相伴させてくれや。……うん、うまいな~ミカ。虎兄さんの味そっくりやん」
「そうですかね……」

 俺が自信なさげに呟くと、コウさんは眉をひそめた。

「なんや、元気あらへんやん。そういやさっきもため息ついとったし……やっぱ疲れるんやなあ、志麻ちゃんの世話係」
「や……そういうわけでは」

 大々的なプロポーズ……というか恋人宣言のせいで朱虎さんは志麻さんの世話係から外され、代わりは俺が引き継ぐことになった。と言っても、今のところやっているのは食事の世話と登下校の送り迎えくらいだ。朱虎さんは着替えの手伝いもしていたと聞いたので、正直色々と期待してしまった分、俺は密かにがっかりした。

「お前もよくよく苦労すんなあ。同情するで。クロもミカによーく礼言っときや、こいつがおらへんかったら志麻ちゃんの世話係はお前やで」
「俺は別にいいっすけど。虎の兄貴の代わりなんてめっちゃ光栄ですし」

 クロさんが目をキラキラと輝かせた。コウさんが呆れたような顔になる。

「なんやのその顔。お前、ほんま虎兄ィ好っきゃねんな」
「そりゃそうでしょ! あのガタイにカチコミも強ぇし、いつ見てもバシッとキメててめちゃくちゃカッコいいし! 背中のイレズミ、チラッとしか見たことないんすけど超シブいっすよ」
「何でチラッとやねん。もっとよく見せてもろたらええやん」
「や~、でもなんか……なかなか話しかけられなくて」
「恋する乙女か、おんどれ。ま、気持ちは分かるわ。虎兄ィ、いっつも人食い殺しそうなオーラ出てはるもんなあ。話したら案外優しいけど……しかし、俺がいっちゃんすごい思たんは志麻ちゃんとのことやわ」

 コウさんはしみじみと言った。

「ようもまあ、あの我がままお嬢さん引き受けはったなあ、て。ほんま思い切ったことするわ」

 踏み込んだ話題に俺はついつい背筋を伸ばした。クロさんが顔をしかめる。

「や、でも、コウさんも見てたっしょ。虎の兄貴、志麻さんに手を出したって頭下げてたじゃないですか」
「あんなん、ほんまは志麻ちゃんから迫ったに決まってるやん」

 コウさんが呆れたような顔になる。

「あれだけ義理堅いお人やで? 組長の孫に好き好き~って迫られりゃ断れへんて」
「あ~……まあ、それは確かに」
「ああやってみんなの前で頭下げたんは、志麻ちゃんに恥かかせへんためやって。男やんなぁ、分かったれやそんくらい」
「で、でも!」

 俺は思わず口を挟んだ。クロさんとコウさんがそろってこっちを見る。

「朱虎さんも……好きだった、と思いますけど」

 だって俺は、そのせいで海にぶん投げられたんだから。
 それなのに、コウさんはケラケラッと俺の言葉を笑い飛ばした。

「まあ、憎からずは思うてたやろな。けどお前、虎兄ィの元カノ知らへんやろ? ぎょうさん色気ダダ洩れしとる美女やで、確か六本木のクラブでトップ張ってる言うてたな」
「え」

 俺が固まった横でクロさんが首をひねった。

「それってオヤジの愛人じゃなかったっすか?虎の兄貴は連絡係だったんじゃ」
「せやからおこぼれに預かってんねんて。お前は大人の世界を知らんなあ」

 だからないない、とコウさんは手を振って缶ビールを煽った。

「ま、とはいえ志麻ちゃんもそこそこええ身体してはるけどな。成長期やし、期待できるんとちゃう?」
「またコウさんはそういうこと言って。前も似たようなこと言って、朱虎さんに池に叩き込まれたじゃないっすか」
「池に叩き込まれたんはシロや。俺は逆さづり食らったんやっちゅうの。……ん?」

 顔をしかめたコウさんは、ふとダイニングテーブルに目をやった。テーブルの上には食事の用意が一膳分用意されたまま放置されている。さっき俺が用意したものだ。

「あれ何やの、ミカ」
「あれは……志麻さんの分です。用意したんですけど、いらないって」
「何で食べへんねん。虎兄さんの肉じゃがって、志麻ちゃんの大好物やん」
「それが……味がそっくりすぎて食べられないって」

 コウさんとクロさんが揃って呆れた顔になる。

「何だそりゃ。味が同じだとなんでダメなんだ?」
「志麻さん、もう二週間くらい朱虎さんと会えてないんです」
「あ~、何や最近えらい忙しくしてはるからな」

 世話係を外された朱虎さんの新たな肩書は『若頭補佐』だった。いわゆる出世だ。
 出世に伴って斯波さんの仕事も一部担当することになった朱虎さんは、ほとんど家にも帰ってこないくらい忙しくしていた。たまに部屋に明かりが点いているけど、大抵は仮眠をとって着替えるとさっさと出て行ってしまう。
 邪魔になりたくないと電話やメールもしおらしく我慢していた志麻さんだったが、その分ストレスがたまりまくっているらしく、いつもの笑顔は次第に消えて些細なことで当たられるようになった。たまに部屋から叫ぶ声や何か物を投げる音も聞こえてくるが、恐ろしくて覗けない。

「もうそろそろ朱虎さんの仕事も落ち着くって話ですけど……その前に志麻さんが倒れそうなんですよね」
「ま、腹が減ったら食うやろ」
「っすね。けどこれ、お嬢さんが倒れたらミカのせいってことっすかねえ」
「えっ」
「志麻ちゃんが絡んだときのオヤジは容赦なく理不尽やで。ミカ、短い付き合いやったけど成仏しや」
「ちょっ、殺さないでくださいよ!?」

 俺が青ざめた時、玄関が開く音がした。大股の足音が近づいてきて、ダイニングのドアが開く。

「あっ……おかえりなさい、虎の兄貴!」
「おっとと、お帰りなさい虎兄さん」

 クロさんが弾んだ声を上げ、コウさんが慌てて立ち上がった。俺も急いで頭を下げる。

「お、お帰りなさい朱虎さん」
「おう。何か食うもんあるか」

 オールバックをくしゃ、と崩しながらダイニングに現れた朱虎さんは、テーブルに並んだまま冷めきった食事に目を留めると眉をひそめた。

「おい。まだお嬢に食事させてねえのか、何時だと思ってる」

 さすがに気づくのが早い。じろりと睨まれて、俺は慌てて手を振った。

「やっ、そ、その! 何度か声かけたんですけど、食べたくないっておっしゃって」
「そんな言い分通らせるんじゃねえ。とっとと引きずり出して食わせろ」

 声が僅かに低くなる。それだけで背筋がぞわぞわと震えた。
 朱虎さんの発してくる威圧感にはいつまで経っても慣れそうにない。

「まあまあ、虎兄さん! なかなかそういうわけにもいかへんのですわ」
「そ、そっすよ! ミカは頑張ってんですけど、お嬢さんずっと機嫌が悪くて」
 
 慌ててコウさんとクロさんが割って入ってくれた。

「ったく、わがまま娘め」

 朱虎さんはため息を吐いた。

「オヤジは」
「今夜はお戻りじゃないです。遅くなるそうで」
「そうか。……分かった、お嬢は俺が何とかする。二人分の飯、温め直しといてくれ」

 言い捨ててさっさと踵を返す。大股で去っていく先は志麻さんの部屋の方向だった。

「ふい~……助かったあ」

 コウさんが額の冷や汗をぬぐって大げさにため息をついた。

「良かったなあ、ミカ。虎兄さんが志麻ちゃん叱り飛ばしてくれはるわ、怒ったあの人は容赦ないで。万事解決や、飯用意しや」
「あ、はい……」
「しかし、クタクタで帰って来てお嬢さんのお守りか。マジ大変だな~、倒れるのはお嬢さんじゃなくて虎兄貴の方なんじゃねえかな」

 クロさんが顔をしかめると、コウさんも深く頷いた。

「ええ加減、堪忍袋の緒が切れるかもしれんで。結構キとったからなあ、兄さん。お嬢さんのこと怒鳴りつけるのとちゃうか。もうお前の面倒なんかみたらん、別れるーっ、て」
「えっ」
「うわ~、ド修羅場じゃん。ま、しかし確かにお嬢さんの相手なんかしてる暇ねえよなあ、虎の兄貴」

 俺の頭に、今日の昼間の光景が浮かんだ。

「あ――――っもう! 朱虎なんか大っ嫌い!」
「お、落ち着けって……クッション投げんなよ」
「うるさーいっ! 何よあいつ、あたしのことずーっとほったらかしで! 信じられない! もう、大っ嫌い! 別れる!」
「えっ……ま、マジかよ」
「マジに決まってるでしょ! あたしばっかりこんな気持ちになって、最悪!」

 志麻さんは泣いていた。
 今、二人が顔を合わせたら、何かのはずみで本当に別れ話になるかもしれない。志麻さんが「別れる!」って叫んだら、朱虎さんはどうするんだろう。あっさり「分かりました」って頷くんだろうか。
 心臓がドクドク音を立て始めた。
 あの二人が別れる?
 志麻さんがフリーになるとしたら、俺は……。

「……お、俺、ちょっと様子見てきます」

 いても立っても居られなくなって、俺はダイニングを飛び出した。
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