ヤクザのせいで結婚できない!

山吹

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95. 「帰ります」

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 廊下はすっかり傾いていた。どこかでゴボゴボと音がして、船が不気味に揺れている。

「時間はなさそうですね」

 朱虎が呟いた。壁に手をつきながら体を引きずるように歩いている。額には脂汗がびっしょり浮かんでいて、足元はふらついていた。

「ねえ、あたしに捕まったら? 支えてあげるよ」
「ありがたいですが、気持ちだけで」

 返す声はしっかりしているけど、息が荒い。ずっと押さえている脇腹はじわじわと赤いものが広がっていた。

「朱虎、それ……」

 ずん、とひときわ大きな揺れと共に大きく船が傾いだ。

「きゃっ!」

 バランスを崩した腕を素早く掴まれる。朱虎はあたしを抱きしめたまま床を転がり、壁にぶつかって呻いた。

「ちょっ……朱虎っ、大丈夫!?」
「……なんとか」

 顔を上げてみると、進んでいた通路の先に太いパイプやケーブルが倒れ込んでいた。奥からはゴポゴポと音を立てながら水が流れ込んでいる。

「ウソ……進めなくなっちゃった」
「こっちです」

 朱虎があたしの腕を引いて踵を返した。分岐している通路を迷いなく進んでいく。

「道、分かるの?」
「俺が何日この船に乗ってると思ってるんですか。……足元気を付けて」

 作業用の細い階段を朱虎に手を引かれて登りながら、あたしは目の前の背中を見上げた。
 シャツは汗でべったりと濡れている。さっきからあたしの腕を握る力も弱くなってきていて、息は隠しようもなく荒い。
 明らかに無理をしてる。でも、『無理しないで』とか『少し休もう』とか言える状況じゃないのは明らかで、あたしはぎゅっと唇をかんだ。
 こんなに苦しそうなのに、あたしは朱虎に何もしてあげられないどころか手を引いてもらっている。
 足手まといにもほどがある。悔しい――

「……幻覚だと思いました」

 足を引きずりながら進む朱虎が不意に呟いた。

「えっ?」
「お嬢ですよ。まさかこんなところにいるとは思わないし、とうとう死に際に幻覚が見えてるのかと」
「何それ! こっちは必死の思いでここまでたどり着いたのに、幻なわけないでしょ!」
「そうですね」

 くすっと朱虎が笑った。

「おかげで気合が入りましたよ。ありがとうございます」
「え……あ、そ、そう?」

 よく分からないけど役に立ったってことだろうか。

「あのドアの向こうがデッキです。とにかく、甲板に出ましょう」
「う、うん」

 外へ出て、何とか船を脱出して、それから?

「朱虎、……ここから逃げられたら帰ってきてくれる、よね」

 ドアを開けようとした朱虎がぴたりと動きを止めた。

「サンドラには慧介さんがいるから! だから、あたしと」

 一緒に帰ろう。
 そう言う前に、あたしの腕を引く朱虎の手に力が込められた。

「帰ります」

 騒々しい周りにかき消されそうなほど低い声だったけど、朱虎ははっきりそう言った。

「ホント!?」

 朱虎は振り向くとちらりと笑った。

「オヤジにはぶっ殺されるでしょうが、ケジメはつけないと」
「あ、あたしが説明する!」

 あたしは朱虎の腕をぎゅっと掴んだ。

「朱虎は組のことを思ってやったんだって、おじいちゃんに言うから!」
「心強いですね。ですが、とりあえず今は生きて帰ることだけ考えましょう」

 少し歪んだドアを押し開ける。びゅうっ、と潮風が吹き込んできて、あたしは思わず身を震わせた。
 辺りはもう薄暗くて、そこかしこに物が転がっているのが分かった。

「足元に気を付けて。確か、隅に緊急用のボートが……」

 その時、不意に甲高い銃声が空気を切り裂いた。
 反射的にあたしを庇おうとした朱虎がうめき声を漏らす。その声にかぶさるように悲鳴が響いた。

「ジーノ、ジーノッ!」
「……サンドラ!?」

 あたしは朱虎の体越しに目を凝らした。デッキの向こう側でぼんやりとしたシルエットがいくつか動いている。騒ぎに混じって聞き覚えのある笑い声が耳を刺して、背筋がぞっと冷えた。

「レオッ……」

 まだいた。残ってたんだ。
 そしてまさに今、サンドラと慧介さんが襲われてる。

「お嬢!」

 思わず踏み出しかけたところで、腕を掴まれた。

「離して朱虎! サンドラと慧介さんが」
「分かってます。お嬢はここに居てください」

 あたしを押し戻して、朱虎が踵を返した。

「こいつは自分の仕事です」
「あたしも行く!」
「足手まといですから」

 そっけない言い方にカチーンときたあたしは、朱虎の背を思いっきり突き飛ばした。 

「なっ……!?」

 いつもはびくともしないはずの朱虎は、あっけないくらい簡単にバランスを崩した。膝をついて驚いたように振り向く。

「何するんですか」
「そんな体の人に足手まといなんて言われたくないんですけど! 朱虎を助けたのはあたしでしょ!」

 それに、慧介さんとサンドラにも借りがある。

「あたしが行くから、朱虎はここで待ってて!」
「あっ……お嬢!」

 朱虎の声を背に、あたしは甲板を駆けだした。






「……なるほどな。つまり、俺の孫ァ今、イタ公どもの船ン中にいやがるってわけか」
「まあ、そうっすね。で、その船は海の真ん中で沈みかけてる状況っす」
「なかなかの鉄火場じゃねェか。俺の若ェ頃でもそこまでの修羅場ァそうそうなかったぜ」
「とにかく、警察に連絡して何とかしてもらおうって話してたんスけど……」
「何言ってやがる、ヤクザがサツなんぞに頼れるけェ! 余計なことすんじゃねェ!」
「えっ、でもこのままじゃヤバいっすよ志麻センパイと朱虎サン!」
「てやんでェ、志麻はともかくあの野郎の名前なんざ出すんじゃねェ! あんな野郎ァ赤ェので十分だ、けったくそ悪ィ」
「ええ!? や、でも今説明したっスよね!? 朱虎サンは組を巻き込まないために、わざと」
「その料簡がせせこましいってんだよ! あんな野郎に心配されっほどうちの組ァ、ヤワじゃねえんだ!」
「オヤジ、落ち着いてください。また血圧が上がりますよ」
「ケッ。行くぞ斯波ァ。用意出来てんだろうな」
「はい、手配してます」
「邪魔したな、嬢ちゃんら。じゃあ」
「ちょっと待ってください! 志麻を助けに行くなら、私たちも連れて行ってください」
「ああん?」
「俺らも志麻センパイのこと心配なんで、マジで」
「ふぅむ。……カタギの心配にゃ及ばねえが、ついてきたいなら来な」
「あざっす! えっと、何で行くんスか? タクシーとか、バイクとかスか」
「んなモンで海の真ん中まで行けっかよ」
「え?」
「ところでお前ェら、高ェのは平気だろうな?」
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