ヤクザのせいで結婚できない!

山吹

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82. 長男とか末娘とか

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 ドアへと足を向けた慧介さんに、あたしは慌てて首を振った。

「ちょっと待ってください! あたし、まだ帰るなんて」
「それとも、朱虎君と話したい?」

 瞬間、さっきの光景がよみがえった。

 ベッドの上で動く影。ひそやかな笑い声。

 駄目だ、話したいって言わなきゃ。今すぐ朱虎に会わせてほしいって。
 あたしはそのためにここまで来たんだから。風間君だってミカだって、そのためにたくさん協力してくれた。だから、朱虎に会って話さなきゃいけない。
 一緒に帰ろうって言わなきゃ。

「今、君が直接会ったとしても、彼は帰らないと思うよ」

 あたしの考えを読んだみたいに慧介さんが静かに言った。

「別に閉じ込めてるわけじゃないし、怪しい薬を使ってるわけでもない。彼は自分の意志でここにいる。それでも会うかい」

 そんなはずない。
 そう叫びたかったけど、声が出なかった。
 あたしは呆然と立ち尽くした。
 駄目だ、朱虎には会えない。怖い。
 あたしって、こんなに弱虫だったっけ?
 慧介さんの大きな手が伸びてきて、あたしの腕を優しく引く。

「ごめん。送るよ」
「……いいです。一人で帰れますから」

 あたしは慧介さんの手を払って、部屋を出た。
 せめてもの意地だったけど、慧介さんは後ろからついてきた。

「ちょっと待って」
「大丈夫ですって」
「駄目だ、送る。本当に危ないんだよ。もし、君が絡まれた相手にまた会ったらどうするんだ」

 強引に横へ並んできた慧介さんは、真剣な瞳をしていた。

「金髪の彼はレオっていって、パパ・ロッソの長男だ。気まぐれで凶暴な男だよ」

 あたしの脳裏に鮮やかな金髪がよぎった。

「えっ……じゃあ、あいつってあなたのお兄さんってこと!?」
「向こうは全くそう思ってないけど、一応そうなるね。ついでに言うと彼は取引の失敗で今、非常に機嫌が悪い。本当に無事でよかったよ」

 マフィアのドンの長男。どうりでヤバい雰囲気だったはずだ。
 あの時ミカがああやって振舞ってくれなかったら、どうなっていたかわからない。

「……そうだ、ミカ!」

 あたしはハッとして慧介さんの腕をつかんだ。

「やっぱり一緒に来て!」
「分かってくれた? 一緒にいた方が……」
「じゃなくて! そのレオってやつに、あたしの仲間が思いっきり顔面蹴られたの! 鼻血がすごく出てて……お願い、診てあげて」

 慧介さんが眉をしかめた。

「君、僕のことを薬箱かなんかだと思ってないか?」
「思ってないよ!」
「冗談だよ。とにかく、案内して……ああ、待って。治療キットを取ってくるから」

 慧介さんは小走りで部屋に引き返した。
 残されたあたしは落ち着かない気持ちでぎゅっとスカートのすそを握りしめた。
 ミカ、もう血は止まっただろうか。怪我は酷くなかっただろうか。
 丸まった背中を思い出すと、ため息がもれた。一つ首を振って振り返ったあたしは、そのまま固まった。
 鮮やかな金髪が目に飛び込んでくる。

 いつの間に現れたのか、廊下の真ん中にタテガミ金髪――レオが立っていた。

「……っ」

 赤い瞳がこちらを射抜いた瞬間、動けなくなった。
 襟首を掴みあげられた感触がリアルによみがえる。額に冷や汗がどっと浮かぶのが分かった。

「……ああ? なんだお前」

 レオはずかずかと近づいてきて、あたしを見下ろした。

「どこから紛れ込んだ?」

 まずい、顔が見られてる!
 とっさにうつむいてからしまった、と思った。怪しすぎる。 

「あ……あの」

 ちょっとびっくりしたって感じを出しつつ、自然に顔を上げよう……としたとき、ぬっと伸びてきた手が強引にあたしの顎を掴んで上向かせた。

「あっ……」
「ふーん」

 強引に持ち上げられて首が痛かったけど、それよりも赤い瞳がじろじろと眺めてくるのが気になってそれどころじゃない。

「へえ」

 レオの口元がクッと上がった。背筋にひやりとしたものが走る。
 バレた? 

「まあいいか、コレで」
「えっ?」
「来い」

 ぐいと腕を掴まれて、思わず間抜けな声が出た。
 何? バレてない? 
『来い』って? コレって、あたしのこと?
 何が何だかわからないけど、このまま連れていかれるのは危険だ。

「は、離し、て」

 もがいたけど、腕をつかむ手はびくともしない。
 ヤバい、どうしよう――

「待ってくれ、レオ」

 パニックになりかけたところで声が割って入った。レオの足が止まり、不機嫌そうに振り向く。
 駆け寄ってきた慧介さんが、レオを見て穏やかに言った。

「手を離してくれ。彼女は僕の連れだ」
「そうか。貸せよ」

 腕をつかむレオの手に力がこもった。

「ジャップの女には乗ったことがない。試したい」

 値踏みするように投げられた視線と言葉で、あたしはようやく事態を把握した。
 ぞっと全身が粟立つ。

「それは出来ない」

 慧介さんはきっぱりと首を振り、あたしを引き寄せた。

「この子は僕の恋人だ。手を出さないでくれないか、兄さん」
「こっ……!?」

 唐突な宣言に声が漏れかかり、何とか踏みとどまる。
 レオは一瞬険しい目つきになったけど、不意に手を離して笑い出した。

「ハハッ! そうか、お前の女か! 早くそう言えよ、ジーノ!」
「ここへ呼んだのは悪かった。彼女とはしばらく会ってなくて……」
「そうか。いや、別に構わんよ。可愛い彼女じゃないか」

 いきなり和やかになりすぎて気持ち悪いけど、何とか許してくれそうだ。
 ほっとしかけた時、不意にレオがあたしと慧介さんの肩に手を回した。がっちりと肩を掴まれる。

「じゃあこうしよう。三人で楽しもうじゃないか」
「……えっ?」

 一瞬、意味が分からなかった。ぽかんとして見上げると、冷たく燃える赤い瞳があたしを見下ろしていた。

「お前の部屋へ行くか、ジーノ。俺の部屋でもいいぜ、どっちにしろベッドは広いからな」
「冗談はやめてくれ、レオ」

 慧介さんが冷静に答える。その肩口にレオの指がぐいぐいと食い込んでいるのが分かった。

「冗談なもんか! 俺たちはファミリーだろう、ジーノ? 家族はお互いのものを分かち合うものだ」
「あいにく、僕にも彼女にもそういう趣味はないんだ」
「――なあ、さっきムカつくことがあったんだ。妙なゴミに怒鳴られたんだよ。ただ歩いてただけだぜ?」 

 心臓が止まりそうになった。あたしのことだ。

「何だか喚いてたな。訳のわからねえ女だった。苛ついて仕方ねえ、分かってくれるな? ジーノ」

 あたしの肩に乗せられた手が鎖骨をなぞるように滑り降りてきて、いきなり胸をわしづかみにした。

「いっ……!」
「レオ! やめろ!」

 痛みとショックで体が跳ねる。慧介さんが初めて声を荒げた。
 レオはおどけたようにあたしから手を離すと、肩をすくめた。

「おっと。なかなかいい身体じゃないか」
「兄さん、もういいだろう。彼女はこういう事に慣れてないんだ」

 あたしは声も出せずに震えていた。
 胸を掴まれたのはショックだ。でもそれよりも目の前に伸びたレオの腕が目に焼き付いている。
 太い腕に巻き付いた不釣り合いな細いチェーンと、鮮やかな黄色い花のモチーフ。
 間違いない。あれは、あたしが落としたペンダントだ。
 よりによって、なんでこいつが持ってるんだ。今すぐむしり取りたいけど、手が出せない。
 どうしよう。どうやって取り返したらいい?
 しっかり考えないといけないのに、うまく頭が回らない。
 怒鳴られたり、睨みつけられたり、胸倉をつかまれたりすることなら耐えられる。でも、こんなことをされるのは初めてで、頭の中はぐちゃぐちゃだった。

「ふん、まるで子供だな。ちゃんと仕込めよジーノ、お前の母親はもっと親父を喜ばせられたぜ」

 あざけるような言葉に慧介さんの眉がかすかに動いた。

「ママのテクニックをきちんと教えてやれよ。お前の母親はジャップだったが、立派なビッ――」
「何してるの?」

 冷たい声が響いた。レオがぴたりと口をつぐむ。
 顔を上げると、腕を組んだ美少女があたし達を鋭く見つめていた。
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