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47. ジコチューとか思考停止とか……?
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「お嬢?」
朱虎の唇に自然と視線が吸い寄せられる。
距離はそんなにない。あたしがもう少し屈めば、すぐに触れられそうな近さ。
いや、何考えてるんだあたし。そんなこと出来るわけない。
だって初めてだし、この体勢だとまるであたしが押し倒してるみたいな、最初はせめて男の人からリードして欲しいし、いや、そういうことじゃなくて!
「どうかしたんですか、ぼーっとして。……聞こえてますか?」
頭の中はぐるぐるいろんな考えが入り混じってるのに、視線は少しも逸らせない。
心臓はもう、耳の傍にあるんじゃないかってくらいドクドク鳴り響いていた。
じっとりと手のひらに汗をかいてるのが分かる。お風呂上がりだからか、シャンプーの香りと煙草の匂いが入り混じっている。それになんだか焦げ臭いような……。
ん? 焦げ臭い?
「……なんか焦げてない?」
「あっ! しまった、煙草ッ――!」
呟いた瞬間、朱虎が慌てたように身を起こした。弾みで体のバランスががくんと崩れる。
「えっ!? あ、きゃっ!?」
「うわ、お嬢!」
転げ落ちかけたところに朱虎の腕が素早く伸びた。ぐいと勢いよく引き寄せられ――ガチン! と唇に強い衝撃が走った。
「いたっ……!?」
何が起こったのか全然分からない。
恐る恐る顔を上げると、あたしは朱虎に抱きすくめられるような姿勢になっていた。どうやら、転がり落ちかけたあたしを咄嗟に朱虎が抱き留めたらしい。
でも、何で唇がじんじんと痛むんだろう?
「……すみません、お嬢。煙草のことを忘れてました」
朱虎は片手であたしを抱きしめたまま、もう片方の手を伸ばして灰皿で何かを押しつぶした。顔をしかめ、唇をぐいとこする。
「つ……痛ってえ」
あたしはそんな朱虎を呆然と見上げた。
「火をつけたままだったんで……フィルターが焦げたんです。もう少しで指を焼くところで」
「ちょっと待って。あたし、今、朱虎にぶつかった、よね?」
朱虎が唇に手を当てたまま一瞬止まった。
「……いや、まあぶつかったと言えばぶつかりましたが、一瞬のことで……」
ガチッと音がしたのは歯が硬いものにぶつかったからで、何にぶつかったかって言うと朱虎で、たぶん同じくらい硬いもので、つまりあたしの歯と朱虎の歯がぶつかったってことで、それは、つまり、
「んんんんっ~~~!!!??」
あたしは口を押えてほとんど反射的にびょんっ! とソファを転がって朱虎から離れた。顔が一気に熱くなるのが分かる。
「いっ、いっ、今、あたし、キッキッキッ、キス……!?」
「違います!」
朱虎が焦った声で叫んだ。
「ななななな何が違うってのよ!? だって朱虎の唇赤くなってる! それ、あ、あたしとぶつかったからでしょ!?」
「今のはキスじゃないです! ぶつかったのは歯ですから!」
「歯がぶつかるってことは唇が触れてるってことじゃない! 唇が触れてるってつまりそれってキスってことでしょ!?」
「キスじゃないですって! 今のは偶然触れただけです、セーフです!」
「偶然でも何でも触れたんでしょ!? 偶然触れたのはセーフなんだったら、偶然胸とかお尻触っちゃってもセーフってことじゃない! それってこの前駅で捕まえたチカンの言い訳と一緒じゃない~っ!」
「その痴漢の件については後で詳しく聞きかせてもらいますが、とにかく落ち着いて!」
朱虎があたしの肩を掴んで、宥めるように覗き込んできた。
「いいですかお嬢、今のは不可抗力です。不可抗力と言うのは必要な予防や対策を講じていても防ぎきれない事象のことです、つまりどうしようもない事故みたいなものです」
「何それ、あたしのファーストキスって事故チューなの!?」
「だから、カウントしなくていいって言ってるんですよ! そもそもキスじゃないんです!」
「だって唇が触れたらキスでしょ!? キスじゃないってどういうこと? 意味わかんないってば!」
何だか泣きたくなってきた。
朱虎は全力で否定してくるし、唇はじんじん痛むし、最悪の気分だ。こんなはずじゃなかったのに。
あたしが変なこと考えてたから罰が当たったんだろうか。
「だから……ああもう、面倒くさい人だなつくづく……!」
苛立ったような朱虎の呟きに、身体がビクッと震えた。
ダメだ、泣く。もう我慢できない。
何とかこらえようとぎゅっと目を閉じたとき、不意に手首を掴まれて引き寄せられた。
「もういい、分かりました。こっち向いてください」
「えっ、な、何」
優しいけど有無を言わせない力で上を向かされる。
目を開ける前に、唇が柔らかなものにふさがれた。
「ふっ……!?」
温かくて少し苦い感触が、混乱しきった頭の中身を一切合切吹き飛ばした。
思考回路が完全に停止する。あたしは呼吸も忘れてひたすら固まった。
唇から熱が離れたのは、どのくらい経ってからだったろうか。
あたしは息を吐き出し、目を開けた。
少し怒ってるような朱虎の顔が至近距離にある。
「――これがちゃんとしたキスです」
「……う、ん?」
「さっきのものと違うのは分かりましたか?」
「……うん」
あたしは脳を完全に麻痺させたまま頷いた。
確かに朱虎の言うとおりだ。さっきのガチン! とは全然違う。
ほんとのキスはもっと柔らかくて、甘くて、少し苦くて、ふわふわしてる。
「お嬢のファーストキスはまだ未遂です。セーフです。いいですね」
「セーフ……」
そうか、セーフなんだ。さっきのはキスじゃないからノーカウントだ。
良かった良かった。
「理解できましたね? じゃあ、もう遅いから早く寝てください」
あたしは言われるがままに立ち上がった。妙にふわふわしながら素直にドアへ向かう。
「お嬢」
振り向くと、朱虎がこちらを見ていた。
「――獅子神蓮司さんのことは任せてください。自分が先方と話をつけておきます」
何を言われているかちゃんと理解しないまま、あたしはこくりと頷いた。
「もう、あの男のことで悩まなくていいですからね。――ゆっくりおやすみなさい」
朱虎の唇に自然と視線が吸い寄せられる。
距離はそんなにない。あたしがもう少し屈めば、すぐに触れられそうな近さ。
いや、何考えてるんだあたし。そんなこと出来るわけない。
だって初めてだし、この体勢だとまるであたしが押し倒してるみたいな、最初はせめて男の人からリードして欲しいし、いや、そういうことじゃなくて!
「どうかしたんですか、ぼーっとして。……聞こえてますか?」
頭の中はぐるぐるいろんな考えが入り混じってるのに、視線は少しも逸らせない。
心臓はもう、耳の傍にあるんじゃないかってくらいドクドク鳴り響いていた。
じっとりと手のひらに汗をかいてるのが分かる。お風呂上がりだからか、シャンプーの香りと煙草の匂いが入り混じっている。それになんだか焦げ臭いような……。
ん? 焦げ臭い?
「……なんか焦げてない?」
「あっ! しまった、煙草ッ――!」
呟いた瞬間、朱虎が慌てたように身を起こした。弾みで体のバランスががくんと崩れる。
「えっ!? あ、きゃっ!?」
「うわ、お嬢!」
転げ落ちかけたところに朱虎の腕が素早く伸びた。ぐいと勢いよく引き寄せられ――ガチン! と唇に強い衝撃が走った。
「いたっ……!?」
何が起こったのか全然分からない。
恐る恐る顔を上げると、あたしは朱虎に抱きすくめられるような姿勢になっていた。どうやら、転がり落ちかけたあたしを咄嗟に朱虎が抱き留めたらしい。
でも、何で唇がじんじんと痛むんだろう?
「……すみません、お嬢。煙草のことを忘れてました」
朱虎は片手であたしを抱きしめたまま、もう片方の手を伸ばして灰皿で何かを押しつぶした。顔をしかめ、唇をぐいとこする。
「つ……痛ってえ」
あたしはそんな朱虎を呆然と見上げた。
「火をつけたままだったんで……フィルターが焦げたんです。もう少しで指を焼くところで」
「ちょっと待って。あたし、今、朱虎にぶつかった、よね?」
朱虎が唇に手を当てたまま一瞬止まった。
「……いや、まあぶつかったと言えばぶつかりましたが、一瞬のことで……」
ガチッと音がしたのは歯が硬いものにぶつかったからで、何にぶつかったかって言うと朱虎で、たぶん同じくらい硬いもので、つまりあたしの歯と朱虎の歯がぶつかったってことで、それは、つまり、
「んんんんっ~~~!!!??」
あたしは口を押えてほとんど反射的にびょんっ! とソファを転がって朱虎から離れた。顔が一気に熱くなるのが分かる。
「いっ、いっ、今、あたし、キッキッキッ、キス……!?」
「違います!」
朱虎が焦った声で叫んだ。
「ななななな何が違うってのよ!? だって朱虎の唇赤くなってる! それ、あ、あたしとぶつかったからでしょ!?」
「今のはキスじゃないです! ぶつかったのは歯ですから!」
「歯がぶつかるってことは唇が触れてるってことじゃない! 唇が触れてるってつまりそれってキスってことでしょ!?」
「キスじゃないですって! 今のは偶然触れただけです、セーフです!」
「偶然でも何でも触れたんでしょ!? 偶然触れたのはセーフなんだったら、偶然胸とかお尻触っちゃってもセーフってことじゃない! それってこの前駅で捕まえたチカンの言い訳と一緒じゃない~っ!」
「その痴漢の件については後で詳しく聞きかせてもらいますが、とにかく落ち着いて!」
朱虎があたしの肩を掴んで、宥めるように覗き込んできた。
「いいですかお嬢、今のは不可抗力です。不可抗力と言うのは必要な予防や対策を講じていても防ぎきれない事象のことです、つまりどうしようもない事故みたいなものです」
「何それ、あたしのファーストキスって事故チューなの!?」
「だから、カウントしなくていいって言ってるんですよ! そもそもキスじゃないんです!」
「だって唇が触れたらキスでしょ!? キスじゃないってどういうこと? 意味わかんないってば!」
何だか泣きたくなってきた。
朱虎は全力で否定してくるし、唇はじんじん痛むし、最悪の気分だ。こんなはずじゃなかったのに。
あたしが変なこと考えてたから罰が当たったんだろうか。
「だから……ああもう、面倒くさい人だなつくづく……!」
苛立ったような朱虎の呟きに、身体がビクッと震えた。
ダメだ、泣く。もう我慢できない。
何とかこらえようとぎゅっと目を閉じたとき、不意に手首を掴まれて引き寄せられた。
「もういい、分かりました。こっち向いてください」
「えっ、な、何」
優しいけど有無を言わせない力で上を向かされる。
目を開ける前に、唇が柔らかなものにふさがれた。
「ふっ……!?」
温かくて少し苦い感触が、混乱しきった頭の中身を一切合切吹き飛ばした。
思考回路が完全に停止する。あたしは呼吸も忘れてひたすら固まった。
唇から熱が離れたのは、どのくらい経ってからだったろうか。
あたしは息を吐き出し、目を開けた。
少し怒ってるような朱虎の顔が至近距離にある。
「――これがちゃんとしたキスです」
「……う、ん?」
「さっきのものと違うのは分かりましたか?」
「……うん」
あたしは脳を完全に麻痺させたまま頷いた。
確かに朱虎の言うとおりだ。さっきのガチン! とは全然違う。
ほんとのキスはもっと柔らかくて、甘くて、少し苦くて、ふわふわしてる。
「お嬢のファーストキスはまだ未遂です。セーフです。いいですね」
「セーフ……」
そうか、セーフなんだ。さっきのはキスじゃないからノーカウントだ。
良かった良かった。
「理解できましたね? じゃあ、もう遅いから早く寝てください」
あたしは言われるがままに立ち上がった。妙にふわふわしながら素直にドアへ向かう。
「お嬢」
振り向くと、朱虎がこちらを見ていた。
「――獅子神蓮司さんのことは任せてください。自分が先方と話をつけておきます」
何を言われているかちゃんと理解しないまま、あたしはこくりと頷いた。
「もう、あの男のことで悩まなくていいですからね。――ゆっくりおやすみなさい」
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