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第三章 風の鍵の乙女

SS.サキの逃避行、ナユタとキリエ。

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サキが遼太に出会う前のお話です。


 * * * * * * * * *


 息が切れる。
 脚がもつれる。

(もう……だめ)

 サキがそう思った瞬間、後ろを走るナユタがやにわに後ろを振り向いた。

「ナユ…タ……姉さま?」
「行きなさい! サキ!」

 ナユタは追っ手の剣士――キリエとにらみ合ったまま叫んだ。

「きみとリョータの名前をリンクさせたから、きみはきっとリョータと会える。行きなさい!」
「だけど姉さま……」
「ボクはきみの名前をトレースできる。必ず追いつく。だから先に行って」

 ナユタはキリエから目を離さず、短剣を抜いた。

 キリエが優れた剣士であることは剣を使わないサキでもよく分かる。その剣豪に短剣だけで立ち向かうなど無謀もいいところ。自殺行為にしかならない。

 だがナユタにはナユタなりの目算があった。
 そのためにはキリエと一対一、二人きりになる必要があった。

(あとひと押しかね……)

 サキを行かせるために左手の親指を立て、笑って見せる。サキは硬い表情でうなずいて走り出した。


「さて、と。やっと二人きりになれたね」

 走り去るサキの後ろ姿を確かめてから、ナユタは短剣を降ろした。
 もとより長剣と短剣では勝負にならない。まして剣技では大人と子供以上の実力差があるのはよくわかっていた。

「そういう冗談は好きではない」

 そう言いながらも、キリエも剣を降ろす。

「つれないなあ。ボクときみの仲じゃないか」
「変な言葉遣いを覚えたな。異世界にかぶれたか」
「ああ、そうだね。この世界は面白い。一人称も二人称もたくさんあるのに誰も使い方がよくわかってなくて、でもちゃんと使い分けの法則を使いこなしている。本当に不思議な国だよ」

 手を挙げて首を振ってみせるナユタ。
 彼女はこの国――日本の知識を以前からいろいろ知っていたようだが、キリエはそんなに詳しくはない。とるものも取り敢えず来たという状況だから、まだ共感も忌避も感じなかった。
 だが、キリエの興味はそんなところにはなかった。

「なぜ国を捨てた?」
「ん?」
「失ったエレメントを取り戻すにはニルヴァーナの一族の力が必要だ。なぜ役目を放棄した?」

 激しくはないが、キリエの声には強い感情がこもっていた。怒り。悔しさ。もどかしさ。

「放棄していないよ。これが一族の目的、悲願なんだ。すべてが救われる。その機会がやっと訪れたんだ」
「世迷言を」
「そんなことないさ。きみにもわかるだろう? 同じ血を引いているんだから」

 キリエはぐっと歯を食いしばった。
 確かに知識としては知っている。だがキリエは一族の能力を受け継がなかった。

(できるものなら、自分がやっているのに……)

「我が国は過去にいくつものエレメントを失った。それを取り戻し、やっと手に入れた民の安寧だ。それを踏みにじるというのか」
「そんなもの、一時的な対処療法にすぎないよ」

 ナユタの言葉はにべもない。

「今やっと、すべての鍵の乙女が揃うんだ。今しかないんだ。
 ボクは必ずボクの目的を果たす。たとえどれほどの混乱を招こうと」
「アスガールの民を犠牲にしてでもか」
「もういくつもの異世界の民が犠牲になっているじゃないか。きみも知っているはずだよ。
 他人の犠牲の上に成り立つ安寧なんてボクら一族は望んでいなかった。そんなものは偽善だよ。そうは思わないか? ヴァル=キリエ・ファン・ニルヴァーナ隊長」
「その名を呼ぶなあっ!!」

 はじかれたように突きかかるキリエに、やっと短剣で受けたナユタは吹っ飛ばされた。

「お前の言うことこそ偽善だ! すべての人が幸せに……だと? そんな都合のいい話があるか!
私は私の国民くにたみのために戦う。それだけだ。出自など知ったことか!」
「うん。それでいいよ。そういう人も必要だ。この目的にはね」

 最後の声は小さすぎて、キリエには聞き取れなかった。
 かまわずナユタは立ち上がる。

「いずれにせよ、ボクはアスガールに戻る気はないよ」
「そして、アスガールからエレメントを奪い続けるのか」
「そういうことになるね」

 ナユタが肩をすくめる。

「やらせない」

 剣を構えなおすキリエに、ナユタも身構える。
 にらみ合いもわずかの間。気合と共に突きかかろうとした瞬間、キリエはつんのめって手をついた。見ると足もとに何かがからみついている。

「!」
「精霊魔法だよ。この世界は魔法が全然効かないくせに精霊だけはわんさか漂っている。本当に不思議な世界だよ」

 どうやらナユタは日本の土着の精霊――八百万やおよろずの神々の力をたのんだようだ。

「じゃあね、キリエ。ボクは行くよ。きみの未来に幸あらんことを。アスガールのためじゃなく、きみのためにね。どうかき人が……いや」

 ナユタは途中で言葉をやめた。それこそ偽善である気がしたからだ。
 さっと振り返って、ナユタは歩き出した。どうせキリエとは、この先また会うことになるのだ。。

 キリエ。
 きみの役目は、きみが思っているより重要だ。だがこの一幕は俳優全員が全力を尽くさないと完結しない。そして全力を尽くしても結果が思い通りになるとは限らない。願わくば全ての人が、そしてきみが、幸せになってくれればいい。

 そんなことを言う資格がないのは、ナユタにはよくわかっていた。だからこそ、走り続けるしかないのだ。



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