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第三章 風の鍵の乙女

09.王国に乱れ飛ぶ思惑。

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 ぼくを伴って現れたロゼッタさんを見て、モリガン子爵は怒りも、落胆も見せなかった。

「……そうか、うまく行かなかったか」

 そう言った表情は、むしろすっきり、といった印象だった。

「申し訳ございません、旦那さま。この上はどのような処罰も受ける所存にございます」
「おまえを責める理由などないよ。それより、早く手当てをしてあげるといい」

 笑って答える子爵さまは、やはりいい人なんだろう。とても陰謀を巡らすような人には見えなかった。

「さて、私に訊きたいことがあるのではないかね?」

 ぼくに座るよううながしながら、子爵は言った。
 もちろん、訊きたい事は山ほどあるが、何から訊いたものか。ロゼッタさんに右手を預けながら、ぼくは考えた。

「そうですね、まず……。ぼくに何をさせたかったのですか?」
「それを聞いたら、きみはもう戻れないぞ。秘密を知った以上、この屋敷から出すことはできない。いや、このはかりごとから逃れられなくなる。それでも聞きたいかね?」
「事情を知ったうえで協力するか、知らずに利用されるか、どちらかしかないんでしょ? 今さら逃げられないのは承知しているつもりです」

 子爵はにやり、と笑う。べつに一矢報いるとかそんなつもりはなかったけれど、何かお互いに通じるものがあった。たとえ草食動物だとしても、ぼくらだって男の子なのだ。

「きみにさせたかったことは、暗殺だ」

 モリガン子爵はずばり核心を突いてきた。

「この国グエンラルデは先日、国王陛下が崩御されたばかりでね。そのために跡目争いが起きている」
「世継ぎがいないのですか」
「いや。世継ぎはベルリアン殿下と決まっている。陛下の喪が明ければ、即位の儀が執り行われるだろう」
「何か問題でも?」
「殿下には兄君がおわす」

 あちゃ。
 それは、揉めるわ。
 そして当家も、その跡目争いに巻き込まれたようだ。

「正室の子はベルリアン王子なので世継ぎは早くから決まっていた。だがここにきて、兄君のジョアン王子が何やら動き始めたのだ。かなりの大物が後ろ盾についたと聞いている」

 ぼくの手当てを終え、いったん下がったロゼッタさんが再び現れた。お茶を淹れている。ミルクティーだ。さすが、こまごま気を配っていらっしゃる。
 下がろうとするロゼッタさんを、子爵は目で引き止めた。

「だがベルリアン王子が次期国王というのは既に確定している。正規の方法でこれを覆すのは難しい。そこで、私が目を付けられた」

 正直に言って、さほど強大でもない、序列もそんなに上の方じゃない貴族さまに、それほどの影響力があるとは思えない。特殊な何かを持っているのだろうか。

「察しの通り当家は大した家柄ではないが、特殊技能がいくつかあってね。最大の武器は『暗殺』だ。そして、とある筋から指令が下った。ベルリアン殿下を暗殺せよ、とね」

 子爵はいったん言葉を切った。

 ……なるほど。

「つまり、非合法な手段で、正当な王位継承者をなきものにしようと」

 子爵はうなずいた。

「そしてその罪を当家に押し付けて取り潰してしまえば、万事こともなし、ということだ」

 となりに控えるロゼッタさんが平然と聞いているということは、この家の共通認識なのだろう。

「念のためお訊きしますが、閣下はジョアン王子派なのですか?」
「私は陛下のご意志に従うのが本筋だと思っている。
 だが、もう目を付けられてしまった。事が成功しようと失敗しようと、もう逃げようがない」

 暗殺が成功すれば、実行犯として処刑され、モリガン子爵家は取り潰し。そしてジョアン王子が王位に就く。
 失敗すれば、やはり実行犯として処刑され、モリガン子爵家は取り潰し。ジョアン王子は次の手を考えればいい。
 子爵にとってはどっちに転んでも詰み、というわけだ。

「そこへきみが現れた。特殊な能力を持つ異邦人、何の背後関係もないきみたちなら、誰が巻き込まれることもない。もちろん私は監督責任を問われるだろうが、家名断絶まではないだろう。家族に累が及ばずにすむ。そう考えてきみを利用することにしたのだ」

 なるほど。事情と立場はだいたい理解した。
 要するに、当家に来た時からぼくは洗脳されていたわけだ。詳しくはわからないけど、毎晩見た夢も洗脳の一環なのだろう。食事や全ての会話や、ことによると部屋の配置とかそう言ったものまで計算に含まれているのかもしれない。
 仕上げが多分ロゼッタさんの色仕掛けだったんだろうが、そこでぼくがリセットスイッチを押してしまった。そんな程度で、と思うかもしれないが、魔法を抜きにすれば精神操作とは繊細なものだし、本来もっと長い期間をかけるものだ。時間が足りないのが仇になったのだろう。

 しかし、事情がわかったところで、モリガン子爵が窮地にあることは変わりない。

「だが、ちょうどよかった。踏ん切りがついたよ。他人を利用するなど、私の性分ではなかった」
「だんなさま……」

 ロゼッタさんが憂いを込めて主人を見ている。その姿は美しく、ちょっと儚げで、ぼくは切なくなった。

「そんな顔をしないでくれ、ロゼッタ。心配しなくても宰相閣下はミアの将来を約束してくれている。大丈夫だ」
「エルミアさまを?」

 ぼくが訊き返すと、子爵はこう説明してくれた。

「エマーサー宰相は、子息の結婚相手にミアをと約束してくれている。今回の働きの見返りだ。むろん、事が起こってしまったら我が家名は反逆者のものとなり、ミアも日陰者として生きていかなければならないだろう。おそらく正妻にはなれまい。
 それでも、今考えられる最善だと思う。シンシアも婚約が決まっているし、私がいなくなっても娘たちは生きていけるだろう」

 なんともやり切れない。
 力なき者の哀しさ。権力争いに巻き込まれ、翻弄され、未練を残しながら死んでゆく。
 こんないい人がそんな目に遭うなんて。

 同時に黒幕が誰か、モリガン子爵は明かしてくれた。
 確かに、大物。正直、ぼくみたいなよそ者が出る幕じゃない。
 だが、疑問は残る。いやしくも国の重鎮、現状でも栄耀栄華はほしいままのはずだ。別に無理にクーデターを起こす必要なんかない。むしろ、そんな不安はない方がいい。
 それでもジョアン王子を推戴する理由は何だろう?

「リョウタどの、きみはやはりただものではないな。易々と現状を把握してその背景にまで思い至っている。その教養や識見、一体どこで身につけたのだ?」
「いや、その、あはは……」

 えーと、戦記物の読み過ぎだと思いますよ、多分。

「きみたちとは、短い縁だっな。あとを見届けられないのは心苦しいが……」
「そんな、だんなさま!」

 思わずロゼッタさんが叫ぶ。

「だんなさまがいなくなっては、ミアお嬢さまが悲しみます。いっそわたくしが身代わりに!」
「それでは駄目なことくらい、わかるだろう? ミアはおまえをたいそう頼りにしている。あの子を頼むよ」 

 麗しき主従の信頼。だが、そう言って他人事に片づけてしまうのはあんまりだ。

「子爵さま。ジョアン王子の手に入れた切り札って、なんだと思います?」

 モリガン子爵は沈黙した。ぼくが言い出したことの意味が分からない、という顔だ。

「王位を横取りしようという気にさせるほどの切り札なんだから、よほどすごいんですよね? それ、手に入りませんか?」
「……ずいぶんな無茶を言うな」

 子爵はあきれ顔で苦笑いした。

「それを私に探れと言うのか」
「今ぼくが思いつく策なんて、そのくらいしかありません」
「普通は思いつかないぞ」

 子爵はまたも苦笑い。

「わかった。時間はないが、隠密行動は我が得意とするところだ。努力してみよう」

 笑う子爵。その笑いは、今までの半ばあきらめたようなものとは違っていた。

「やってみる価値はあるな。どれほど無謀だとしても」



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