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相澤、過去を語る〈2〉子供時代
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何故、俺はこんな風になってしまったのだろう…?
その原因は幼少期にまで遡る。
俺は独りっ子のように育てられた。実際には兄と姉の次に生まれたので次男坊の末っ子になるのだが、その2人はこの世に存在しない。何故なら、俺が殺したからだ。と言うのは嘘の話で、本当は俺が生まれる前に死んだ。それは、母親の身体が弱かったからだ。子供を産み育てるだけの体力が無い。2度の妊娠をしたが出産には至らなかった。それでも「我が子」が欲しくて俺を産んだ。
結局、俺も生まれた時から身体が弱くて丈夫な子供ではなかった。それだけに、母親は身体の事に関してはかなり神経質で慎重だった。2人の分まで俺にかける期待と不安は大きいものだった。
『あなたには、お兄ちゃんとお姉ちゃんが居るのよ。あなたの中には2人の命が宿っているの。いつもあなたを守ってくれるわ。2人の分まで強く生きてね』
これが母親の口癖だった。
3人の子供に向ける愛情だったのかもしれないが、俺は「籠の鳥」のように育てられた。その為、他人と関わる事に恐怖を感じるほどの人見知りになった。内心では他の子供を見て羨ましいと感じながらも、親の目を気にする大人しい子供になった。
未だに、周りに対して敏感で神経質なのはそのせいだろう。まったくもって迷惑な話だ。
ちなみに、俺には腹違いの姉が2人居る。だが、あまりにも年齢が離れていて家族とは思えない。
どういう事かと言えば、母親が初婚で父親が再婚者だったからだ。当然、両親の年齢もかなり離れている。家族というには世代がバラバラすぎてまとまりがない。
今では、家族というよりも「ただの同居人」だ。2人の姉も結婚して別々の家庭に収まっている。
父親は前妻を亡くした後に母親を見初めて再婚した。その時、俺の母親は30歳半ばを過ぎていた。2人の娘は成人に近い年齢だったはずだ。
母親は病弱だった為「箱入り娘」のようにして育てられた。そのせいで、お嬢様育ち風の世間ズレした所がある。標準的な一般家庭の生まれだが、一人娘だった事もあり苦労を知らない。がむしゃらに働くというよりは趣味に生きているような感じだ。父親に見初められた時も、知人が経営する店で趣味のピアノを弾いていたらしい。
両親の馴れ初めや、死んだ兄と姉の話は、幼い頃から寝物語りのように聞かされた。そういう事は自然と記憶に刻まれるものらしい。所謂「刷り込み」というやつだろう。
結局、母親も病弱で閉じこもりがちだったせいで社会とは縁の薄い人間だった。いつも俺を腕に抱き、少女のように空想的で夢見がちな話をしていた。現実社会とはかけ離れた「自分だけの世界」で生きているような所があった。
俺を産んだ後も子育てだけで手一杯だった母親の代わりに、家の事は父親の娘達がやってくれていたようだ。俺の面倒もよくみてくれたらしい。
『あなたは幸せな家庭に生まれてきたわね。まるで、3人もお母さんが居るみたいで良いわね。お姉ちゃん達に感謝しないといけないわね』
毎日、そう言われて育った。
母親は俺を壊れ物のように扱い、2人の姉は人形遊びのように扱った。
当然、幼い頃の遊び相手は2人の姉だった。体力が無い母親の代わりに外に連れ出してくれるのも姉達だった。次々に新しい洋服を買い与えてくれた。そして、汚れる事を嫌った。俺はお飾りの「着せ替え人形」のようだった。そのせいで、幼い頃の写真はどれもこれも「女の子」だ。
その違和感に気付いたのは幼稚園に入ってからだ。周りの子供達とは何処かが違っていた。それだけに、余計に馴染めずにいた。
段々と自我が芽生えて行く中で、違和感だけが大きくなった。それでも、俺は無口で人見知りで大人しいままだった。思った事も口に出来ず、他人との接し方も分からない。
『克己君、一緒に遊ぼう』
『おままごとしよう』
『お絵描きしよう』
声をかけてくれるのは隣に住んでいた女の子だった。幼稚園に入る前から何度か一緒に遊んだ事があった。最初の頃は一緒に居たが、俺が遊びたい相手は違っていた。外で元気に走り回る男の子達の仲間に入りたかった。その子が傍に居るだけで友達が出来ないような気がした。
《こっち来るな!あっち行け!》
そう思うようになった。それでも何も言えなかった俺は、逃げるようにして女の子を避けるようになった。小さな反発の始まりだった。
『克己君、どうして○○ちゃんと遊ばないの?お友達は大切にしないといけないのよ』
ある時、先生に叱られた。余計なお世話だと思った。女の子の事も先生の事も「嫌い」だと思った。
その時、初めて自分の中の「違和感」が形を成した。思い通りにならない事が周りからの強い抑圧に感じられた。どうすれば良いかも分からず、何も言えず、素直にもなれず、独りで木陰に隠れて過ごすようになった。
先生から連絡を受けた母親は俺の身体を心配した。日光に弱くて体調が悪いせいだと思ったらしい。今まで以上に神経質になり、超が付くほど過保護になった。幼稚園でも外には出さず部屋で休ませてもらうように申し出た。それ以降、大半の時間を布団の中で過ごす羽目になった俺に友達が出来る事はなかった。
それでも、大人しかった俺は親や先生にバレないように静かに遊ぶ事を覚えた。自分が嘘をついた訳でもなく、こうなる事を望んだ訳でもなかったが、外の世界の煩わしさよりは独りで好きに出来る方が気楽に思えた。
あの頃から、俺は独りで遊ぶ事に慣れて行った。家の中に居る時は比較的自由に過ごせた。ストレスにならないようにと考えた母親の配慮らしい。実際に身体が弱かったので、他の子供に比べると活発ではなかった。基本的にはテレビっ子だったが、いつも気に入ったアニメを観ていた。それが「銀河戦士バロン」だったという事だ。何故、それを気に入ったのかは分からないが、見慣れた映像と音声が流れ続ける事に安心感を覚えた。
今にして思えば、情緒不安定な子供だったのかもしれない。
それが全ての始まりだ。
その原因は幼少期にまで遡る。
俺は独りっ子のように育てられた。実際には兄と姉の次に生まれたので次男坊の末っ子になるのだが、その2人はこの世に存在しない。何故なら、俺が殺したからだ。と言うのは嘘の話で、本当は俺が生まれる前に死んだ。それは、母親の身体が弱かったからだ。子供を産み育てるだけの体力が無い。2度の妊娠をしたが出産には至らなかった。それでも「我が子」が欲しくて俺を産んだ。
結局、俺も生まれた時から身体が弱くて丈夫な子供ではなかった。それだけに、母親は身体の事に関してはかなり神経質で慎重だった。2人の分まで俺にかける期待と不安は大きいものだった。
『あなたには、お兄ちゃんとお姉ちゃんが居るのよ。あなたの中には2人の命が宿っているの。いつもあなたを守ってくれるわ。2人の分まで強く生きてね』
これが母親の口癖だった。
3人の子供に向ける愛情だったのかもしれないが、俺は「籠の鳥」のように育てられた。その為、他人と関わる事に恐怖を感じるほどの人見知りになった。内心では他の子供を見て羨ましいと感じながらも、親の目を気にする大人しい子供になった。
未だに、周りに対して敏感で神経質なのはそのせいだろう。まったくもって迷惑な話だ。
ちなみに、俺には腹違いの姉が2人居る。だが、あまりにも年齢が離れていて家族とは思えない。
どういう事かと言えば、母親が初婚で父親が再婚者だったからだ。当然、両親の年齢もかなり離れている。家族というには世代がバラバラすぎてまとまりがない。
今では、家族というよりも「ただの同居人」だ。2人の姉も結婚して別々の家庭に収まっている。
父親は前妻を亡くした後に母親を見初めて再婚した。その時、俺の母親は30歳半ばを過ぎていた。2人の娘は成人に近い年齢だったはずだ。
母親は病弱だった為「箱入り娘」のようにして育てられた。そのせいで、お嬢様育ち風の世間ズレした所がある。標準的な一般家庭の生まれだが、一人娘だった事もあり苦労を知らない。がむしゃらに働くというよりは趣味に生きているような感じだ。父親に見初められた時も、知人が経営する店で趣味のピアノを弾いていたらしい。
両親の馴れ初めや、死んだ兄と姉の話は、幼い頃から寝物語りのように聞かされた。そういう事は自然と記憶に刻まれるものらしい。所謂「刷り込み」というやつだろう。
結局、母親も病弱で閉じこもりがちだったせいで社会とは縁の薄い人間だった。いつも俺を腕に抱き、少女のように空想的で夢見がちな話をしていた。現実社会とはかけ離れた「自分だけの世界」で生きているような所があった。
俺を産んだ後も子育てだけで手一杯だった母親の代わりに、家の事は父親の娘達がやってくれていたようだ。俺の面倒もよくみてくれたらしい。
『あなたは幸せな家庭に生まれてきたわね。まるで、3人もお母さんが居るみたいで良いわね。お姉ちゃん達に感謝しないといけないわね』
毎日、そう言われて育った。
母親は俺を壊れ物のように扱い、2人の姉は人形遊びのように扱った。
当然、幼い頃の遊び相手は2人の姉だった。体力が無い母親の代わりに外に連れ出してくれるのも姉達だった。次々に新しい洋服を買い与えてくれた。そして、汚れる事を嫌った。俺はお飾りの「着せ替え人形」のようだった。そのせいで、幼い頃の写真はどれもこれも「女の子」だ。
その違和感に気付いたのは幼稚園に入ってからだ。周りの子供達とは何処かが違っていた。それだけに、余計に馴染めずにいた。
段々と自我が芽生えて行く中で、違和感だけが大きくなった。それでも、俺は無口で人見知りで大人しいままだった。思った事も口に出来ず、他人との接し方も分からない。
『克己君、一緒に遊ぼう』
『おままごとしよう』
『お絵描きしよう』
声をかけてくれるのは隣に住んでいた女の子だった。幼稚園に入る前から何度か一緒に遊んだ事があった。最初の頃は一緒に居たが、俺が遊びたい相手は違っていた。外で元気に走り回る男の子達の仲間に入りたかった。その子が傍に居るだけで友達が出来ないような気がした。
《こっち来るな!あっち行け!》
そう思うようになった。それでも何も言えなかった俺は、逃げるようにして女の子を避けるようになった。小さな反発の始まりだった。
『克己君、どうして○○ちゃんと遊ばないの?お友達は大切にしないといけないのよ』
ある時、先生に叱られた。余計なお世話だと思った。女の子の事も先生の事も「嫌い」だと思った。
その時、初めて自分の中の「違和感」が形を成した。思い通りにならない事が周りからの強い抑圧に感じられた。どうすれば良いかも分からず、何も言えず、素直にもなれず、独りで木陰に隠れて過ごすようになった。
先生から連絡を受けた母親は俺の身体を心配した。日光に弱くて体調が悪いせいだと思ったらしい。今まで以上に神経質になり、超が付くほど過保護になった。幼稚園でも外には出さず部屋で休ませてもらうように申し出た。それ以降、大半の時間を布団の中で過ごす羽目になった俺に友達が出来る事はなかった。
それでも、大人しかった俺は親や先生にバレないように静かに遊ぶ事を覚えた。自分が嘘をついた訳でもなく、こうなる事を望んだ訳でもなかったが、外の世界の煩わしさよりは独りで好きに出来る方が気楽に思えた。
あの頃から、俺は独りで遊ぶ事に慣れて行った。家の中に居る時は比較的自由に過ごせた。ストレスにならないようにと考えた母親の配慮らしい。実際に身体が弱かったので、他の子供に比べると活発ではなかった。基本的にはテレビっ子だったが、いつも気に入ったアニメを観ていた。それが「銀河戦士バロン」だったという事だ。何故、それを気に入ったのかは分からないが、見慣れた映像と音声が流れ続ける事に安心感を覚えた。
今にして思えば、情緒不安定な子供だったのかもしれない。
それが全ての始まりだ。
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