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相澤と速水〈7〉孤独の理由
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人間の記憶とは不思議なもので、無駄な事は覚えていても肝心な部分を忘れている時がある。だが、本当に忘れている訳ではない。小さな「キッカケ」から大きく展開して行く事もある。
例えば、試験の時に問題の答えは思い出せなくても教科書の何ページに載っていたとか、挿絵の人物の顔が妖怪みたいだったとか、そういう事は意外と覚えていたりする。特に苦手な科目になるとその傾向が強く出る。そこから更に展開し、別の教科書のページや無関係な本の文面までもが頭の中に浮かんでくる。肝心な答えを思い出そうとすればするほど、思考はどんどん軌道を外れて別の方向へと突き進む。それは「記憶の連鎖反応」のようなものだ。一度溢れ出したら止まらなくなる。結局、そのままタイムリミットで試験が終わり最悪な結果となった。
俺はバカではないが頭が良いという訳でもない。これといった取り柄もない普通の人間だ。恵まれた才能のない奴は黙って努力するしかない世の中だ。俺は普段から真面目に努力をしている。だが、努力してもどうにもならない事もある。人間には与えられた「限界」というものがある。
それは、勉強においても同じだ。日々、真面目に勉強をしていても苦手な科目は教科書と睨めっこ状態になる。特に、試験前などは必要以上に時間を費やす。その間に気分転換で他の本を手に取ったり別の科目を勉強したりする。それが同時に脳に記憶されてしまう。挙げ句の果てには、図書館で借りた本の「誰が描いたか分からない落書き」まで記憶していた。そういう部分は特に目について気になるものだ。何処の誰がやったか分からないだけに余計に苛つく。些細な事のようでいて、俺にとっては些細な事では済まされない。
結果的に、その落書きのせいで肝心な答えを思い出せなかったようなものだ。全ての苦労が水の泡となり、費やした時間が無駄となった。俺はそういう「人間の無神経さ」に怒りを覚える。
常日頃から世の中に対する不満は多い。多いというよりも不満だらけだ。その「落書き」一つからでも俺の怒りは膨れ上がる。
何故なら、世の中の奴等は「単なる落書き」だと笑い、気にする方が神経質だと批判する。落書きした人間よりも神経質になる人間の方が悪いと言わんばかりの態度を見せる。その反面、大々的な落書きには目の色を変えて非難轟々だ。誰がやったか責め立てる。何処の誰かも分からないだけに言いたい放題だ。だが、物事には大きいも小さいもない。やっている事は同じだ。俺に言わせれば、コソコソした落書きしか出来ない奴の方が肝っ玉が小さいというだけの話だ。公共物に落書きする行為自体が間違っているからだ。
人間共は問題が大きくならないと分からないらしい。普段から雑に生きているからそういう事になるのだ。自分達の安直な思考と言動が世の中を乱れさせ、全てを助長させている事にも気付いていない。
間違いだらけの世の中と人間共の理不尽な言動が俺の怒りを助長させ人生を狂わせると言っても良いだろう。つまり、その落書きがキッカケとなり試験中にも関わらず頭の中が「怒りの連鎖反応」を起こした。俺にとっては試験結果だけが問題なのではない。日々の努力も苦労も「日常の我慢」さえもが無駄になったようなものだ。俺の人生を足蹴りにされた気分だった。
自分でも神経質になっている事は分かっている。そんな自分が嫌になる。だが、他人の無神経さが俺を神経質にさせているのだ。
……俺がこんな風になったのは全て周りの奴等のせいだ!
……日々の苦労が絶えないのも、努力が実らないのも、俺だけが苦しむのも、全ては世の中が間違っているからだ!
……俺を他の奴等と一緒にするな!俺は間違ってなどいない!俺の考えは正しい!俺は真面目に正しく生きている!
……他人に振り回されるなど御免だ!これ以上、俺の人生を汚されてたまるものか!
そういう小さな「キッカケ」が俺の人生を次々と変えて行く。それ以降、俺は自分の欠点を正す努力をして来た。
俺の記憶力は悪くない。若いのだから当然だ。意識していなくても耳や目から入ってくる情報は多い。全ては記憶として脳に刻まれる。頭の中には膨大な記憶が貯まっているという事だ。それを漠然と扱えば余計なものが次々と出てきて手に負えなくなる。それならば、整理するしかないだろう。余計な事は考えず自分に必要なものだけを選び取る。要は「脳の使い方」次第という事だ。
勉強は苦手だが数学は得意な方だ。コツさえ掴めば難しい問題も解けるようになる。スラスラ解けた時の気分は爽快だ。頭の中がスッキリする。秀でた才能のない俺にとっては「唯一の特技」と言っても良い。その時ばかりは脳の巡りも冴えていて自分でも天才ではないかとさえ思えてしまうほどだ。
ある時、誰かがこう言った「それは気分の問題」だと。気分で何かが変わるなら人間は苦労などしない。気分で難問が解けるなら日々の勉強など必要ない。それでも何かが変わるなら、それもそれだ良いだろう。
人間には「得手不得手」というものがある。数学は得意だが国語は苦手な分野だ。脳の使い方が微妙に違うからだ。数学は答えが決まっているが、国語の答えは曖昧で理解し難い。ニュアンスの違いだかなんだか知らないが、それは個人の感覚の問題だ。それ以上に、体育や音楽は救いようがない。どんなに努力を重ねても出来ない事は出来ない、無理なものは無理でしかない。
与えられた人間と与えられない人間の差は歴然だ。この世の中は、恵まれた人間と恵まれない人間が共存している。正に「理不尽な世の中」だ。どんなに手を伸ばしても届かない場所があるように、どれだけ欲しいと望んでも手に入らないものは入らないのだ。
俺の人生など「その程度」のものだ。与えられる事はなく、奪われて行くだけだ。傷付いて疲れ果てて消耗するだけの人生だ。最後には自分さえもが消えてしまう。そんな人生に意味は無い。
それならば、人生も数学のように生きれば良い。嫌な人生でも少しは気分が晴れるだろう。
この世の中には無駄なものが多すぎる。それは、日常生活においても人生においても同じようなものだ。その一つ一つを問題視していてはキリがない。
人間社会とは「陣取り合戦」のようなものだ。それぞれの人間が自分のエリアを護りながら他人のエリアを侵す。日常生活などは「小競り合い」の連続だ。そして、人生とは「戦場」だ。他人を蹴散らし「のしあがる者」が勝者となる。勝者は勝ち誇った顔をして、敗者は地べたに這いつくばるしかない。
だが、世の中は不平等だ。各々に与えられた条件が違うからだ。才能に恵まれた奴は初めから優位に立ち、ずる賢い奴等は陰で笑う。その他大勢は有能な奴に媚びてひれ伏し、現実を見て見ぬ振りをしながら流される。自分の意見など有って無いようなものだ。我が身可愛さに強者の影に隠れる腰抜け野郎共だ。無関心で無遠慮で統一性がない。俺に言わせれば「虎の威を借る狐」だ。それ以外の奴等など「不和雷同」「軽佻浮薄」もいいところだ。
自分で立ち向かう覚悟がない奴は黙って大人しくしていれば良い。無関心なら無関心を貫き通せば良いのだ。下手に善人振った顔をして、さも自分達が正義とばかりに口を揃えて嘯く。そんな下らない人間共が蔓延る世の中には怒りしか感じない。
……俺は人間が嫌いだ!
……人間共が巣食う世の中が大嫌いだ!
それでも、既に「腐りきった世の中」でしかない。俺が何かを考えた所で世の中が変わる訳ではない。俺が苦悩した所で周りの奴等が気に留める事もない。それだけでなく、奴等は好き放題に「俺の空間領域」を侵す。社会の中に身を置く以上、この世に生まれて来た以上、俺が人間である以上、どうにもならない事もある。
……こんな世の中に生まれたくなかった!
……こんな自分に生まれたくなかった!
……俺の事は放っておいてくれ!
……これ以上、誰も俺の邪魔をするな!
凝縮される怒りと強烈な圧迫感。やり場のない怒りと逃げ場のない現実。そんな中でも自分の脳だけは自分で操る事が出来る。頭の中だけは他人の手が及ばない「俺だけの領域」だ。
……俺は孤独に生きてやる!
……他人など関係ない!世の中などどうでも良い!
……俺は自分の思い通りに生きてやる!
俺の生き方がどうであろうと誰にも関わりのない事だ。所詮「他人は他人」でしかない。周りの奴等は干渉するだけで、他人の人生の責任は取らない。この世の中に正しいと言い切れる人間など居ない。善意だけの人間も居ない。誰にでも表と裏の顔がある。人間共の腹の中など薄汚れたドロドロだ。そんな奴等に支配される世の中などどうでも良い。俺は俺なりに生きれば良いだけの事だ。
そうやって孤独の中に身を置き続ける内に感覚的なものだけが大きくなった。要は「自分の感覚」の中で生きているようなものだ。そして、周りと自分を切り離す事で更に周りが見えるようになった。渦中に居た頃には見えなかった事だ。今では「世の中の汚さ」がよく見える。
「孤独な自分」を寂しいとか辛いとか苦しいとか言う奴も居るが、それは周りの人間に期待して依存しようとするからだ。期待すれば失望し、信じれば裏切られる。逆に、他人を傷つける人間は自分が傷付く事を知らない。常に相反したものが共にある。それこそが「表と裏」だ。しかも、人間同士の関係など駆け引きでしかない。私利私欲にまみれた奴等は多い。強い奴ほど傲慢で、能力が高い奴ほど排他的だ。万能な奴は偽善者で、中途半端な奴ほど自己承認欲求が強い。挙げればキリがないだろう。
それでも、人間という生き物は周りを気にしたり無理して合わせようとする集団だ。大多数の一致にどれだけの真実があると言うのだ。弱者は簡単に虐げられ、才能の無い者は日の目を見る事もない。異種は後ろ指を差されて裏の世界で息を潜める。そんな世の中に正義など有りはしない。恵まれた奴等が我が物顔でのさばり、それに纏わり付くだけの愚かな人間共の集まりだ。そんな奴等の言葉や態度を気にするよりは孤独に生きる方がマシだろう。周りに流される事もなく、周りから干渉される事もない。汚されて毒されて腐って死ぬぐらいなら孤独を選んだ方が良い。更に言うならば「完全に孤立」してしまえば良いのだ。そうすれば、孤独を恐れる事もない。
周りが自分を排除するなら、自分から周りを排除すれば良い。
他人に支配されたくないなら、自分で自分を支配すれば良い。
何に怯える事もなく、周りを気にする事もない。
誰に汚される事もなく、他人を恐れる事もない。
自分を卑下する事もなく、自分で自分を褒め称える。
他人に認めてもらう必要などない。自分が納得出来ればそれで良い。簡単な事だろう。
俺は自分で自分を支配する。
……身体も…、
……思考も…、
……怒りさえも…、
……その全てをコントロール出来る。
……誰も俺を支配する事は出来ない!
……誰も俺には触れられない!
……恐れる事など何も無い!
……俺を支配出来るのは俺だけだ!
例えば、試験の時に問題の答えは思い出せなくても教科書の何ページに載っていたとか、挿絵の人物の顔が妖怪みたいだったとか、そういう事は意外と覚えていたりする。特に苦手な科目になるとその傾向が強く出る。そこから更に展開し、別の教科書のページや無関係な本の文面までもが頭の中に浮かんでくる。肝心な答えを思い出そうとすればするほど、思考はどんどん軌道を外れて別の方向へと突き進む。それは「記憶の連鎖反応」のようなものだ。一度溢れ出したら止まらなくなる。結局、そのままタイムリミットで試験が終わり最悪な結果となった。
俺はバカではないが頭が良いという訳でもない。これといった取り柄もない普通の人間だ。恵まれた才能のない奴は黙って努力するしかない世の中だ。俺は普段から真面目に努力をしている。だが、努力してもどうにもならない事もある。人間には与えられた「限界」というものがある。
それは、勉強においても同じだ。日々、真面目に勉強をしていても苦手な科目は教科書と睨めっこ状態になる。特に、試験前などは必要以上に時間を費やす。その間に気分転換で他の本を手に取ったり別の科目を勉強したりする。それが同時に脳に記憶されてしまう。挙げ句の果てには、図書館で借りた本の「誰が描いたか分からない落書き」まで記憶していた。そういう部分は特に目について気になるものだ。何処の誰がやったか分からないだけに余計に苛つく。些細な事のようでいて、俺にとっては些細な事では済まされない。
結果的に、その落書きのせいで肝心な答えを思い出せなかったようなものだ。全ての苦労が水の泡となり、費やした時間が無駄となった。俺はそういう「人間の無神経さ」に怒りを覚える。
常日頃から世の中に対する不満は多い。多いというよりも不満だらけだ。その「落書き」一つからでも俺の怒りは膨れ上がる。
何故なら、世の中の奴等は「単なる落書き」だと笑い、気にする方が神経質だと批判する。落書きした人間よりも神経質になる人間の方が悪いと言わんばかりの態度を見せる。その反面、大々的な落書きには目の色を変えて非難轟々だ。誰がやったか責め立てる。何処の誰かも分からないだけに言いたい放題だ。だが、物事には大きいも小さいもない。やっている事は同じだ。俺に言わせれば、コソコソした落書きしか出来ない奴の方が肝っ玉が小さいというだけの話だ。公共物に落書きする行為自体が間違っているからだ。
人間共は問題が大きくならないと分からないらしい。普段から雑に生きているからそういう事になるのだ。自分達の安直な思考と言動が世の中を乱れさせ、全てを助長させている事にも気付いていない。
間違いだらけの世の中と人間共の理不尽な言動が俺の怒りを助長させ人生を狂わせると言っても良いだろう。つまり、その落書きがキッカケとなり試験中にも関わらず頭の中が「怒りの連鎖反応」を起こした。俺にとっては試験結果だけが問題なのではない。日々の努力も苦労も「日常の我慢」さえもが無駄になったようなものだ。俺の人生を足蹴りにされた気分だった。
自分でも神経質になっている事は分かっている。そんな自分が嫌になる。だが、他人の無神経さが俺を神経質にさせているのだ。
……俺がこんな風になったのは全て周りの奴等のせいだ!
……日々の苦労が絶えないのも、努力が実らないのも、俺だけが苦しむのも、全ては世の中が間違っているからだ!
……俺を他の奴等と一緒にするな!俺は間違ってなどいない!俺の考えは正しい!俺は真面目に正しく生きている!
……他人に振り回されるなど御免だ!これ以上、俺の人生を汚されてたまるものか!
そういう小さな「キッカケ」が俺の人生を次々と変えて行く。それ以降、俺は自分の欠点を正す努力をして来た。
俺の記憶力は悪くない。若いのだから当然だ。意識していなくても耳や目から入ってくる情報は多い。全ては記憶として脳に刻まれる。頭の中には膨大な記憶が貯まっているという事だ。それを漠然と扱えば余計なものが次々と出てきて手に負えなくなる。それならば、整理するしかないだろう。余計な事は考えず自分に必要なものだけを選び取る。要は「脳の使い方」次第という事だ。
勉強は苦手だが数学は得意な方だ。コツさえ掴めば難しい問題も解けるようになる。スラスラ解けた時の気分は爽快だ。頭の中がスッキリする。秀でた才能のない俺にとっては「唯一の特技」と言っても良い。その時ばかりは脳の巡りも冴えていて自分でも天才ではないかとさえ思えてしまうほどだ。
ある時、誰かがこう言った「それは気分の問題」だと。気分で何かが変わるなら人間は苦労などしない。気分で難問が解けるなら日々の勉強など必要ない。それでも何かが変わるなら、それもそれだ良いだろう。
人間には「得手不得手」というものがある。数学は得意だが国語は苦手な分野だ。脳の使い方が微妙に違うからだ。数学は答えが決まっているが、国語の答えは曖昧で理解し難い。ニュアンスの違いだかなんだか知らないが、それは個人の感覚の問題だ。それ以上に、体育や音楽は救いようがない。どんなに努力を重ねても出来ない事は出来ない、無理なものは無理でしかない。
与えられた人間と与えられない人間の差は歴然だ。この世の中は、恵まれた人間と恵まれない人間が共存している。正に「理不尽な世の中」だ。どんなに手を伸ばしても届かない場所があるように、どれだけ欲しいと望んでも手に入らないものは入らないのだ。
俺の人生など「その程度」のものだ。与えられる事はなく、奪われて行くだけだ。傷付いて疲れ果てて消耗するだけの人生だ。最後には自分さえもが消えてしまう。そんな人生に意味は無い。
それならば、人生も数学のように生きれば良い。嫌な人生でも少しは気分が晴れるだろう。
この世の中には無駄なものが多すぎる。それは、日常生活においても人生においても同じようなものだ。その一つ一つを問題視していてはキリがない。
人間社会とは「陣取り合戦」のようなものだ。それぞれの人間が自分のエリアを護りながら他人のエリアを侵す。日常生活などは「小競り合い」の連続だ。そして、人生とは「戦場」だ。他人を蹴散らし「のしあがる者」が勝者となる。勝者は勝ち誇った顔をして、敗者は地べたに這いつくばるしかない。
だが、世の中は不平等だ。各々に与えられた条件が違うからだ。才能に恵まれた奴は初めから優位に立ち、ずる賢い奴等は陰で笑う。その他大勢は有能な奴に媚びてひれ伏し、現実を見て見ぬ振りをしながら流される。自分の意見など有って無いようなものだ。我が身可愛さに強者の影に隠れる腰抜け野郎共だ。無関心で無遠慮で統一性がない。俺に言わせれば「虎の威を借る狐」だ。それ以外の奴等など「不和雷同」「軽佻浮薄」もいいところだ。
自分で立ち向かう覚悟がない奴は黙って大人しくしていれば良い。無関心なら無関心を貫き通せば良いのだ。下手に善人振った顔をして、さも自分達が正義とばかりに口を揃えて嘯く。そんな下らない人間共が蔓延る世の中には怒りしか感じない。
……俺は人間が嫌いだ!
……人間共が巣食う世の中が大嫌いだ!
それでも、既に「腐りきった世の中」でしかない。俺が何かを考えた所で世の中が変わる訳ではない。俺が苦悩した所で周りの奴等が気に留める事もない。それだけでなく、奴等は好き放題に「俺の空間領域」を侵す。社会の中に身を置く以上、この世に生まれて来た以上、俺が人間である以上、どうにもならない事もある。
……こんな世の中に生まれたくなかった!
……こんな自分に生まれたくなかった!
……俺の事は放っておいてくれ!
……これ以上、誰も俺の邪魔をするな!
凝縮される怒りと強烈な圧迫感。やり場のない怒りと逃げ場のない現実。そんな中でも自分の脳だけは自分で操る事が出来る。頭の中だけは他人の手が及ばない「俺だけの領域」だ。
……俺は孤独に生きてやる!
……他人など関係ない!世の中などどうでも良い!
……俺は自分の思い通りに生きてやる!
俺の生き方がどうであろうと誰にも関わりのない事だ。所詮「他人は他人」でしかない。周りの奴等は干渉するだけで、他人の人生の責任は取らない。この世の中に正しいと言い切れる人間など居ない。善意だけの人間も居ない。誰にでも表と裏の顔がある。人間共の腹の中など薄汚れたドロドロだ。そんな奴等に支配される世の中などどうでも良い。俺は俺なりに生きれば良いだけの事だ。
そうやって孤独の中に身を置き続ける内に感覚的なものだけが大きくなった。要は「自分の感覚」の中で生きているようなものだ。そして、周りと自分を切り離す事で更に周りが見えるようになった。渦中に居た頃には見えなかった事だ。今では「世の中の汚さ」がよく見える。
「孤独な自分」を寂しいとか辛いとか苦しいとか言う奴も居るが、それは周りの人間に期待して依存しようとするからだ。期待すれば失望し、信じれば裏切られる。逆に、他人を傷つける人間は自分が傷付く事を知らない。常に相反したものが共にある。それこそが「表と裏」だ。しかも、人間同士の関係など駆け引きでしかない。私利私欲にまみれた奴等は多い。強い奴ほど傲慢で、能力が高い奴ほど排他的だ。万能な奴は偽善者で、中途半端な奴ほど自己承認欲求が強い。挙げればキリがないだろう。
それでも、人間という生き物は周りを気にしたり無理して合わせようとする集団だ。大多数の一致にどれだけの真実があると言うのだ。弱者は簡単に虐げられ、才能の無い者は日の目を見る事もない。異種は後ろ指を差されて裏の世界で息を潜める。そんな世の中に正義など有りはしない。恵まれた奴等が我が物顔でのさばり、それに纏わり付くだけの愚かな人間共の集まりだ。そんな奴等の言葉や態度を気にするよりは孤独に生きる方がマシだろう。周りに流される事もなく、周りから干渉される事もない。汚されて毒されて腐って死ぬぐらいなら孤独を選んだ方が良い。更に言うならば「完全に孤立」してしまえば良いのだ。そうすれば、孤独を恐れる事もない。
周りが自分を排除するなら、自分から周りを排除すれば良い。
他人に支配されたくないなら、自分で自分を支配すれば良い。
何に怯える事もなく、周りを気にする事もない。
誰に汚される事もなく、他人を恐れる事もない。
自分を卑下する事もなく、自分で自分を褒め称える。
他人に認めてもらう必要などない。自分が納得出来ればそれで良い。簡単な事だろう。
俺は自分で自分を支配する。
……身体も…、
……思考も…、
……怒りさえも…、
……その全てをコントロール出来る。
……誰も俺を支配する事は出来ない!
……誰も俺には触れられない!
……恐れる事など何も無い!
……俺を支配出来るのは俺だけだ!
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