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シャチの刺青

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彼等には刻まれていたという。


おぞましい魔獣の刺青が…。


【女占い師】


―尖った個性―


ある女がいた。


その女は、治らない病を抱えたせいか、物心がついた時から、他人には見えないものが見えていた。


そして、こんな風に「心の声」を聞く事ができた。


―餌さがし―


女が、海面から顔を出すと、旨そうなアザラシの群れが、雪の絨毯の上で日向ぼっこをしていた。


女が近付いてみると、彼等からだろうか、心の声が聞こえてきた。


はじめは、「変な子」


そして、「こわい」


「あっちにいって」


女は、そう言われている気がした。


「これでは、近づけないわ」


女は、悲しげな表情を浮かべて、アザラシの群れから離れた。


しばらくすると、白黒ペンギンの群れが見えてきた。


彼等は海を泳ぐ、現在はとべない鳥である。


みんな、白黒の服を着ていて、海流を乗り降りし、誰が決めたかも分からない決まり事を守り続けていた。


「今度こそ、うまくやれるかしら」 


女が、白黒ペンギンたちに話し掛けてみる。

 
だが、話し掛けても、忙しい彼等は気付いてくれない。


また、心の声が聞こえてくる。


それは、難しい言葉で、胸が痛くなる呪文のよう。

 
女は、大きな影をつくり、群れを追い越した。


シャチのように。


―海―


女は、このような世界を「海」と呼んでいる。


海は、だれかの涙で、ぐるぐると回っている。


泳ぐ者も、漂よう者も、激しい海流から緩やかな流れに乗り、乗り降りを繰り返しながら、必死に餌をさがす。


生きる為に喰わなくてはならない餌は、お金のように動き回るから、なかなか掴めない。


掴んだと思えば、後ろからガブリなんて事は日常茶飯事。


これは難しい言葉で、弱肉強食と呼ばれている。


弱い者は、強い者の餌になりやすく、生きにくいのだ。

 
こんなにも生きにくい世界、誰が作ったのだろうか。


きっと、この答えは返ってこない。


女は、そのような悩み事を、何人かの「サメ医師」に相談した。


―サメ医師―


女が、サメ医師に相談すると、サメ医師は、おもしろい話を聞いたかのように、そのトラバサミのような歯を見せて笑っていた。


笑い話をしたつもりはない。


だが、彼等には、この胸の痛みも、些細な事なのだろう。


女は、彼等の心の声を聞いて、話が終わる頃の決め台詞のような「薬」という言葉だけを持ち帰った。


女は、この時の事を眼に焼きつけた。


―未知の力―


疲れたから、誰かに頼ったのに。


賢い医師も、役立たず。


ならばと、女は、未知の力に頼った。


それは、「自分」


その力を更に強める為に、首飾りをつける。


胸元には、力を秘めた石「水晶玉」が輝く。


女は、その吸い込まれそうな美しい球体の肌をあやしい指先でなぞり、心の中から生まれてくる言葉を呟いた。


「水晶は伝えます、


曖昧な未来を、


この生きにくい世界を生んでいるのは、他でもないあなたです、


けれど、あなたはそれを認めたくない、


ならば、永久に戦いなさい、


その賢さで、人の弱さを操り、


あなたの狩場である海で、心臓を喰らうのです、


あなたが持つ、その獰猛さを見せれば、


悪さえもひれ伏すでしょう、


そこに、あなたの望む世界が見えます」


女の、二度目の「餌さがし」が始まった。


―部下さがし―


女は、この世界を自分の生きやすい世界へ変えたかった。


だから、その協力者となる「部下」を捜す事にした。 


部下に相応しいのは、心が弱く、操り人形のように扱えて、個性の尖った者。


女が求めた人材は、資金稼ぎに必要な芸術家、人間嫌いの創始者、商売敵などを排除する暗殺者、それを補助する解錠師と、治せる医師。


国を動かせる、氷上の王、だった。


女は、彼等を部下にする為に、心の弱い者が惹かれやすいという「占い師」になった。


自分が水晶玉に惹かれたように、「わたしたち」は、未知の力に惹かれやすいと思ったのだ。


女占い師は、彼等の心の声や叫びを聞いた。

 
聞こえてくるそれぞれの望みに、女占い師は、助言で答えた。


―個性の尖った部下たち―


作品作りの不調だった調香師には、「固定観念」を捨てさせる事で、人間の香りのする香水を生み出させ、


どうぶつの肉を喰らう事に罪悪感のある男には、


「悪い行いは、良い行いで消せる」と、


新しい決まり事を与えた。


結果、女占い師が殺したい程に憎んでいた商売敵たちが狩り取られた。


彼等では狩り取れない大物たちは、神を嫌う暗殺者に、神を殺す方法は、神を信じる者を殺す事だと助言をあたえ、暗殺者に、殺したい人間の名前を書いた手帳を手渡した。


腕の良さが原因で仕事に恵まれない解錠師には、特別な仕事をあたえた。


結果、極寒の地への侵略に成功した。


女占い師は、その極寒の地を征服する為に、王を失った氷の玉座に、かつての王を憎んでいた者を腰掛けさせた。


女占い師は、その新しい王を「氷上の主」と呼んだ。


だが、そのような彼等は、常に精神不安定。


女は、彼等を治療できる者が必要だと、腕がよく、その痛みを感じられる医師を部下に迎えた。


それは、白い聖女。


結果、罪人たちの腕の傷が治療され、その腕で獲物たちが、多く狩り取られた。


女占い師は、自分の手を汚す事なく、その海を真っ赤に染めた。


―海は真っ赤―


女占い師が、真っ赤な海面から、顔を出すと、白黒ペンギンや、旨そうなアザラシが、急いで氷上へと上がり、逃げ出した。


あの「サメ医師」も、もう敵ではない。


女占い師は、解錠師の力を借りて、サメ医師のねぐらへと侵入して、ガブリと、そのよく動く喉に噛みついた。


サメ医師は、ポタポタと血の雨をたらしていた。


女占い師は、あの日、相談した胸の内を語りながら、サメ医師が、あの時に笑って見せた白い歯を、一本ずつ、拷問具で引き抜いた。


引き抜く度に、その足元が血で汚れていった。


サメ医師は、口を開いたまま泣いていた。


だが、そんなことは、女占い師には些細な事。


その舌を拷問具で挟み込んだ。


「役に立たないわね」と。


だが、役立たずは、まだいた。


―極寒の地―

 
女占い師は、極寒の地を拠点にしていた。


この極寒の地では、氷上の主が玉座に腰掛けているが、その氷上の主を操るのは、女占い師と、影に潜む部下たちだった。


女占い師は、氷上の主を操り、海を真っ赤に染め上げた。


だが、その赤は警告色だった。


血の匂いを嗅いで、別の獣が現れた。


その獣は、極寒の地の大物たちを狙っていた。


大物たちは、次々に狩り取られ、氷上の主も、その骨をも砕く牙の前に倒れた。


女占い師は、その獣の後ろ姿を見て、冷たい声を聞いた。


女占い師は、微笑した。


「わたしから獲物を横取りにするなんて、悪い子ね」


女占い師は、その獣を「黒いローブの男」と呼んだ。


―腐肉漁り―


人生に障害はつきもの。


だが、その障害を取り除かなければ、この海を悠々とは泳げない。


女占い師は、部下たちへ助言をあたえて、人生の障害である、黒いローブの男を狩り取らせようとした。

  
調香師には、あの男の体液は、極上の香りを生み出す香料である事を伝えて、神嫌いの暗殺者には、彼の暗殺を優先させた。


だが、心の弱い者たちを部下にしたのが原因か、彼等は、それぞれの弱点を突かれて、死体で発見された。


それから数日後。


解錠師が、解錠依頼で出掛けたきり帰って来なくなった。


 もしかすると、副業の盗みに失敗したのかもしれない。


解錠師が、行方不明になってから、人間嫌いの創始者が主催した 「大自然愛護協会、愛について学ぶ会」では、火事が起こり、それに驚いた創始者が誤ってガス部屋に入り、窒息死した。


誰かが仕組んだに違いない。

 
その事に衝撃を受けた白い聖女は、治せなかった事を悔やんで、施療院に、「女占い師の診療録」を残して旅立った。


女占い師は、部下を失った。


独りになった。


―精神病質者のほしぞら―


女占い師は、館の中に独りでいた。


中庭へと出ると、星空に手を伸ばす。


望んでいた世界が遠ざかっていく。


女占い師の背後で、誰かが呟いた。


「望みを叶えたければ、この分厚い本を読み解くのだ」


振り返ると、黒いローブの男が、分厚い本を抱えて立っていた。


それは、「人生の障害」 


女占い師は、訊いた。


「何故あなたは、執拗に邪魔をするのかしら」と。


だが、答えは返ってこない。


黒いローブの男は、女占い師の足元へ、分厚い本を投げ捨てると、冷たい表情のまま去っていった。


あの黒いローブの男も、何かを抱えているのだ。


だから、もう振り返る事はない。


女占い師は、自分の足元を見ていた。


何かにひかれるように、その分厚い本を拾い上げる。


開くとそこには、「シャチの刺青」と、黒文字で書かれていた…。
  
 
―占い師―


女占い師は、その物語を黙読した。


そこには、ある占い師の物語が書かれていた。


その占い師は、曖昧な未来を見る力を持っており、他人を不幸にも幸福にもできた。
  

だが、他人の幸福は、苦く喰えなかった。


だから、占い師は、嘘をついて、他人を操り、不幸にした。


占い師は、他人の不幸を喰らい、その身体を大きくした。


そして、自分だけが生きやすい世界をつくりあげようとした。


占い師は、お得意の占いで、その方法を占った。


眼を閉じて、水晶玉をあやしい指先でなぞる。


占い師は、心の中から生まれてくる言葉を呟いた。


【海の征服者よ、世界の征服を望むのならば、お得意の占いとやらで、曖昧な未来を占うのだ、


世界が滅亡する、終焉の日を】


…そう書かれていた。


女占い師は、分厚い本を閉じた。


そして、微笑した。


―絶景―


月が墜ちて、夜の星が老いた日。


女占い師は、逃げ惑う人々の流れに逆らって、縦に長い、狭い箱の中にいた。


地上からは、癌と呼ばれた人間たちの声がした。


女占い師は、微笑していた。


その胸元にひび割れた水晶玉を輝かせて。


その日、世界は、乳白色の光を放った。


海も、空も、まっさらだった。


自分の生きやすい世界を望んだ女占い師、


その胸元には、海の王者、「シャチの刺青」が、月が転がるように刻まれているという…。


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