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アカクビワラビーの刺青

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彼等には刻まれていたという。


おぞましい魔獣の刺青が…。


びっくりハウスの女主人


―匿いの箱―   


ある田舎町に、びっくりハウスと呼ばれる、自分たちの笑顔を求める者たちが集う大きな家が建っていた。


その家の「女主人」は、大きな家のように、心の器も大きく、とても優しかった。


そして、そのような自分に酔っていた。


ガマズミの美酒に。


―女主人―


女主人は、かつて、「黒いローブの男」から、「分厚い本」を受け取った事があった。


それは、いつまでも自立の出来ない息子を、たった独りでみるのに疲れた時だった。


橋の上で、女主人は、その黒いローブの男に、全てを見透かされたように言われた。


「あの子の為になったのか?償いたければ、この分厚い本を受け取れ」  


償っても、我が子はかえらない。


分かっている。


それでも、女主人は、しゃくりあげながら、分厚い本を受け取った。


そして、本を開いた。


開くと、そこには「アカクビワラビーの刺青」と、黒文字で書かれていた。


それは、雌の腹部に、育児嚢(いくじのう)という袋がある動物の名前だった。


育児嚢は、発育不全の状態で生まれた子を自立できる大きさになるまで安全に発育させる為の、その子の隠れ家。


女主人は、泣き続けた。


その隠れ家から、自立の出来ない子を連れ出したからだ。


女主人は、しゃくりあげながら思った。


「もしも、次があるのならば、その子が自立できるまで、私がみていてあげたい」


そして、どこからか声は聞こえてきた。


【心優しい母親よ、


流した我が子は、もう二度と抱けない、


だが、流れてきた子供たちならば、抱く事はできる、


その罪人の手で育てよ、


自立できる その日まで】


女主人は、眼を見開いた。


―建築家の遺した家―


女主人は、その分厚い本から、精神異常者の息子を持つ建築家の物語を読み解くと、ページの間にはさまっていた地図を頼りに、地図に印された×印の場所へと向かった。


やっと、着いた。


見るとそこには、田舎町にひっそりと立つ大きな家が建っていた。


女主人が、扉を開こうとすると、既に、鍵穴には銀色の鍵が挿し込まれていた。


鍵を回して、扉を開くと、広い玄関ホールが迎えてくれた。


玄関ホールは、幾つかの部屋に繋がっており、どの部屋の壁にも防音対策がされていた。


壁には、爪で引っ掻いたような痕が幾つも見えた。


女主人は、壁に喜怒哀楽の絵画がかけられた廊下を歩いて、分厚い本に書かれていた「主の部屋」を開いた。


ここが、女主人の新しい部屋になるのだ。


その部屋の本棚には、沢山の本が並んでいた。


他人事とは思えない精神病について書かれた本が…。


―顔芸人バク―


女主人が、柔らかい顔のおばさんになった頃、


女主人には、愛しい子たちがいた。


みんな、この家に流れてきた、「自立の出来ていない子供たち」だった。


そのひとりが、顔芸人バクだった。


その不細工な顔のおかげで、顔芸人として人気者になれたが、他人の笑顔を見る為に、自分の笑顔を失った可哀想な子。

  
だが、今では、その笑顔を取り戻している。


女主人の連れてきた 帰る場所のない客人たちを家の中で追いかけ回して、不細工な顔で笑っている。


バクは、自分が強いと思えると、自然と笑えるのだ。


バクとの追いかけっこは、喜怒哀楽の絵画がかけられた壁から始まり、墓地の見える裏庭で終わる。


女主人の言い付け通りに、バクは客人が笑うまで外には出さない。


バクは、ゲラゲラと笑う。


客人は、何度も絶叫を上げる。


絶叫をあげる不細工な客人の顔を見て笑うバクは、いつも以上に醜い。


けれど、女主人は、バクが笑うならそれでいいのだ。


客人が笑わなくても。


―百眼の化け物―
 

女主人は、真夜中に窓をコツコツする音に眼を覚ました。


階段を降りて、リビングの柱時計を見ると、ボールを捜しに出掛けた「あの子」が帰ってくる時間。


カーテンを開くと、窓の外に凍えそうな百眼の化け物がいた。


よく見ると、涙をこぼす眼は2つだけ。


あまりにも泣くから、百眼の化け物を家の中に入れて、百眼の化け物の手に球体を乗せた。


それは、2つのボール。


新しいボールは、バクの客人のもの。


百眼の化け物は、ボールを見れば、やらずにはいられないと、お得意のジャグリング。


さすがは、ボールの曲芸師。


「上手くなったじゃないか」と、女主人。


見られたがりの百眼の化け物も、眼を細くして笑顔を見せた。


なぜ、この子が不人気?と首をかしげる女主人。


これには拍手。


―犬使いとマント―


金貨袋を手に帰ってきたのは、色男に成長した犬使い。


その隣には、マントから生まれた利口なメス犬。


名前はハット。


女主人は、お庭で老犬の背中を撫でる。


老犬のマントは、大きなあくび。


そこへやってくるのは、百眼の化け物と、お庭を走り回るバク。


女主人は、呆れ顔で笑うと、優しい笑顔でみんなへ伝える。


「ずっと、ここにいなよ」と。


各地で起きたおぞましい事件は、彼等の仕業だが、女主人は、このような彼等を叱りはしない。


私だけは、この子たちを理解してあげていると、ガマズミの美酒をグラスにそそぐのである。


育児嚢となる大きな家で、精神異常者たちを匿う女主人。


その下腹部には、膨れ上がる育児嚢を持つ、アカクビワラビーの刺青が刻まれているという…。
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