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ヒョウアザラシの刺青

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彼等には刻まれていたという。


おぞましい魔獣の刺青が…。


「ヒョウアザラシの刺青」


氷上の主


―氷の玉座―


その玉座は、腰掛けた者を極寒の王へと変え、冷たい景色を眺める為に存在する。


玉座の「真の冷酷さ」は、腰掛けたものにしか感じられない。


とけてなくなるその日まで、


理解出来ないのである。



―白服の男―


その氷の玉座に腰掛けていたのは、この極寒の地で、「氷上の主」と恐れられる、「白服の男」だった。


殆どの者が、彼の存在を強者と認め、彼の「現在」を知っているだろう。


だが、この男の「過去」を知る者は数少なく、


この男の目の前にいる、「女占い師」だけが、彼の事を「深く」知っていた。


だから、白服の男は、この女占い師だけには、頭が上がらなかった。


たとえ、肩書きが氷上の主であっても、白服の男からすれば、この女占い師こそが、氷上の主。


今の地位を築けたのも、この女占い師の「助言」があったからこそだった。


だが、今更、この事実は晒せない。


こうしている今も、女占い師や、一部の部下たちが、白服の男から、眼を離さない。


白服の男は、部下の一人に、白ワインを注ぐように命じた。


そして、そのグラスを、唇へと引き寄せ、ふちへと当てた。 


微かに、その手をふるわせて。


―かつての極寒の地―


白服の男は、かつての「極寒の地」で、最も貧しい地で生まれ育ち、両親と共に三人で暮らしていた。


そこは、汚された雪山だった。


彼等のすみかは、その中に作られた古びた山小屋の中にあった。


そこから一歩外に出れば、鼻が悪臭に刺激され、辛い現実が待つ、ゴミ山が見えた。 


彼等にあたえられた仕事は「ゴミ拾い」


それは、手足、口を使った肉体労働で、報酬は


「拾えること」


ただ、それだけだった。

 
そして、そこから長く、冷たい道を歩いていけば、ここをゴミ捨て山へと変えた者たちのすみかが見えてきた。


そこは、地吹雪の吹き荒れる、冷たい国だった。


―極寒の王―


かつての王は、その冷酷さから、極寒の王と呼ばれていた。

 
この王は「平等」を嫌い、王族にとって害のある者を、生まれた地だけで判断し、「同じ人間」としては見なかった。


とくに貧しい地の人間は、ゴミ扱いで、雪山へと捨てた。


極寒の王に少しでも逆らえば、「氷結牢」と呼ばれる、冷たい牢の中へ閉じ込められ、冷たい拷問を受ける。 


やがて、貧しい地の者たちは、生きる為に、様々な罪を犯した。


この白服の男の両親も、「愛する我が子」の為に「食料」を求めて、極寒の地で盗みを働いた。


そして、「白服の拷問官」に捕らわれ、氷結牢へと連行された。


白服の男は、急いで彼等の後を追ったが、両親からの「中はこわいから」を守って、氷結牢の中には入らなかった。


ずっと外で待っていても、出入口から出てくるのは、あの醜い拷問官らだけで、両親が出てくることはなかった。


白服の男は、しばらく考えた。


そして罪を犯そうと考えた。


罪を犯せば、両親に会えると思った。


白服の男は、「極寒の海」へと向かって、その頬に、男の涙を伝わせながら走った。


そして、極寒の海がよく見渡せる、崖の先へと歩いて行った。


彼の犯そうとした罪は、「身投げ」だった。


白服の男は、崖の先で、その身を怒りに震わせながら呟いた。


「王など、いらなかった」と。


―吹雪の崖の先で―

 
白服の男は覚悟を決めた。


だが、白服の男の後ろから聞こえた声が、その覚悟を止めた。


「自殺ほど愚かな死はないわ」、と。


白服の男が咄嗟に振り返ると、妖艶な格好をした女占い師が、首飾りの「水晶玉」を、指先で妖しくなぞりながら立っていた。


女占い師は、白服の男に助言をあたえた。


「水晶は伝えます、


曖昧な未来を、


自殺は、弱肉が誤って行う、最も愚かな罪だ、と


けれど、その覚悟は、人を殺めるよりも深く、


運命の分岐点でもあります、


死を恐れない覚悟が、あなたにあるのならば、


私の助言に耳を傾けなさい、


氷上の主にしてあげましょう」と。



―生まれ変わり―


白服の男は、この女占い師の言う、氷上の主という言葉に惹かれ、引き寄せられた。


白服の男は、訊いた。


「あの極寒の王を、越えられるか」と。


女占い師は、微笑しながら、コクリと頷いた。


白服の男は、女占い師の助言に従うことを誓った。


―影に潜む者たち―

 
女占い師は、白服の男に、こう伝えた。


あなたは「弱点」を「冷酷さ」で覆い隠し、


これから「私たち」があたえる氷上の主の地位を、


弱肉たちに奪われないようにしていればいい、と。


それから数ヶ月後。


極寒の王が暗殺された。


「暗殺を得意とする者」が、極寒の王を暗殺し、「部下と呼ばれた者たち」が、王族と、それらを守る者たちを殺害したのだ。


これで、この極寒の地を支配する者たちが消えた。


そして、「決まり」も消えた。


白服の男は、あたえられた氷の玉座に腰掛け、「氷上の主」として、極寒の地を支配する事にした。


だが、その氷の玉座は、彼の予想を遥かに超えるほどに、「冷たかった」


―冷酷―


氷上の主は、助言の通りに行動を開始した。


貧しい地の者たちと、幸せに気付けなかった者たちのすみかを入れかえさせた。


それでも「幸福な家族」だけは、暖かく感じられた。 
 

だから、冷やしてやることにした。

 
だが、「吹雪流れ」をして、この地から逃げ出そうとするから、そんな家族が目障りで、氷結牢に閉じ込めた。


そして彼等にも、自分の両親が受けたであろう、冷たい拷問をあたえた。


男も、穴があるのならば、その穴を、部下たちに犯すように命じた。


だから簡単には殺さないし、死なせない。


あの氷上をペタペタと歩く「コウテイペンギン」を噛んでも、また吐き出し、もてあそび、また噛むを繰り返す、あの残酷なヒョウアザラシのように、強者らしく生きた。



ある時は、「仕事に恵まれない者」を「麻薬売り」として働かせ、


罪を犯した「御者」には、「罪轢きの脚」としての仕事をあたえ、


氷結牢の「拷問官」には、「生き餌」の監視を任せた。


それが氷上の主の、天敵に喰われない為の、唯一の生き方だった。


氷上の主は、冷酷に染まった。


女占い師は、彼の冷酷さを、影から監視し、「影に潜む者たち」と共に微笑した。


「思惑通りね」と。


―とけていく氷―


黒いローブの男は、そこで「分厚い本」を閉じた。


そこには、「ヒョウアザラシの刺青」と、黒文字で書かれていた。


次の刺青を刻む氷上の主は、気性が荒く、その冷酷さで、獲物を喰らう強者。


その地位を必死で守ろうとし、鋭い牙をむき、氷上でもしつこく獲物を追い回し、噛み殺してくるだろう。


だが、誰かの助言に振り回される腐った者が、王になどなれはしない。


黒いローブの男は、氷上の主が待ち構える、氷上の城を目指した。


その道中、襲い掛かってくる雑魚どもを、仕込みナイフで狩り取りながら。


「大物」だけを標的にして。


―水になるもの―


王座の間。


女占い師は、水晶を見つめながら、氷上の主へと、「さいごの助言」をあたえた。


「もう間もなく、あなたを狩り取ろうとする者が、この王座の間へとやってくる、


あなたは、その男を狩り取り、未来を守りなさい、


彼を狩り取らなければ、あなたの未来は消えます


お気をつけなさい」と。


女占い師は、王座の間から出ていこうとした。


氷上の主は、待て、と手を前へ出して訊いた。


お前はどこへ行く?私と一緒に、そいつを狩り取ってはくれないのか?、と。


女占い師は、微笑した。


そして、振り返り答えた。


―ハイエナ対ヒョウアザラシ―


そこは、氷上の主と、黒いローブの男の死闘にふさわしい場所、「王座の間」だった。


冷たく拡がる天井からは、水晶で造られた巨大なツララのシャンデリアが見え、


輝き拡がる床は、水晶のように美しく見え、


奥に見える氷の玉座が、地吹雪の終わりを予感させた。   


そして、黒いローブの男は、玉座の前で覚悟を決めた「傷だらけの標的」へと、仕込みナイフの先を向けた。


その氷上の主の両手には、「チャーク」と呼ばれる、特殊な形状の剣が、二刀流で握られ、その中央の剣身からは、刃が分かれ、魚の骨のように左右対称に並んでいた。


氷上の主は、黒いローブの男と対峙した。


黒いローブの男は、言った。


「見捨てられたな」と。


氷上の主は、その言葉に、こう答えた。


「私は、あの女の助言に従い、未来を守るだけだ」と。


氷上の主は、曖昧な未来の為に、二つの剣を構えた。


そして、黒いローブの男へと向かって、襲い掛かってきた。 


目の前から迫り来る狂気に、黒いローブの男は、冷静に伝えた。


【氷の玉座に縛られた、偽の王よ、お前も、かつての極寒の王と何も変わらない、ただの残酷な猛獣だ、助言に従い、全てを逆転させただけだ、まだ操られた事に気付かないのか】


黒いローブの男は、氷上の主の剣技を、横へと避け、言葉を続けた。


【氷の玉座は、いつかは、とけてなくなるもの、そこから解放された時、お前は、真の冷酷さを理解する】


氷上の主は、黒いローブの男の目の前で、二つの剣を振り上げる。


【あの時に逝けなかった、極寒の海へと、堕ちるがよい】


ふたりは、眼を見開いた。


黒いローブの男は、自分の肩をめがけて振り下ろされたチャークの刃を、仕込みナイフで、間一髪、受け止めると、横へと払いのけ、仕込みナイフで反撃した。


だが、氷上の主が、二つの刃で、 仕込みナイフの刃を挟みこみ、受け止めてきた。


小刻みにふるえる仕込みナイフの刃は、ねじり折られ、氷上の主は、不敵な笑みを浮かべた。


だが、黒いローブの男は冷静だった。


その隙をついて、「電撃棒」を取り出し、海の猛獣にはこれだ、と、氷上の主の脇腹へと、強力な電撃をあたえた。


海の猛獣は、ついに倒れた。


―極寒の海へ―


黒いローブの男は、床へと倒れた氷上の主へと、「女占い師」と「部下たち」の行方を訊いた。


だが、氷上の主は、答えなかった。


知らされていないからだ。


だが、氷上の主は、まだ、終わっていない、と、力を振り絞り、


剣を脚代わりとして立ち上がった。


黒いローブの男は、そんな氷上の主を無視して、王座の間から出ていった。


次の目的地は、「崖の先」だった。


黒いローブの男は、そこまで歩いて行った。


その間も、黒いローブの男の後方には、氷上の主の姿が見えた。


しっかりと付いてきていた。


地吹雪により、真っ白になった氷上の主は、黒いローブの男の後を追って、崖の先へと着いた。


黒いローブの男は、崖の先へ立ち、極寒の海を眺めていた。


そして、背後に迫る殺意を感じた。


氷上の主は、ふるえる剣の先を黒いローブの男の背中へと向けて、崖の下へと突き落とそうとした。


だが、思ったように、力が入らず、剣は床へと堕ちた。


―そこまでだった。


黒いローブの男は、暗黒の表情で振り返ると、唖然とする氷上の主へ、冷たく訊いた。


「ここから墜ちたかったのだろう」、と。


氷上の主は答えた。


「あんな、王などいらなかった」と。


極寒の海へと身投げし、その冷たい波にのみ込まれた氷上の主、


その全身には、生き餌をもてあそぶ氷上の拷問官長、


「ヒョウアザラシの刺青」が、冷たく刻まれているという…。


そして、彼の天敵は「シャチ」である。


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