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ノイヌ・ヘラシカの刺青
しおりを挟む彼等には刻まれていたという。おぞましい魔獣の刺青が…。
「ノイヌの刺青」
「ヘラジカの刺青」
―慈愛に満ちた修道女とツノ騎士―
霊場がある地に、慈愛に満ちた修道女と、偽善者を嫌う殺人鬼がいた。
不幸な二人だった。
―霊場の地を荒らす化け物―
天国と地獄への出入口があるという霊場の地に、次の標的は現れた。
霊場の地で不気味な叫びをあげながら地鳴りを起こしているという。
それは騎士の姿に氷結のヘラジカのツノを二本生やした人の形をした化け物で、
背中には、幾つもの神聖な武器が突き刺さっていた。
黒いローブの男は、そんな化け物の目の前で「分厚い本」を開くと、ある物語を読み聞かせた。
そこには「ノイヌの刺青」と黒文字で書かれていた。
―慈愛に満ちた修道女―
その女は、慈愛に満ちた修道女だった。
あらゆる不幸を我が不幸のように受け入れ、時には血を流し、時には涙を流しながら誰かを叱り、謙虚に生きていた。
それが原因で自分の幸福には恵まれなかったが、修道女はいつも優しく微笑んでいた。
そんなある日。
修道女の生き方を妬ましく思った村の女たちが修道女に聞こえるように悪口を言った。
他人の為に自分の幸福を捨て続けるなんて愚か者がする事よね、きっと自覚してるんだわ、自分が幸福になれない女だって、
本当はただ構って欲しいだけの寂しい女のくせに、あらやだ、聞こえてるみたいよ、うふふふ、と。
それは女の醜い嫉妬だった。
修道女は誰かの幸福を見たかっただけ、
それなのに…、
修道女の心は傷んだ。
その結果、涙が流れてきた。
修道女はその場から立ち去ると、森に向かって走った。
そして、立ち止まって泣いた。
その涙を見て心配した者がいた。
ヘラジカのツノの鉄仮面を被った風変わりな「北国のツノ騎士」だった。
ツノ騎士は、北国の雪山をねぐらとする盗賊団で、騎士に復讐心を抱いて活動する 騎士の姿を真似た殺人鬼だった。
見つかれば命は無かった。
修道女は、ツノ騎士を見て後方に倒れると、無力な身体を震わせて泣いていた。
悲鳴をあげれば誰かが助けにきてくれるかもしれない、だが、こんな状況でも悲鳴だけは上げなかった。
ここでも修道女は慈愛に満ちていたのだろう。
ツノ騎士が不幸になるならば、自分が犠牲になればいいと思っていた。
修道女はツノ騎士に言った。
「わたしを殺すなら静かに殺してください、そうしなければ村の者たちに気付かれて、追われる身になります、わたしは最期まで悲鳴をあげずにいますから」
修道女は、指を折り重ねて祈り始めた。
ツノ騎士は、そんな修道女を見て後ずさると、無言で立ち去っていった。
―村の女たち―
陰から一部始終を見ていた村の女たちは、ツノ騎士が立ち去ったのを確認すると、修道女を起き上がらせて、修道女をツノ騎士から救った英雄のように村に戻っていった。
英雄として称えられた村の女たちは腹黒かった。その証拠に修道院に帰ろうとしていた修道女を呼び止めて言った。
あなた腹黒い修道女ね、
ツノ騎士に村を襲わせて、途中であなたが出てきて、奇跡の力でツノ騎士を鎮めるつもりだったんでしょ、そうはいかないわよ、化けの皮を剥いでやるから来なさい、と。
村の女たちは、修道女の腕を掴み、強引に森の奥深くまで連れてくると、縄を修道女の首に巻き付けて、ノイヌのように扱った。
さあ、化けの皮を剥ぎなさい、あなたはノイヌよ、ノイヌは防衛本能で牙を見せるのよ、あなたが腹黒いということを世間に晒してやるわ、
だから、この腕に噛み付きなさい、
さあ!!
修道女は泣いていた。
それは村の女たちに対しての哀れみの涙だった。
修道女は、村の女たちに言った。
「わたしを苦しめたいのならば、静かに苦しめなさい、そうしなければ村の者たちに気付かれて、あなた方は追われる身になります、わたしは最期まで悲鳴をあげずにいますから」
村の女たちは、修道女の言葉に後ずさった。
だが、修道女の目の前にいた女だけは微動だにしなかった。
その生意気な態度が気に食わないのよ、村の外から来たノイヌのくせに、縄で自由を奪われて酷い仕打ちを受けても牙を見せずに歯向かうなんて…いいわ、なら思い通りに苦しめてあげるわよ、
あなたの悲鳴を この首縄で絞り出しながらね、
修道女は瞼を閉じた。
次の瞬間。
首の縄が緩み、村の女たちの悲鳴が周りから聞こえてきた。
修道女が瞼を開こうとすると、誰かが耳元に囁いた。
「悲鳴をあげるな」と。
四方八方から女の悲鳴が聞こえた。
血の匂いがした。
瞼を開くと、村の女たちが顔面から血を流して地面に転がっていた。
辺りに生えた木々の表面には血の痕がついていた。
修道女は顔を顰めた。
そして隣に立つ「殺人鬼のツノ騎士」を見つめた。
ツノ騎士は、鉄仮面に生えた二本の内の一本を折ると、そのツノで村の女たちの死体に証拠の傷をつけ、主犯だった女の首根っこにツノを突き刺した。
そして修道女の腕にもツノで傷をつけると、修道女にここから立ち去れと村の方角を指差した。
この時、修道女には、ツノ騎士の思いが伝わった。
だから、修道女は立ち去った。
ツノ騎士は、そんな修道女の後ろ姿を哀しげに見つめていた。
その眼はとても優しかった。
―哀しい嘘―
修道院に帰ると、修道女たちの優しい抱擁ときついお叱りが待っていた。
老婆の修道女が、修道女に訊いた。
何があったのですか、と。
修道女は、なかなか口を開かなかった。
口を開いたらツノ騎士が追われる身になると恐れた。
だから、嘘をついた。
「わたしは村の女たちに怒りを覚え、村の女たちを殴り殺しました、そして木の枝で傷をつけて、地面に落ちていた動物のツノで止めを刺しました、わたしは罪を犯しました」と。
修道女は床に泣き崩れた。
他の修道女たちは、そんな修道女を哀れみの眼で見ていたが、老婆の修道女だけは、修道女の嘘を見抜いていた。
だから言った。
あなたは慈愛に満ちた修道女です、それが例え嘘だとしても、あなたには罰を受ける強い覚悟があるのでしょう、けれど、その覚悟は誰の為にもなりませんよ、それでもよいのですか、と。
修道女は暫くしてから、コクリと頷いた。
―大井戸の沈み処刑―
次の日。
修道女は、村の掟で大井戸のふちに立たされていた。
それは、特殊な大井戸だった。
水を汲み上げる桶の代わりに罪人を閉じ込める檻が用意されていた。
罪人はこの檻の中に閉じ込められ、大井戸の底にゆっくりと降ろされ、檻が完全に沈み溺死するまで苦痛と恐怖を味わされた。
修道女は、自らその檻の中に入ると、村の者たちに優しい笑みを見せて瞼を閉じた。
村の処刑人が仕掛けを作動させた。
修道女を閉じ込めた檻は、ゆっくりと大井戸の底に向かって降りていった。
老婆の修道女は、そんな修道女を上から見ていて、ついに叫んだ。
あなたは無実なのよ、
老婆の修道女の言葉に誰もが驚いた。
老婆の修道女は更に叫んだ。
誰の為に嘘をついたの、お願いこの処刑を止めて、と。
老婆の修道女は必死に叫んだ。
村の処刑人は仕掛けを止めた。
だが、間に合わなかった。
村の処刑人たちが仕掛けを止めた時にはもう既に修道女を閉じ込めた檻は、冷たい水の中に沈んで見えなくなっていた。
修道女の体内に冷水が一気に流れ込み、体力を奪った。
そして薄れてゆく意識の中、あの声は聞こえてきた。
【慈愛に満ちた修道女よ、その慈愛は罪人を生む慈愛だ、罪を庇うという事がどういう事なのか、冷水の中で思い知るがよい】
修道女は溺死した。
―さ迷うツノ騎士―
慈愛に満ちた修道女が誰かの罪を庇って処刑されたという噂は、ツノ騎士たちのねぐらにまで流れていた。
ツノ騎士は、その噂を耳にして顔を顰めていた。
まさか、自分のせいで、
ツノ騎士は、再び雪山を降りると、風のように森を駆け抜け、真夜中の村に侵入した。
そして、大井戸の底を虚ろな眼で見つめる老婆の修道女を見つけた。
老婆の修道女は、ツノ騎士の顔を見ずに言った。
慈愛に満ちた修道女がこの村にいたの、けれど、他人の罪で死んでしまったの、きっと誰かを庇ったのね、神に嘘までついて、
ツノ騎士は重い口を開いて、罪を告白した。
だが、老婆の修道女は、首を左右に振って、哀しげに言った。
もう遅いわ、わたしがあの子を助けてあげられなかったように、なにもかも遅すぎたの、けれど、もしもあなたに罪の意識があるのなら、わたしは言うわね、あの子のそばにいってあげなさいって、。
ツノ騎士は、それを聞いて直ぐに立ち去った。
だが、老婆の修道女の言葉は続いていた。
けれど、多くの人を殺してしまった あなたでは、あの子のいる場所には辿り着けないわね、と。
―霊場の地―
ツノ騎士は、霊場の地を訪れていた。
そこは、天国と地獄の出入口があるという神聖な場所だった。
ツノ騎士が目指していたのは、その先にあるという死の崖だった。
そこに身を投げると、天国と地獄、そのどちらかに逝けるという。
だが、殺人鬼であるツノ騎士がそんな神聖な場所に入れるはずがなかった。
ツノ騎士は、霊場を守る神官たちに追い返された。
幾つもの神聖な武器がその背中に突き刺された。
その時、どこからか声が聞こえてきた。
【多くの犠牲で生きた愚か者よ、お前のような者があの慈愛に満ちた修道女に逢えるとでも思っているのか、崖から飛び降りて、後悔する前に立ち去れ、そうすれば、化け物にならずに済む、だが、どうしてもこの先に逝きたいのならば、その無実の神官たちを自慢のツノで殴り、踏み越えてゆけ、目的の死の崖はすぐに見えてくるだろう、だが、忘れるな、慈愛に満ちた修道女がお前に逢いたいと願わない限り、お前は救われない】
ツノ騎士は絶叫した。
そして、神官たちをあの時のように殴り殺した。
ツノ騎士は、神官たちの死体を踏み越えて崖から飛び降りると、岩壁に身体を酷く打ち付けて死んだ。
―あいたい―
だが、あの声が言った通りに修道女には逢えなかった。
そこは崖の底にあるという地獄だった。
地獄で閻魔が言った。
死の崖を這い上がりたければ、代償を払え、お前の肉体を死者たちに喰わせろ、と。
ツノ騎士は、絶叫しながら全てを捧げた。
そして死の崖を這い上がり、生まれ変わった。
霊場を荒らし、天国と地獄の出入口を開く「化け物」として。
―物語の終わり―
黒いローブの男は、ツノ騎士の突進を避けると、分厚い本を閉じて言った。
「これが、お前たちの物語だ、霊場を荒らすのは勝手だが、無様に終わってもらう結末は変えないでいただきたい」
黒いローブの男は、突進してくるツノ騎士の右肩に火矢を撃ち込んで転倒させると、ツノ騎士の腹の上に馬乗りになり、仕込みナイフを振り上げた。
だが、そこまでだった。
仕込みナイフは振り下ろせなかった。
黒いローブの男の頭上でゆらゆらと漂う 蒼い肌の女の起こす
「奇跡の力」というものが原因だった。
黒いローブの男は、蒼白い光に顔を顰めた。
そして、退いた。
蒼い肌の女は、黒いローブの男に潤いの笑みを見せると、ツノ騎士を宙に浮かせて星空に消えた。
その後。霊場の地で不思議な現象が起こるようになった。
夜になると闇色の星空が真っ青に染まった。
それはまるで水の中のようだった。
慈愛に満ちた修道女と偽善者を嫌うツノ騎士、その全身には還る場所を失う「ノイヌの刺青」と他人を道連れにする「ヘラジカの刺青」が刻まれていたという…。
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