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タスマニアデビルの刺青

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彼等には刻まれていたという。おぞましい魔獣の刺青が…。


「タスマニアデビルの刺青」


-骨董品店・黒バラ-


この世のどこかにあったと噂される骨董品店・黒バラ。


そこでは、どんな死体でも買い取ってくれるという。


-店の経営者-


黒いローブの男が、その店に足を踏み入れると、カウンターの向こう側にいる経営者と対面した。


そこにいたのは、札束を握り締めた、ぼろきれのような老女だった。


黒いローブの男は、老女に言った。


「お前が優しい悪魔、タスマニアデビルの刺青を刻む老女か」と。


黒いローブの男は、カウンターの上に死体ではなく「分厚い本」を置くと、しおりの挟まれたページを開いて、老女にそのページを読むように命じた。


老女は不信に思い、顔を顰めた。


だから読もうとはしなかったが、気になり見てしまった。


そこには黒文字で「タスマニアデビルの刺青」と書かれていた。


それは、老女の過去を鏡に映したような後悔の物語だった。


黒いローブの男は、そんな物語を店内で読み聞かせた。


-鑑定家の女-


その女は、美術品や宝石などの鑑定を行う優秀な鑑定家だった。


親譲りの洞察力で鑑定を行い、女自身も骨董品の収集家たちに好まれた。


女は、その中から最も厄介な男に妻になるように言われた。


そして、半ば強引に結婚させられた。


ほんとは断るつもりだったが、断れば大損する事があったらしい。


その理由が男の懐に見えた「大金」だった。


男は多くの骨董品を世界各国から集める馬鹿が付くほどの収集家。


つまり、富豪。


もしも、ここで結婚の話を断れば、この大金を受け取る機会を失う事になる。


男は女よりも二十歳も歳上。


先立つのは男の方。


数年間を耐えきれば、残りの数年間と大金は、やがて女の物になる。 


女は霞んでしまった眼を閉じて、その男と結婚した。


妻に選ばれた本当の理由も知らずに…。


-妻に選ばれた理由-


女が、妻に選ばれた理由に気付き始めたのは、結婚して数日後の事だった。


女が、毎日のように男の持ってくる骨董品の鑑定を行い、結果を鑑定書に記していると、男が部屋に入ってきて、女に言った。


どこからどう見ても価値のない骨董品にも価値を付けろ、


偽りの鑑定書を書け、と。


女は顔を顰めて言葉を返した。


それは、詐欺ですよね…、と。


だが男は、そんな女の言葉など気にせずに、女に偽りの鑑定書を書かせると、それを奪い取り、偽りの鑑定書を悪用してオークションを開いた。


偽りの鑑定書のおかげで価値のついた骨董品は、馬鹿な収集家や金の有り余った貴族たちに馬鹿売れした。


馬鹿な収集家や金の有り余った貴族は、これが詐欺だとは気付かない。


男は、悪事を積み重ねて大富豪になると、有り余った金で更なる商売を始めた。


それは、死体を悪用したとんでもない商売だった。


-死体の悪用-


男が言うには、人間は価値のある人間と価値のない人間に分かれるらしい。


価値のない人間は、価値のある人間に悪用されて、やがて、二つ目の意味を持つ骨董品となる。


骨董品となった人間はゴミとなり、邪魔者として扱われる。


そして、中には殺害されて本当のゴミとして捨てられる者もいる。


だが、ゴミは勝手には消えないし、悪臭を漂わせて正義とやらに嗅ぎ付けられる。


そうなれば、価値のある人間も罪人として罰されるがオチ。


だからここで必要となるのは、そんな厄介なゴミを捨てられる「ゴミ捨て場」


誰かが、そんなゴミ捨て場を店として開いてくれたならば、罪人は喜んで金を払うだろう。


それに物好きならば、その死体を売ってくれと狂乱して頼むかもしれない。


男は、死体売買店という店を立ち上げると、妻である女に客の応対を行わせ、自分自身は有り余った金の使い道を思い浮かべて下品な笑い声を上げていた。


それは、誰かの鬱憤が吐き出されるまで長く続いたという…。


-地下のゴミ捨て場-


気が付くと、店の地下に作られたゴミ捨て場には、価値のない人間が異臭を漂わせて溢れ返っていた。


女は、軋む棚から垂れた誰のものかも分からない腕を見て、ついに悲鳴をあげた。


男が女の悲鳴に駆け付けると、女が死体を箱詰めにして捨てようとしている場面に直面した。


男は、それを見て、怒鳴り声を上げた。


勝手に俺の商品に手を出すな、と。


女は、その言葉に激怒すると、箱を床に叩き付け、


散らばったモノを指差し、


溜まった鬱憤を一気に吐き出した。


「もう いい加減にして、あれは死体なのよ、商品なんかじゃないわ、あんなもので金儲けするなんて、どうかしてる、あなたの狂った金儲けのせいで、私たちの子供まで死体に興味を持ち始めて、イカれた女と一緒になって出ていったのよ、こいつらみたいに家族はもうバラバラ、もう何もかも終わり、いつになったら死んでくれるのよ」


女は、男の金庫部屋に走ると、そこで小型の金庫を持ち上げて、男の懐に投げつけた。


そして、男の腹に馬乗りし、価値のない骨董品のナイフを取り出し、眼に涙を浮かべて言った。


「これで最期、もう終わりなのよ…」と。


価値のない男は、腹に数ヶ所の穴を空けて、二つ目の意味を持つ骨董品となった。


-捨てられない骨董品-


女は、骨董品となった男を何十分もかけて店の地下に運ぶと、ゴミ捨て場に男を捨て、死体売買店を閉めた。


そして、言った。


人間は死体にならなければ鑑定できない最も厄介な生き物ね、と。


女は後悔に涙を流していた。


…それから数年が経った。


女が死体売買店を閉めて、揺り椅子に揺られていると、久しぶりの客が店の扉を叩いていた。


女が扉の鍵を開けてやると、あの頃の自分のように思い詰めた表情の少女がそこに立っていた。


女が、もう、店は閉めたんだよと言うと、娘は泣きそうな表情で、両手で握り締めていた大きな黒袋を女に差し出して言った。


たすけてください、と。


黒袋の中身を見ると、中には婚約指輪をはめた女の曲がった手が見えた。


女は悟った。


この少女もわたしと同じ罪人なんだ、と。


女は、そんな少女に黙って金を手渡すと、黒袋の処理は任せてと、地下のゴミ捨て場に黒袋を捨てた。


女は思った。


これで良かったんだ、と。


数日後。


その少女が歳上の男と幸せそうに店を訪問していた。


二人は並べられた家具の骨董品を眺めて、幸せそうにしていた。


少女は、多くの骨董品の中から、古い柱時計を指差すと、その高価な品を購入して、幸せそうに二人で出ていった。


女は、そんな二人を見て、暖かい気持ちになった。


わたしが誰かの罪を隠す事で、その人は幸せになれるんだ、と。


女は死体売買店という名を「骨董品店・黒バラ」に改名すると、町中をさ迷う罪人をみつけては、罪人を鑑定し、その罪を代わりに捨て続けた。


「捨てたい罪はあるかい」と優しく悪魔の微笑みを浮かべながら。


女はそれで自分も幸せになれると思っていた。


だが、罪は罪。


決して許される事はなかった。


その証拠に声は聞こえてきた。


【愚かな鑑定家よ、眼の霞んでしまったお前の眼では人間の幸福とやらは鑑定できない、その溜まった価値のない骨董品と共に巨大な焼却炉で焼かれるがよい、だが、それが出来ないのであれば、お前のもとに死神が現れる前に、全ての元凶の紙切れを罪人に手渡せ、死体を買い取り続ければ、金が尽き、ほんとの幸福が見えるだろう、だが、それは見えるだけで手にはできない】 


女は、死体の売買を死体の買い取りのみにすると、大金が尽きる事を信じて、死体を買い取り続けた。


その途中で、甲冑に恋い焦がれる可愛い孫のわがままにも付き合いながら…。


だから、これで終わるはずだった。


それなのに…。


老女となった女は、黒いローブの男の目の前で敗北感に泣き崩れていた。


-許してほしい罪-


「だからもう、これで終わりだったんだよ、それなのにあんたがきたんだよ、頼むからこの金を受け取ってどっかにいっとくれ、わたしをゆるしておくれ、わたしは焼死なんてしたくないよ…」


老女はずっと泣いていた。


黒いローブの男は、老女から札束を奪い取ると、目の前でそれを散らして去っていった。


老女に情けをかけた、そういう事だろうか。


黒いローブの男が去って、暫くすると、老女がその顔を上げて、わたしは許されたと何度も呟きながら店の地下に向かった。


そして、買い取り続けた死体を眺めながら、最も価値のない死体に寄り添い、老女は瞼を閉じた。


「価値のない者同士だったわね」と思い出を語りながら。


やがて、老女は深い眠りについた。


店の外から火矢が数十本も撃ち込まれている事も知らずに…。


骨董品店・黒バラは全焼した。


だが、地下のゴミ捨て場には未だに多くの死体が放置されているという。


死体を買い取り続ける事で、誰かの幸せを願った老女。


その全身には腐肉をあさる優しい悪魔「タスマニアデビルの刺青」が刻まれていたという…。
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