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カラスの刺青

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 彼等には刻まれていたという。おぞましい魔獣の刺青が…。


「カラスの刺青」


それは、よくある噂話だった。


真夜中、墓地を歩いていると、


女のすすり泣く声がどこからか聞こえ、


その声に耳を傾けると、


女が目の前に現れ、


真っ赤な心臓を潰される、


そんな恐ろしい噂話が流れて以来、


墓地に近寄る者は、よほどの物好きか自殺願望者しかいないという、


つまり、何かを隠す為に、


「誰かが」流した噂話。


黒いローブの男は、その何かに興味を引かれ、噂の墓地を訪れていた。


―墓地―


黒いローブの男は、そこで分厚い本を開き、あるページを見つめていた。


それは「カラスの刺青」と黒文字で書かれた文字の消えかかったページだった。


文字が消えかかったページには大抵深い意味があり、


ほとんどの場合が物語の終わり、


「死」を意味していた。


つまり、その物語の主人公が既に死亡しているということ。


もちろん、黒いローブの男の目的は、刺青を刻む者との接触や、最期への誘導の為、「霊体」に用はない。


用があるのは、その霊体が抜け出た「肉体」の方。


黒いローブの男は、その肉体に繋がるモノを求めて、墓場の探索を開始した。


―数分後―


それは、冷たい土の上で発見された。


泥に汚された婚約指輪だった。


―カカシにされた女―


黒いローブの男は、その指輪を拾い上げ、じっと見つめていた。


それは、王族に恋い焦がれ、


その全てを利用された女の遺品だった。 


だが、やはり、遺品に用はなかった。


黒いローブの男が、指輪を投げ捨てると、


どこからか女のすすり泣く声が聞こえてきた。


黒いローブの男が振り返ると、


恨めしそうな顔面が目の前にあった。


それは生きたカカシのような姿をした、化け物だった。


額の傷を隠すために被せられた麦わら帽子は酷く汚れ、


息の根を止めたスカーフは、首にきつく巻き付けられ、


耳や口には「藁」が隙間なく詰められていた。


確かにこんなものを見れば、心臓を真っ赤にして、一瞬で潰してしまう。


だが、鉄の心臓を持つ黒いローブの男に、それは、いらぬ心配だった。


黒いローブの男は、溜め息をつくと、カカシ女に言った。


「お前が利用された女、カカシ女か、霊体であるお前に用はない、用があるのは肉体の方だ、お前の肉体はどこだ」


カカシ女は、黙ったままだった。


ただ、その眼で何かを訴え、黒いローブの男に近付くだけだった。


黒いローブの男は、意味の分からないカカシ女の行動に、再び溜め息をつくと、カカシ女を無視して、肉体の探索を優先させた。


だが、どんなに墓場を探索しても、見つかるのは女の遺品や他の者たちの白骨だけ。


黒いローブの男は、苛立ち始めていた。


……暫くすると「カラスの刺青」と書かれていたページに新たな文字が浮かび上がった。


それは、カカシ女の言葉を伝える、乱れた黒文字だった。


わたしは、王族に恋い焦がれ、


愛された女、


婚約指輪をはめられ、


束縛され、


全てを捧げた女、


わたしは待っている、


あの人が迎えに来てくれるのを。


黒いローブの男は、カカシ女の愚かさに再び溜め息をつくと、鋭い眼でカカシ女を睨んで言った。


「愚かなお前の肉体はどこだ、さっさと答えろ、私は短気な性格だぞ」


カカシ女は何も聞こえないのか、


そのまま答えずにいた。


「なるほど、お前の腐った肉体を晒すのは、その男がお前を迎えに来てくれた時ということか、いいだろう、ここに連れてきてやろう、お前を見捨てた、その男を」


黒いローブの男は、分厚い本を閉じると、カカシ女の耳や口に詰めれていた藁を取り除き、何も言わずに去っていった。


カカシ女は、そこで久しぶりに耳に流れてきた声を感じた。


【戯れ言を信じ、見殺しにされた愚か者よ、戯れ言の先にお前の求める、待ち続ける愛とやらはあったか、その先で見極めろ、共に逝ってくれる男がいったい誰なのかを】


カカシ女は、十字に磔にされたまま、


昔の綺麗な顔で微小した。


その背中には真実を闇色に覆われた哀しい鳥獣


「カラスの刺青」が刻まれていたという…。


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