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ヒツジの刺青

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彼等には刻まれていたという。おぞましい魔獣の刺青が…。

「ヒツジの刺青」

ちがう、わたしじゃない、

やらされただけだ、

かくさなきゃ、

だれか、

だれか、

ゆるしてくれ、

―許しの執事―

その男は「執事」だった。

生まれは乏しかったが、主人に気に入られた。

執事自身、その事については驚いていた。

物貰いだった自分には、金も才能もない、

それなのに何故、主人はこんなにも自分を必要としてくれるのか、

執事は疑問で仕方無かったという。

ある日。

執事が、主人に訊いた。

わたしは何故、この屋敷に連れて来られたのか、

何故、生かされているのか、

わたしの存在価値とはいったいなんなのか、と。

主人は、執事の質問にしばらく悩んでから答えた。

 「お前は、私を許してくれるからだよ」

それは、不思議な言葉だった。

執事には、その言葉の意味が分からなかった。

だが、これだけは分かった。

この主人には、わたしのような執事が必要なんだ、と。

執事は、白黒の執事服に着替え、懐中時計を胸ポケットに入れ、普段通りに働き始めた。

―執事の仕事―

執事の仕事は、殆どが雑用だった。

主人の機嫌が悪いと割られてしまう花瓶を片付け、

散らばっている生ごみを荷車まで運び、

それを店で売る、

当然、そこで得た金は、主人のものだった。

だが、文句は吐かなかった。

執事は、懐中時計の時刻を確認して、次の仕事に取り掛かった。

次の仕事は、主人の食事の準備だった。

主人が好む食品は、

真っ赤なストロベリーパイ。

珍味の為、準備には一苦労だった。

だが、こちらは執事と共に働く狩人が、勝手に「やってくれる」おかげで、執事は、その行為を見て、ただ「許す」だけでよかった。

執事は、狩人から受け取った大量の真っ赤な素材を洗い場で綺麗にすると、それをパイ生地で包み込み、真っ赤なジャムを塗りたくり、オーブンで焼いた。

普段と変わらない独特な香りが、屋敷内に広がり、主人の部屋の大皿に盛られ、それはやがて、主人の口に運ばれた。

主人は満足げな笑みを浮かべると、真っ赤に汚れた口元を執事に向けて言った。

さあ、汚れた口元を拭け、

綺麗に舐めとれ、と。

執事は主人に従った。

その光景は、異常だった。

だが、執事は、主人に逆らう事なく、その汚れを舐めとり続けた。

その汚れを隠すために…。

執事は、主人を寝かし付けると、屋敷周辺の巡回を二、三回繰り返し、屋敷内の自室に戻った。

―地下の自室―

そこはカビ臭い、屋敷の地下室だった。

とても人が住めるような場所ではなかったが、執事は気に入っていた。

何故か、落ち着くのである。

壁には、誰かが覗く為の窓も無ければ、自身の姿を映す鏡もない。

あるのは、壁にいつの間にか書きなぐった、 

「ユルシツヅケナサイ」の文字だけ、

執事は、その文字を見つめながら、深い眠りについた。

暫くして、冷たい地下室の上で、誰かの叫びが聞こえてきた。

私は悪くない、

あいつのせいだ、

だから私を許してくれ、と。

そんな、罪人の戯れ言が暫く続いた。

だが、また暫くすると、その叫びは悲鳴に変わり、やがて、断末魔となり、何も聞こえなくなってしまった。

それは、執事の使命が終わった瞬間でもあった。

―ユルシツヅケナサイ―

冷たい地下室から出ると、あの独特な香りが屋敷内に漂っていた。

いつの間にか止まってしまった懐中時計を 再び胸ポケットに入れて、執事は仕事に取り掛かった。

だが、普段とは何かが違っていた。

屋敷内は、何年も、時を重ねたかのように廃墟と化し、狩人たちの姿も見当たらなかった。

執事が屋敷内を探索して見つけたのは、主人の遺した「汚れたち」だった。

執事は、再び汚れを片付けると、荷車に乗せられた「汚れの根元」を見つけた。

主人によく似た大きな豚が、こんがり焼けてそこに横たわっていた。

執事は涙を眼の中に溜めて、ここで初めて愚痴を吐いた。

仕事が、お前のせいで無くなったじゃないか、と。

執事が振り返ると、そこには黒いローブの男が「分厚い本」を抱えて立っていた。

黒いローブの男は、執事の足元に分厚い本を投げ捨てると、言葉を残して去っていった。

黒いローブの男は言っていた。

「お前は、その分厚い本に選ばれた、お前の運命はここで終わりだ、だが、まだ生きたいのならば、その分厚い本を読み解き、お前の物語をさがせ、そうすれば、罪人らしい生き方は見つかるだろう、だが、見つかるだけだ、主人を失った執事に、使命を与えるのは、主人と似た腐った罪人だけだ」

執事は、黒いローブの男が言った通り、分厚い本を読み解き、自身の物語を見つけた。

それは、罪から逃げ隠れする、

奴隷のような執事の物語、

そこには「ヒツジの刺青」と黒文字で書かれていた。

―頭陀袋をかぶった執事―

分厚い本を読み解き、新たな使命を見つけた執事は、今生きている自身を隠す為に、狩人が獲物を入れる為に使っていた「頭陀袋」を頭からかぶり、汚れた顔面を覆った。

もちろん、このままでは眼が見えなくなり、息もまともに出来ない為、片方の眼だけでも見えるようにと、頭陀袋に穴をあけ、口が触れる辺りにも穴を数ヶ所あけた。

そして、白黒の執事服に着替え、止まってしまった懐中時計を だらんと首にかけ、新たな使命を求めて、屋敷から出ていった。

もちろん、こんな恐ろしい風貌の執事を雇ってくれる主人など、どこにもいない。

悲鳴を上げられ、物で殴られるだけだった。

だが、執事は、主人を探し続けた。

そして路頭に迷い、容赦ない声は聞こえた。

【主人を失った執事よ、お前の求める使命は、この世に存在しない、家畜のようにお前を扱った豚のところに逝くがよい、どこかにある焼却炉が、お前の肉体を焼き払い、導いてくれるだろう、だが、それが嫌ならば、執事らしくではなく、お前らしく罪を許し続けるがよい、だが、忘れるな、お前は食人鬼の執事、罪を隠さないといられない性分が邪魔をする】

執事は、地下の自室に書きなぐっていた「ユルシツヅケナサイ」の文字を思い出して、行動を開始した。

―許しの頭陀袋―

許しの頭陀袋、

いつの間にか、そう呼ばれるようになった執事は、ある焼却炉の前で今夜も誰かの「懺悔の言葉」を聞いていた。

ここで懺悔すれば、どんな罪も綺麗に片付けられ、許されるという。

そんな風の噂を信じた者は、大抵の者が精神的に追い詰められている者ばかり、

執事は、そんな者たちを「主人」と呼び、許し続けていた。

そして懺悔を聞き終わると、必ず言うのだという。

「わたしの罪も許してくれますか」と。

そして、その答えが無かったり、

許されるものでなかった場合は、あの主人のように「汚れ」として片付けられるという。

暫くして、

頭陀袋をかぶった執事は、自身の罪を許してくれる主人を探して旅に出た。

だが、その行方を知る者は誰もいない。

ただ、花蛇の罠師たちの巣窟には、頭陀袋をかぶり、木馬に跨がされた死体があるという。

その死体の頬には、家畜として扱われる哀れな「ヒツジの刺青」が刻まれていたという…。
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