他人の不幸を閉じ込めた本

山口かずなり

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ボアコンストリクター・フサオネズミカンガルーの刺青

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彼等には刻まれていたという。おぞましい魔獣の刺青が…。

「ボアコンストリクターの刺青」

「フサオネズミカンガルーの刺青」

束縛、それは制限を加えて思想・行動などの自由を奪うこと。

他人にすることは出来ても、自分にはされたくない恐ろしい行為のことである。

それを上手く武器として振るえば、最高の地位を獲得出来る。

だが、武器を振るう技量が足りなければ、武器は主に牙を剥く。

たとえそれが亡者のイバラムチだったとしても、それが武器である限り、最期の使命を果たそうとする。

そう、愛された分だけ…。

―白蛇の妃―

人は、その女を「白蛇の妃」と呼ぶ。

名前の由来は、夫となった者を 蛇のように締め付けて 死ぬまで離さないからである。

この女は夫となる男にあらゆる制限を与えた。

その制限の数は「夫の数だけ」増えていったという。

一番目の夫は大酒豪だった。

その夫は酒代を稼ぐ為だけに働いていた。

女は、この夫の生き方が勿体無く、そしてくだらないと思っていた。

汗水たらして手に入れた金が、酒代にあっという間に消えていく。

女はそれが虚しくて、許せなかった。

女は夫の行き付けの酒屋に向かった。

女はそこで嘘を並べた。

夫は病気で、酒なんて飲んだら死んでしまう、だから夫には酒を売らないでほしい。

酒屋の亭主は半分呆れていた。
 
その夜。

女は夫に暴力を振るわれた。

このクソ女、俺の至福の時を奪いやがって、お前は何様だ、神様か?次したらぶっ殺してやるからな。

夫は女を床に捨てると、酒代を握り締めて家を出ていった。

女は腫れ上がった顔でぼろぼろと泣いた。

そして、陰惨な気持ちになって考えていた。

私は二人の今後の事を考えて行動しただけなのに、自分だけが何故、こんなにも辛く、痛い思いをしなくてはならないのか、と。

女は床に捨てられていた空き瓶を見つめて泣いていた。

次の日。

夫が帰宅すると部屋の片隅に割れた空き瓶が山のように積み上げられていた。

夫から見たそれは死体の山のようだった。

夫は、女の名を叫んだ。

そして、女を尋問した。 

女は白状した。

保管してあった酒瓶全てを床に叩き付けて割ったのは私だ、でもそれにはちゃんとした理由がある。

女は顔を真っ赤に染めていく夫に何かを必死に伝えようとしていた。

だが、無駄だった。

夫はそんな女に暴力を振るうと、いつものように女を床に捨てた。

いつもと同じ結末だった。

女は涙を浮かべながら夫の怒りが静まるのをずっと待っていた。

だが、その日の夫の怒りは長く続いた。

夫は女の長い髪を引っ張るとそのまま外へ追い出した。

これにはさすがの女も悲鳴を上げた。

家の外で泣き叫ぶ女を見て、周囲の者達は哀れそうに女を見ていた。

女は苦悩した。

そして絶叫。

これが女の壊れた瞬間だった。

女の考え方はここから酷く歪んだという。

男が女を奴隷のように扱うのならば、私は男を奴隷のように扱い、有利な地位に立って見せる、私は白蛇の妃、妃は王を影で操る存在、王の奴隷ではない、と。

―イバラムチ―

女は、夫が仕事に出掛けたのを確認すると夫の飲み干した酒瓶を床に叩き付け、小さな破片を何枚も用意した。

そして、夫が、女に暴力を振るう時に使う鞭に、小さな破片を幾つも突き刺した。

女はそれを「イバラムチ」と呼んだ。

それは女の恨み辛みを実体化させた武器だった。

―復讐ノ薔薇―

夫が酒瓶を両手に帰ってきた。

相変わらずの怒鳴り声が女を身震いさせた。

女は何食わぬ顔で食卓に夕食を並べると、最期に最も強い酒を夫のグラスに注いだ。

夫は気前のよい女をやらしく見ると、悪かったな、とグラスの中の酒を一気に飲み干した。

夫は酒に呑まれて眠った。

暫くして夫が眼を覚ました。

夫は椅子から立ち上がろうとした…が、立ち上がれない。

夫は自分の下半身を見て、眼を見開いた。

下半身が完全に椅子に縛り付けられている。

これでは身動きとれない。

夫はうろたえた。

夫の眼だけがキョロキョロと動いていた。

そんな夫を見つめる女の表情は天使のように優しかった。

だからだろう、夫は普段の調子で偉そうに言ってしまった。

縄を解け、このクソ女、と。

その瞬間、女の表情が恐ろしいものへ変わった。

女は夫の隣に立つと、眼の前の食卓に足を上げて言った。

誰がクソ女ですって?

女の眼が夫を捕らえた。

夫はその眼を見上げて身震いした。

その姿は蛇に睨まれた鼠に似ていた。

女は隠し持っていたイバラムチを露にさせると、イバラムチの先端を床にバシンッと叩き付けた。

復讐ノ薔薇の開花である。

夫は逃げ出そうと椅子をガタガタと揺らした。

だが、無駄だった。

女は悪魔のような笑みを浮かべると、その無防備な身体にイバラムチを浴びせた。

夫は絶叫。

女はそれをせせら笑いで掻き消した。

そして、夫を椅子ごと蹴り倒し、見下して言った。

他人は何もしてくれない、誰かが泣き叫ぼうが外に追い出されようが、見てみぬふり、誰も他人の不幸に関与する者などいない、他人は残酷だ、と。

女は夫を散々痛め付けると「ある制限」を夫に与えた。

それは「禁酒」だった。

大酒豪の男にとってそれは地獄だったが、禁酒しなければイバラムチで打つと夫を脅した。

そして、女が眠る時は空きの酒樽の中に夫を閉じ込め、必要ならば家事をやらせた。

そのせいで夫は酒を口にする機会を失い、同時に「至福の時」も失った。

夫は仕事から帰ってきても何一つ良いことなど無かった。

女の奴隷として働くだけだった。

これならば外で仕事をしている方が幾らか気分は楽だった。

だが、それさえも許してくれなかった。

夫の帰りが遅いとイバラムチが夫の脚を打った。

この脚か、この脚が寄り道したのか、と。

夫と女の立場は逆転していた…。

やがて、大酒豪だった夫は死んだ。

白蛇の妃が鼠の王を絞め殺したのだ。

夫の死因は女の絶え間ない暴力ではなく「酒」だった。

夫が死ぬ直前に、女が無理矢理飲ませたのである。これこそが至福の時だ、と。

女はそのおかげで運良く夫殺しの罪から逃れる事が出来た。

だが、神はそれを許さなかった。

その証拠に神は、次の夫を女に与えた。

二番目の夫は「酒を嫌う夫」だった。

だから禁酒させる必要は全く無かった。

ただ「多量喫煙者」だった。

歩く煙突とはまさにこの事だ、女はつくづく自分の男運の無さを恨んだ。

昔のように暴力を振るわれる心配は無い。

ただ、あの毒ガスのような煙が気に食わなかった。

女はこの夫にも制限を与えた。「禁酒」

そして「禁煙」だ。

夫は呆れていた。

夫は灰色の溜め息を吐くと、食卓に並べて置いてあった次の煙草に手を伸ばした。

バシンッ

夫はその強烈な音に動きを止めた。

そして前の夫のように眼をキョロキョロとさせた。

女は気付いた。

この夫も前と変わらない、ただの分からず屋だと。

女はイバラムチを露にさせると、前回と同様に夫を脅した。

そして、仕事から帰ってきた夫に家事をやらせると馬小屋に閉じ込め、夫が死ぬ直前に馬小屋の中に煙草の束を放り込んだ。

やがて、多量喫煙者だった男は死んだ。

もちろん犯人はこの女である。

死因は「扁平上皮がん 」

医師に診察させていれば手術する機会は与えられた。

助かる見込みだってあった。

だが、女はそれさえも許してくれなかった。

なぜ?

その理由は一つだ。

この夫にも死んでほしかったから。

白蛇の妃にそぐわない王など、ただの奴隷でしかない。

使えない奴隷はただの亡骸。目障りなだけだ。

女は次の夫を求めた。

三番目の夫は直ぐに見つかった。

―完璧な夫―

三番目の夫は完璧だった。

「禁酒」「禁煙」を守り、女の与え続ける制限に耐え続けた。

だから、女の怒りを誘わなかった。

女はこの夫こそが白蛇の妃の王だと思った。

だから前の夫よりも深く愛した。

女の束縛は最高の愛情表現へ変わっていった。

夫が仕事から帰ってくると女は妖艶な衣装に身を纏い、夫の欲求の全てを満たした。

夫はこれが心地よかったが、さすがに何十年もこれを続けられると飽きてきた。

夫は不気味に感じ始めていたのだ。

この女の異常過ぎる愛情表現を…。

―鼠の王―

その日。

夫は仕事を早めに切り上げて川縁に腰掛けていた。

もう、あの女のもとには帰りたくない、愛されるのは構わないが、その愛が鎖のように重すぎる、なんとかならないものか…。

夫が頭を抱えていると、黒いローブの男が「分厚い本」を差し出して言った。

「この分厚い本に書かれた夫も、お前と同じような顔で、流れる川を眺めていた、自由になりたい、そして楽になりたいと、だが、永久の自由などこの世には存在しない、だから、この本に書かれた夫のように、抗うのだ、たとえ凶悪な妃が相手でも勝ち目はある、お前が真の鼠の王ならば」

夫は分厚い本を読み終えた。

そこには黒文字で「フサオネズミカンガルーの刺青」と書かれていた。

夫は帰宅した。

「門限」はとうに過ぎていた。

イバラムチをじゃらじゃらと鳴らせながら女が寝室から出てきた。

夫が仕事から帰ってきて寝室からの出迎えとは、

全くいい御身分である。

夫は脳裏に刻み込まれた声を言葉にして女に伝えた。

【白蛇の妃に操られる鼠の王よ、反撃の時は来た、亡き奴隷達に代わり、愚か者の妃を地獄の穴へ引きずり込むのだ、そうすれば亡き奴隷達の魂は解放されるだろう、だが、忘れるな、地獄に引きずり込めるのは亡き奴隷、ただ一人だけだ】

夫は、その言葉の意味をよく理解しないまま行動に出た。

イバラムチを構えた女に分厚い本を開いて見せたのだ。

夫が見せたそのページには黒文字で「ボアコンストリクターの刺青」と書かれていた。

女は夫の意味不明な行動に苛立ちながらイバラムチを振るった。

夫はイバラムチに打たれながらも、分厚い本に書かれた「ある女の物語」を女に読み聞かせた。

女はイバラムチで夫の首を締め上げてきた。

夫は、もがき苦しみながらも最期の文を読み上げた。

女は夫をイバラムチで絞め殺した。

死因はイバラムチでの窒息死。

もう、女は罪から逃れられない。

夫を粗雑に扱った罰だった。

女は髪をぐしゃぐしゃに掻き乱すと、天井に向かって絶叫した。

そして聞こえた。

【愛を絞め殺す白蛇の妃よ、鼠の王の怒りに触れたな、お前に許される機会は与えられない、だが、何処までも毒婦を貫くならばイバラノ冠で真の女王となるのだ、そうすれば、地獄で真の王と対峙する機会が与えられるだろう、だが、忘れるな、女王に奴隷は必要、かつての鼠の王がその足枷となるだろう】

女はイバラムチを冠のように巻くと

「それで」頭部を真っ赤に飾った。

―白蛇の妃―
 
気が付くと、女は亡者に埋もれて眠っていた。

病み色の蝶が飛び交うそこは悪人が招かれるという「地獄」だった。

女は地獄に咲くイバラを真っ赤な手で編み込み、イバラムチを作り上げた。

そして、足首にすがり付いて離れない「亡者」に言った。

重たい愛だけど嫌いじゃないわ、と。
 
亡者の大軍を引き連れ「閻魔の首」を狙う白蛇の妃。

その全身には「ボアコンストリクターの刺青」が美しく刻まれていたという…。
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