2 / 3
第二話 白の呪縛
しおりを挟む
結婚して数週間が過ぎても、私は「白」に囲まれた生活に馴染めなかった。もともと私の両親は芸術を愛していて、私自身も色とりどりの美術品や装飾品を見るのが大好きなのだ。
けれど、今は寝室のベッド、食卓の皿、日々の衣服――全てが白一色。持参した色とりどりのドレスや絵画は、初日に全て「保管庫」に押し込められてしまった。
「あまりに白すぎるわ!」
流石に我慢の限界を迎えた私は、ヴィクターの執務室に乗り込んだ。真っ白いデスクに腰かけて書類に目を通していたヴィクターは、怪訝そうな顔で私を見る。
「何か問題でも?」
「問題だらけよ! 色がない! 生活に彩りがない! もう白には飽きたの!!」
息を切らしながら訴えても、ヴィクターはわずかに眉をひそめるだけだ。
「エレノア。色彩は混乱を生む。白は純粋で、平穏で、完璧だ。それがこの館の誇りであり、私の信念だ」
その言葉に絶句する。彼にとって白はただの好みではなく、心に深く根付いた「呪い」のようなものなのだ。その呪いを解かない限り、きっとこの白い地獄は終わらない。
「……ヴィクター。少しだけでもいいの。この館に少しだけ彩りを加えてみない?」
「なぜだ?」
「なぜって、色がないと生活が枯れてしまうわ!」
私は手元に持ってきた小さな白い花瓶を掲げ、赤と黄色の薔薇を挿して見せた。
「ほら見て。赤と黄色のコントラストが白い花瓶に映えて、とっても素敵じゃない?」
だが、その花瓶を見た瞬間、ヴィクターの表情が急に険しくなる。その表情には冷たさを超えた、激しい拒絶がそこにあった。
「私の前から、それをよけろ」
「え?」
「その色は、ここに必要ない」
ヴィクターの迫力に私は思わず後ずさる。けれど、私は気が付いてしまった。彼の声がわずかに震えていることに――。
(ヴィクター。貴方はもしかして、色彩を恐れているの?)
* * *
結婚してから数ヶ月が経ったけれど、私はいまだにヴィクターの心に触れることができていない。彼の領地の問題や、異様なまでの「白」へのこだわり。それらの背後に、何か深い理由があることは感じ取っている。でも、彼は決して話そうとしない。
(どこかに、彼の本心を知るヒントがあるはず)
私はそう考え、侯爵家の広い屋敷を散策していた。何気なく入ったのは、屋敷の奥にある倉庫のような部屋だった。どうやら使用人たちも普段は立ち入らないらしく、古い家具や箱が山積みになり、埃が舞っている。
「うっ……埃っぽい……」
軽く咳払いをしながら、無造作に積まれた箱のひとつを開けてみる。すると、中には色褪せた白いドレスが入っていた。驚くほど繊細な刺繍が施されていて、かつてはさぞ見事なドレスだったのだろうと想像できる。でも、どうしてこんなに大事そうなものが、こんな場所に放置されているのだろう?
私は慎重にドレスを取り出してみた。そしてその下に、一冊の日記が隠れているのを見つける。
「ロザリー……」
表紙に記されたその名前を見た瞬間、私はハッとした。ヴィクターのお母様の名前だ。私はその日記を見るかしばらく迷った。けれど、ヴィクターの過去を知りたいという気持ちに負け、ついに日記を開くことにした。
日記の一ページ目には美しい庭園のスケッチが広がっていた。この城に、こんな色彩豊かな庭があったなんて……!
『愛する息子のために、今日も庭の薔薇を整えました。ヴィクターが「白が一番好き」と言ってくれるたびに、私もこの色がますます好きになるのです』
最初の数ページは、愛する息子ヴィクターに対する愛情が溢れる言葉で満ちていた。読んでいるだけで、どれほど深く彼を愛していたのかが伝わってくる。だけど、ページをめくるにつれて、だんだんと筆跡は乱れ、記された内容の雰囲気も変わっていった。
『最近、夫がまた外で女性と会っていると噂を耳にしました。彼の派手な趣味に付き合うのも、もう限界です。けれどヴィクターには、心配をかけたくない』
その文章に、私は息を飲んだ。そしてさらに読み進めると、夫の愛人たちのこと、そして愛人たちから自分への嫌がらせが増えてきたことが詳細に記されていた。
『夫の愛人は私がよほど邪魔なようです。それなのに夫は、私を守ろうとしてくれない。ヴィクターにだけは危険が及ばないようにしなければ……』
そして最後のページに書かれていたのは、震えるような筆跡の一文だった。
『もし、私がいなくなっても、この家に残る庭園が、美しい白薔薇が、ヴィクターの未来を照らしますように』
私は日記を閉じ、息を詰めたまましばらく動けなかった。お母様は……ご自分の命が危険にさらされていることを悟っていたのだ。そして……その予感は当たってしまい、若くして命を落としたのだろう。
日記と共にあった白いドレスは、きっとロザリー様が身に纏っていたものなのだろう。ヴィクターが「白」に執着する理由が、やっと理解できた気がした。彼は、亡くなった母親が愛した「白」を守ろうとしている。けれど、それが彼自身を縛りつけている。
その夜、私は日記を膝の上に置きながら、ずっと考えていた。ヴィクターにこのことを話すべきか。それとも、知らないふりをするべきか。彼の心をこれ以上傷つけたくない。でも、何もせずに放っておくこともできない。
「ヴィクター……あなたが背負ってきたもの、少しだけでも軽くできるといいんだけど……」
私は日記をそっと抱きしめながら、私なりに彼に向き合おうと心に決めた。
けれど、今は寝室のベッド、食卓の皿、日々の衣服――全てが白一色。持参した色とりどりのドレスや絵画は、初日に全て「保管庫」に押し込められてしまった。
「あまりに白すぎるわ!」
流石に我慢の限界を迎えた私は、ヴィクターの執務室に乗り込んだ。真っ白いデスクに腰かけて書類に目を通していたヴィクターは、怪訝そうな顔で私を見る。
「何か問題でも?」
「問題だらけよ! 色がない! 生活に彩りがない! もう白には飽きたの!!」
息を切らしながら訴えても、ヴィクターはわずかに眉をひそめるだけだ。
「エレノア。色彩は混乱を生む。白は純粋で、平穏で、完璧だ。それがこの館の誇りであり、私の信念だ」
その言葉に絶句する。彼にとって白はただの好みではなく、心に深く根付いた「呪い」のようなものなのだ。その呪いを解かない限り、きっとこの白い地獄は終わらない。
「……ヴィクター。少しだけでもいいの。この館に少しだけ彩りを加えてみない?」
「なぜだ?」
「なぜって、色がないと生活が枯れてしまうわ!」
私は手元に持ってきた小さな白い花瓶を掲げ、赤と黄色の薔薇を挿して見せた。
「ほら見て。赤と黄色のコントラストが白い花瓶に映えて、とっても素敵じゃない?」
だが、その花瓶を見た瞬間、ヴィクターの表情が急に険しくなる。その表情には冷たさを超えた、激しい拒絶がそこにあった。
「私の前から、それをよけろ」
「え?」
「その色は、ここに必要ない」
ヴィクターの迫力に私は思わず後ずさる。けれど、私は気が付いてしまった。彼の声がわずかに震えていることに――。
(ヴィクター。貴方はもしかして、色彩を恐れているの?)
* * *
結婚してから数ヶ月が経ったけれど、私はいまだにヴィクターの心に触れることができていない。彼の領地の問題や、異様なまでの「白」へのこだわり。それらの背後に、何か深い理由があることは感じ取っている。でも、彼は決して話そうとしない。
(どこかに、彼の本心を知るヒントがあるはず)
私はそう考え、侯爵家の広い屋敷を散策していた。何気なく入ったのは、屋敷の奥にある倉庫のような部屋だった。どうやら使用人たちも普段は立ち入らないらしく、古い家具や箱が山積みになり、埃が舞っている。
「うっ……埃っぽい……」
軽く咳払いをしながら、無造作に積まれた箱のひとつを開けてみる。すると、中には色褪せた白いドレスが入っていた。驚くほど繊細な刺繍が施されていて、かつてはさぞ見事なドレスだったのだろうと想像できる。でも、どうしてこんなに大事そうなものが、こんな場所に放置されているのだろう?
私は慎重にドレスを取り出してみた。そしてその下に、一冊の日記が隠れているのを見つける。
「ロザリー……」
表紙に記されたその名前を見た瞬間、私はハッとした。ヴィクターのお母様の名前だ。私はその日記を見るかしばらく迷った。けれど、ヴィクターの過去を知りたいという気持ちに負け、ついに日記を開くことにした。
日記の一ページ目には美しい庭園のスケッチが広がっていた。この城に、こんな色彩豊かな庭があったなんて……!
『愛する息子のために、今日も庭の薔薇を整えました。ヴィクターが「白が一番好き」と言ってくれるたびに、私もこの色がますます好きになるのです』
最初の数ページは、愛する息子ヴィクターに対する愛情が溢れる言葉で満ちていた。読んでいるだけで、どれほど深く彼を愛していたのかが伝わってくる。だけど、ページをめくるにつれて、だんだんと筆跡は乱れ、記された内容の雰囲気も変わっていった。
『最近、夫がまた外で女性と会っていると噂を耳にしました。彼の派手な趣味に付き合うのも、もう限界です。けれどヴィクターには、心配をかけたくない』
その文章に、私は息を飲んだ。そしてさらに読み進めると、夫の愛人たちのこと、そして愛人たちから自分への嫌がらせが増えてきたことが詳細に記されていた。
『夫の愛人は私がよほど邪魔なようです。それなのに夫は、私を守ろうとしてくれない。ヴィクターにだけは危険が及ばないようにしなければ……』
そして最後のページに書かれていたのは、震えるような筆跡の一文だった。
『もし、私がいなくなっても、この家に残る庭園が、美しい白薔薇が、ヴィクターの未来を照らしますように』
私は日記を閉じ、息を詰めたまましばらく動けなかった。お母様は……ご自分の命が危険にさらされていることを悟っていたのだ。そして……その予感は当たってしまい、若くして命を落としたのだろう。
日記と共にあった白いドレスは、きっとロザリー様が身に纏っていたものなのだろう。ヴィクターが「白」に執着する理由が、やっと理解できた気がした。彼は、亡くなった母親が愛した「白」を守ろうとしている。けれど、それが彼自身を縛りつけている。
その夜、私は日記を膝の上に置きながら、ずっと考えていた。ヴィクターにこのことを話すべきか。それとも、知らないふりをするべきか。彼の心をこれ以上傷つけたくない。でも、何もせずに放っておくこともできない。
「ヴィクター……あなたが背負ってきたもの、少しだけでも軽くできるといいんだけど……」
私は日記をそっと抱きしめながら、私なりに彼に向き合おうと心に決めた。
1
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
二周目も結婚したがる夫
常に移動する点P
恋愛
人生二度目、世界が二周目に入って唯一記憶を持っているという佐橋正角が私の元に現れた。「あなたの夫になる人です」と言ってのけた。独身女をバカにした新手のナンパかと思いきや、これから起こることを言い当てる正角。未来から来たとかではなく、二回目の人生にもう一度私と結婚すると言うのだ。頭のおかしい夫候補、正角にトゲトゲした私の心がほぐされ満たされていく。人生二回目、もう一度あなたと結ばれたいと願った男のラブコメディー。

【完結】身代わりに病弱だった令嬢が隣国の冷酷王子と政略結婚したら、薬師の知識が役に立ちました。
朝日みらい
恋愛
リリスは内気な性格の貴族令嬢。幼い頃に患った大病の影響で、薬師顔負けの知識を持ち、自ら薬を調合する日々を送っている。家族の愛情を一身に受ける妹セシリアとは対照的に、彼女は控えめで存在感が薄い。
ある日、リリスは両親から突然「妹の代わりに隣国の王子と政略結婚をするように」と命じられる。結婚相手であるエドアルド王子は、かつて幼馴染でありながら、今では冷たく距離を置かれる存在。リリスは幼い頃から密かにエドアルドに憧れていたが、病弱だった過去もあって自分に自信が持てず、彼の真意がわからないまま結婚の日を迎えてしまい――

近すぎて見えない
綾崎オトイ
恋愛
当たり前にあるものには気づけなくて、無くしてから気づく何か。
ずっと嫌だと思っていたはずなのに突き放されて初めてこの想いに気づくなんて。
わざと護衛にまとわりついていたお嬢様と、そんなお嬢様に毎日付き合わされてうんざりだと思っていた護衛の話。

隣人の幼馴染にご飯を作るのは今日で終わり
鳥花風星
恋愛
高校二年生のひよりは、隣の家に住む幼馴染の高校三年生の蒼に片思いをしていた。蒼の両親が海外出張でいないため、ひよりは蒼のために毎日ご飯を作りに来ている。
でも、蒼とひよりにはもう一人、みさ姉という大学生の幼馴染がいた。蒼が好きなのはみさ姉だと思い、身を引くためにひよりはもうご飯を作りにこないと伝えるが……。

図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました
鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。
素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。
とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。
「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」

終わりにできなかった恋
明日葉
恋愛
「なあ、結婚するか?」
男友達から不意にそう言われて。
「そうだね、しようか」
と。
恋を自覚する前にあまりに友達として大事になりすぎて。終わるかもしれない恋よりも、終わりのない友達をとっていただけ。ふとそう自覚したら、今を逃したら次はないと気づいたら、そう答えていた。

某国王家の結婚事情
小夏 礼
恋愛
ある国の王家三代の結婚にまつわるお話。
侯爵令嬢のエヴァリーナは幼い頃に王太子の婚約者に決まった。
王太子との仲は悪くなく、何も問題ないと思っていた。
しかし、ある日王太子から信じられない言葉を聞くことになる……。
お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして
みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。
きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。
私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。
だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。
なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて?
全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです!
※「小説家になろう」様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる