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その後の話(本編完結から6年後)
おめでたと犠牲
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よほど相性が良い。
そのことを裏付けるように、あっさりとリルは妊娠した。
二人目を打診してから迎えた初のヒート後のことだった。
発情期が明けてすぐ医者に診てもらった時は当然何の予兆もなかったが、一月を少し過ぎた頃から調子が悪いと訴えるリルを医者にかからせて判明した。
いわゆる悪阻というやつである。
シルヴィの時にも体験しているからか、
「大丈夫ですよ」
リルは気丈にも冷や汗を浮かべながらも微笑んでみせるが、サリウスにとっては何もかも初めてのこと。
事あるごとにオロオロしっぱなしで、まったく落ち着けない。
丈夫な子を産んでもらうために、せめて自分ができる最大限のことを。
そう考えていつにも増して高級な食材を取り寄せてみたものの、一番の好物すらリルの喉を通らない。
まだ平らな腹に宿る我が子がまさかこんなにもリルを苦しめるだなんて考えてもみなかった。
「シルヴィを身籠っていた頃もこんな風でしたから」
リルは懐かしそうにしているが、サリウスは早速後悔し始めていた。
もちろん、二人目となる愛の結晶を大切に思う気持ちはある。
しかし、何よりも尊いリルがしんどい思いをするなら話は別だ。
代わってあげたいのに、代わってあげられない。
こんなことになるなら、子供が欲しいなんて言うんじゃなかった。
自分が望んだこととはいえ、自分の蒔いた種でリルが苦しんでいるという事実にサリウスは打ちのめされている。
そもそも、前の悪阻の話なんて聞いていない!
喉元過ぎれば熱さを忘れる、というやつで完全にリルの記憶からも消え失せていただけなのだが、事前に知らされていなかったことにもサリウスはショックを受けていた。
リルが苦労してシルヴィを産んだってわかっているつもりだった。
しかし、実際はどうだ。全然理解が足りていなかった。
六年前に戻れるならば、ずっと傍にいて支えたのに。
しかし、今現在すでに己の非力を痛感しているサリウスにできることなどないような気がするのだが、それでも過去のリルに寄り添いたいという気持ちに嘘はない。
リルが大変な思いをして生まれたシルヴィへの愛おしさも、今回の妊娠劇を機にますます募る。
そして、リルがようやく安定期に入り、良くも悪くもサリウスに二児の父親としての自覚が芽生えつつある、そんなとある平日の午後。
サリウスは王宮、それも謁見室に呼び出されていた。
朝のうちに王都周辺での任務を終え、少しサボってから職場に戻った矢先の出来事だった。
「やあ、随分と遅かったじゃないか」
魔塔の扉を開けるなり、待ち構えていたと言わんばかりに顔見知りの男が、目のちっとも笑っていない笑顔でサリウスを出迎えた。
額に冷や汗が伝うような嫌な感覚が走り、咄嗟の判断で逃げ出そうとするも、相手は王立学校の先学。
しかも、向こうが卒業するまでの約二年を同室で過ごした相手で、もっと詳しいことを語るなら門限を守らないサリウスを何度も力づくで見つけ出しては連れ戻した天敵のような存在。
現在は王太子の最側近として、また王国の片翼を担う公爵家の家長として優雅で慌ただしい日々を送っている、と。
ここまではこの国の貴族なら誰でも知っているような話だが、そんな多忙を極めるお方が何用でこんな疲労感に溢れる廃れた場所まで足を運んだのか。
サリウスの脳内は嫌な予感で埋め尽くされた。
認めたくはないが、おおよその検討はついている。
そして、現実とは非常なものでその勘は見事に的中した。
細身の癖して学生時代と変わらぬ腕力で、サリウスを捕らえた公爵に引きずられるようにして謁見室に通されると、
「侯爵、いや、サリウス。奥方が懐妊したとか」
「安定期に入ったのなら報告くらいしないか」
そこにはいつから待っていたのか、玉座にどっしりと構えた国王親子がいて、サリウスは挨拶をする暇もなくに二人から詰められた。
「まったく、これまではご子息が幼いからと奥方をあまり表に出されていませんでしたが、まさかこう来るとは……」
公爵も入れれば三人だったか。
彼らの主張は様々であったが、まとめると「いい加減そろそろ夫人を社交界に出せ」ということ。
それと「末端貴族ならいざ知らず、名門貴族の侯爵家に子が誕生するというのに上層へ知らせないのはいかがなものか」という文句だけ。
サリウスからしてみれば、それこそ知ったこっちゃない単なる任意義務程度の話なのだが、国の中枢を治める者たちにとっては違う意味があるらしい。
しかし、サリウスはあくまでも、
「お言葉ですが、長子の時にもお伝えした通りそれはこちらの勝手では?」
不遜な態度が許される身にしかできない芸当で言い返す。
サリウスは目上相手にこのような振舞いを咎められた経験がないので、これはいつもの応酬に過ぎないのだが、そうと知らぬ者が見たら間違いなく卒倒するだろう。
口ではやいのやいのうるさく注意する国王連中も、
「侯爵という立場なら任意とかというレベルじゃないだろう!」
なんだかんだ言いながら、息子のような弟のようなサリウスを格別に可愛がっていたりする。
実際にはただの元側近の子供(成人済)と学校の後輩という間柄に過ぎないけれど、生活力が乏しい上に、一人っ子で協調性の欠片もないサリウスは、ここにいる全員にとって昔から放っておけない末っ子のような気質がして、密かに甘やかされてきた。
そんな「うちの可愛い末っ子」状態のサリウスであったが、当然本人にその自覚はなく、勝手に末っ子に据えられているなんて露ほども思ってない。
それでも、国王も王太子も公爵も「サリウスの結婚相手はぜひ自分たちの親族から」と望んでいたのは社交界では有名な話だった。
実際、彼らは、
「そろそろ結婚でもしたらどうだ」
と探りを入れながら、自らが見繕った名家のオメガを宛がおうと画策していたのに、サリウスはあっさりとその期待を裏切った。
なんと六年前の秋口に突然嫁と子を屋敷に迎え入れたのだ。
これにはさすがの国王も慌てた。
飛んで報せを運んできた騎士団の長官も支離滅裂で、事態の全容は把握していないようだったが、侯爵邸に潜らせていた間者によると、どうやら王都の外で拵えた番らしい。
三人は「まったくしてやられた!」と大いに悔しがったけれど、次いで間者が、
「ご子息は侯爵そっくり」
と伝えるのを聞いて、今度は「でかした!」と喜んだものだ。
それで、一行はサリウスの番に会えるのはいつか、いつか、とお呼ばれの準備なんかまでしていた。
しかし、待てど暮らせどサリウスからは「番」の「つ」の字も聞かされない。
それならお披露目を兼ねて社交界に現れるだろうと、しばらく張ってみたものの、こちらも戦果はなかった。
風に乗って届くのは、
「子供を持つ親同士のお茶会に顔を出している」
とか、
「獣人なんだけど、すごく可愛らしい方」
とか、
「子供は半獣で狼の耳と尻尾がある」
とか、そんなものばかり。
どれもいまいち核心を突いてこないけれど、家族ができてからのサリウスの変化を見れば、悪い相手でないことは想像に難くない。
間者もすっかり絆されており、本来なら職務怠慢と叱られてもおかしくないのだが「使用人として奥様とお茶をした」のがよほど楽しかったのか、ごく稀に「それは奥様のプライバシーなのでお教えできません!」という趣旨の内容が報告書に上がることもある。
訓練された間者相手にいったいどんな手を使ったのか。
サリウスの奥方に会いたくて仕方がない国王たちであったが、サリウスは膠もなく、一向に妻となった人物を表に出そうとしない。
魔塔には何度か届け物をしに来ているそうだが、生憎多忙の身で彼らの誰一人としてその場に立ち会えなかった。
そうこうしている間にあっという間に六年。
結局、結婚の挨拶もサリウスが一人でこの謁見室で行ったし、未だ奥方は公衆の面前に顔を出していない。
そして、この度いい加減痺れが切れそうとプルプルしていたところ、間者から、
「奥様が安定期に入られたのでご懐妊されたことを奏上いたします」
なんとも突拍子もない話が入り、三者の堪忍袋の緒が切れ、サリウスが呼び出されたというのが事の次第である。
とはいえ、サリウスからしてみれば、どうせお得意の間者に聞いているのだから今更何を言っているんだ、という感じであるし、リルを社交界なんて場に遣るなど言語道断。
婦人たちとのお茶会ですら渋々許可しているのに、これ以上リルを他者の目に触れさせたくなかった。
そもそも実はサリウス、リルに社交界のことを秘密にしていた。
これはリルのママ友にも言い含めて合意を得ていることなのだが、王家主催のパーティーであっても絶対にリルの耳に入れないよう徹底してもらっている。
夜の世界にあんな無垢な子が出向くなんて危ないし、変な虫でもついたら困る、というのがサリウスたちの主張。
第一、夜会など出席しなくとも侯爵家の地位はビクともしないし、サリウスが一人身の時だって参加したことはほとんどない。
さすがにシルヴィがデビュタントを迎える頃には真実を明かす必要があるとは考えているけれど、子供もまだまだ幼いし、これを言い訳に使えるうちはシルヴィを口実にどんな誘いも断れる。
今も立派に社交をこなしているつもりのリルには悪いが、これも偏にリルのため。
そう、すべては愛すればこそ。
それに、夜会なぞに出るようになったら準備に忙しくてパン屋を続けられなくなってしまうかもしれない。
店を持つという夢は子育ての慌ただしさから未だ叶っていないが、それでも街のパン屋では近年一番人気のパン・オ・ショコラをはじめ、新商品の考案を任されているらしく、お忍びで働くことを心底楽しんでいるようなので余計な茶々を入れたくない。
どちらにせよ、サリウスの頭にリルを社交界にという考えはなく、今後も大々的にお披露目するつもりなどない。
だいたい今年の入学式で大勢に見られたばかりだ。
リルの愛らしさに多くの視線が集まったことで、近頃サリウスの気は少々敏感になっている。
本人は喜んでいたけれど、
「侯爵夫人とぜひお友達になりたい」
と母親連中が積極的に話かけてきたのも気に食わない。
しまいには伝統を重んじて、高位貴族が就くことになっている保護者会の役員にまでなってしまって……リルの世界が広がるのは喜ばしいことのはずなのに、自分だけのものという感覚からは遠ざかっているような錯覚がして、本当に忌々しいことこの上ない。
そんな最中、めでたく懐妊。
今はリルの意識を完全に腹の子と、これから兄になるシルヴィに奪われている。
「生まれてからしばらくはどうしても下の子につきっきりになっちゃうと思いますから」
シルヴィに寂しい思いをさせないように、安定期のうちにできるだけ甘やかしてやるのだ、と。
リルなりの配慮らしいが、サリウスとしては自分も構ってほしい。
しかし、魔塔の長に「リルの出産が近くなったらしばらく休む」と宣言してしまったせいで、それまでの間ある限りの雑務を押しつけられることになってしまい、最近は食事の時だけ屋敷に戻り後は仕事という生活が続いてしまっている。
「大変な時期に一緒にいられなくてすまない」
今朝もそう謝るとリルは、
「皆が良くしてくれていますから」
快く送り出してくれたが、そういう健気なところが最高に愛らしく、許されるのならリルを抱いてそのまま寝室に逆戻りしたいくらいだった。
気丈な男だというのに、母性たっぷりに膨らみかけた腹を擦る狼獣人。
妊娠してからリルの魅力は腹の子の大きさに比例して格段に跳ね上がっている。
なんというか、汚れなき聖母とリルの親和性が高すぎるのがいけない。
サリウスにとってどの瞬間のリルも可憐であることに変わりないのだが、愛の結晶を宿していると思えばこそ、この頃のリルは特に格別に感じられる。
そのような状態でどうして人前に出せようか。いや、出せない!
そういうわけで、リルに関することなら尚更、国王たちの願いを叶える義理などないに等しかった。
「夜会に出ろとまでは言わない。だが、せめて一目会わせてはもらえないだろうか」
「妻は平民出身でお三方のように高貴な方を前にマナー作法が上手くできないかもしれないと常々心配しています。今は身重で大切な時期なのでいらぬ心労をかけさせたくありませんので」
お断りします。
取り付く島もなくあっさり却下され、わかりやすく落ち込む国王たち。
そんな彼らを見て、サリウスは面倒事を一旦落ち着ける妥協策を思いつく。
「そんなに私の家族に会いたいのなら長男を連れて参ります」
気まぐれにも取れるその提案に一も二もなく三人は頷いた。
「そうだな! 安定期とはいえ軽率だった」
「サリウスに似て優秀だと聞いているし、王宮の図書館も解放してやろう」
「子供が好きそうな菓子も用意させよう」
サリウスそっくりで魔力にも学力にも秀でているのに、サリウスと違って情緒が育っていると噂の息子。
サリウスを子供のように扱う彼らにとって、シルヴィは見る前から可愛い孫であり甥となるに決まっていた。
「それならショコラを頼みます」
これを機に母離れしてもらおう。
そんな思惑を胸に秘め、ちゃっかり希望までしながら、サリウスはリルの代わりに生贄となる我が子の、権力者に愛されるという幸運と受難にほんの少しだけ同情した。
そのことを裏付けるように、あっさりとリルは妊娠した。
二人目を打診してから迎えた初のヒート後のことだった。
発情期が明けてすぐ医者に診てもらった時は当然何の予兆もなかったが、一月を少し過ぎた頃から調子が悪いと訴えるリルを医者にかからせて判明した。
いわゆる悪阻というやつである。
シルヴィの時にも体験しているからか、
「大丈夫ですよ」
リルは気丈にも冷や汗を浮かべながらも微笑んでみせるが、サリウスにとっては何もかも初めてのこと。
事あるごとにオロオロしっぱなしで、まったく落ち着けない。
丈夫な子を産んでもらうために、せめて自分ができる最大限のことを。
そう考えていつにも増して高級な食材を取り寄せてみたものの、一番の好物すらリルの喉を通らない。
まだ平らな腹に宿る我が子がまさかこんなにもリルを苦しめるだなんて考えてもみなかった。
「シルヴィを身籠っていた頃もこんな風でしたから」
リルは懐かしそうにしているが、サリウスは早速後悔し始めていた。
もちろん、二人目となる愛の結晶を大切に思う気持ちはある。
しかし、何よりも尊いリルがしんどい思いをするなら話は別だ。
代わってあげたいのに、代わってあげられない。
こんなことになるなら、子供が欲しいなんて言うんじゃなかった。
自分が望んだこととはいえ、自分の蒔いた種でリルが苦しんでいるという事実にサリウスは打ちのめされている。
そもそも、前の悪阻の話なんて聞いていない!
喉元過ぎれば熱さを忘れる、というやつで完全にリルの記憶からも消え失せていただけなのだが、事前に知らされていなかったことにもサリウスはショックを受けていた。
リルが苦労してシルヴィを産んだってわかっているつもりだった。
しかし、実際はどうだ。全然理解が足りていなかった。
六年前に戻れるならば、ずっと傍にいて支えたのに。
しかし、今現在すでに己の非力を痛感しているサリウスにできることなどないような気がするのだが、それでも過去のリルに寄り添いたいという気持ちに嘘はない。
リルが大変な思いをして生まれたシルヴィへの愛おしさも、今回の妊娠劇を機にますます募る。
そして、リルがようやく安定期に入り、良くも悪くもサリウスに二児の父親としての自覚が芽生えつつある、そんなとある平日の午後。
サリウスは王宮、それも謁見室に呼び出されていた。
朝のうちに王都周辺での任務を終え、少しサボってから職場に戻った矢先の出来事だった。
「やあ、随分と遅かったじゃないか」
魔塔の扉を開けるなり、待ち構えていたと言わんばかりに顔見知りの男が、目のちっとも笑っていない笑顔でサリウスを出迎えた。
額に冷や汗が伝うような嫌な感覚が走り、咄嗟の判断で逃げ出そうとするも、相手は王立学校の先学。
しかも、向こうが卒業するまでの約二年を同室で過ごした相手で、もっと詳しいことを語るなら門限を守らないサリウスを何度も力づくで見つけ出しては連れ戻した天敵のような存在。
現在は王太子の最側近として、また王国の片翼を担う公爵家の家長として優雅で慌ただしい日々を送っている、と。
ここまではこの国の貴族なら誰でも知っているような話だが、そんな多忙を極めるお方が何用でこんな疲労感に溢れる廃れた場所まで足を運んだのか。
サリウスの脳内は嫌な予感で埋め尽くされた。
認めたくはないが、おおよその検討はついている。
そして、現実とは非常なものでその勘は見事に的中した。
細身の癖して学生時代と変わらぬ腕力で、サリウスを捕らえた公爵に引きずられるようにして謁見室に通されると、
「侯爵、いや、サリウス。奥方が懐妊したとか」
「安定期に入ったのなら報告くらいしないか」
そこにはいつから待っていたのか、玉座にどっしりと構えた国王親子がいて、サリウスは挨拶をする暇もなくに二人から詰められた。
「まったく、これまではご子息が幼いからと奥方をあまり表に出されていませんでしたが、まさかこう来るとは……」
公爵も入れれば三人だったか。
彼らの主張は様々であったが、まとめると「いい加減そろそろ夫人を社交界に出せ」ということ。
それと「末端貴族ならいざ知らず、名門貴族の侯爵家に子が誕生するというのに上層へ知らせないのはいかがなものか」という文句だけ。
サリウスからしてみれば、それこそ知ったこっちゃない単なる任意義務程度の話なのだが、国の中枢を治める者たちにとっては違う意味があるらしい。
しかし、サリウスはあくまでも、
「お言葉ですが、長子の時にもお伝えした通りそれはこちらの勝手では?」
不遜な態度が許される身にしかできない芸当で言い返す。
サリウスは目上相手にこのような振舞いを咎められた経験がないので、これはいつもの応酬に過ぎないのだが、そうと知らぬ者が見たら間違いなく卒倒するだろう。
口ではやいのやいのうるさく注意する国王連中も、
「侯爵という立場なら任意とかというレベルじゃないだろう!」
なんだかんだ言いながら、息子のような弟のようなサリウスを格別に可愛がっていたりする。
実際にはただの元側近の子供(成人済)と学校の後輩という間柄に過ぎないけれど、生活力が乏しい上に、一人っ子で協調性の欠片もないサリウスは、ここにいる全員にとって昔から放っておけない末っ子のような気質がして、密かに甘やかされてきた。
そんな「うちの可愛い末っ子」状態のサリウスであったが、当然本人にその自覚はなく、勝手に末っ子に据えられているなんて露ほども思ってない。
それでも、国王も王太子も公爵も「サリウスの結婚相手はぜひ自分たちの親族から」と望んでいたのは社交界では有名な話だった。
実際、彼らは、
「そろそろ結婚でもしたらどうだ」
と探りを入れながら、自らが見繕った名家のオメガを宛がおうと画策していたのに、サリウスはあっさりとその期待を裏切った。
なんと六年前の秋口に突然嫁と子を屋敷に迎え入れたのだ。
これにはさすがの国王も慌てた。
飛んで報せを運んできた騎士団の長官も支離滅裂で、事態の全容は把握していないようだったが、侯爵邸に潜らせていた間者によると、どうやら王都の外で拵えた番らしい。
三人は「まったくしてやられた!」と大いに悔しがったけれど、次いで間者が、
「ご子息は侯爵そっくり」
と伝えるのを聞いて、今度は「でかした!」と喜んだものだ。
それで、一行はサリウスの番に会えるのはいつか、いつか、とお呼ばれの準備なんかまでしていた。
しかし、待てど暮らせどサリウスからは「番」の「つ」の字も聞かされない。
それならお披露目を兼ねて社交界に現れるだろうと、しばらく張ってみたものの、こちらも戦果はなかった。
風に乗って届くのは、
「子供を持つ親同士のお茶会に顔を出している」
とか、
「獣人なんだけど、すごく可愛らしい方」
とか、
「子供は半獣で狼の耳と尻尾がある」
とか、そんなものばかり。
どれもいまいち核心を突いてこないけれど、家族ができてからのサリウスの変化を見れば、悪い相手でないことは想像に難くない。
間者もすっかり絆されており、本来なら職務怠慢と叱られてもおかしくないのだが「使用人として奥様とお茶をした」のがよほど楽しかったのか、ごく稀に「それは奥様のプライバシーなのでお教えできません!」という趣旨の内容が報告書に上がることもある。
訓練された間者相手にいったいどんな手を使ったのか。
サリウスの奥方に会いたくて仕方がない国王たちであったが、サリウスは膠もなく、一向に妻となった人物を表に出そうとしない。
魔塔には何度か届け物をしに来ているそうだが、生憎多忙の身で彼らの誰一人としてその場に立ち会えなかった。
そうこうしている間にあっという間に六年。
結局、結婚の挨拶もサリウスが一人でこの謁見室で行ったし、未だ奥方は公衆の面前に顔を出していない。
そして、この度いい加減痺れが切れそうとプルプルしていたところ、間者から、
「奥様が安定期に入られたのでご懐妊されたことを奏上いたします」
なんとも突拍子もない話が入り、三者の堪忍袋の緒が切れ、サリウスが呼び出されたというのが事の次第である。
とはいえ、サリウスからしてみれば、どうせお得意の間者に聞いているのだから今更何を言っているんだ、という感じであるし、リルを社交界なんて場に遣るなど言語道断。
婦人たちとのお茶会ですら渋々許可しているのに、これ以上リルを他者の目に触れさせたくなかった。
そもそも実はサリウス、リルに社交界のことを秘密にしていた。
これはリルのママ友にも言い含めて合意を得ていることなのだが、王家主催のパーティーであっても絶対にリルの耳に入れないよう徹底してもらっている。
夜の世界にあんな無垢な子が出向くなんて危ないし、変な虫でもついたら困る、というのがサリウスたちの主張。
第一、夜会など出席しなくとも侯爵家の地位はビクともしないし、サリウスが一人身の時だって参加したことはほとんどない。
さすがにシルヴィがデビュタントを迎える頃には真実を明かす必要があるとは考えているけれど、子供もまだまだ幼いし、これを言い訳に使えるうちはシルヴィを口実にどんな誘いも断れる。
今も立派に社交をこなしているつもりのリルには悪いが、これも偏にリルのため。
そう、すべては愛すればこそ。
それに、夜会なぞに出るようになったら準備に忙しくてパン屋を続けられなくなってしまうかもしれない。
店を持つという夢は子育ての慌ただしさから未だ叶っていないが、それでも街のパン屋では近年一番人気のパン・オ・ショコラをはじめ、新商品の考案を任されているらしく、お忍びで働くことを心底楽しんでいるようなので余計な茶々を入れたくない。
どちらにせよ、サリウスの頭にリルを社交界にという考えはなく、今後も大々的にお披露目するつもりなどない。
だいたい今年の入学式で大勢に見られたばかりだ。
リルの愛らしさに多くの視線が集まったことで、近頃サリウスの気は少々敏感になっている。
本人は喜んでいたけれど、
「侯爵夫人とぜひお友達になりたい」
と母親連中が積極的に話かけてきたのも気に食わない。
しまいには伝統を重んじて、高位貴族が就くことになっている保護者会の役員にまでなってしまって……リルの世界が広がるのは喜ばしいことのはずなのに、自分だけのものという感覚からは遠ざかっているような錯覚がして、本当に忌々しいことこの上ない。
そんな最中、めでたく懐妊。
今はリルの意識を完全に腹の子と、これから兄になるシルヴィに奪われている。
「生まれてからしばらくはどうしても下の子につきっきりになっちゃうと思いますから」
シルヴィに寂しい思いをさせないように、安定期のうちにできるだけ甘やかしてやるのだ、と。
リルなりの配慮らしいが、サリウスとしては自分も構ってほしい。
しかし、魔塔の長に「リルの出産が近くなったらしばらく休む」と宣言してしまったせいで、それまでの間ある限りの雑務を押しつけられることになってしまい、最近は食事の時だけ屋敷に戻り後は仕事という生活が続いてしまっている。
「大変な時期に一緒にいられなくてすまない」
今朝もそう謝るとリルは、
「皆が良くしてくれていますから」
快く送り出してくれたが、そういう健気なところが最高に愛らしく、許されるのならリルを抱いてそのまま寝室に逆戻りしたいくらいだった。
気丈な男だというのに、母性たっぷりに膨らみかけた腹を擦る狼獣人。
妊娠してからリルの魅力は腹の子の大きさに比例して格段に跳ね上がっている。
なんというか、汚れなき聖母とリルの親和性が高すぎるのがいけない。
サリウスにとってどの瞬間のリルも可憐であることに変わりないのだが、愛の結晶を宿していると思えばこそ、この頃のリルは特に格別に感じられる。
そのような状態でどうして人前に出せようか。いや、出せない!
そういうわけで、リルに関することなら尚更、国王たちの願いを叶える義理などないに等しかった。
「夜会に出ろとまでは言わない。だが、せめて一目会わせてはもらえないだろうか」
「妻は平民出身でお三方のように高貴な方を前にマナー作法が上手くできないかもしれないと常々心配しています。今は身重で大切な時期なのでいらぬ心労をかけさせたくありませんので」
お断りします。
取り付く島もなくあっさり却下され、わかりやすく落ち込む国王たち。
そんな彼らを見て、サリウスは面倒事を一旦落ち着ける妥協策を思いつく。
「そんなに私の家族に会いたいのなら長男を連れて参ります」
気まぐれにも取れるその提案に一も二もなく三人は頷いた。
「そうだな! 安定期とはいえ軽率だった」
「サリウスに似て優秀だと聞いているし、王宮の図書館も解放してやろう」
「子供が好きそうな菓子も用意させよう」
サリウスそっくりで魔力にも学力にも秀でているのに、サリウスと違って情緒が育っていると噂の息子。
サリウスを子供のように扱う彼らにとって、シルヴィは見る前から可愛い孫であり甥となるに決まっていた。
「それならショコラを頼みます」
これを機に母離れしてもらおう。
そんな思惑を胸に秘め、ちゃっかり希望までしながら、サリウスはリルの代わりに生贄となる我が子の、権力者に愛されるという幸運と受難にほんの少しだけ同情した。
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