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番外編(時系列順)
突撃!噂の奥様③
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「あっ」
誤魔化そうにもどうすることもできない。
恐る恐る顔を上げると、さっきまで二人の世界に浸っていた夫妻が驚きのあまり立ち上がっていた。
結構な衝撃だったので二人とも反射的に反応したのだろうが、ハンスとしては思わぬ注目を浴びて頬に熱が集まる思いだった。
副長の手にいる赤子が泣き声をあげていないのが、せめてもの救いだろうか。
「えっと、その、すみません」
やるせなく呟くように謝罪すると、なぜだか奥様の方がハンスより慌て始める。
「いえ、こちらこそ、その、変なところを見せてしまって」
大きな身振り手振りに尻尾がブンブン揺れている。
尻すぼみな声は大きな口から出たと思えないほど耳馴染みが良い。
「夫の職場でこんなのって、ダメですよね」
リルの目元がしゅんとし、耳がパタンッと折れた。
その様子にワンテンポ遅れて我に返ったサリウスが部下を睨みつける。
「ハンス、お前ここで何をしている? まさかリルの可愛い姿を見たわけじゃないだろうな」
有無を言わさぬ圧にハンスは今にも泣き出したい心地である。
だいたい「可愛い」ってなんだ。それがわからなくてこっちは張っていたというのに。
「サリウスさん、人前でそんなこと言わないでください」
「リルが可愛いのが事実だろう」
副長の態度の温度差がすごすぎる。
部下を叱りながら奥様といちゃつかないでいただきたい。
「それで、どうなんだ?」
後で待っている仕置きも怖いが、目の前にいる狼獣人よりも今は副長が怖かった。
何と言い訳をしようか。
ハンスは必死に頭の中で無意味な文字列を並べ立てるも、喉が引きつって声が出ない。
もうダメだ! そう思ったその時、
ぐうぅぅぅぅ
ハンスの腹が盛大に鳴った。
ひぇ、まずい! こんなの火に油を注ぐだけだ。
そう焦るハンスに救いの手を差し伸べたのは、まさかのリルだった。
「あっ、お腹が空いていらしたんですね。もともと魔塔課の方々に差し入れようと多めに持ってきていたんです」
そういえば昨日の朝から何も食べていない。
魔塔ではよくあることだが、三食抜くとさすがにきつい。
「門のところで係の方に申し出をしていたので、受け取りに出向いてくださったんでしょうか」
ハンスが一言も発さないうちに、いつの間にかそういうことになったらしい。
なんたるラッキー。
サリウスも妻の言うことは絶対なのか、
「それなら仕方ない」
と勝手に納得してくれたようだ。
しかも、神だ! と心の中で手を合わせるハンスにリルは、
「はい、どうぞ」
とサンドウィッチがぎゅうぎゅうに詰まったバスケットを目の前に差し出すと、そこから一切れ紙ナプキンで包んで手渡してくれた。
あまりの空腹加減にそんなことをされて食べないわけがない。
ハンスはサンドウィッチに勢いよく齧りつく。
美味しい。
濃厚な卵とさっぱりしたマヨネーズがよく合う。薄目にカットされたパン生地も柔らかくて、中の具と絡んでバランスが良い。
こんなに美味しい食事は久々だった。
「まだまだたくさんありますからね」
あっという間に一枚食べきったハンスにリルはバスケットごと預けてくれる。
ハッとして狼獣人の顔をよくよく見ると、彼の瞳は卵の黄身を思わせる色をしていて、ハンスは途端に温かな気持ちになった。
近くで見ると怖くないかも。というか、むしろ可愛い?
きゅるんとした瞳とモコモコのフォルム、ちょっと濡れた鼻先も悪くない。
昔に流行った機械仕掛けのぬいぐるみみたいだ。
ハンスは魔塔にバスケットと持ち帰って、皆にひとしきりサンドウィッチを配った後も、先ほどの余韻に浸っていた。
自席で貴重な卵サンドを一口齧る度、狼獣人の瞳の色が脳裏に浮かぶ。
ハンスはまだ知らない。
この後リルを忘れられず研究が手につかないあまり事あるごとに、
「副長の奥様に会わせてください!」
とサリウスに頼み込むことになることも、それにサリウスが激怒することも、そしてハンスの呆けぶりに手を焼いた魔塔の長がサリウスに、
「ハンスを奥方に会わせてやりなさい」
と命じることも。
誤魔化そうにもどうすることもできない。
恐る恐る顔を上げると、さっきまで二人の世界に浸っていた夫妻が驚きのあまり立ち上がっていた。
結構な衝撃だったので二人とも反射的に反応したのだろうが、ハンスとしては思わぬ注目を浴びて頬に熱が集まる思いだった。
副長の手にいる赤子が泣き声をあげていないのが、せめてもの救いだろうか。
「えっと、その、すみません」
やるせなく呟くように謝罪すると、なぜだか奥様の方がハンスより慌て始める。
「いえ、こちらこそ、その、変なところを見せてしまって」
大きな身振り手振りに尻尾がブンブン揺れている。
尻すぼみな声は大きな口から出たと思えないほど耳馴染みが良い。
「夫の職場でこんなのって、ダメですよね」
リルの目元がしゅんとし、耳がパタンッと折れた。
その様子にワンテンポ遅れて我に返ったサリウスが部下を睨みつける。
「ハンス、お前ここで何をしている? まさかリルの可愛い姿を見たわけじゃないだろうな」
有無を言わさぬ圧にハンスは今にも泣き出したい心地である。
だいたい「可愛い」ってなんだ。それがわからなくてこっちは張っていたというのに。
「サリウスさん、人前でそんなこと言わないでください」
「リルが可愛いのが事実だろう」
副長の態度の温度差がすごすぎる。
部下を叱りながら奥様といちゃつかないでいただきたい。
「それで、どうなんだ?」
後で待っている仕置きも怖いが、目の前にいる狼獣人よりも今は副長が怖かった。
何と言い訳をしようか。
ハンスは必死に頭の中で無意味な文字列を並べ立てるも、喉が引きつって声が出ない。
もうダメだ! そう思ったその時、
ぐうぅぅぅぅ
ハンスの腹が盛大に鳴った。
ひぇ、まずい! こんなの火に油を注ぐだけだ。
そう焦るハンスに救いの手を差し伸べたのは、まさかのリルだった。
「あっ、お腹が空いていらしたんですね。もともと魔塔課の方々に差し入れようと多めに持ってきていたんです」
そういえば昨日の朝から何も食べていない。
魔塔ではよくあることだが、三食抜くとさすがにきつい。
「門のところで係の方に申し出をしていたので、受け取りに出向いてくださったんでしょうか」
ハンスが一言も発さないうちに、いつの間にかそういうことになったらしい。
なんたるラッキー。
サリウスも妻の言うことは絶対なのか、
「それなら仕方ない」
と勝手に納得してくれたようだ。
しかも、神だ! と心の中で手を合わせるハンスにリルは、
「はい、どうぞ」
とサンドウィッチがぎゅうぎゅうに詰まったバスケットを目の前に差し出すと、そこから一切れ紙ナプキンで包んで手渡してくれた。
あまりの空腹加減にそんなことをされて食べないわけがない。
ハンスはサンドウィッチに勢いよく齧りつく。
美味しい。
濃厚な卵とさっぱりしたマヨネーズがよく合う。薄目にカットされたパン生地も柔らかくて、中の具と絡んでバランスが良い。
こんなに美味しい食事は久々だった。
「まだまだたくさんありますからね」
あっという間に一枚食べきったハンスにリルはバスケットごと預けてくれる。
ハッとして狼獣人の顔をよくよく見ると、彼の瞳は卵の黄身を思わせる色をしていて、ハンスは途端に温かな気持ちになった。
近くで見ると怖くないかも。というか、むしろ可愛い?
きゅるんとした瞳とモコモコのフォルム、ちょっと濡れた鼻先も悪くない。
昔に流行った機械仕掛けのぬいぐるみみたいだ。
ハンスは魔塔にバスケットと持ち帰って、皆にひとしきりサンドウィッチを配った後も、先ほどの余韻に浸っていた。
自席で貴重な卵サンドを一口齧る度、狼獣人の瞳の色が脳裏に浮かぶ。
ハンスはまだ知らない。
この後リルを忘れられず研究が手につかないあまり事あるごとに、
「副長の奥様に会わせてください!」
とサリウスに頼み込むことになることも、それにサリウスが激怒することも、そしてハンスの呆けぶりに手を焼いた魔塔の長がサリウスに、
「ハンスを奥方に会わせてやりなさい」
と命じることも。
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