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本編
かげる心
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リルはここのところ気が気ではなかった。
サリウスと「うっかり」番になってしまったばかりの頃は、一人でもこれまで通り上手くやっていけるし、アルファがいなくても大丈夫だからと貴族のサリウスに番としての義務を求めないつもりだった。
実際、あれから数ヵ月経った今でも関係性をぼかし続け、互いを番という事実以上のパートナーとは明言していないし、ましてリル的には「友達」という認識さえしないようにしている。
だってサリウスさんと僕とじゃ全然釣り合いがとれないんだもの。
二人が一緒にいるだけでも変なのはリルが一番よくわかっている。
誰がどう見たっておかしな組み合わせだ。
サリウスは気にも留めていないようだけれど、それは彼の方が上位で、立場も地位も何もかも持っている者だからだ。
狼獣人にしては珍しいオメガであるとはいえ、平凡に生きてきたリルは社会的なあれこれに何かを思ったことはなかった。
貴族だとか上流階級の慣習だとか縁もゆかりもないものだ。
しかし、サリウスと一線を越えてからというもの、いや、正確には共にヒートを過ごすようになってから、リルは胸の内にわだかまりを抱えるようになっていた。
劣等感と言い切ってしまえれば楽なのだろうが、それとは少し違う。
サリウスが本来なら雲の上の存在だってことは端からわかっていたこと。
数々の言動からいったい何度自分とは住む世界が違うと思い知らされたことだろう。
もちろん生まれや育ちなんて選べないし、サリウスにもそれ相応の苦労があることは容易に見て取れるし、そのことに対して嫉妬なんてない。
ただ、あまりにも身分の差がありすぎて。なんと言うか、共に生き続ける将来が浮かばない。
とはいえ、本人に告げたら失礼になってしまうかもと秘めているが、サリウスのズレたところは可愛いし、寝起きに甘えてこられると母性が湧きそうなくらいの愛着を抱いてはいる。
度々気を回して持ってきてくれるお土産は毎回畏れ多くて怖くなることもあるけれど、氷細工を作ってくれる時は「本当に魔術師なんだ」と気分が高揚するくらいかっこいい。
そして、何よりセックスの相性が良い。
他で試したことはないけれど、確実に絶対に最高に相性が良い。
最初の方はヒートで飛んでしまって記憶が混濁していることがほとんどだけれど、発情期の明けかけのことはしっかり覚えている。
それでも、乱れきってグチャグチャになっているので、サリウスにはその区別がついていないのだろうが。
ほんの少し触れられただけでも、感電しそうなほど痺れて。後からどんどん甘いものが溢れ出す。むせ返るほどのフェロモンは全部サリウスを誘惑して繋ぎとめるだけのもの。
口では「責任なんて取らなくても」と虚勢を張っていても、身体は素直らしい。
鈍感で恋愛や色事に不慣れなサリウスには伝わっていないのがもどかしいくらい。
喉元を搔きむしってしまいたくなるほどの矛盾した想いにリルは苛まれているのだ。
時が経てば経つほど「いずれサリウスは自分を抱かなくなるかも」という予感に震えるようになり、ついには「もう来なかったらどうしよう」と怯えるようになる。
存外賢いリルは自分に選択権がないことをわかっていた。
所詮は貴族と平民。しかも人間と獣人だ。
魔法が使える環境にあるサリウスはいつだってリルの元へと現れられるのに、リルはサリウスの正確な居所さえ知らない。
頼りは初めの頃に教えてくれた「王宮の魔塔で働いていて、そこの寮のどこかに住んでいる」という情報のみ。
直接向こうまで赴いても、獣人のリルじゃ門番に追い返される可能性の方が高い。
だから切られる時、関係が終わる時は一方的だろう。全てサリウスのさじ加減一つ。
今はサリウスが寛容なおかげで気楽な会話を楽しむ仲だけれど、本来平民のリルがサリウスに反論することは許されないのだから。
それなのに、そんなサリウスが愛おしい。深入りしすぎてはいけないのに、なんて沼だろう。
しかも、サリウスと初めて寝てから、これまで周期などお構いなしといった具合に飛び飛びな上にほんのちょっと身体が怠い程度で済んでいた発情期が頻繁に来るようになってしまった。
それも毎回決まったようにサリウスがリルを訪ねて来た時に起こるものだから、リルはつい彼に手を伸ばしてしまう。
これはもう手遅れなのかも。だけど、まだ引き返せるはずだ。
相反する苦しみに流されないように、リルは懸命に踏み留まろうとしていた。
*
仕事のある日の朝は忙しいから良い。パン屋の接客は気が紛れるから良い。
客足が途絶えても生地を無心で捏ねて気を反らそうとする。
だけれど、頭と心を空っぽにすると悪い妄想が隙間を埋めるように雪崩れ込んでくるから、やはりお客さんと話していた方がよほど気が楽だ。
それでも時おり不意打ちを食らうことはある。
「リルちゃん、好い相手いないの?」
同じ獣人の中でも世話焼きな熊のおばちゃんは来店すれば、必ずと言っていいほど、こうしてリルに探りを入れる。
自分の冬眠中にリルを一人にしておけないと親身になってくれるのは有り難いが、それほどの仲かと問われればそれは違う。
少なくともリルは微妙と思っていて、その証拠におばちゃんはその他の年頃の獣人みんなに一通り声をかけているし、そのことはこの街では有名なことだった。
面倒見が良いと言えばそれまでだけれど、お見合いをセッティングしようと画策されるのは少し困る。
色事は井戸端会議の格好のネタになる。その餌食になるのはごめんだ。
以前までは軽く躱していたけれど、嘘をつくのが苦手なリルは近頃このおばちゃんの襲撃に合うと身を固くしてしまう。
詮索されるとついうっかりサリウスのことを漏らしてしまいそうで。
サリウスは公表しても構わないというスタンスのように見えなくもないけれど、実際そうしたところで彼に迷惑がかかってしまうのは必至だし、平民のリルがそれに纏わる諸々に一人で耐えられるとは思えない。後ろ盾なんて何もないのだから。
だから本当のことは隠して、
「いませんよ」
と微笑むに留める。
「今はそういうのはいいんです」
これからも。ずっと。
ネックガードを外して軽くなった首元にはサリウスの噛み跡が確かに残っている。
こんな状態で他の人となんて不誠実にも程がある。
番の解消もできないわけではないが、番を失ったオメガの悲惨さは鬼気迫るものがあり、とてもでないが自分からそれを申し出る勇気などない。
もしサリウスさえ許してくれれば、仮に彼の新しい番が現れたとしても自分との番契約はそのままにしていてほしい。
決して存在を明らかにされなくても、サリウスとの仲が公に知らせられることはなくても。それでいいから。
「仕事も楽しいし、しばらくは一人でいようかなって」
リルが有無を言わせぬほどはっきりと告げると、
「あら、それは残念」
熊のおばちゃんはゴシップのネタを一つ失ったという風に惜しがったが、すぐまた別の話題を提供し始める。
正直リルにはあまり興味がないことばかりで、どこのだれが付き合い始めただの、別れただのという内容は耳の表面を滑っていくだけ。
しかし、
「そういえば、王都から魔術師が来ているんですってね」
おばちゃんの口からこんな言葉が飛び出した時だけは違った。
「えっ」
思いがけず、これまでよりも少し大きな反応をしてしまう。
すると、おばちゃんは「かかった!」とばかりに話し始める。
気を良くした様子で語られることには、ここ半年以上何件かローブ姿の男が目撃されていて、それがどうやら魔塔からの者らしい、という内容だった。
リルとの関係は何も示唆されていないものの、確実にサリウスのことで間違いないだろう。
他に魔術師らしい人なんてこの街にはいない。
「来てるっていうより通っているらしいのよ」
ハラハラしながら聞き入るリルにおばちゃんは憶測も交えて語っていく。
「それがね、どうやら番を探しているんじゃないかって噂なのよ!」
中らずと雖も遠からず。自意識過剰みたいだけれど、サリウスがリルのためにこんなところにまで足を運んでくれているのは本当のことだ。
「そ、そうなんですね」
「リルちゃん、あなた何か知らない?」
核心を突くような問いにリルは若干たじろぐ。
「何かって言われても……」
「知っているのよ」
おばちゃんの黒い目が鈍く輝く。
ゴクリと唾を飲み干そうとするも、口の中はカラカラで、実際には喉が鳴っただけだった。
「その魔術師、このお店に来たらしいじゃないの!」
会ったことあるんでしょう? どうだった? かっこいい?
矢継ぎ早に質問され、てっきり仲を疑われるのかと怯えていただけに、リルは拍子抜けしてしまう。
「えっと」
あまりの勢いに気圧され一瞬言葉につかえるも、彼女のしつこさを知っているリルは「まあ、それくらいなら」と思い直して、
「その、かっこいい人ですよ……優しいし、貴族なのに全然偉ぶったところがなくて、でも、少しズレてるっていうか」
改めてサリウスのことを口にすると、今まで曖昧だった自分だけが知っている彼の良いところがくっきりとした輪郭を伴う。
もっと彼のことを自慢したい。自分の番だって言ってしまいたい。でも、一等すてきなところは秘密にしておきたい。
そんな思いに駆られる。
「サリウスさんは魔法もすごく綺麗だし、いい匂いだし」
指折り数えるように挙げていくリルにおばちゃんは、
「名前まで! よく知っているのね」
今日一番の収穫を得たとばかりに声を弾ませた。
「た、たまたま! たまたまお聞きしたんです」
「あら、誤魔化さなくてもいいのよ。リルちゃんも気になるんでしょ?」
普段は頑なにこの手の話題に乗らないリルが釣れたものだから、おばちゃんは気を良くしてサリウスに関する数々の憶測を自身の見解と広げ始めた。
「魔術師のサリウスさん? アルファみたいじゃない。おまけに王宮勤めで。そんな人がどうしてこんな街にってみんな気になっているみたいなんだけどね。さっきも言ったけど、それがどうやら、番を探しているらしいって話なのよ」
街のマダム特有のマシンガントークはリルに介入する隙さえ与えず、どんどん繰り広げられていく。
「サリウスさんも立派なお方だから、近々王様直々のお達しでお見合いされるって噂なんだけど、それが嫌だからその前に自分で相手を探しているんじゃないかしら」
まあ、リルちゃんはベータだから関係ないわよね。
そんな風に付け加えたかと思えば、またおばちゃんは様々に好き勝手に持論を展開していく。
内容は信憑性に欠けるものばかりで、相手にするのも馬鹿らしいのに、おばちゃんの話はリルの胸に影を落とした。
仕事終わりに気になって、いつもはほとんど買うことのない新聞を求めて、記事を捲ってみると、確かにおばちゃんの教えてくれた通り、『若き貴族出身魔術師、王命により結婚か』という記事が見つかった。
僕の方がサリウスさんを知っているのに。深いところで交わっているはずなのに。
それなのに、先にサリウスとは無関係の街人の方が彼の事情に詳しいなんて。
リルは密かにショックを受けた。
冬間近となった寒空の下、石畳の帰路にピューと冷たい風が吹きつける。
一番星の煌めきも目に入らないほど、リルは深く項垂れていた。
サリウスと「うっかり」番になってしまったばかりの頃は、一人でもこれまで通り上手くやっていけるし、アルファがいなくても大丈夫だからと貴族のサリウスに番としての義務を求めないつもりだった。
実際、あれから数ヵ月経った今でも関係性をぼかし続け、互いを番という事実以上のパートナーとは明言していないし、ましてリル的には「友達」という認識さえしないようにしている。
だってサリウスさんと僕とじゃ全然釣り合いがとれないんだもの。
二人が一緒にいるだけでも変なのはリルが一番よくわかっている。
誰がどう見たっておかしな組み合わせだ。
サリウスは気にも留めていないようだけれど、それは彼の方が上位で、立場も地位も何もかも持っている者だからだ。
狼獣人にしては珍しいオメガであるとはいえ、平凡に生きてきたリルは社会的なあれこれに何かを思ったことはなかった。
貴族だとか上流階級の慣習だとか縁もゆかりもないものだ。
しかし、サリウスと一線を越えてからというもの、いや、正確には共にヒートを過ごすようになってから、リルは胸の内にわだかまりを抱えるようになっていた。
劣等感と言い切ってしまえれば楽なのだろうが、それとは少し違う。
サリウスが本来なら雲の上の存在だってことは端からわかっていたこと。
数々の言動からいったい何度自分とは住む世界が違うと思い知らされたことだろう。
もちろん生まれや育ちなんて選べないし、サリウスにもそれ相応の苦労があることは容易に見て取れるし、そのことに対して嫉妬なんてない。
ただ、あまりにも身分の差がありすぎて。なんと言うか、共に生き続ける将来が浮かばない。
とはいえ、本人に告げたら失礼になってしまうかもと秘めているが、サリウスのズレたところは可愛いし、寝起きに甘えてこられると母性が湧きそうなくらいの愛着を抱いてはいる。
度々気を回して持ってきてくれるお土産は毎回畏れ多くて怖くなることもあるけれど、氷細工を作ってくれる時は「本当に魔術師なんだ」と気分が高揚するくらいかっこいい。
そして、何よりセックスの相性が良い。
他で試したことはないけれど、確実に絶対に最高に相性が良い。
最初の方はヒートで飛んでしまって記憶が混濁していることがほとんどだけれど、発情期の明けかけのことはしっかり覚えている。
それでも、乱れきってグチャグチャになっているので、サリウスにはその区別がついていないのだろうが。
ほんの少し触れられただけでも、感電しそうなほど痺れて。後からどんどん甘いものが溢れ出す。むせ返るほどのフェロモンは全部サリウスを誘惑して繋ぎとめるだけのもの。
口では「責任なんて取らなくても」と虚勢を張っていても、身体は素直らしい。
鈍感で恋愛や色事に不慣れなサリウスには伝わっていないのがもどかしいくらい。
喉元を搔きむしってしまいたくなるほどの矛盾した想いにリルは苛まれているのだ。
時が経てば経つほど「いずれサリウスは自分を抱かなくなるかも」という予感に震えるようになり、ついには「もう来なかったらどうしよう」と怯えるようになる。
存外賢いリルは自分に選択権がないことをわかっていた。
所詮は貴族と平民。しかも人間と獣人だ。
魔法が使える環境にあるサリウスはいつだってリルの元へと現れられるのに、リルはサリウスの正確な居所さえ知らない。
頼りは初めの頃に教えてくれた「王宮の魔塔で働いていて、そこの寮のどこかに住んでいる」という情報のみ。
直接向こうまで赴いても、獣人のリルじゃ門番に追い返される可能性の方が高い。
だから切られる時、関係が終わる時は一方的だろう。全てサリウスのさじ加減一つ。
今はサリウスが寛容なおかげで気楽な会話を楽しむ仲だけれど、本来平民のリルがサリウスに反論することは許されないのだから。
それなのに、そんなサリウスが愛おしい。深入りしすぎてはいけないのに、なんて沼だろう。
しかも、サリウスと初めて寝てから、これまで周期などお構いなしといった具合に飛び飛びな上にほんのちょっと身体が怠い程度で済んでいた発情期が頻繁に来るようになってしまった。
それも毎回決まったようにサリウスがリルを訪ねて来た時に起こるものだから、リルはつい彼に手を伸ばしてしまう。
これはもう手遅れなのかも。だけど、まだ引き返せるはずだ。
相反する苦しみに流されないように、リルは懸命に踏み留まろうとしていた。
*
仕事のある日の朝は忙しいから良い。パン屋の接客は気が紛れるから良い。
客足が途絶えても生地を無心で捏ねて気を反らそうとする。
だけれど、頭と心を空っぽにすると悪い妄想が隙間を埋めるように雪崩れ込んでくるから、やはりお客さんと話していた方がよほど気が楽だ。
それでも時おり不意打ちを食らうことはある。
「リルちゃん、好い相手いないの?」
同じ獣人の中でも世話焼きな熊のおばちゃんは来店すれば、必ずと言っていいほど、こうしてリルに探りを入れる。
自分の冬眠中にリルを一人にしておけないと親身になってくれるのは有り難いが、それほどの仲かと問われればそれは違う。
少なくともリルは微妙と思っていて、その証拠におばちゃんはその他の年頃の獣人みんなに一通り声をかけているし、そのことはこの街では有名なことだった。
面倒見が良いと言えばそれまでだけれど、お見合いをセッティングしようと画策されるのは少し困る。
色事は井戸端会議の格好のネタになる。その餌食になるのはごめんだ。
以前までは軽く躱していたけれど、嘘をつくのが苦手なリルは近頃このおばちゃんの襲撃に合うと身を固くしてしまう。
詮索されるとついうっかりサリウスのことを漏らしてしまいそうで。
サリウスは公表しても構わないというスタンスのように見えなくもないけれど、実際そうしたところで彼に迷惑がかかってしまうのは必至だし、平民のリルがそれに纏わる諸々に一人で耐えられるとは思えない。後ろ盾なんて何もないのだから。
だから本当のことは隠して、
「いませんよ」
と微笑むに留める。
「今はそういうのはいいんです」
これからも。ずっと。
ネックガードを外して軽くなった首元にはサリウスの噛み跡が確かに残っている。
こんな状態で他の人となんて不誠実にも程がある。
番の解消もできないわけではないが、番を失ったオメガの悲惨さは鬼気迫るものがあり、とてもでないが自分からそれを申し出る勇気などない。
もしサリウスさえ許してくれれば、仮に彼の新しい番が現れたとしても自分との番契約はそのままにしていてほしい。
決して存在を明らかにされなくても、サリウスとの仲が公に知らせられることはなくても。それでいいから。
「仕事も楽しいし、しばらくは一人でいようかなって」
リルが有無を言わせぬほどはっきりと告げると、
「あら、それは残念」
熊のおばちゃんはゴシップのネタを一つ失ったという風に惜しがったが、すぐまた別の話題を提供し始める。
正直リルにはあまり興味がないことばかりで、どこのだれが付き合い始めただの、別れただのという内容は耳の表面を滑っていくだけ。
しかし、
「そういえば、王都から魔術師が来ているんですってね」
おばちゃんの口からこんな言葉が飛び出した時だけは違った。
「えっ」
思いがけず、これまでよりも少し大きな反応をしてしまう。
すると、おばちゃんは「かかった!」とばかりに話し始める。
気を良くした様子で語られることには、ここ半年以上何件かローブ姿の男が目撃されていて、それがどうやら魔塔からの者らしい、という内容だった。
リルとの関係は何も示唆されていないものの、確実にサリウスのことで間違いないだろう。
他に魔術師らしい人なんてこの街にはいない。
「来てるっていうより通っているらしいのよ」
ハラハラしながら聞き入るリルにおばちゃんは憶測も交えて語っていく。
「それがね、どうやら番を探しているんじゃないかって噂なのよ!」
中らずと雖も遠からず。自意識過剰みたいだけれど、サリウスがリルのためにこんなところにまで足を運んでくれているのは本当のことだ。
「そ、そうなんですね」
「リルちゃん、あなた何か知らない?」
核心を突くような問いにリルは若干たじろぐ。
「何かって言われても……」
「知っているのよ」
おばちゃんの黒い目が鈍く輝く。
ゴクリと唾を飲み干そうとするも、口の中はカラカラで、実際には喉が鳴っただけだった。
「その魔術師、このお店に来たらしいじゃないの!」
会ったことあるんでしょう? どうだった? かっこいい?
矢継ぎ早に質問され、てっきり仲を疑われるのかと怯えていただけに、リルは拍子抜けしてしまう。
「えっと」
あまりの勢いに気圧され一瞬言葉につかえるも、彼女のしつこさを知っているリルは「まあ、それくらいなら」と思い直して、
「その、かっこいい人ですよ……優しいし、貴族なのに全然偉ぶったところがなくて、でも、少しズレてるっていうか」
改めてサリウスのことを口にすると、今まで曖昧だった自分だけが知っている彼の良いところがくっきりとした輪郭を伴う。
もっと彼のことを自慢したい。自分の番だって言ってしまいたい。でも、一等すてきなところは秘密にしておきたい。
そんな思いに駆られる。
「サリウスさんは魔法もすごく綺麗だし、いい匂いだし」
指折り数えるように挙げていくリルにおばちゃんは、
「名前まで! よく知っているのね」
今日一番の収穫を得たとばかりに声を弾ませた。
「た、たまたま! たまたまお聞きしたんです」
「あら、誤魔化さなくてもいいのよ。リルちゃんも気になるんでしょ?」
普段は頑なにこの手の話題に乗らないリルが釣れたものだから、おばちゃんは気を良くしてサリウスに関する数々の憶測を自身の見解と広げ始めた。
「魔術師のサリウスさん? アルファみたいじゃない。おまけに王宮勤めで。そんな人がどうしてこんな街にってみんな気になっているみたいなんだけどね。さっきも言ったけど、それがどうやら、番を探しているらしいって話なのよ」
街のマダム特有のマシンガントークはリルに介入する隙さえ与えず、どんどん繰り広げられていく。
「サリウスさんも立派なお方だから、近々王様直々のお達しでお見合いされるって噂なんだけど、それが嫌だからその前に自分で相手を探しているんじゃないかしら」
まあ、リルちゃんはベータだから関係ないわよね。
そんな風に付け加えたかと思えば、またおばちゃんは様々に好き勝手に持論を展開していく。
内容は信憑性に欠けるものばかりで、相手にするのも馬鹿らしいのに、おばちゃんの話はリルの胸に影を落とした。
仕事終わりに気になって、いつもはほとんど買うことのない新聞を求めて、記事を捲ってみると、確かにおばちゃんの教えてくれた通り、『若き貴族出身魔術師、王命により結婚か』という記事が見つかった。
僕の方がサリウスさんを知っているのに。深いところで交わっているはずなのに。
それなのに、先にサリウスとは無関係の街人の方が彼の事情に詳しいなんて。
リルは密かにショックを受けた。
冬間近となった寒空の下、石畳の帰路にピューと冷たい風が吹きつける。
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