【本編完結済】氷の魔術師は狼獣人と巣ごもりしたい

ぷかり

文字の大きさ
上 下
11 / 42
本編

かげる心

しおりを挟む
 リルはここのところ気が気ではなかった。

 サリウスと「うっかり」番になってしまったばかりの頃は、一人でもこれまで通り上手くやっていけるし、アルファがいなくても大丈夫だからと貴族のサリウスに番としての義務を求めないつもりだった。

 実際、あれから数ヵ月経った今でも関係性をぼかし続け、互いを番という事実以上のパートナーとは明言していないし、ましてリル的には「友達」という認識さえしないようにしている。

 だってサリウスさんとリルとじゃ全然釣り合いがとれないんだもの。

 二人が一緒にいるだけでも変なのはリルが一番よくわかっている。
 誰がどう見たっておかしな組み合わせだ。

 サリウスは気にも留めていないようだけれど、それは彼の方が上位で、立場も地位も何もかも持っている者だからだ。
 狼獣人にしては珍しいオメガであるとはいえ、平凡に生きてきたリルは社会的なあれこれに何かを思ったことはなかった。
 貴族だとか上流階級の慣習だとか縁もゆかりもないものだ。
 しかし、サリウスと一線を越えてからというもの、いや、正確には共にヒートを過ごすようになってから、リルは胸の内にわだかまりを抱えるようになっていた。

 劣等感と言い切ってしまえれば楽なのだろうが、それとは少し違う。
 サリウスが本来なら雲の上の存在だってことは端からわかっていたこと。
 数々の言動からいったい何度自分とは住む世界が違うと思い知らされたことだろう。

 もちろん生まれや育ちなんて選べないし、サリウスにもそれ相応の苦労があることは容易に見て取れるし、そのことに対して嫉妬なんてない。
 ただ、あまりにも身分の差がありすぎて。なんと言うか、共に生き続ける将来ビジョンが浮かばない。

 とはいえ、本人に告げたら失礼になってしまうかもと秘めているが、サリウスのズレたところは可愛いし、寝起きに甘えてこられると母性が湧きそうなくらいの愛着を抱いてはいる。

 度々気を回して持ってきてくれるお土産は毎回畏れ多くて怖くなることもあるけれど、氷細工を作ってくれる時は「本当に魔術師なんだ」と気分が高揚するくらいかっこいい。

 そして、何よりセックスの相性が良い。
 他で試したことはないけれど、確実に絶対に最高に相性が良い。

 最初の方はヒートで飛んでしまって記憶が混濁していることがほとんどだけれど、発情期の明けかけのことはしっかり覚えている。
 それでも、乱れきってグチャグチャになっているので、サリウスにはその区別がついていないのだろうが。
 ほんの少し触れられただけでも、感電しそうなほど痺れて。後からどんどん甘いものが溢れ出す。むせ返るほどのフェロモンは全部サリウスを誘惑して繋ぎとめるだけのもの。

 口では「責任なんて取らなくても」と虚勢を張っていても、身体は素直らしい。
 鈍感で恋愛や色事に不慣れなサリウスには伝わっていないのがもどかしいくらい。
 喉元を搔きむしってしまいたくなるほどの矛盾した想いにリルは苛まれているのだ。

 時が経てば経つほど「いずれサリウスは自分を抱かなくなるかも」という予感に震えるようになり、ついには「もう来なかったらどうしよう」と怯えるようになる。
 存外賢いリルは自分に選択権がないことをわかっていた。

 所詮は貴族と平民。しかも人間と獣人だ。
 魔法が使える環境にあるサリウスはいつだってリルの元へと現れられるのに、リルはサリウスの正確な居所さえ知らない。

 頼りは初めの頃に教えてくれた「王宮の魔塔で働いていて、そこの寮のどこかに住んでいる」という情報のみ。
 直接向こうまで赴いても、獣人のリルじゃ門番に追い返される可能性の方が高い。
 だから切られる時、関係が終わる時は一方的だろう。全てサリウスのさじ加減一つ。

 今はサリウスが寛容なおかげで気楽な会話を楽しむ仲だけれど、本来平民のリルがサリウスに反論することは許されないのだから。
 それなのに、そんなサリウスが愛おしい。深入りしすぎてはいけないのに、なんて沼だろう。

 しかも、サリウスと初めて寝てから、これまで周期などお構いなしといった具合に飛び飛びな上にほんのちょっと身体が怠い程度で済んでいた発情期が頻繁に来るようになってしまった。
 それも毎回決まったようにサリウスがリルを訪ねて来た時に起こるものだから、リルはつい彼に手を伸ばしてしまう。

 これはもう手遅れなのかも。だけど、まだ引き返せるはずだ。 

 相反する苦しみに流されないように、リルは懸命に踏み留まろうとしていた。

*
 仕事のある日の朝は忙しいから良い。パン屋の接客は気が紛れるから良い。
 客足が途絶えても生地を無心で捏ねて気を反らそうとする。
 だけれど、頭と心を空っぽにすると悪い妄想が隙間を埋めるように雪崩れ込んでくるから、やはりお客さんと話していた方がよほど気が楽だ。

 それでも時おり不意打ちを食らうことはある。

「リルちゃん、い相手いないの?」

 同じ獣人の中でも世話焼きな熊のおばちゃんは来店すれば、必ずと言っていいほど、こうしてリルに探りを入れる。

 自分の冬眠中にリルを一人にしておけないと親身になってくれるのは有り難いが、それほどの仲かと問われればそれは違う。
 少なくともリルは微妙と思っていて、その証拠におばちゃんはその他の年頃の獣人みんなに一通り声をかけているし、そのことはこの街では有名なことだった。
 面倒見が良いと言えばそれまでだけれど、お見合いをセッティングしようと画策されるのは少し困る。

 色事は井戸端会議の格好のネタになる。その餌食になるのはごめんだ。
 以前までは軽く躱していたけれど、嘘をつくのが苦手なリルは近頃このおばちゃんの襲撃に合うと身を固くしてしまう。
 詮索されるとついうっかりサリウスのことを漏らしてしまいそうで。

 サリウスは公表しても構わないというスタンスのように見えなくもないけれど、実際そうしたところで彼に迷惑がかかってしまうのは必至だし、平民のリルがそれに纏わる諸々に一人で耐えられるとは思えない。後ろ盾なんて何もないのだから。

 だから本当のことは隠して、

「いませんよ」

 と微笑むに留める。

「今はそういうのはいいんです」
 これからも。ずっと。

 ネックガードを外して軽くなった首元にはサリウスの噛み跡が確かに残っている。
 こんな状態で他の人となんて不誠実にも程がある。

 番の解消もできないわけではないが、番を失ったオメガの悲惨さは鬼気迫るものがあり、とてもでないが自分からそれを申し出る勇気などない。

 もしサリウスさえ許してくれれば、仮に彼の新しい番が現れたとしても自分との番契約はそのままにしていてほしい。
 決して存在を明らかにされなくても、サリウスとの仲が公に知らせられることはなくても。それでいいから。

「仕事も楽しいし、しばらくは一人でいようかなって」

 リルが有無を言わせぬほどはっきりと告げると、

「あら、それは残念」

 熊のおばちゃんはゴシップのネタを一つ失ったという風に惜しがったが、すぐまた別の話題を提供し始める。

 正直リルにはあまり興味がないことばかりで、どこのだれが付き合い始めただの、別れただのという内容は耳の表面を滑っていくだけ。

 しかし、

「そういえば、王都から魔術師が来ているんですってね」

 おばちゃんの口からこんな言葉が飛び出した時だけは違った。

「えっ」

 思いがけず、これまでよりも少し大きな反応をしてしまう。
 すると、おばちゃんは「かかった!」とばかりに話し始める。

 気を良くした様子で語られることには、ここ半年以上何件かローブ姿の男が目撃されていて、それがどうやら魔塔からの者らしい、という内容だった。

 リルとの関係は何も示唆されていないものの、確実にサリウスのことで間違いないだろう。
他に魔術師らしい人なんてこの街にはいない。

「来てるっていうより通っているらしいのよ」

 ハラハラしながら聞き入るリルにおばちゃんは憶測も交えて語っていく。

「それがね、どうやら番を探しているんじゃないかって噂なのよ!」

 中らずと雖も遠からず。自意識過剰みたいだけれど、サリウスがリルのためにこんなところにまで足を運んでくれているのは本当のことだ。

「そ、そうなんですね」
「リルちゃん、あなた何か知らない?」

 核心を突くような問いにリルは若干たじろぐ。

「何かって言われても……」
「知っているのよ」

 おばちゃんの黒い目が鈍く輝く。
 ゴクリと唾を飲み干そうとするも、口の中はカラカラで、実際には喉が鳴っただけだった。

「その魔術師、このお店に来たらしいじゃないの!」
 会ったことあるんでしょう? どうだった? かっこいい?

 矢継ぎ早に質問され、てっきり仲を疑われるのかと怯えていただけに、リルは拍子抜けしてしまう。

「えっと」

 あまりの勢いに気圧され一瞬言葉につかえるも、彼女のしつこさを知っているリルは「まあ、それくらいなら」と思い直して、

「その、かっこいい人ですよ……優しいし、貴族なのに全然偉ぶったところがなくて、でも、少しズレてるっていうか」

 改めてサリウスのことを口にすると、今まで曖昧だった自分だけが知っている彼の良いところがくっきりとした輪郭を伴う。

 もっと彼のことを自慢したい。自分の番だって言ってしまいたい。でも、一等すてきなところは秘密にしておきたい。
 そんな思いに駆られる。

「サリウスさんは魔法もすごく綺麗だし、いい匂いだし」

 指折り数えるように挙げていくリルにおばちゃんは、

「名前まで! よく知っているのね」

 今日一番の収穫を得たとばかりに声を弾ませた。

「た、たまたま! たまたまお聞きしたんです」
「あら、誤魔化さなくてもいいのよ。リルちゃんも気になるんでしょ?」

 普段は頑なにこの手の話題に乗らないリルが釣れたものだから、おばちゃんは気を良くしてサリウスに関する数々の憶測を自身の見解と広げ始めた。

「魔術師のサリウスさん? アルファみたいじゃない。おまけに王宮勤めで。そんな人がどうしてこんな街にってみんな気になっているみたいなんだけどね。さっきも言ったけど、それがどうやら、番を探しているらしいって話なのよ」

 街のマダム特有のマシンガントークはリルに介入する隙さえ与えず、どんどん繰り広げられていく。

「サリウスさんも立派なお方だから、近々王様直々のお達しでお見合いされるって噂なんだけど、それが嫌だからその前に自分で相手を探しているんじゃないかしら」
 まあ、リルちゃんはベータだから関係ないわよね。

 そんな風に付け加えたかと思えば、またおばちゃんは様々に好き勝手に持論を展開していく。

 内容は信憑性に欠けるものばかりで、相手にするのも馬鹿らしいのに、おばちゃんの話はリルの胸に影を落とした。

 仕事終わりに気になって、いつもはほとんど買うことのない新聞を求めて、記事を捲ってみると、確かにおばちゃんの教えてくれた通り、『若き貴族出身魔術師、王命により結婚か』という記事が見つかった。

 僕の方がサリウスさんを知っているのに。深いところで交わっているはずなのに。
 それなのに、先にサリウスとは無関係の街人の方が彼の事情に詳しいなんて。

 リルは密かにショックを受けた。

 冬間近となった寒空の下、石畳の帰路にピューと冷たい風が吹きつける。
 一番星の煌めきも目に入らないほど、リルは深く項垂れていた。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

僕だけの番

五珠 izumi
BL
人族、魔人族、獣人族が住む世界。 その中の獣人族にだけ存在する番。 でも、番には滅多に出会うことはないと言われていた。 僕は鳥の獣人で、いつの日か番に出会うことを夢見ていた。だから、これまで誰も好きにならず恋もしてこなかった。 それほどまでに求めていた番に、バイト中めぐり逢えたんだけれど。 出会った番は同性で『番』を認知できない人族だった。 そのうえ、彼には恋人もいて……。 後半、少し百合要素も含みます。苦手な方はお気をつけ下さい。

この恋は無双

ぽめた
BL
 タリュスティン・マクヴィス。愛称タリュス。十四歳の少年。とてつもない美貌の持ち主だが本人に自覚がなく、よく女の子に間違われて困るなぁ程度の認識で軽率に他人を魅了してしまう顔面兵器。  サークス・イグニシオン。愛称サーク(ただしタリュスにしか呼ばせない)。万年二十五歳の成人男性。世界に四人しかいない白金と呼ばれる称号を持つ優れた魔術師。身分に関係なく他人には態度が悪い。  とある平和な国に居を構え、相棒として共に暮らしていた二人が辿る、比類なき恋の行方は。 *←少し性的な表現を含みます。 苦手な方、15歳未満の方は閲覧を避けてくださいね。

Ωだったけどイケメンに愛されて幸せです

空兎
BL
男女以外にα、β、Ωの3つの性がある世界で俺はオメガだった。え、マジで?まあなってしまったものは仕方ないし全力でこの性を楽しむぞ!という感じのポジティブビッチのお話。異世界トリップもします。 ※オメガバースの設定をお借りしてます。

【完結】出会いは悪夢、甘い蜜

琉海
BL
憧れを追って入学した学園にいたのは運命の番だった。 アルファがオメガをガブガブしてます。

プリンなんだから食えばわかる

てぃきん南蛮
BL
海外で定食屋を開くことを夢見て、留学をした董哉。 留学先の紹介で軍事食堂の手伝いをしているが、 アジア人嫌いのオメガ嫌いであるフレッドという兵士から嫌がらせを受ける。 ある日、初めてメイン料理を提供した董哉だったが、フレッドに何癖を付けられる。 料理を貶された董哉は流石に腹が立ち、フレッドに対して────…… 後日、流石に後悔した董哉だったが、 何故かその日からフレッドの態度が軟化し始めて……? 最悪な印象から始まる、偏見持ち海外軍人のα×軍人食堂の日本人バイト留学生Ω

三度目の人生は冷酷な獣人王子と結婚することになりましたが、なぜか溺愛されています

倉本縞
BL
エルガー王国の王子アンスフェルムは、これまで二回、獣人族の王子ラーディンに殺されかかっていた。そのたびに時をさかのぼって生き延びたが、三回目を最後に、その魔術も使えなくなってしまう。 今度こそ、ラーディンに殺されない平穏な人生を歩みたい。 そう思ったアンスフェルムは、いっそラーディンの伴侶になろうと、ラーディンの婚約者候補に名乗りを上げる。 ラーディンは野蛮で冷酷な獣人の王子と噂されていたが、婚約者候補となったアンスフェルムを大事にし、不器用な優しさを示してくれる。その姿に、アンスフェルムも徐々に警戒心を解いてゆく。 エルガー王国がラーディンたち獣人族を裏切る未来を知っているアンスフェルムは、なんとかそれを防ごうと努力するが……。

処理中です...