漢方薬局「泡影堂」調剤録

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菊花 開く

68 ※先生視点

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薬のおかげで、だいぶ症状も安定して、無事に学会の前日になった。
あんまり体調がよくないことも見越して、前日入りすることにした俺は、リンちゃんに留守番を任せて夕方に家を出ることにした。

地方出張だとどうしても荷物が多くなる。
出る時間の間際になっても、延々とスーツケースをごそごそやる俺を見かねたのか、居間で休憩していたリンちゃんが、診察台に頬杖をついたまま呆れたようにため息をついた。

「……ハジメくん、ちょっと荷物持ってき過ぎじゃない? 要るのって、スーツと衣類とあと小物くらいでしょ。前日入りするにしたって、二泊三日くらいなんだから」

「うん、そうなんだけど……。俺が地方行く時って、大体スーツダメにしちゃうことがあるから、替え持ってったほうがいいんだよね……」

「スーツダメにするほどって、何してるのよ。それより、ちゃんと薬持った? あと、論文の原稿。……まったく、私にキヨくんみたいなこと言わせないでよね」

「……だって、大体電車でなんかあるか、駅着いてからお天気悪くなるんだもん……。うん、薬は持ったし、原稿もちゃんと入れた。お財布と切符もあるし……あ、時計どこやったっけ……」

「時計? ……その腕にしてるのなんなの」

「あ、ちゃんとしてた。ポッケじゃなかった……あ、そうだ、スマホ!」

「……。私、何回考えてもコレにキヨくんがあんなに懐く理由、全然わかんないわ……」

バタバタと俺がスマホと充電器を探しに自室に戻っている間も、リンちゃんがなんかブツブツ言っている。

「……なにー? なんか言った? リンちゃん」

「なんでもなーい。それよりタクシーの手配したんでしょうね? 電車間に合うの?」

「タクシーは呼んであるよ。あ、切符、後なんだっけ」

「あ、そうだ、ちゃんとお土産買って来てね。……今回の学会、長野だっけ。 ここのジャムと、ここのホテルのお惣菜は絶対買って来て。あとはこっちのお土産リストに載ってるからお願いね」

ニッコリ笑顔で、結構な長さのお土産リストを押し付けるリンちゃんに、いつも通りの圧を感じて、渋々頷くと玄関の方からクラクションの音がした。慌ててスーツケースを掴んで、リンちゃんに声だけかける。

「じゃあ、いってくるね! 留守の間の戸締りだけしてね!」

「はいはい、いってらっしゃい。……キヨくんにも連絡してあげなさいね」

「うん……」

確かに中国から戻って来てからずっと、キヨくんは俺がどこか行くのに厳しいけど。
国内ならそんなに心配しないと思うな……とは思うけど、じっと見てくるリンちゃんの目が怖いから頷いた。
そのまま、慌てて玄関を出てタクシーの運転手さんに荷物をお願いする。

家の中のリンちゃんのため息にはさっぱり気づけないまま、俺は慌ただしく家を後にした。















昔は確か、長野に行くのに中央線を使って山梨経由で特急を使って行っていた気がするけど、北陸新幹線が通ってからは、東京から一本でいけるようになった。
時間もすごく早くなって、タイミングさえ合えば、一時間半くらいで長野についてしまう。
その分、旅行気分とか旅情とかがさっぱり削られてしまう気はするけれど、急ぎたい人にとってはいいんだろうな。

俺も本当は、昔ながらの山梨県経由ののんびりコースで行きたかったけど、ギリギリに家を出ることを考えるとこっちのルートを取るしかなかった。

「……あ、でも、やっぱり新幹線苦手かも……。メガネ外してちょっと休もうかな……」

山がいっぱいある地域の中を、たくさんトンネルを作って作ったルートだからか、揺れるし車窓も流れるのがすごく早い。早速ちょっと酔いかけて、俺はとりあえずメガネを外して首に下ろした。
チャリ、と小さな音がして、胸元にメガネがかかる。

「……そういえば、このチェーンもキヨくんがくれたんだった」

俺の眼鏡のツルには、細いけど丈夫で絡みにくい、銀色のチェーンが付いている。
確か、キヨくんが中学入るか入らないかの俺の誕生日の時に、贈ってくれたものだった。

『……ほら、センセ、コレあげます。センセはメガネあっちこっちに置き忘れるから、何度もなくしてるし、お金もったいないんで。これなら、センセのふわふわした髪にも絡みにくいし、首から下げてれば忘れないでしょう?』

そう言って、俺の三つ編みを肩に避けると、ネックレスを付けるみたいに眼鏡のツルに金具を付けて、俺の首から下げてくれたっけ。
あの時の嬉しそうな、なんだか得意げな笑顔は今思い出してもすごく可愛くて、心の中が温かくなる。

キヨくんの事を思い出すと、俺の症状は大体安定して外には出てこない。
大人としては情けないし、頼っちゃダメだって分かってるけど、ちょっとしたことで思い出してしまうのはやっぱりキヨくんの事だった。

「……そろそろ二次試験だって言ってたっけ……。一次は絶対通るの分かってたから心配してなかったけど……」

リンちゃんにも言われたし、ホテル着いたらメール入れてみようかな。
キヨくんのおかげで少しリラックスできたからか、目を瞑って開けた時には、もう長野に着いていた。







「……え、すごい、気温全然違う……」

トンネルを抜けるとそこは雪国だった、みたいな有名な名文があるけれど、トンネルをたくさん超えて辿り着いたら、そこは晩秋だった、みたいな気温だった。
シャツ一枚で大丈夫だと思ってたけど、駅から出たとたん吹く風がさっそく冷たくて、慌てて荷物から丸めて入れてあったジャケットを取り出す。


今回はホテルでの会議という名の論文発表会とお疲れさま会みたいなのがメインだったから、俺は迷わずに会場になるホテルに宿を取った。
ちょっとだけ駅からは歩くけど、有名な門前町ではあるし、散歩ならちょうどいいくらいの距離感だ。
こうやってガラガラスーツケースを引きずりながら歩いていると、去年に買い付けに行った台湾の街並みを思い出す。
たぶん、ガーッとブルドーザーか何かで作ったような大きな道の取り方と、所々にある古い街並みと新しいビル群が混然一体になってる辺りが似ているんだと思う。
あとは、似たような道が多くて迷子になりやすそうなところ。

せっかくだから帰りに行こうと思ってる善光寺なら、もう少し分かりやすい目印があるのかな。それもこれも、全部ホテルに荷物が置けてからの話だけど。

「……県庁前?で曲がればいいんだよね……。え、この道まっすぐでいいのかな?」

大きな道を延々行って通り過ぎちゃうのも怖いんだけど、細い道に入り込んだとたん、どっちが目的の方角かわからなくなるのだ。
結局、通りすがった観光客の人に何度か聞いて、ようやくたどり着いた頃にはぐったり疲れ切っていて、せっかく早めに着いたのに日もとっぷり暮れていた。
チェックインした部屋は、シングルだけどそこそこ広めで使い勝手は良さそうだったけど、ジャケットを脱ぐと真っ先にベッドに倒れ込んだ。


「これ、リンちゃんのリスト通りにお土産買うの結構大変かも……」


というか、明日明後日でお土産の購入と観光する体力残るかな……。
ふかふかのベッドの上で、スマホを取り出す間もないまま、俺の意識はストンと夢に落ちていった。
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