漢方薬局「泡影堂」調剤録

珈琲屋

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閑話 菜虫 蝶になる

2 ※咲子視点

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リンちゃんとあたしがほどよく摘まんだくらいで、センセとおにいも、大きなお皿に山盛りのサンドイッチやちっちゃな焼き菓子とチョコレートを持って、お茶会に混ざりに来た。


本物のルイス・キャロルの三月うさぎ主催のお茶会だって、迷い込んできたお客アリスを迎えてあげたんだから、あたしたちだって品よくお客様をお迎えしてあげよう。
リンちゃんがサッとテーブルの上を片付けて、センセたちのお皿を置くスペースを作ってあげている。

「……ありがと、リンちゃん。あー、なんかすごく疲れた……もうネクタイはず……、ごめんなさい」

席に座りながら、慣れない三つ揃えのピシッとした首のネクタイを無意識に緩めようとしていたセンセが、リンちゃんの冷たい視線に気づいて、手を首元から離してピッと背を伸ばす。

「そうだよ、センセ。お茶会のお客様はキチンとお行儀よくしてなきゃ……あ、おにいもダメ!」

そう言っておにいの方を見たら、オールバックにしていた髪を崩そうとしている所で、せっかくキレイに出来てるのに!と叱った。

「ハイハイ、分かったって。 ……こういうのって、見た目豪華で、実際すごいご馳走で美味そうなのはいいんですけど、量が少なくて物足りないんですよね……。一個一個も一口サイズですし」

「食事じゃなくてオヤツだからじゃない? ハイティーっていう、もっとざっくばらんとした夕飯メニュー盛り込みのお茶もあるらしいよ。 だよね、リンちゃん?」

センセがのんびりとおしぼりで手を拭きながら言う。
そう言えば、最初から4人分席があったし、おにいたちも最初からお茶する気だったんだろうな。
リンちゃんはちょうど小さなおかずシューを摘まんでる所だったから、上品に食べてゆっくりお茶を飲んでから、そうね、と答えてくれてた。

「元が労働者階級向けだから、あんまり格式ばらないし、アレもいいわよね。 ……こっち食べ終わったらそれも貰っちゃおうかな。ハジメくんの事だからたくさん用意してあるでしょ?」

「……え、あるけど……全部リンちゃんのじゃないよ!」

いつもはあんまりお化粧しないリンちゃんも、今日はしっかり目のメイクでリップはちょっとマットな深めの赤で、いつもはポニーテールかハーフアップの長い黒髪をツヤツヤのシニョンにしているから、黒と赤のドレスによく似合ってて、すごく大人の女性って感じでドキドキする。
でもセンセは見慣れてるのか気にしてないのか、いつも通りで、ちょっとつまんない。

目の前のやり取りを見ながらほんの少し膨れていたら、おにいに横からほっぺをつつかれた。

「ちょっと、おにい!こういうトコでそういう事しないで!」

「ハハッ、悪い。それより温かい内に食っちゃったほうがいいぞ。冷めてもマズくはないけど、味が落ちるから。 ……センセたちもですよ、せっかくクロワッサンも焼き直ししたんですから、サクサクのうちに食いましょ。リンさんの好きな、もちもちのオリーヴパンにカマンベールとバジル挟んだのもありますよ」

「「食べる!」」

ケンカしていたリンちゃんとセンセの声がピッタリ揃うのがおかしくて、おにいと思わず顔を見合わせて笑った。






「…………そういえば、今日すごーく豪華だったけど、なんかあったの?」

お腹いっぱい食べて、チョコレートを摘まんだりしながら、おにいの淹れてくれるお茶を飲む。
……ふわんと柑橘系のいい香りがして、チョコレートにもよくあって美味しい。

これ知ってる、アールグレイっていうのだ。
ただ、家で淹れてもらうのと別物ってくらいのいい匂いで、すごく美味しいけど、お茶の葉が違うからかな。
あたしが少なくなってきたカップの中身を見つめていると、おにいが黙ったまま笑って、そうっとお代わりを注いでくれた。
もう一度カップに口を付けながら、みんなにそう尋ねると、センセが優しく笑って答えてくれた。

「……咲子ちゃん、送別会にすると寂しがるでしょ。寮に入ったってどこに行ったって別にお別れじゃないよ、いつだって戻ってきていいし、ここにいていいんだからねって言いたくて。 あとはバレンタインのお返し。今回は咲子ちゃんも頑張ったんだってね、美味しかったよ」

「…………」

「……あー、咲子、泣くなって。お前の大事にしてる服シミになっちゃうぞ、……」

とたんにぽろっと零れだした涙に真っ先にセンセがオロオロして、リンちゃんがそっと席を立って背中を撫でてくれる。おにいは困ったようにあたしの首にナプキンを掛けてくれた。

「……ううん、ゴメン、嬉しかったの。リンちゃんも、大丈夫、ありがと。 ……うん。センセもありがと。おにいもね」

スルッと優しいリンちゃんの白い手がバラ柄の刺繍の入った真っ白いハンカチを出してくれて、もう一度頷いてそっとその手に返す。同じタイミングで、センセも胸ポケットのハンカチを出そうとしてくれていたから、そっちも断った。

「……うん。何かあったらすぐ家に帰っちゃうし、夏休みとかお休みの日も遊びに来るね。むしろ、センセたちの方がお出かけしてていないかも」

「……センセは今年いっぱい海外渡航禁止だから、多分ずっとここにいると思うぞ」

「え、今年いっぱいに伸びたの?仕入れ大丈夫かな……」

「俺がダメだって言ったらダメです。禁止です」

「えー……」

「……とにかく、咲子ちゃんが帰ってくる日は私もいるようにするから。でも、咲子ちゃんの事だからすぐ学校馴染んじゃって、帰るのも惜しくなるくらい楽しくなっちゃうかもよ?」

目の前で始まりかけたセンセとおにいのコントを遮るように、リンちゃんが続けてくれて、なんかおにいの方も上手くいきそうな感じでちょっとホッとして、またポロッと涙が出ちゃった。
とたんに、二人して心配そうな顔をこっちに向けてくるのもおかしい。
泣きながらクスクス笑って、今度はポケットから出した自分のハンカチで目を押さえる。

「うん、咲子ちゃんすっかり身についたわね。そう、擦っちゃうと腫れたりお化粧崩れちゃうからダメなの」

「……あ、そうだ、リンちゃん今度お化粧教えてね。帰って来てからでいいから」

「構わないけど、若い子のメイクとまた違うかもしれないけど、それでいい? それにまあ、学校の新しいお友達と研究するのも楽しいしね。……あ、でも化粧品選びは相談して。咲子ちゃんの肌に合うのは私の方が分かるから」

「……うん! ありがとね、みんな。なんかすごーく学校行くの楽しみになっちゃった!」

すっかりニコニコの顔で、みんなにそう言ったらそれぞれにホッとした顔で優しく笑ってくれた。


……うん、よかった。あたしまだココに帰って来てもいいんだ。







全部の片づけをみんなでやって、残ったのをお土産に貰って、帰り道はおにいと一緒に手を繋いで並んで歩いた。
あたしはともかく、おにいはコスプレ服のままだから人と通りすがったら目を引きそうだけど、そんなのは二人ともどうでも良かった。

夕暮れを過ぎて日も落ちて、残照の終わった後の明るい夜空にポツポツと星が光る。
ウンと小さい頃にセンセの家に行く時も、センセのとこから帰る時も、こうして二人でこの道を歩いていた気がする。
そしてあの頃も、この道を通るのはこんな時間でこんな空だった気がする。

センセたちもたくさん手助けしてくれて、今も見守ってくれてるけど、やっぱりあたしたちはたった二人の兄妹だ。
何があってもこうして二人でやってきた。ずっと、ずっと。

「…………楽しかったな、……」

「……うん」

「……また、やろうな。学校から帰って来た時にでもさ」

「……うん」

「…………、……」

「……やだな、なんでおにいが泣いてるの……っ」

「……いいだろ、別に。……お前も泣いてるし……」

「あたしはいいんだもん。うれし涙だもん」

結局二人して家に着くまでボロボロ泣いて、替えのハンカチまで使ってたから、本当に通りすがりの人には何事かと思われたに違いない。
でも、あたしたちは全然気にならなかったからそれでいいんだ。



寂しい時に寂しいって、みんなと別れるの寂しいって泣けるのは、きっとヒトとして良いことだと思うから。
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