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閑話 熊 穴にこもる
1 ※林視点
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俺が将棋をはじめたのは、たしか小2の夏くらいだったと思う。
小学校くらいまでは俺の両親も仲が良くて、夏休みなんかはたまに親父の田舎、爺さんちにつれていってくれる時もあった。
爺さんちは平屋の一軒家で、庭も広くて婆さんが育てているという家庭菜園や、小さな花壇があったのを覚えている。
特に好きだったのは、広々した濡れ縁のある縁側で、そこには爺さん愛用の重い将棋盤と駒も置いてあった。
夜になると、縁側でよれっとしたこなれた浴衣姿の爺さんとTシャツ短パンの親父が和やかにビールを飲んでいて、酔っぱらいながらも楽しそうに将棋を打っていたりして、俺も隣で西瓜を食いながら眺めたりした。
将棋の駒の置き方なんかを初めて習ったのはその時だ。
ごつごつした親父の膝の上で、対面の爺さん相手に将棋を打つフリをしたり、実際に駒落ち戦で遊んでもらったり。
当然、当たり前に勝てないのが悔しくてギャン泣きする俺を爺さんがニコニコしながら抱っこしてくれたりもした。
俺が将棋が好きなのは、根っこにあの時の楽しかった思い出があるからだと思う。
じいさんが亡くなって、親父と母さんの仲が上手くいかなくなってからはもう、あの家に行くことはなくなったけれど。
あの碁盤と駒はまだ誰かに使われているんだろうか、とたまに思い返す時はある。
「亮兵、今日の食事代ココね。夕飯は適当に食べておいて」
「……わかった」
朝、慌てたように準備を終えた母がいつものようにテーブルに金を置くと、いってきますも何もなくそのままあわただしく出勤する。
その背を見送る俺も、最近は行ってらっしゃいの声をかけることはなくなった。
父はそもそも長期の単身赴任のまま、家に帰ってくるのはたまに休みが取れた時くらいだ。
それでもあんまり会話せず、ほぼ俺たちの顔をちらと見るだけでまた出かけていく。
小学校高学年くらいから、うちはずっとこんな感じだ。
母は元々バリキャリってやつで仕事場で要職についているらしく、ほぼ全力を仕事に向けているような人だ。
だけどその分、家電には金をかけてくれていて、乾燥機付きの洗濯機や、自動で床掃除するロボット、食洗機なんかは揃えてくれてあったおかげで、ほぼ一人暮らしみたいな状態でも、あまり困ったことはない。
食い物は大体近くのコンビニで買えたし、ゴミはマンション内に据え置きのゴミ捨て場に置きに行くだけでいい。
こうやって何とか子供一人で生きていける環境に置いてくれただけ、毎朝こうやって金を用意してくれるだけ、俺への興味は低いかも知れないが母の愛情は0ではない、と思っている。
ただ、家で声を発するのは自分だけ、みたいな環境下で小学校以降ずっと暮らしてきた俺は、対人関係があんまり上手くなかった。
まったくのコミュ障って訳でもないつもりだが、率先して知らないやつに突っ込んでいけるほど強くもない。
相手の気持ちを推し量るってやつもあんまり得意じゃない自覚があった。
だから中学時代は孤立することが多かったし、親父譲りの鋭い目つきと、母さん譲りの皮肉そうに見えるらしい口元は、相まってヒト嫌いみたいな印象になるらしく、そもそも近寄ってくる奴も少なかった。
ポツンとどこに行っても一人になりがちな俺の手に残ったのが、いつかの楽しかった将棋で、中でも一人でも好きに遊べる詰将棋だ。
最初は俺が自由に使えるようになっている銀行口座の金を使って初心者用の本を買い、俺用に安い将棋盤と駒も買い、そのうちテレビの将棋解説に夢中になり、最終的に俺が手にするようになったのが棋譜だ。
棋譜というのは、おおざっぱに言えば名人たちの対戦結果で、9×9に割った盤面でそれぞれの駒がその時どう動いたか見るものだ。
スポーツで言うなら、好きな球団の対戦結果をリアルタイムで見るようなもので、好きな打ち手がいると余計に面白くなる。
俺だったらこう打つな、なんていうのもあわせて考えられて、なんなら頭の中で延々遊べる。
今はスマホでデータベースから見れたりもするけど、ガッコじゃスマホは使用禁止だったから、俺は紙に打ち出したのを眺める方が好きだった。
周りから見ればどれだけボッチで孤独でも、俺としては棋譜さえあれば孤独じゃなかった。
だから、なんとなくで進んだ高校でも、きっとそうなるだろうと思っていたのに。
「ハヤシー、今日帰りソノんちなー」
学校に着くなり、前の席の東原が声をかけてきた。
思わずきょとんとして、ニコニコ笑顔を真顔で見た俺に、ソノが軽く目配せして、ぺしんと軽く東原の頭をぶった。
「いや、俺んちじゃねーし、俺の爺ちゃんの店だし。 ……てか、航太、勝手にヒトの予定決めんな」
「いいじゃんか、冬休み前だし、期末も終わったし!みんなで遊んだほうが楽しいって!」
「あ、勉強会じゃないなら、僕パス」
今着いたのか、席にカバンを置きながら、声がかかる前にバッサリ断るのがすごくモモらしい。
おはよう、と声をかけると、ちゃんとおはようとニッコリ笑って返してくれるのも嬉しかった。
俺が入った学校は、私立の男子校だった。
いちおう、附属はあるみたいだが、エスカレーター式じゃなかったおかげで、入学式時はみんな初対面だ。
それに卒業まで教室も席替えもないせいで、大体みんな友人は席周りになるんじゃないだろうか。
俺も例にもれず、席周りが友人になった。
……自分でもびっくりするくらい、普通に話せる友人に。
「……朝っぱらから、航太がまた騒いでんな……。おはよ、ハヤシ」
かかる声に視線を前に戻せば、斜め前に眠そうな藤谷がいた。
たぶん、俺が浮かずにスルッとクラスに馴染めたのは藤谷のおかげもあるんじゃないかと思う。
入学式終わって開口一番のセリフのインパクトがすごかったし、その後は一年ねて暮らしていたからクラスからものすごい浮いていたので。
そして今は、そんなことがあったと思えないくらい普通の高校生として馴染み切っている。
普段は本当に勉強以外何にも興味ないです、みたいな顔してるヤツだが、意外とちゃんと周りを見ていて、目に余る時は何かしら声をかけているのを何度か見た。
俺も、ついこの間、まじめにひと声貰ってしまったのを思い出して、丸まって眠る背中を見ながら小さく笑う。
「……珍しいね、ハヤシくんが思い出し笑いするの」
隣のモモから純粋に不思議そうに声がかかって、慌てて取り繕ったけど、チラッと見たモモの顔も珍しく自然と笑っていた。
「……いや、俺、このガッコ入って良かったなと思って」
「……そう?」
気のない素振りでそっけなく返るモモの声にただ、ウンと頷く。
今までは、こうやって相手の意向を気にしない気の置けない付き合いも、あけっぴろげに笑いかけてくれる奴も、俺の都合を心配してくれる奴も、本気で俺の事を考えて声をかけてくれる奴もいなかったんだ。
こんなに普通に友達付き合いができる奴らはきっと生まれて初めてで、この先進学したって就職したって、きっともう出来ることはない。
だから、この先を考えると不安になる。
将棋も棋譜を眺めるのも相変わらず好きだが、それよりこいつらとくだらない話をしている方が今は楽しい。
楽しすぎて、また一人になった時、将棋を盾に平気で過ごすことが俺に出来るだろうか。
どこに行っても一人きりの孤独に耐えられるだろうか。
もう、無理してモモと同じ大学を受けようとは思わないし、誰かの後を追っていこうとは思わないけど。
こうやって、ただ仲間たちとの別れを惜しむのくらいは許してほしいと思う。
小学校くらいまでは俺の両親も仲が良くて、夏休みなんかはたまに親父の田舎、爺さんちにつれていってくれる時もあった。
爺さんちは平屋の一軒家で、庭も広くて婆さんが育てているという家庭菜園や、小さな花壇があったのを覚えている。
特に好きだったのは、広々した濡れ縁のある縁側で、そこには爺さん愛用の重い将棋盤と駒も置いてあった。
夜になると、縁側でよれっとしたこなれた浴衣姿の爺さんとTシャツ短パンの親父が和やかにビールを飲んでいて、酔っぱらいながらも楽しそうに将棋を打っていたりして、俺も隣で西瓜を食いながら眺めたりした。
将棋の駒の置き方なんかを初めて習ったのはその時だ。
ごつごつした親父の膝の上で、対面の爺さん相手に将棋を打つフリをしたり、実際に駒落ち戦で遊んでもらったり。
当然、当たり前に勝てないのが悔しくてギャン泣きする俺を爺さんがニコニコしながら抱っこしてくれたりもした。
俺が将棋が好きなのは、根っこにあの時の楽しかった思い出があるからだと思う。
じいさんが亡くなって、親父と母さんの仲が上手くいかなくなってからはもう、あの家に行くことはなくなったけれど。
あの碁盤と駒はまだ誰かに使われているんだろうか、とたまに思い返す時はある。
「亮兵、今日の食事代ココね。夕飯は適当に食べておいて」
「……わかった」
朝、慌てたように準備を終えた母がいつものようにテーブルに金を置くと、いってきますも何もなくそのままあわただしく出勤する。
その背を見送る俺も、最近は行ってらっしゃいの声をかけることはなくなった。
父はそもそも長期の単身赴任のまま、家に帰ってくるのはたまに休みが取れた時くらいだ。
それでもあんまり会話せず、ほぼ俺たちの顔をちらと見るだけでまた出かけていく。
小学校高学年くらいから、うちはずっとこんな感じだ。
母は元々バリキャリってやつで仕事場で要職についているらしく、ほぼ全力を仕事に向けているような人だ。
だけどその分、家電には金をかけてくれていて、乾燥機付きの洗濯機や、自動で床掃除するロボット、食洗機なんかは揃えてくれてあったおかげで、ほぼ一人暮らしみたいな状態でも、あまり困ったことはない。
食い物は大体近くのコンビニで買えたし、ゴミはマンション内に据え置きのゴミ捨て場に置きに行くだけでいい。
こうやって何とか子供一人で生きていける環境に置いてくれただけ、毎朝こうやって金を用意してくれるだけ、俺への興味は低いかも知れないが母の愛情は0ではない、と思っている。
ただ、家で声を発するのは自分だけ、みたいな環境下で小学校以降ずっと暮らしてきた俺は、対人関係があんまり上手くなかった。
まったくのコミュ障って訳でもないつもりだが、率先して知らないやつに突っ込んでいけるほど強くもない。
相手の気持ちを推し量るってやつもあんまり得意じゃない自覚があった。
だから中学時代は孤立することが多かったし、親父譲りの鋭い目つきと、母さん譲りの皮肉そうに見えるらしい口元は、相まってヒト嫌いみたいな印象になるらしく、そもそも近寄ってくる奴も少なかった。
ポツンとどこに行っても一人になりがちな俺の手に残ったのが、いつかの楽しかった将棋で、中でも一人でも好きに遊べる詰将棋だ。
最初は俺が自由に使えるようになっている銀行口座の金を使って初心者用の本を買い、俺用に安い将棋盤と駒も買い、そのうちテレビの将棋解説に夢中になり、最終的に俺が手にするようになったのが棋譜だ。
棋譜というのは、おおざっぱに言えば名人たちの対戦結果で、9×9に割った盤面でそれぞれの駒がその時どう動いたか見るものだ。
スポーツで言うなら、好きな球団の対戦結果をリアルタイムで見るようなもので、好きな打ち手がいると余計に面白くなる。
俺だったらこう打つな、なんていうのもあわせて考えられて、なんなら頭の中で延々遊べる。
今はスマホでデータベースから見れたりもするけど、ガッコじゃスマホは使用禁止だったから、俺は紙に打ち出したのを眺める方が好きだった。
周りから見ればどれだけボッチで孤独でも、俺としては棋譜さえあれば孤独じゃなかった。
だから、なんとなくで進んだ高校でも、きっとそうなるだろうと思っていたのに。
「ハヤシー、今日帰りソノんちなー」
学校に着くなり、前の席の東原が声をかけてきた。
思わずきょとんとして、ニコニコ笑顔を真顔で見た俺に、ソノが軽く目配せして、ぺしんと軽く東原の頭をぶった。
「いや、俺んちじゃねーし、俺の爺ちゃんの店だし。 ……てか、航太、勝手にヒトの予定決めんな」
「いいじゃんか、冬休み前だし、期末も終わったし!みんなで遊んだほうが楽しいって!」
「あ、勉強会じゃないなら、僕パス」
今着いたのか、席にカバンを置きながら、声がかかる前にバッサリ断るのがすごくモモらしい。
おはよう、と声をかけると、ちゃんとおはようとニッコリ笑って返してくれるのも嬉しかった。
俺が入った学校は、私立の男子校だった。
いちおう、附属はあるみたいだが、エスカレーター式じゃなかったおかげで、入学式時はみんな初対面だ。
それに卒業まで教室も席替えもないせいで、大体みんな友人は席周りになるんじゃないだろうか。
俺も例にもれず、席周りが友人になった。
……自分でもびっくりするくらい、普通に話せる友人に。
「……朝っぱらから、航太がまた騒いでんな……。おはよ、ハヤシ」
かかる声に視線を前に戻せば、斜め前に眠そうな藤谷がいた。
たぶん、俺が浮かずにスルッとクラスに馴染めたのは藤谷のおかげもあるんじゃないかと思う。
入学式終わって開口一番のセリフのインパクトがすごかったし、その後は一年ねて暮らしていたからクラスからものすごい浮いていたので。
そして今は、そんなことがあったと思えないくらい普通の高校生として馴染み切っている。
普段は本当に勉強以外何にも興味ないです、みたいな顔してるヤツだが、意外とちゃんと周りを見ていて、目に余る時は何かしら声をかけているのを何度か見た。
俺も、ついこの間、まじめにひと声貰ってしまったのを思い出して、丸まって眠る背中を見ながら小さく笑う。
「……珍しいね、ハヤシくんが思い出し笑いするの」
隣のモモから純粋に不思議そうに声がかかって、慌てて取り繕ったけど、チラッと見たモモの顔も珍しく自然と笑っていた。
「……いや、俺、このガッコ入って良かったなと思って」
「……そう?」
気のない素振りでそっけなく返るモモの声にただ、ウンと頷く。
今までは、こうやって相手の意向を気にしない気の置けない付き合いも、あけっぴろげに笑いかけてくれる奴も、俺の都合を心配してくれる奴も、本気で俺の事を考えて声をかけてくれる奴もいなかったんだ。
こんなに普通に友達付き合いができる奴らはきっと生まれて初めてで、この先進学したって就職したって、きっともう出来ることはない。
だから、この先を考えると不安になる。
将棋も棋譜を眺めるのも相変わらず好きだが、それよりこいつらとくだらない話をしている方が今は楽しい。
楽しすぎて、また一人になった時、将棋を盾に平気で過ごすことが俺に出来るだろうか。
どこに行っても一人きりの孤独に耐えられるだろうか。
もう、無理してモモと同じ大学を受けようとは思わないし、誰かの後を追っていこうとは思わないけど。
こうやって、ただ仲間たちとの別れを惜しむのくらいは許してほしいと思う。
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