漢方薬局「泡影堂」調剤録

珈琲屋

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朔風 木の葉を払う

28 ※先生視点

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キヨくんがテスト期間に入って、薬局にこなくなってから数日経った。

今日はリンちゃんも休みの日だったから、ストーブを焚いていても何となく肌寒い。
本当は、お客さんもあんまり来ないこういう日は、調合しやすいように薬を刻んでおくのにいい日なんだけど。
一人だとどうにも手が進まないので、在庫確認に変更することにした。

「ロクジョウの粉砕はこの前やったから、在庫はあるんだよね……。後は加工前の原料か」

調剤室のはこの前確認したから、今日は倉庫の分をやろう。
足の冷えが気になるとか、寝てると足が吊るとかいうヒトがそろそろ増える時期だから、シャクヤクとブクリョウは多めに用意しておこうかな。あとケイヒ。
この辺はよく出るから仕入れも頻繁になる。

ざっくり確認しただけでも、そろそろブクリョウの在庫が少なくなってきているので、在庫チェック表に一応一筆入れておいた。
最近は日本でもハウス栽培してるけど、なかなか大手メーカー以外だと手に入りにくい。
いくつか流通が難しい薬でも欲しいのがあるから、もうしばらくしたらまた仕入れに行かなくちゃ。


「……、……」

在庫をチェックしていた手が、キヨくんが整理してってくれたキレイな棚を見てふと止まる。
最近、こういう一人でいる空白の時間にふと考えてしまうことがある。

キヨくんとリンちゃんがいなくなった先の事。
夏祭りの夜にキヨくんが心配してくれていた事だ。

「覚えといてくださいね、か……」

たぶん彼は敏い子だから、俺がこの先も誰かと一緒に暮らしたりすることがないことは分かっているんだろう。
ただでさえ、俺は体がでかくて傷も多くて、なんならトラウマまである。


傷を負ってからは、男女とも付き合うことは結局なかった。
一度誘われて試したこともあったけど、触れる前に逃げるように帰ってきた記憶がある。
ただ手を繋いだり、肌が触れるのでさえダメで、触診でさえ最初は手袋を付けていた。



それが変わったのは、キヨくんと咲子ちゃんがここに来てくれてからだ。
傷を見せてしまったのはキヨくんだけだけど、まだ小さい咲子ちゃんなんかは遠慮なく飛びついてきて、抱っこやおんぶを要求してきたし、遠慮がちとはいえ、小さいキヨくんも背中に引っ付くのが好きな子だったから、おんぶは良くした。

最初はビクッとしていた俺も、好意全開で遠慮なく抱きつかれるうち、小さい子の高い体温や柔らかい重みが平気になって、そのうち人の肌に触れるのも大丈夫になって、鬼ごっこやなんかは、なんなら俺の方から捕まえに行くようになった。
大体咲子ちゃんは嬉しそうに逃げ回ってくれて、その頃から色々頑張っていたキヨくんが代わりに俺の餌食になることが多かったけど。

咲子ちゃんはある程度大きくなると(キヨくんが全力で止めるから)そんなことはしなくなったし、他の人に俺が診察以外で触れることは基本ない。

結局、俺が全力で抱きしめに行くのは、今でもキヨくんだけだ。
それも、この前きっぱりと断られてしまったけど。

「……うん、まあ、そうだよね、もう高校生だもの。オッサンに抱きつかれるのは嫌だよね……」

今までは、咲子ちゃんの代わりに黙って我慢してくれてたんだろうけど。
この前、キヨくんの英会話の練習に付き合った時にいつものハグした時だって耳まで赤くなってたし、いい加減にしろって怒っているのかもしれない。
彼が怒っていたのは、途中で何もかも放って帰ったことからも明白で、もしかしたらテストが終わっても薬局ここには来てくれないかもしれない。


だから、この前の手の甲へのキスは完全に俺への意趣返しだ。
こういうことされたら嫌でしょう、だから抱き締めるのもやめてくださいね、というキヨくんからのメッセージだ。


なのに、俺は両手で包むように手をそっと持ち上げられた感触や、肌に触れた少しカサつく彼の唇の感触をまだ覚えている。
文化祭で手を引いてもらったことや、夏祭りでつかんだ固い指の感触も。


まさか、自分が彼の事が好きだとは思わなかった。
俺の認識はいつまで経っても小さいキヨくんで、大人になったのを実感したのはつい最近で、だから彼の事を自分がそういう対象としてみているとは思ってなかった。

俺の年の半分くらいの、しかも小さいころから知ってる子なのに。
心底幸せになってほしい、大事な子なのに。
俺がこんな汚い感情抱いているのを彼が知ったら、どんなにか傷つくだろう。

「……、……」

俺は自分がどれだけ臆病で情けなくて、狡賢いかをよく知っている。
この恋心を絶対に殺しきらないだろうことも分かっている。
だから、彼には絶対に気づかれないようにしなければ。


せめて、彼がここからいなくなる日までは。











そう覚悟していたから、彼がヘラリといつもみたいに笑って、学校帰りに訪ねてきたのは予想外だった。
参考書を取りに来たという彼の声に納得する。
この前はほとんど置いて帰っちゃったから、確かにテストに必要なものもあったんだろうな。

中に入ろうとする彼に遅れて、自分の体で入り口塞いでるのに気付いて、慌てて下がる。
その瞬間、偶然掠った彼の手が俺の手をさらりと撫でたのにビクッとした。

痛めたのか、と心配してくれるキヨくんに大丈夫と笑って言うのが、俺の精一杯だった。

「キヨくんこそ大丈夫だった? ごめんね」

こんなオッサンが好きになってしまって。
せめても同じオッサンでも、もっと包容力があって、カッコよくて、生活力のあるシッカリした大人だったらよかったのに。



居間についた彼が参考書を仕舞う姿に、そういえばと思い出す。
先日は俺の選んだ本が悪くて、キヨくん怒らせちゃったから、ちゃんと初心者でも読みやすそうな本を買って来てたんだった。
生きるので精いっぱいで、恋愛系にはうぶなまま大きくなったんだろうキヨくんが、真っ赤になって答えてくれる姿はすごく可愛かったけど。
本人が嫌なものを題材にしても、きっと上達はしない。

自分のスペースに置いておいたのをそのまま拾い上げて渡すと、キヨくんの眼が驚いたように丸くなった。
そんなにキヨくんが気にするようなことを言われた覚えもないけど、優しい子だから怒って帰ったこと自体を気にしてくれていたんだろうな。
またほんのり赤くなった顔で、警戒するようにじりじり下がってくのが可愛くて、少し切ない。

それでも、バイトには来てくれるというキヨくんに一気に心が軽くなって笑う。
ついでに忙しいのに、ご飯まで作ってくれることになって、いつもみたいにウキウキしてワガママまで言ってしまった。

そうして作ってくれた油淋鶏はすごく美味しかったし、ついでにと作ってくれたなす炒めも絶品だった。なにより、一緒に食べられるのがすごく嬉しい。



だから、あと少し、あと少しだけ。
絶対に気づかれないようにするから、もう少しだけ彼の笑顔を近くで見る時間をください。
あとはもう、思い出だけ抱えて一人で生きていけるから。
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