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清水 温かを含む
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話が付いたからって、急に生活が変わるわけじゃない。
むしろ昨日夜更かししたせいで、今日も変わらず寝不足で朝からいつもの大騒動だ。
俺がいつもの遅刻ギリギリ駆け込み30秒前登校をやらかして、席でぐったり伸びていると、隣の東原が「よう」と声をかけてきた。
「いつもよりはえーじゃん、今日。どったの?」
「俺がいつも遅刻ギリギリで来ると思うなよ……」
「そうだな、いつも完全アウトの重役出勤だもんなお前。授業始まったらそっこー夢ん中だし」
「……うぐっ」
「それで?」
どったのよ、と頭をつついてくる東原の手がうざいので、ペシっと振り払ってから仕方なく答えた。
「……家庭の事情が片付いたんで、来週辺りからフツーに通えると思う」
「おー、ようやくか」
「ようやくだ。いつも目覚まし時計役やらせて悪かったな」
渋々、だるい体起こして席に座り直すと、東原がニカッと笑って気にすんな、みたいにヒラヒラ手を振る。
「これで、藤谷混じるから、天気のいい日はヒルメシ屋上で食うかなー。どっちがいい?ソノ」
「俺は別にどっちでも」
東原の前に座ってる御園が本当にどうでも良さそうにいう。
……え、なんだ、俺、お前のイツメンにカウントされてたのか……いつの間に。
もしかして、ここのとこずっとこいつらが席で食ってたのは、俺がいつもココで寝くたれてたせいなんだろうか……。
ちょっと悪かったかなあ、みたいな顔してボンヤリやりとりを眺めていたら、いつも何にも興味なさそうな顔をしている御園が急にこっちを向いた。
「……なんだよ」
「……べつに。 ただ、藤谷もせっかくガッコ通ってるんだし、寝るか勉強する以外のこともやってみたら、と思って」
……え、それ以外に何やる所なんだ、学校……。
この女子率0の男くさい学校でやることってったら……部活?部活か?
……そういえば、御園、吹奏楽だか天文学だかなんかの部長やってるって言ってたな。
確か。たぶん。
サラッとした自己紹介なんて、睡眠学習より頭入ってこないからうろ覚えだが。
「……部活とか絶対ヤル気ねえけど、バイトはやろうと思ってるよ」
センセにも泣きつかれたし、あの惨状見た後じゃ断れねえし。
……本当は、忙しいのをきっかけに離れようと思っていた場所だけども、だ。
「ハハハ、先読みされてんの、ソノ」
「……うるさい」
東原が笑って御園の背を突っつき、御園が教科書の背で東原の頭を叩くのをぼんやり見ながら、俺は放課後センセのとこに行くかどうかで悩んでいた。
そうして、結局俺はこうして「泡影堂」の前に立っている。
中に入らないのは、物理的に店が開いてなかったからだ。
「…………」
チャリを店の真ん前横付けして数秒、帰ろうかとペダルに足を掛けた途端に、後ろから声がかかった。
「あれ、キヨくんじゃん、どうしたの?」
振り返らなくったって分かる、どこかのんびりした穏やかな低い声。
……リンさんだったらよかったのにな。
一瞬思うも、一度息ついて思考をバイト用に切り替える。
「ちわっす、センセ」
笑って振り返ると、人より頭二つくらい飛びぬけた大男がそこにいた。
センセ、体も分厚いからホントにデカいんだよな…。
買い物帰りだったのか、両手にパンパンに詰まったビニール袋をぶら下げている。
……ただし、このヒトはほんっとうに根っから家事とか何にもできないので、絶対その袋の中に詰まってるのは出来合いの惣菜だ。
あと牛乳。ビックリするくらい牛乳をよく飲む。
……もしかして縦にも横にもデカいのはそのせいなのか?
……俺も今からでもアレくらい飲むべきか?牛乳。
「……なに、どしたの?……もしかして、この前の薬合わなかった?」
とたんに眉がしょげてハの字になるのを見ながら、つとめて事務的になんでもないっすよ、と答えた。
「それより中入りましょ、中。 俺チャリ止めてきますんで」
店のど真ん前で大男と話してると、とんでもなく目立つんで。
うん、と頷いて、センセの背丈には絶対合わないちいさい裏口を屈むようにして潜る、その丸い大きな背をチラリと眺めて、俺は聞こえないように小さくため息をついた。
「ひさびさに来るとなおさら狭く感じますね、ココ」
店の裏口をくぐると小さな坪庭のようになっていて、狭く短いジャリの道を進むとその先が裏の玄関だ。
センセの爺さんが立てたというこの店の住居側は完全に和の作りになっていて、やっぱりこっち側もセンセの背丈には全然合わない。
いい加減センセが継いでからもう長いし、せめて出入り口だけでも直した方がいいんじゃないかと思うけれど。
「うん、狭いよね。めんどくさいから直す気ないけど」
……ほら、こういうヒトだ。
チャリチャリといつものように、パツパツのジーンズのポケからカギ出すのを見ながら、右の荷物を無言で奪う。笑い顔でセンセがこっちみるのも、無視だ。
「荷物預かってくれてありがとね。…じゃあ、俺はこっち片付けてくるから、居間で適当に寛いでて」
「……はーい」
……居間か、居間ね。
狭い三和土で靴を脱ぎ、同じく狭い廊下の突き当り、荷物受け取って台所へ向かう大きな背を見送って、すぐ隣の勝手知ったる洗面で手を洗う。
「……こっちも掃除案件だな」
俺が最後に入った時は(俺が)丁寧に整えてあったから、タオルはタオルでちゃんとしてたし、洗濯機の回りだってきちんとしてたんだが。
もう今となったら荒廃の極みだ。
絶対使ってないだろうタオルを選んで手を拭くと、そのままざっくり勝手知ったる折り畳みのカゴを2つ引っ張り出して、その場に山と積まれた洗濯物を色物と白物で分類しておく。
とりあえず、白物の方が量多いからこっち先にやっちまおう。
買い足しだけはされてあった洗剤を入れて、先に洗濯を回しておく。
「リンさん、住居の方は絶対手ェつけないからな」
めんどくさいから。
俺も正直、相手がセンセじゃなかったらここまでは手を出さないとは思う。
ずんずん居間へと向かう途中で、階段下の物入れから100枚入りの使い捨て手袋と掃除機も引っ張り出す。
もう絶対、居間も壊滅してんだ、知ってる。
埃まみれになってるに違いないので、一旦制服の上は脱いで、洗面に置いてきた。
下のカッターシャツの袖をまくり上げて、いつもカバンに入れてある予備の使い捨てマスクをつけ直し、ちょっとサイズの小さいエプロンをつけ、最後にギュッと手袋はめれば準備完了だ。
「……さて。戦争だ」
待ってろよ、絶対キレイなお前に戻してやるからな、居間。
「お待たせ、待たせちゃってごめ…………うぉおお!すげーキレイ!!」
センセは普通のお茶入れるのが驚異的にヘタクソなので、持って来てるのはペットボトルのお茶二本だが。
俺が自宅に踏み込んだから、出来ないなりに台所をキレイにしようと悪戦苦闘してたに違いない。
ちょっと目を離すとセンセが必ず台所を荒らすので、目くじら立てて怒ってたことをまだ覚えているんだろう。
結構な時間がかかってる間に、軽いはたきがけも、掃除機も、ふき掃除も完璧に済ませた俺は、キレイになったちゃぶ台の前、よく叩いてふっかりまるく膨らんだ座布団にあぐらで座って待っていた。
幼い頃、愛想のいい子供のフリするとき使ってたような笑顔で、ニコッと笑ってみせる。
……さて。
「じゃあ、センセ。 ビジネスの話をしましょう」
もちろん、前払いで。
むしろ昨日夜更かししたせいで、今日も変わらず寝不足で朝からいつもの大騒動だ。
俺がいつもの遅刻ギリギリ駆け込み30秒前登校をやらかして、席でぐったり伸びていると、隣の東原が「よう」と声をかけてきた。
「いつもよりはえーじゃん、今日。どったの?」
「俺がいつも遅刻ギリギリで来ると思うなよ……」
「そうだな、いつも完全アウトの重役出勤だもんなお前。授業始まったらそっこー夢ん中だし」
「……うぐっ」
「それで?」
どったのよ、と頭をつついてくる東原の手がうざいので、ペシっと振り払ってから仕方なく答えた。
「……家庭の事情が片付いたんで、来週辺りからフツーに通えると思う」
「おー、ようやくか」
「ようやくだ。いつも目覚まし時計役やらせて悪かったな」
渋々、だるい体起こして席に座り直すと、東原がニカッと笑って気にすんな、みたいにヒラヒラ手を振る。
「これで、藤谷混じるから、天気のいい日はヒルメシ屋上で食うかなー。どっちがいい?ソノ」
「俺は別にどっちでも」
東原の前に座ってる御園が本当にどうでも良さそうにいう。
……え、なんだ、俺、お前のイツメンにカウントされてたのか……いつの間に。
もしかして、ここのとこずっとこいつらが席で食ってたのは、俺がいつもココで寝くたれてたせいなんだろうか……。
ちょっと悪かったかなあ、みたいな顔してボンヤリやりとりを眺めていたら、いつも何にも興味なさそうな顔をしている御園が急にこっちを向いた。
「……なんだよ」
「……べつに。 ただ、藤谷もせっかくガッコ通ってるんだし、寝るか勉強する以外のこともやってみたら、と思って」
……え、それ以外に何やる所なんだ、学校……。
この女子率0の男くさい学校でやることってったら……部活?部活か?
……そういえば、御園、吹奏楽だか天文学だかなんかの部長やってるって言ってたな。
確か。たぶん。
サラッとした自己紹介なんて、睡眠学習より頭入ってこないからうろ覚えだが。
「……部活とか絶対ヤル気ねえけど、バイトはやろうと思ってるよ」
センセにも泣きつかれたし、あの惨状見た後じゃ断れねえし。
……本当は、忙しいのをきっかけに離れようと思っていた場所だけども、だ。
「ハハハ、先読みされてんの、ソノ」
「……うるさい」
東原が笑って御園の背を突っつき、御園が教科書の背で東原の頭を叩くのをぼんやり見ながら、俺は放課後センセのとこに行くかどうかで悩んでいた。
そうして、結局俺はこうして「泡影堂」の前に立っている。
中に入らないのは、物理的に店が開いてなかったからだ。
「…………」
チャリを店の真ん前横付けして数秒、帰ろうかとペダルに足を掛けた途端に、後ろから声がかかった。
「あれ、キヨくんじゃん、どうしたの?」
振り返らなくったって分かる、どこかのんびりした穏やかな低い声。
……リンさんだったらよかったのにな。
一瞬思うも、一度息ついて思考をバイト用に切り替える。
「ちわっす、センセ」
笑って振り返ると、人より頭二つくらい飛びぬけた大男がそこにいた。
センセ、体も分厚いからホントにデカいんだよな…。
買い物帰りだったのか、両手にパンパンに詰まったビニール袋をぶら下げている。
……ただし、このヒトはほんっとうに根っから家事とか何にもできないので、絶対その袋の中に詰まってるのは出来合いの惣菜だ。
あと牛乳。ビックリするくらい牛乳をよく飲む。
……もしかして縦にも横にもデカいのはそのせいなのか?
……俺も今からでもアレくらい飲むべきか?牛乳。
「……なに、どしたの?……もしかして、この前の薬合わなかった?」
とたんに眉がしょげてハの字になるのを見ながら、つとめて事務的になんでもないっすよ、と答えた。
「それより中入りましょ、中。 俺チャリ止めてきますんで」
店のど真ん前で大男と話してると、とんでもなく目立つんで。
うん、と頷いて、センセの背丈には絶対合わないちいさい裏口を屈むようにして潜る、その丸い大きな背をチラリと眺めて、俺は聞こえないように小さくため息をついた。
「ひさびさに来るとなおさら狭く感じますね、ココ」
店の裏口をくぐると小さな坪庭のようになっていて、狭く短いジャリの道を進むとその先が裏の玄関だ。
センセの爺さんが立てたというこの店の住居側は完全に和の作りになっていて、やっぱりこっち側もセンセの背丈には全然合わない。
いい加減センセが継いでからもう長いし、せめて出入り口だけでも直した方がいいんじゃないかと思うけれど。
「うん、狭いよね。めんどくさいから直す気ないけど」
……ほら、こういうヒトだ。
チャリチャリといつものように、パツパツのジーンズのポケからカギ出すのを見ながら、右の荷物を無言で奪う。笑い顔でセンセがこっちみるのも、無視だ。
「荷物預かってくれてありがとね。…じゃあ、俺はこっち片付けてくるから、居間で適当に寛いでて」
「……はーい」
……居間か、居間ね。
狭い三和土で靴を脱ぎ、同じく狭い廊下の突き当り、荷物受け取って台所へ向かう大きな背を見送って、すぐ隣の勝手知ったる洗面で手を洗う。
「……こっちも掃除案件だな」
俺が最後に入った時は(俺が)丁寧に整えてあったから、タオルはタオルでちゃんとしてたし、洗濯機の回りだってきちんとしてたんだが。
もう今となったら荒廃の極みだ。
絶対使ってないだろうタオルを選んで手を拭くと、そのままざっくり勝手知ったる折り畳みのカゴを2つ引っ張り出して、その場に山と積まれた洗濯物を色物と白物で分類しておく。
とりあえず、白物の方が量多いからこっち先にやっちまおう。
買い足しだけはされてあった洗剤を入れて、先に洗濯を回しておく。
「リンさん、住居の方は絶対手ェつけないからな」
めんどくさいから。
俺も正直、相手がセンセじゃなかったらここまでは手を出さないとは思う。
ずんずん居間へと向かう途中で、階段下の物入れから100枚入りの使い捨て手袋と掃除機も引っ張り出す。
もう絶対、居間も壊滅してんだ、知ってる。
埃まみれになってるに違いないので、一旦制服の上は脱いで、洗面に置いてきた。
下のカッターシャツの袖をまくり上げて、いつもカバンに入れてある予備の使い捨てマスクをつけ直し、ちょっとサイズの小さいエプロンをつけ、最後にギュッと手袋はめれば準備完了だ。
「……さて。戦争だ」
待ってろよ、絶対キレイなお前に戻してやるからな、居間。
「お待たせ、待たせちゃってごめ…………うぉおお!すげーキレイ!!」
センセは普通のお茶入れるのが驚異的にヘタクソなので、持って来てるのはペットボトルのお茶二本だが。
俺が自宅に踏み込んだから、出来ないなりに台所をキレイにしようと悪戦苦闘してたに違いない。
ちょっと目を離すとセンセが必ず台所を荒らすので、目くじら立てて怒ってたことをまだ覚えているんだろう。
結構な時間がかかってる間に、軽いはたきがけも、掃除機も、ふき掃除も完璧に済ませた俺は、キレイになったちゃぶ台の前、よく叩いてふっかりまるく膨らんだ座布団にあぐらで座って待っていた。
幼い頃、愛想のいい子供のフリするとき使ってたような笑顔で、ニコッと笑ってみせる。
……さて。
「じゃあ、センセ。 ビジネスの話をしましょう」
もちろん、前払いで。
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