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春風 氷を解く
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リンさん特製ちょっと甘めの八宝茶を飲みながら暫くぶりの二人と情報交換し、薄っぺらいビニール袋にパンパンに詰まった薬片手に、あわててチャリで家に帰りついたのが20時前、メシと風呂済ませて珍しく早めに自室に引き上げたのが今だ。
今日はちゃんとママがいるせいか、ちびどもはギリギリまでママにピッタリ引っ付いて散々はしゃぎ、疲れはててもう寝ている。
机に今日やるつもりだった分の参考書を広げながら、ふと思う。
「……俺達も、昔はああだったんだろうな、」
「…うん? なにが?」
シャーペンとノートの立てるカリカリ音に妹の声が混じる。
俺の部屋、というか俺と妹の部屋は、幸いにもオヤジが大きめの部屋を当ててくれてあったおかげで、なんとか区切れば二人で使える作りになっている。
真ん中の仕切りは、俺がバイト代で買った、カーテン屋の格安で分厚い遮光カーテンだ。
しかし、カーテンでの仕切りしかないから、独り言でも呟けばこうやって相手に丸聞こえになるわけで…。
「……いや、独り言だから気にすんな」
「そう言われると気になるじゃん」
言った途端にピタッと止まったシャーペンの音の方が俺は気になる。
受験真っ最中の妹の勉強の邪魔するつもりは俺にもなかった。
「………、大したことじゃねーって、ちびどもの今日の様子見て思っただけで」
「あー、そうだね、確かにほぼ二人ぼっちだったもんね、ちっちゃい頃。あたしはおにいいたから、別にって感じだったけど」
「そういって、最初の頃はお前もぴいぴい泣いてたぞ、ほら、二人してセンセのとこ預けられてた時」
「もうそんな昔のことは忘れたね」
そういってまた教科書をめくる紙の音がして、ふと止まる。
「そういえば、今日行ってきたんでしょ、センセのとこ。元気にしてた?」
「してたしてた。相変わらず魔窟だった」
「アッハハ、そうだよね、あそこ、おにいがいないとすぐメチャクチャになるもんね。……センセ、何だって?」
「………、母さんとよく話せって言われたよ」
うん、と頷いて妹が黙る。
そして仕切りのカーテンがシャッと開けられた。
こちらを見上げる、意思が強そうな丸くて大きい目と小さな顔は母さん譲りで、きりっとした太めの眉は親父譲りだと確か昔に聞いた気がする。
そういや、毎日見てるはずの妹の顔すら、ここのところまともに見ていなかったな。
「話して来なよ。母さん休みだからまだ下にいるし。あたしが言っても聞かないから黙ってたけど、さすがのおにいももう限界だと思う」
真顔で告げてから何か思いついたようにニッと笑い、バッと両腕広げて見せる妹にげえっと大げさに顔をしかめて見せる。
「勘弁しろ、もう今日センセにやられて帰って来たばかりだから」
「やっぱね、センセ、おにいに会うと必ずやるよね、ハグ。あたしにはやってくれないのにさー」
「バッカ、お前の年の女子にあんなオヤジが抱きついたら即逮捕だぞ」
「そんなこと言って、おにいけっこうセンセのハグ好きなくせにー」
「…………」
言い返す代わりにカーテンを乱暴に閉め直して、席を立つ。
後ろから明るく「いってらっしゃーい」と妹の声が、部屋を出てギシギシと階段を下りていく俺の背中を追ってきた。
母さんは、こういう休みの日には大体台所にいて、親父が昔使っていたらしい、少し重たいウィスキーグラスでちびちび酒を飲んでいる。
今日も薄暗い台所に一つだけオレンジのランプを付けて、何も見えない外を見ながらポツンと傷だらけのテーブルに座っていた。
その背中があまりにもたよりなくて寂しくて切なそうで、結局俺はいつも何も言えなくなって、できるかぎりは一人で何とかやってきた。
やってきた、つもりだった。
「……母さん」
声だけかけて言いよどむ俺が背後にいるのに気付いて、母が振り返って笑う。
「…なにやってんの、ほら、隣座んなさいよ」
ポンポン、と示された隣は昔に四人家族だった時、確かに俺が座っていた席だ。
雑にいくつも積まれたクッションの一つが、俺がはるか昔に使っていた、新幹線の絵のついた子供用のものだったから。
ずずっと引き寄せた椅子はいつになく重かったけれど、構わずに座る。
「……」
座ったまま、結局何も言えずテーブル見つめる俺を眺めて、母さんがうん、と頷いた。
「……ごめんね、いつもなんでもあんたに押し付けちゃったね」
「……」
黙ったままの俺を置いて、母さんが飲んでいたグラスから手を離して、こちらにまっすぐ体を向けたのは分かった。
「……この仕事始めた時も、一人じゃ寂しいからって職場の友達家に引っ張り込んだ時も、その友達が子どもごと転がり込んできた時も、あんたに何にも説明せずに押し付けちゃったね。 一人で面倒見れる子だから、お兄ちゃんだから、高校生になったから、もう大人になったからって」
「…………」
淡々と、滔々と流れるように、うたい文句のように零れる言葉に思わずグッと唇噛みしめる。
…違う、いつもみたいに我慢するんじゃない、先生は「母さんと話し合え」って言ったんだ。
ゆっくり顔を上げて母の顔を見る。
その顔はさっきと変わらず笑っていた。
「……、母さんは」
息を吸う。
「母さんはズルい。……俺に何も言わせずにいつだって先に謝るし、考えていそうなことを先にいう。……でも、俺は別に母さんを責めてるわけじゃないし、責めたかったわけじゃない。 タケルとケイコとミワコさんの件だって、家族が増えたみたいで家の中が明るくなったし、いいこともあったんだ」
息を吐く。
「……だけど、今は俺も咲子も将来がかかってる。だから、話し合いに来たんだ。……俺達のために」
母はまだ笑っていた。今度は切なそうに。
ジッとその目を見たまま話す俺の頭に手を伸ばすと、軽くポンと撫でて大きくなったねえ、と呟く。
「……違うか、子供のままじゃいられなかったんだね。……さっきハジメくんからも連絡来たよ、久々に怒られたわ」
「……先生から?」
「いい加減、旦那だけじゃなく子供のこともちゃんと見てやれ、って。 金を稼ぐだけが親のやることじゃないでしょうって。 ……あんなに普段フニャフニャしてるのに、こういう時ばっかりシッカリしちゃって」
「……」
「……うん、清文とハジメくんの言う通り。このままじゃマズいのは分かってたんだ。……だから今日ミワコとも話してたの、そろそろあんたたち実家戻ってもいいんじゃないって」
「……え、でも」
「……違うのよ、もともとそういう話だったの。 あの子の、あのDV夫とちゃんと別れてキレイに話がつくまで、実家にいるのもマズそうだからうち来る?ってね。あそこはミワコのお父さんもお母さんも若いしシッカリされてるから」
それにじいじとばあば相手の方がミワコも気が楽だろうしね、と母が笑う。
「…あ、別に清文の力が足りなかったって訳じゃないのよ。あんたはよく頑張ってくれてた。……ありがとね、感謝してる」
しみじみした母の声と一緒にクシャクシャと頭が撫でられる。
何かがこみ上げてきそうで、グッと唇噛みしめたところで聞きなれた明るい声が割って入った。
「ズルい、母さん、おにいばっかり!あたしだって頑張ってるんだからね!」
「うん、咲子もよーく頑張ってる!えらいえらい」
母の椅子ごとハグしに行く妹の突撃にふと笑みが浮かんで、深くため息落として俺も笑う。
……ああ、こんな簡単だったんだ、母さんと話すって。
そのまま妹も交えて、ホットミルクを飲みながら3人でゆっくり話した。
妹は昔の妹の席で、母は母の、俺は俺の。
父の席には飲みかけのウィスキーグラス。
はるか昔、俺が忘れた父の姿ももしかしたら混ざっていたかもしれない。
今日はちゃんとママがいるせいか、ちびどもはギリギリまでママにピッタリ引っ付いて散々はしゃぎ、疲れはててもう寝ている。
机に今日やるつもりだった分の参考書を広げながら、ふと思う。
「……俺達も、昔はああだったんだろうな、」
「…うん? なにが?」
シャーペンとノートの立てるカリカリ音に妹の声が混じる。
俺の部屋、というか俺と妹の部屋は、幸いにもオヤジが大きめの部屋を当ててくれてあったおかげで、なんとか区切れば二人で使える作りになっている。
真ん中の仕切りは、俺がバイト代で買った、カーテン屋の格安で分厚い遮光カーテンだ。
しかし、カーテンでの仕切りしかないから、独り言でも呟けばこうやって相手に丸聞こえになるわけで…。
「……いや、独り言だから気にすんな」
「そう言われると気になるじゃん」
言った途端にピタッと止まったシャーペンの音の方が俺は気になる。
受験真っ最中の妹の勉強の邪魔するつもりは俺にもなかった。
「………、大したことじゃねーって、ちびどもの今日の様子見て思っただけで」
「あー、そうだね、確かにほぼ二人ぼっちだったもんね、ちっちゃい頃。あたしはおにいいたから、別にって感じだったけど」
「そういって、最初の頃はお前もぴいぴい泣いてたぞ、ほら、二人してセンセのとこ預けられてた時」
「もうそんな昔のことは忘れたね」
そういってまた教科書をめくる紙の音がして、ふと止まる。
「そういえば、今日行ってきたんでしょ、センセのとこ。元気にしてた?」
「してたしてた。相変わらず魔窟だった」
「アッハハ、そうだよね、あそこ、おにいがいないとすぐメチャクチャになるもんね。……センセ、何だって?」
「………、母さんとよく話せって言われたよ」
うん、と頷いて妹が黙る。
そして仕切りのカーテンがシャッと開けられた。
こちらを見上げる、意思が強そうな丸くて大きい目と小さな顔は母さん譲りで、きりっとした太めの眉は親父譲りだと確か昔に聞いた気がする。
そういや、毎日見てるはずの妹の顔すら、ここのところまともに見ていなかったな。
「話して来なよ。母さん休みだからまだ下にいるし。あたしが言っても聞かないから黙ってたけど、さすがのおにいももう限界だと思う」
真顔で告げてから何か思いついたようにニッと笑い、バッと両腕広げて見せる妹にげえっと大げさに顔をしかめて見せる。
「勘弁しろ、もう今日センセにやられて帰って来たばかりだから」
「やっぱね、センセ、おにいに会うと必ずやるよね、ハグ。あたしにはやってくれないのにさー」
「バッカ、お前の年の女子にあんなオヤジが抱きついたら即逮捕だぞ」
「そんなこと言って、おにいけっこうセンセのハグ好きなくせにー」
「…………」
言い返す代わりにカーテンを乱暴に閉め直して、席を立つ。
後ろから明るく「いってらっしゃーい」と妹の声が、部屋を出てギシギシと階段を下りていく俺の背中を追ってきた。
母さんは、こういう休みの日には大体台所にいて、親父が昔使っていたらしい、少し重たいウィスキーグラスでちびちび酒を飲んでいる。
今日も薄暗い台所に一つだけオレンジのランプを付けて、何も見えない外を見ながらポツンと傷だらけのテーブルに座っていた。
その背中があまりにもたよりなくて寂しくて切なそうで、結局俺はいつも何も言えなくなって、できるかぎりは一人で何とかやってきた。
やってきた、つもりだった。
「……母さん」
声だけかけて言いよどむ俺が背後にいるのに気付いて、母が振り返って笑う。
「…なにやってんの、ほら、隣座んなさいよ」
ポンポン、と示された隣は昔に四人家族だった時、確かに俺が座っていた席だ。
雑にいくつも積まれたクッションの一つが、俺がはるか昔に使っていた、新幹線の絵のついた子供用のものだったから。
ずずっと引き寄せた椅子はいつになく重かったけれど、構わずに座る。
「……」
座ったまま、結局何も言えずテーブル見つめる俺を眺めて、母さんがうん、と頷いた。
「……ごめんね、いつもなんでもあんたに押し付けちゃったね」
「……」
黙ったままの俺を置いて、母さんが飲んでいたグラスから手を離して、こちらにまっすぐ体を向けたのは分かった。
「……この仕事始めた時も、一人じゃ寂しいからって職場の友達家に引っ張り込んだ時も、その友達が子どもごと転がり込んできた時も、あんたに何にも説明せずに押し付けちゃったね。 一人で面倒見れる子だから、お兄ちゃんだから、高校生になったから、もう大人になったからって」
「…………」
淡々と、滔々と流れるように、うたい文句のように零れる言葉に思わずグッと唇噛みしめる。
…違う、いつもみたいに我慢するんじゃない、先生は「母さんと話し合え」って言ったんだ。
ゆっくり顔を上げて母の顔を見る。
その顔はさっきと変わらず笑っていた。
「……、母さんは」
息を吸う。
「母さんはズルい。……俺に何も言わせずにいつだって先に謝るし、考えていそうなことを先にいう。……でも、俺は別に母さんを責めてるわけじゃないし、責めたかったわけじゃない。 タケルとケイコとミワコさんの件だって、家族が増えたみたいで家の中が明るくなったし、いいこともあったんだ」
息を吐く。
「……だけど、今は俺も咲子も将来がかかってる。だから、話し合いに来たんだ。……俺達のために」
母はまだ笑っていた。今度は切なそうに。
ジッとその目を見たまま話す俺の頭に手を伸ばすと、軽くポンと撫でて大きくなったねえ、と呟く。
「……違うか、子供のままじゃいられなかったんだね。……さっきハジメくんからも連絡来たよ、久々に怒られたわ」
「……先生から?」
「いい加減、旦那だけじゃなく子供のこともちゃんと見てやれ、って。 金を稼ぐだけが親のやることじゃないでしょうって。 ……あんなに普段フニャフニャしてるのに、こういう時ばっかりシッカリしちゃって」
「……」
「……うん、清文とハジメくんの言う通り。このままじゃマズいのは分かってたんだ。……だから今日ミワコとも話してたの、そろそろあんたたち実家戻ってもいいんじゃないって」
「……え、でも」
「……違うのよ、もともとそういう話だったの。 あの子の、あのDV夫とちゃんと別れてキレイに話がつくまで、実家にいるのもマズそうだからうち来る?ってね。あそこはミワコのお父さんもお母さんも若いしシッカリされてるから」
それにじいじとばあば相手の方がミワコも気が楽だろうしね、と母が笑う。
「…あ、別に清文の力が足りなかったって訳じゃないのよ。あんたはよく頑張ってくれてた。……ありがとね、感謝してる」
しみじみした母の声と一緒にクシャクシャと頭が撫でられる。
何かがこみ上げてきそうで、グッと唇噛みしめたところで聞きなれた明るい声が割って入った。
「ズルい、母さん、おにいばっかり!あたしだって頑張ってるんだからね!」
「うん、咲子もよーく頑張ってる!えらいえらい」
母の椅子ごとハグしに行く妹の突撃にふと笑みが浮かんで、深くため息落として俺も笑う。
……ああ、こんな簡単だったんだ、母さんと話すって。
そのまま妹も交えて、ホットミルクを飲みながら3人でゆっくり話した。
妹は昔の妹の席で、母は母の、俺は俺の。
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