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春風 氷を解く
2 ※先生視点
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「リンちゃん、あれどこ仕舞ったっけ、アレ」
180センチはあるだろう、図体の大きい長髪メガネに白衣の男が、調剤室からのっそりと顔だけ覗かせる。
「あれだけで分かるわけないでしょ、名前でいえ」
カウンター周りを掃除していた黒髪をポニーテールにした女性が、きっぱり切って捨てると、
大男が冷たい……!と大げさに近くの柱に懐く。
「……えーと、ほら、こないだ取ってきた…ツノ…鹿茸!」
「そっちの右端のどっかに突っ込んだ」
「右端ってどこー」
「右端は右端でしょ、自分で調べてよ」
そこ!と女性がはたきでさす方角は、骨だかツノだかなにかわからない謎の有機物がいくつも積み重なっていて、今にも崩れ落ちそうだ。
「毎回毎回取ってくるのはいいけど、ちゃんと整理しなさいよね」
「……片づけ苦手なんだよう……」
「甘えんな、やれ」
キパっと秒で返した後に、埃を払い終わったらしいリンちゃんが雑巾に持ち替えながら首を傾げる。
「そういえば、キヨくんは? 私いない間、面倒見て貰ってたんじゃなかったっけ?」
「……キヨフミくん、ここ一年おうちと学校で一杯みたいでさ、バイトしてる暇ないみたい」
「まあそうよね、確か高校上がってたもんね、あの子。そりゃ忙しいわーこんなオッサンの面倒見てる余裕ないわー」
「……ううぅ……」
この冷たくて冷たくて厳しい、背の高い黒髪の女性は、俺のイトコのリンちゃんだ。
俺が一応受け継いだこの漢方薬局で、時々店番をしてくれている。
話に出てきた「キヨフミくん」は小さい頃から遊びに来ていたハトコの子供で、
一年前まで掃除と片づけを専門にバイトをお願いしていたんだが…。
いじけて柱にのの字を量産しているうちに、聞き馴染みのある声がした。
「……まあ、そうっすね、めちゃくちゃ忙しいのは確かなんで」
いつの間にか入って来ていた学ラン姿の青少年が、リンちゃんの背後でへらりと笑う。
そういえば換気で入り口開けたままだったわーと笑うリンちゃんと、久しぶりと挨拶かわす姿に目を細めて、久しぶりと自分も挨拶してみたがキレイにスルーされた。
「……また、魔窟に戻ってますねえ」
ぐるりと室内見渡して、ハハッと爽やかに笑う。
俺の繊細な男心にざっくりナイフを突き刺しながらも、制服の上着をリンちゃんに預けて加勢してくれるらしき様子に思わず拝む。
「カミサマホトケサマキヨフミサマ!」
「はい、そういうのいーんで、センセは仕事してくださいねー。俺、今日は体力回復の栄養剤貰いに来ただけなんで、貰ったらとっとと帰りますよ」
「……あれ、キヨくん調子悪いの?」
あれと思った自分が声をかけるより先にリンちゃんが問う。
さっきと同じくへらりと笑顔を返すも、それは彼の得意な誤魔化す方の笑みだ。
付き合いの長い俺達には通用しないぞ、とばかり真顔で腕を組んで見せたが、それもスルーされた。
「いちお、センセに診て貰いにも来てるんで。掃除やる代わり、いいっすよねセンセ」
イタズラっぽく笑う顔はそれで通ると踏んでる時にする顔だ。
正直、今まで積み上げられた恩で俺のキヨくんに対する負債がすごいことになっているので、掃除なんてしてくれなくたってやるが…実際、めちゃめちゃ有難い。
思わず両手を組み合わせて拝む。
「やってくれるのは正直助かる……もう、俺とリンちゃんじゃ把握しきれなくってさ……」
「あたしの所為じゃないでしょ、自業自得でしょうが」
ピシャッとやられて、しおしお丸めた背で、問診に使っている古びた小さい椅子に腰を下ろした。
実際俺の体躯に合わせてないから、座っただけでかなり窮屈だし、体重かけたとたん今にも壊れそうな音がする。
まあ、もう慣れたけど…。
さて、と対面の丸椅子を目で促すも、慣れている彼はとっくに座っていた。
念のためアルコールでしっかり手を消毒し、いつものように彼の右の手首を取って軽く親指で探る。
「なんかちょっと触らないうちにガッチリしたねえ」
「センセ、その言い方ヘンタイくさい」
「……」
世間話もままならない……よよ……と泣くふりして見せてから、ようやく診察だ。
真顔で脈を測り、二本そろえた指先で腕に浮かぶ血管に触れる。
順々に内肘までを触れ、うん、と1つ頷いて続いて左。
同じように脈診してから、少し椅子を寄せて、
両手で顔を仰のかせるよう耳下を探った。
「うん、よし、じゃあ息吐いて舌出してね」
「いつも思うけど、これ俺相手だからいいけど女の子相手にやったらヤバいっすよね」
「……息吐いて舌出してね」
笑顔の圧を掛けて、今度こそ確認する。
ついでとばかりに目の下瞼を軽く親指で下げてのぞく。
「うん、あとはそこのソファ寝てくれる?」
「ホントに女の子相手」
「はい、早く寝てねー時間ないからねー」
軽口かわしながらも、彼のぱっぱと上を脱ぐ動作は素早い。
この子が10歳の時からの付き合いだし、俺は俺で初期の頃は診察に不安があったから、よく練習相手として付き合って貰ったものだ。
一年前はもっと背も小さかった気がしたけど、さすが成長期、もう170センチくらいはあるんじゃないだろうか。
でっかくなったなあと感慨深くなりながら、右手をみぞおちの上に置く。
「ここおすと痛い?痛くない?こっちは?」
「どっちも痛くない、です」
「よし。チャポチャポ音も特にないし、こっちは大丈夫そうだ、柴胡湯も使わなくていいな」
「自分的にも風邪っぽくはないし、食えてはいるんすけど、最近体力も集中力もなくて…。しかし、何回やられても腹探られるの嫌ですね」
「まだ腹筋周り触ってないからもうすこし我慢してー」
「ぐえ」
つぶれたカエルみたいなうめき声を上げられながら、へそ回りと腹筋を触診する。
「うん、ちょっと交感神経使い過ぎかな、おしまい。ゆっくりさせる薬だしとくよ」
「……先生、男女関係なくその辺マジで触らないで」
「触らないと症状見れないんですけど…」
撫でられ過ぎたネコみたいな威嚇をされながら、スツールごとソファから離れる。
ああ、まあ、多感な年ごろ真っ最中だからな……。
ぶつぶつ言いながら手早く服を着る子を背に、さっき確認したことを紙カルテに書いていく。
漢方はまず虚と実に分かれ、四診をもって五臓をはかる。
客が入ってくる様子から注意せよ、とは俺の爺さんの言葉だが、確かに彼は疲れていた。
瘀血が目のクマとして出ている。
舌も脈も腹診も、症状はまだ重くはないがサインは出ていて、加える薬剤の処方を考えながら、ソファに座り直した彼の方へもう一度椅子を寄せ、そっと額の熱を測った。
「……うん。いつもよりちょっと高いね。心もかなり弱ってるし、神経過敏になってる。
あんまり眠れてないんじゃない?」
「確かにそうなんすよね…、今預かってるちびどもの相手と、勉強と、翌朝の準備とってなると睡眠削るしかなくて…、だから少しでも体力戻す奴を」
「清文君」
パッと反射的に見上げる真っ黒な強い目を正面から見返して、ゆっくりといい聞かせるように言う。
「前にも言ったでしょう、大人を頼れ、と。一人じゃ背負いきれないよって。 君のお母さんは君が思ってるほど弱くもないし、話を聞いてくれるヒトだよ。……君が一番分かってるでしょう」
「……でも」
「うん、そうやって気を張って立ってきたのは分かってるよ。お母さんが大変なこともね。 だけど、このままじゃ君も、咲子ちゃんも、その預かってるって子たちもみんな一緒に倒れちゃうよ。それも分かってるでしょう、君は。……子供をやってる余裕、なかったもんね」
「…………」
グッと唇をかみしめうつむく表情は出会った頃から変わっていない。
手を伸ばして、その膝上の手の甲を落ち着かせるよう指の腹でやさしく叩いた。
そのまま顔を上げて、カウンターで見守っていたらしきリンちゃんに軽く目顔で頷く。
「リンちゃーん、八宝茶の準備よろしく」
「分かってる、もうやってる」
確かに、カウンタ横の簡易キッチンで見慣れたヤカンが、さっきから湯気を吹いている。
「俺は薬調合してくるから、キヨくんは掃除お願いしていい? ごめんね、弱ってる時に使っちゃって」
わざとらしい明るい声でその肩を軽く叩いて笑いかけると、
上がった顔はいつもの人好きする明るい顔だ。
「……まったく、しょうがない先生だ。いいっすよ、魔窟からちょっと汚い薬局くらいまで戻してあげます」
「そこはちょっときれいな薬局、まで頑張ってよ」
「ハハッ、何日かかると思ってんすか」
笑い捨てて椅子から立ち上がり、腕まくりしながら掃除道具を手に取る顔はいっぱしの戦士みたいだ。
まあ、確かに魔境魔窟怪物の巣、みたいになってるのは確かだからあってるのかもしれない……。
少し前まで彼に在庫管理を任せていたから、保管庫からやってくれるのかな。
とりあえずと、調剤室へ戻って加味帰脾湯の調合をする。
他の薬局や病院は、もう成分だけを抽出したエキス剤を使っているところも多いだろうが、うちは昔ながらの材料を刻み・削り・潰し・計って用意する、この方式を取っている。
つまりは特定の材料が不足がちになるので、仕入れに行く必要が出てくるわけだ。
今は遠方から取り寄せるのだって簡単なネットの時代ではあるが、
ネットだってその先には人がいる。
品質の良い本物を送ってくれる信用を、相手に一度も会わずに誰が保証できる?
……まあ、それで頻繁に店を閉めるせいで固定客が付きづらかったりもするんだが。
一応リンちゃんも資格は持っていて診ることはできるので店番お願いしているが、彼女も別に本業があるからな…。
考え事をしているうちに刻み終わった薬を丁寧に計りながら、一回分ずつ袋に詰める。
「……終わった? こっち、そろそろできるけど」
カウンターから続く小窓からひょいと顔を出す白い顔に目だけ上げて頷く。
「うん、キヨくん呼んでくるよ」
薬はどうしてもかさばるので結構な量になったが、まあ彼なら持って帰れるだろう。
どうしても俺には小さい、調剤室の出入り口を背をかがめるようにして潜って、右奥の保管庫の扉を開く。
「…………キヨくん?どう、かたづ……いてる!マジか!」
あの、もう天井に届くかと思われた有象無象の素材の山が!
俺がやったら3年は片づけにかかるだろう山が!
この短時間で…素材ごとに分けられているのはもちろん、ちゃんと戸棚に収められているだと…?
すっかり広くなった部屋で、掃除機かけてくれていたらしき彼が振り返って呆れたようにため息をつく。
「……そりゃ、何年このバイトやってると思ってるんすか、センセ。それより、リンさんお茶入れてくれたんでしょう、そんな入り口でボッ立ちしてないで、飲み行きましょうよ」
「……手際に感動してただけなのに、キヨくんが邪魔扱いする……」
「いや、マジで邪魔ですし」
物理的に塞がれてますし、と俺の肩をぐいぐい押すので、これくらいで勘弁してやろう。
そろそろリンちゃんも怒りだしそうだし。
でも、その前に。
「久しぶり、そんでおかえり、キヨくん」
不意打ちでぎゅっとハグしてやると、俺の分厚い胸筋で顔塞がれてしばらくモガモガと抵抗した後、ふっと力が抜ける。
そのままポンポンと軽く頭を撫でてから、腕を離すまでがいつものコースだ。
ちっちゃい頃だったら、子ども扱いするなって顔真っ赤にして怒るかわいい姿が見られたけれど、
腕から抜け出した今日の彼は諦め半分な顔で笑っていた。
「まだ戻ってくるとは一言も言ってないですけどね……まあ、でも、ただいまです、センセ。……ハジメさん」
行きましょ、とサラリと背を叩いて脇抜けていく後ろ姿に、
ああ、大人になったんだなって実感と少しばかり寂しさが湧いたのは俺だけの秘密だ。
180センチはあるだろう、図体の大きい長髪メガネに白衣の男が、調剤室からのっそりと顔だけ覗かせる。
「あれだけで分かるわけないでしょ、名前でいえ」
カウンター周りを掃除していた黒髪をポニーテールにした女性が、きっぱり切って捨てると、
大男が冷たい……!と大げさに近くの柱に懐く。
「……えーと、ほら、こないだ取ってきた…ツノ…鹿茸!」
「そっちの右端のどっかに突っ込んだ」
「右端ってどこー」
「右端は右端でしょ、自分で調べてよ」
そこ!と女性がはたきでさす方角は、骨だかツノだかなにかわからない謎の有機物がいくつも積み重なっていて、今にも崩れ落ちそうだ。
「毎回毎回取ってくるのはいいけど、ちゃんと整理しなさいよね」
「……片づけ苦手なんだよう……」
「甘えんな、やれ」
キパっと秒で返した後に、埃を払い終わったらしいリンちゃんが雑巾に持ち替えながら首を傾げる。
「そういえば、キヨくんは? 私いない間、面倒見て貰ってたんじゃなかったっけ?」
「……キヨフミくん、ここ一年おうちと学校で一杯みたいでさ、バイトしてる暇ないみたい」
「まあそうよね、確か高校上がってたもんね、あの子。そりゃ忙しいわーこんなオッサンの面倒見てる余裕ないわー」
「……ううぅ……」
この冷たくて冷たくて厳しい、背の高い黒髪の女性は、俺のイトコのリンちゃんだ。
俺が一応受け継いだこの漢方薬局で、時々店番をしてくれている。
話に出てきた「キヨフミくん」は小さい頃から遊びに来ていたハトコの子供で、
一年前まで掃除と片づけを専門にバイトをお願いしていたんだが…。
いじけて柱にのの字を量産しているうちに、聞き馴染みのある声がした。
「……まあ、そうっすね、めちゃくちゃ忙しいのは確かなんで」
いつの間にか入って来ていた学ラン姿の青少年が、リンちゃんの背後でへらりと笑う。
そういえば換気で入り口開けたままだったわーと笑うリンちゃんと、久しぶりと挨拶かわす姿に目を細めて、久しぶりと自分も挨拶してみたがキレイにスルーされた。
「……また、魔窟に戻ってますねえ」
ぐるりと室内見渡して、ハハッと爽やかに笑う。
俺の繊細な男心にざっくりナイフを突き刺しながらも、制服の上着をリンちゃんに預けて加勢してくれるらしき様子に思わず拝む。
「カミサマホトケサマキヨフミサマ!」
「はい、そういうのいーんで、センセは仕事してくださいねー。俺、今日は体力回復の栄養剤貰いに来ただけなんで、貰ったらとっとと帰りますよ」
「……あれ、キヨくん調子悪いの?」
あれと思った自分が声をかけるより先にリンちゃんが問う。
さっきと同じくへらりと笑顔を返すも、それは彼の得意な誤魔化す方の笑みだ。
付き合いの長い俺達には通用しないぞ、とばかり真顔で腕を組んで見せたが、それもスルーされた。
「いちお、センセに診て貰いにも来てるんで。掃除やる代わり、いいっすよねセンセ」
イタズラっぽく笑う顔はそれで通ると踏んでる時にする顔だ。
正直、今まで積み上げられた恩で俺のキヨくんに対する負債がすごいことになっているので、掃除なんてしてくれなくたってやるが…実際、めちゃめちゃ有難い。
思わず両手を組み合わせて拝む。
「やってくれるのは正直助かる……もう、俺とリンちゃんじゃ把握しきれなくってさ……」
「あたしの所為じゃないでしょ、自業自得でしょうが」
ピシャッとやられて、しおしお丸めた背で、問診に使っている古びた小さい椅子に腰を下ろした。
実際俺の体躯に合わせてないから、座っただけでかなり窮屈だし、体重かけたとたん今にも壊れそうな音がする。
まあ、もう慣れたけど…。
さて、と対面の丸椅子を目で促すも、慣れている彼はとっくに座っていた。
念のためアルコールでしっかり手を消毒し、いつものように彼の右の手首を取って軽く親指で探る。
「なんかちょっと触らないうちにガッチリしたねえ」
「センセ、その言い方ヘンタイくさい」
「……」
世間話もままならない……よよ……と泣くふりして見せてから、ようやく診察だ。
真顔で脈を測り、二本そろえた指先で腕に浮かぶ血管に触れる。
順々に内肘までを触れ、うん、と1つ頷いて続いて左。
同じように脈診してから、少し椅子を寄せて、
両手で顔を仰のかせるよう耳下を探った。
「うん、よし、じゃあ息吐いて舌出してね」
「いつも思うけど、これ俺相手だからいいけど女の子相手にやったらヤバいっすよね」
「……息吐いて舌出してね」
笑顔の圧を掛けて、今度こそ確認する。
ついでとばかりに目の下瞼を軽く親指で下げてのぞく。
「うん、あとはそこのソファ寝てくれる?」
「ホントに女の子相手」
「はい、早く寝てねー時間ないからねー」
軽口かわしながらも、彼のぱっぱと上を脱ぐ動作は素早い。
この子が10歳の時からの付き合いだし、俺は俺で初期の頃は診察に不安があったから、よく練習相手として付き合って貰ったものだ。
一年前はもっと背も小さかった気がしたけど、さすが成長期、もう170センチくらいはあるんじゃないだろうか。
でっかくなったなあと感慨深くなりながら、右手をみぞおちの上に置く。
「ここおすと痛い?痛くない?こっちは?」
「どっちも痛くない、です」
「よし。チャポチャポ音も特にないし、こっちは大丈夫そうだ、柴胡湯も使わなくていいな」
「自分的にも風邪っぽくはないし、食えてはいるんすけど、最近体力も集中力もなくて…。しかし、何回やられても腹探られるの嫌ですね」
「まだ腹筋周り触ってないからもうすこし我慢してー」
「ぐえ」
つぶれたカエルみたいなうめき声を上げられながら、へそ回りと腹筋を触診する。
「うん、ちょっと交感神経使い過ぎかな、おしまい。ゆっくりさせる薬だしとくよ」
「……先生、男女関係なくその辺マジで触らないで」
「触らないと症状見れないんですけど…」
撫でられ過ぎたネコみたいな威嚇をされながら、スツールごとソファから離れる。
ああ、まあ、多感な年ごろ真っ最中だからな……。
ぶつぶつ言いながら手早く服を着る子を背に、さっき確認したことを紙カルテに書いていく。
漢方はまず虚と実に分かれ、四診をもって五臓をはかる。
客が入ってくる様子から注意せよ、とは俺の爺さんの言葉だが、確かに彼は疲れていた。
瘀血が目のクマとして出ている。
舌も脈も腹診も、症状はまだ重くはないがサインは出ていて、加える薬剤の処方を考えながら、ソファに座り直した彼の方へもう一度椅子を寄せ、そっと額の熱を測った。
「……うん。いつもよりちょっと高いね。心もかなり弱ってるし、神経過敏になってる。
あんまり眠れてないんじゃない?」
「確かにそうなんすよね…、今預かってるちびどもの相手と、勉強と、翌朝の準備とってなると睡眠削るしかなくて…、だから少しでも体力戻す奴を」
「清文君」
パッと反射的に見上げる真っ黒な強い目を正面から見返して、ゆっくりといい聞かせるように言う。
「前にも言ったでしょう、大人を頼れ、と。一人じゃ背負いきれないよって。 君のお母さんは君が思ってるほど弱くもないし、話を聞いてくれるヒトだよ。……君が一番分かってるでしょう」
「……でも」
「うん、そうやって気を張って立ってきたのは分かってるよ。お母さんが大変なこともね。 だけど、このままじゃ君も、咲子ちゃんも、その預かってるって子たちもみんな一緒に倒れちゃうよ。それも分かってるでしょう、君は。……子供をやってる余裕、なかったもんね」
「…………」
グッと唇をかみしめうつむく表情は出会った頃から変わっていない。
手を伸ばして、その膝上の手の甲を落ち着かせるよう指の腹でやさしく叩いた。
そのまま顔を上げて、カウンターで見守っていたらしきリンちゃんに軽く目顔で頷く。
「リンちゃーん、八宝茶の準備よろしく」
「分かってる、もうやってる」
確かに、カウンタ横の簡易キッチンで見慣れたヤカンが、さっきから湯気を吹いている。
「俺は薬調合してくるから、キヨくんは掃除お願いしていい? ごめんね、弱ってる時に使っちゃって」
わざとらしい明るい声でその肩を軽く叩いて笑いかけると、
上がった顔はいつもの人好きする明るい顔だ。
「……まったく、しょうがない先生だ。いいっすよ、魔窟からちょっと汚い薬局くらいまで戻してあげます」
「そこはちょっときれいな薬局、まで頑張ってよ」
「ハハッ、何日かかると思ってんすか」
笑い捨てて椅子から立ち上がり、腕まくりしながら掃除道具を手に取る顔はいっぱしの戦士みたいだ。
まあ、確かに魔境魔窟怪物の巣、みたいになってるのは確かだからあってるのかもしれない……。
少し前まで彼に在庫管理を任せていたから、保管庫からやってくれるのかな。
とりあえずと、調剤室へ戻って加味帰脾湯の調合をする。
他の薬局や病院は、もう成分だけを抽出したエキス剤を使っているところも多いだろうが、うちは昔ながらの材料を刻み・削り・潰し・計って用意する、この方式を取っている。
つまりは特定の材料が不足がちになるので、仕入れに行く必要が出てくるわけだ。
今は遠方から取り寄せるのだって簡単なネットの時代ではあるが、
ネットだってその先には人がいる。
品質の良い本物を送ってくれる信用を、相手に一度も会わずに誰が保証できる?
……まあ、それで頻繁に店を閉めるせいで固定客が付きづらかったりもするんだが。
一応リンちゃんも資格は持っていて診ることはできるので店番お願いしているが、彼女も別に本業があるからな…。
考え事をしているうちに刻み終わった薬を丁寧に計りながら、一回分ずつ袋に詰める。
「……終わった? こっち、そろそろできるけど」
カウンターから続く小窓からひょいと顔を出す白い顔に目だけ上げて頷く。
「うん、キヨくん呼んでくるよ」
薬はどうしてもかさばるので結構な量になったが、まあ彼なら持って帰れるだろう。
どうしても俺には小さい、調剤室の出入り口を背をかがめるようにして潜って、右奥の保管庫の扉を開く。
「…………キヨくん?どう、かたづ……いてる!マジか!」
あの、もう天井に届くかと思われた有象無象の素材の山が!
俺がやったら3年は片づけにかかるだろう山が!
この短時間で…素材ごとに分けられているのはもちろん、ちゃんと戸棚に収められているだと…?
すっかり広くなった部屋で、掃除機かけてくれていたらしき彼が振り返って呆れたようにため息をつく。
「……そりゃ、何年このバイトやってると思ってるんすか、センセ。それより、リンさんお茶入れてくれたんでしょう、そんな入り口でボッ立ちしてないで、飲み行きましょうよ」
「……手際に感動してただけなのに、キヨくんが邪魔扱いする……」
「いや、マジで邪魔ですし」
物理的に塞がれてますし、と俺の肩をぐいぐい押すので、これくらいで勘弁してやろう。
そろそろリンちゃんも怒りだしそうだし。
でも、その前に。
「久しぶり、そんでおかえり、キヨくん」
不意打ちでぎゅっとハグしてやると、俺の分厚い胸筋で顔塞がれてしばらくモガモガと抵抗した後、ふっと力が抜ける。
そのままポンポンと軽く頭を撫でてから、腕を離すまでがいつものコースだ。
ちっちゃい頃だったら、子ども扱いするなって顔真っ赤にして怒るかわいい姿が見られたけれど、
腕から抜け出した今日の彼は諦め半分な顔で笑っていた。
「まだ戻ってくるとは一言も言ってないですけどね……まあ、でも、ただいまです、センセ。……ハジメさん」
行きましょ、とサラリと背を叩いて脇抜けていく後ろ姿に、
ああ、大人になったんだなって実感と少しばかり寂しさが湧いたのは俺だけの秘密だ。
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