私を抱いて…離さないで

真田晃

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第二章 人と、金と…

51.

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別に、行きたい訳じゃなかった。
でも……このまま本当に帰っていいのかな、という思いはあって。
トイレの個室に入り、閉めたドアにもたれ掛かる。気持ちを落ち着かせようと、深呼吸を数回──した時だった。

カッカッカッ…
ハイヒールの軽快音と共に、人が入ってくる。

「……美麗くんってさぁ、アフターで枕してくれるのかなぁ」
「さぁね。……でも、あの子優しいから。同情でも引いとけば、慰めついでにヤッてくれんじゃない?」
「うん。優しいよね。……あ、虎くんから聞いたんだけど、細客にまで神対応らしいよ」
「はー? 誰なんだよソイツ! チョー迷惑! 超・絶・迷・惑!
……美麗くんに謝れ。もっと貢げ!」


細客。
───私の事だ。


「……」

ドクドクする胸を押さえ、息を殺す。
虎って……もしかして、あの時祐輔くんと一緒にいた人……?
鏡の前に立ち、メイク直しをしているんだろう彼女達は、途切れる事無く会話を続ける。

「あたしが美麗くんなら、そんな奴ポイポイッだわ。一応営業掛けとくけど、もし釣れちゃったら迷惑。ヘルプにずっと繋いで貰って、帰り際にだけベッタリ挨拶してバイバイ、だな」
「……ふふ。それちょっと、可哀想。
でも確かに。短時間でどれだけ売り上げ伸ばせるかでランクが決まる、シビアな世界だもんね。中途半端に上がると、焦って縋りついてくるホストとかいるけど……美麗くんは、変わらず誠実に接してくれるから。私は好き」
「あたしも。応援したくなるよね」
「うん」
「今日はもっと入れよ。……虎に、細客って言われたくないし」



場違いだったのかもしれない。
トイレで話していた二人は、夜の仕事をしているような、派手な風貌をしていた。
……きっと、沢山のお金を注ぎ込んでるんだろうな。美麗くんの為に。

「……」

チープな服装。地味な雰囲気。
細客と言われても、仕方ない。
実際、利用してるのはセット料金だし。
……でも、それが祐輔くんへの思いと比例してしまうのは……嫌だな。
グラスに注がれたオレンジジュース。氷は溶けかかり、上部に薄い透明な層ができていた。


「……果穂ちゃん」

声がして、顔を上げる。
直ぐそこに浮かぶ、祐輔くんの笑顔。

「ただいま。隣、座っていい?」
「………あ、はい」

私の返事を聞き、拳一個分程の距離を空けて、美麗が腰を下ろす。
酒と煙草、化粧品と香水の混ざった臭い。きっと、他の席で付いたものなんだろう。

「ごめんね。折角来てくれたのに、長い事待たせちゃって」
「……ううん」
「オレンジジュースでいい?」

飲みかけのグラスを下げ、新しいグラスに氷を入れる。
他とは違い、殺風景な卓。
細客だと、一目で解る見栄え。

「……あの、少しなら持ってるから……何か頼めないかな……?」
「少しって?」
「お金。……10万くらい」

グラスに、オレンジジュースが注がれる。グラスに色が付いていく間、美麗はずっと黙ったままだった。
その沈黙が、妙に緊迫感を与える。美麗の表情は、変わらず笑顔なのに……

「……前にも言ったけど」

ペットボトルの蓋を閉め、定位置に戻す。

「果穂ちゃんが来てくれるだけで、俺は嬉しいから」

スッと、目の前に出されるグラス。
その所作は、初めて会った時とは違い……無駄がなくて。
美麗の笑顔にも、あの時とは違う何かを感じた。

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