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ハイジ編

58.

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「……さくら?」

ハイジが振り返り、驚いたように目を僅かに見開く。

黙ったまま視線を合わせていれば、少しだけ困ったような顔で身体を此方に向ける。
だけど……僕に触れようとしないし、近付こうともしない。


「………ハイジが、怖いんじゃ……ないから」


目を伏せ、ハイジに手を伸ばす。
二の腕辺りの袖を掴み、温もりを求めるようにもぞもぞと近寄ると、その懐に顔を埋める。


「……え、おい……」
「………」


鼻腔を擽る、ハイジの匂い。
太陽の陽射しのような、夏の潮風のような……爽やかで心地良い匂い。

安心する……
トクトクと、少しだけ速いハイジの心音。その鼓動を感じながら、ハイジの温もりに身を委ねる。


「………アゲハの、夢を見ただけ」


ぼそりと答えれば、ハイジの身体が僅かに反応する。
何となく、察したらしい。

「やっぱ、怖ぇ夢見たんじゃねーか」
「……」

その言葉に、小さく首を横に振る。
怖い夢──確かに、怖い夢だった。
だけど、それだけじゃない。

怖いのは……知らぬ間に、“僕”という存在が誰かを傷付けてしまう事。

僕のせいで、アゲハが傷ついた。
いや、傷ついたってレベルじゃない。


───壊したんだ。


綺麗な羽根が千切られ、その人生を狂わせたのは──僕。

血塗れたバタフライナイフを、若葉から託されてしまったよう。


怖い……


僕もいつか、あんな人間になってしまうんだろうか。


『……オレ、すげぇ……自分が怖ぇよ……』──背中を丸め、脅え震えるハイジの姿が脳裏を過り、僕の姿と重なる。


「……ったく、お前は」

戸惑うような声を上げつつ、ハイジの手が遠慮がちに僕の横髪に触れる。

「マジで、猫みてェだな……」

少しだけ綻んだ声。
穏やかな吐息。

それでも、何処か戸惑いがあるのだろう。僕の髪に触れた指先が、小刻みに震えていた。


……ハイジ……


ハイジの温もりを感じながら、その匂いを胸いっぱいに吸い込む。

安心する……匂い。

「……お、おい」
「………」

布地を掴んだ手に力を籠め、足が絡む程に身体を密接させながら、ハイジの胸元に鼻先を擦り付ける。

触れた所が、心音の早さで熱くなっていく。

「……もう少し、だけ」

小さくそう呟けば、ハイジが熱の籠もった息を吐く。そして優しく撫でる様に、僕の後ろ髪をゆっくりと梳いた。



……シャラ、

その指先が、黒革の首輪に当たる。
装飾された鎖が揺れ動き、小さな南京錠と擦れ合って高い音を立てた。

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